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第314話 ラスト
【どこでもない層/深部】
被験体たちの異常はその後も止まらなかった。
Aの身体に入れられたB。
互いの身体を交換されたCとD。
記憶を消されたE。
実験直後には「成功」と分類されていた人間たちが
時間が経つにつれ。
元の記憶。
元の感情。
元の名前。
説明できない違和感を
一つずつ取り戻し始めている。
白峰律はその記録を閉じた。
《人格定着・変動継続》
《基底意識反応・再上昇》
《削除情報・周辺記憶より再構成》
深層Cの声が響く。
『複数被験体に自己認識の再編成を確認しています』
カシウスは表示を見ながら言った。
「再編成」
『はい』
「元に戻っているのか」
『一律には判断できません』
『元の状態への回帰だけではなく、付与された記憶と元の記憶が新たな自己認識を形成している例もあります』
白峰が小さく息を吐く。
「もう」
カシウスが見る。
「何だ」
「元に戻すだけでも済まなくなっている」
Aでもない。
Bでもない。
二つの人生を知り
二つの感情を持ち
その状態で新しい時間を生き始めている。
カシウスはそれを失敗とは見ていない。
むしろ
観測すべき新しい結果として見ている。
白峰にはその差が
以前よりはっきり分かるようになっていた。
その時少し離れた場所で
榊原梓の反応が強くなった。
《外部観測経路・接続》
《主鍵反応・微弱》
白峰が振り返る。
梓の光から現実側へ伸びる細い線。
昨日本人が自分の身体を探してほしいと望んだ。
その意思がまだ主鍵との接続を保っている。
カシウスが言った。
「身体を見つければ、次は戻すつもりか」
白峰は答えた。
「本人が望めば」
「望まなければ?」
「戻しません」
「自分の身体なのに?」
白峰はカシウスを見る。
「自分の身体だからです」
カシウスは何も言わなかった。
その時だった。
深層Cが新しい反応を拾った。
『外部接続』
白峰の目が動く。
「現実側?」
『違います』
カシウスも視線を向ける。
『深部外縁から接近する反応を検出』
一拍。
白峰の表情が僅かに変わった。
『識別』
空間表示へ。
一つの名前。
《LAST》
◆ ◆ ◆
最初に見えたのは黒い影だった。
遠く深部の外縁。
空間と空間の継ぎ目から
一人の男が歩いてくる。
ラスト。
長い間
姿を見せていなかった男。
白峰は何も言わずその姿を見ていた。
カシウスだけがいつもと変わらない声で言う。
「戻ったか」
ラストは答えない。
そのまま榊原梓の光へ視線を向けた。
名前。
反応。
現実側への細い経路。
少し前までとは明らかに違う。
ラストがようやく口を開く。
「変わったな」
白峰が言う。
「何がです」
「それ」
梓の光を指す。
「前は、もっと静かだった」
白峰の表情が硬くなる。
「“それ”ではありません」
ラストが白峰を見る。
「何だ」
「榊原梓さんです」
数秒。
ラストは何も言わない。
やがて
「名前が戻ったのか」
「本人が取り戻しました」
「本人?」
白峰の目が細くなる。
ラストは榊原梓の光を見る。
「白いコアだろ」
「違います」
「俺が持ってきた時はそう呼んでた」
白峰の手が僅かに握られる。
その言葉で過去の出来事が。
一つ。
今へ繋がる。
◆ ◆ ◆
地下施設。
そこで見つかった正体不明の白色コア。
現実側と異世界側。
複数の人間がその正体を追い始めた時
奪ったのはラストだった。
カシウスが静かに言う。
「お前が持ち帰った」
ラストは答える。
「そうだ」
「その後は?」
白峰が聞いた。
ラストが見る。
「何が」
「あなたは」
少し間。
「ずっとここにいたわけではありませんね」
「いない」
即答。
「どこへ?」
ラストは僅かに笑った。
「お前に言う必要あるか?」
白峰は何も返さない。
深層Cが淡々と記録する。
『ラストの深部滞在記録は断続的です』
白峰が表示を見る。
『白色コア搬入後、複数回にわたり外部層への移動を確認』
『行動先の完全記録はありません』
カシウスが言う。
「好きに動かせていた」
ラストは肩を竦めるように見えた。
「閉じ込められるのは嫌いなんでね」
白峰はその言葉に
一瞬だけ別の意味を感じた。
だが追及しなかった。
今重要なのはそこではない。
「なぜ戻ったんです」
ラストは白峰ではなく梓を見る。
「動いたからだ」
白峰の目が変わる。
「何が」
「それが」
また白い光を見る。
「自分から」
◆ ◆ ◆
榊原梓の光が僅かに震えた。
ラストが近づいたからか。
名前を呼ばれたからか。
それともラスト自身を覚えているのか。
深層Cが反応を拾う。
『警戒反応の上昇』
白峰が一歩前へ出た。
梓とラストの間。
完全に遮れるわけではない。
それでも立ち位置としてそこへ入る。
ラストの目が細くなる。
「何してる」
「近づかないでください」
「俺が持ってきた」
「だから何です」
「俺がいなければ」
ラストがゆっくり言う。
「それは、もっと前にどこかへ消えてた」
白峰は否定しなかった。
ラストが白色コアを奪ったことで梓が今ここにいる。
それ自体は事実かもしれない。
だが。
「それで」
白峰が言う。
「あなたのものになるわけではない」
ラストの表情が僅かに変わった。
「もの?」
「そう扱っているように聞こえます」
「違うのか」
「違います」
白峰は梓の光を見ずに答える。
「人間です」
沈黙。
カシウスは二人を見ている。
止めない。
ラストが言う。
「白峰」
「はい」
「お前」
少しだけ笑う。
「前と違うな」
「そうでしょうね」
「前なら」
ラストが梓を指す。
「もっと調べたがった」
白峰の表情は変わらない。
「調べました」
「足りた?」
「足りるわけがありません」
「じゃあ続けろよ」
「本人が望まないなら続けません」
ラストの笑みが消えた。
「面倒だな」
「そうですね」
「人間ってのは」
白峰はほんの少しだけ視線を梓へ向けた。
「だから」
一度。
言葉を切る。
「勝手に簡単にしてはいけなかった」
◆ ◆ ◆
ラストは
白色コア――榊原梓の周囲を
一定の距離を保ちながら見ていた。
以前ならただの反応だった。
今は主鍵と繋がっている。
自分の名前を取り戻し
現実側へ意思まで送っている。
ラストが聞く。
「身体を探してる?」
白峰の目が動く。
「どこでそれを」
ラストは答えない。
カシウスが言う。
「現実側の動きは、完全には隠せない」
「梓さんの身体の場所を知っているんですか」
白峰がラストへ聞く。
ラストは少し考えるように白峰を見る。
「知らない」
「本当に?」
「俺が運んだのは、それじゃない」
「……」
「白い方だ」
榊原梓の意識。
身体ではない。
白峰は一瞬だけ期待した自分に気づいた。
梓の身体。
まだ場所は分からない。
ラストは白峰の反応に興味がないように話を続ける。
「でも」
「何です」
「見つけたら」
白峰の目が上がる。
「戻すんだろ」
「本人が望めば」
「それ」
ラストが榊原梓を見る。
「返すつもり?」
白峰の表情が硬くなる。
「返す?」
「現実側に」
「本人が戻るんです」
「同じだろ」
「違います」
ラストが僅かに首を傾けた。
白峰が続ける。
「私たちが返すんじゃない」
「梓さん自身が」
少し間。
「行く場所を決める」
ラストはしばらく何も言わなかった。
そして
「気に入らないな」
と言った。
◆ ◆ ◆
白峰の目が鋭くなる。
「何が」
ラストは答えない。
梓を見る。
そこから現実側へ伸びている細い線。
主鍵へ。
ハレルへ。
ユナへ。
そしてまだ見つかっていない
自分の身体へ。
ラストがその線へ手を伸ばしかける。
白峰が反射的に前へ出た。
「触るな」
今度は命令に近かった。
ラストが止まる。
カシウスが白峰を見る。
ラストも白峰を見る。
一瞬
空気が張る。
「何だ」
ラストが言う。
「怖いのか」
「何が」
「俺がまた持っていくのが」
白峰はすぐには答えなかった。
それから。
「ええ」
はっきり言った。
「怖いですよ」
ラストの目が僅かに変わる。
「一度」
白峰は続ける。
「私は榊原さんの選択を奪った」
「次は」
ラストを見る。
「誰かが奪うのを見ているつもりはありません」
数秒。
誰も動かなかった。
やがてラストが手を下ろした。
「今は」
白峰の表情が変わる。
ラストは笑った。
「まだな」
その一言白峰には警告にしか聞こえなかった。
◆ ◆ ◆
ラストは踵を返した。
「どこへ」
カシウスが聞く。
「その辺」
「また外へ出るのか」
「いる必要ないだろ」
数歩離れる。
だが途中でラストは止まった。
振り返らないまま言う。
「カシウス」
「何だ」
「本当に返すのか」
カシウスはすぐには答えなかった。
白峰がカシウスを見る。
ラストも返事を待つ。
長い沈黙。
そしてカシウスが言った。
「まだ何も決めていない」
白峰の目が静かに細くなった。
ラストは少しだけ笑ったようだった。
「そうか」
それだけ言い深部の外側へ消えていった。
◆ ◆ ◆
ラストの反応が遠ざかる。
深層Cの声。
『外部層へ移行』
白峰はしばらく何も言わなかった。
カシウスも同じ場所にいる。
だがさっきの返答。
――まだ何も決めていない。
白峰が聞いた。
「どういう意味です」
「そのままだ」
「榊原さんが戻りたいと選んでも?」
「まだ選んでいない」
「もし選んだら」
カシウスは白峰を見る。
「その時考える」
白峰はそれ以上聞かなかった。
今は梓自身もまだ身体へ戻るとは決めていない。
だから議論を先へ進めても意味はない。
ただ一つだけはっきりした。
ラストは梓が動くのを見ている。
そしてカシウスも
梓を無条件に帰すつもりではない。
白峰は榊原梓の光へ視線を戻した。
「……急いだ方がいいかもしれませんね」
深層Cが反応する。
『何をですか』
「身体を見つけることです」
カシウスは何も言わない。
その沈黙が白峰には
以前よりずっと重く感じられた。
◆ ◆ ◆
同じ頃
異世界。
王都近郊。
一人の兵士が
夜の廊下を歩いていた。
誰もいない。
見回りの時間でもない。
なのに男は迷いなく進む。
角を曲がる。
階段を下りる。
閉鎖された古い訓練区画へ入る。
その動きを遠くから一人の監視兵が見つけた。
「おい」
声をかける。
男は止まる。
「何してる」
返事はない。
監視兵が近づく。
「聞こえてるか?」
ゆっくり男が振り返る。
顔はいつもの兵士。
だが目が、違った。
そして
口元だけが不自然に笑った。
「……まだ」
監視兵が眉を寄せる。
「何?」
兵士は自分の胸へ手を当てる。
その奥で黒い反応が一瞬
脈打った。
「残ってる」
次の瞬間
監視兵の身体が壁へ叩きつけられた。
コメント
1件
はい、読み終わりました。第314話「ラスト」――とても重く、静かで、それでいて鋭い緊張がずっと張りつめた回でしたね。 特に印象に残ったのは、白峰律の「怖いですよ」という言葉です。これまでの彼女の冷静さや手触りのない距離感の奥で、確かに梓さんに対する想いが育っていたんだなと感じました。「以前よりずっと重く感じられた」というカシウスの沈黙も、単なる観測者ではない何かを感じさせます。 そしてラスト。「気に入らないな」と言って消えたあの含み。彼が梓さんを「持ってきた」存在としてだけ見ているのに対し、白峰が「人間です」と返した一文が、二人の決定的な違いとして胸に残りました。 梓さんの身体探し。異世界側の不自然な兵士。すべてが少しずつ動き始めていて、次がとても気になります。
#仲直り
紫苑
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