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#探偵
橘靖竜
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にゃいにゃい
74
第315話 王都の異変
【異世界/王都イルダ・旧訓練区画】
壁に叩きつけられた兵士が発見されたのは、それから数分後だった。
夜間巡回中の別班が、閉鎖された旧訓練区画の入口近くで倒れている男を見つけた。
意識はある。
だが右肩を強く打ち、呼吸も乱れている。
「誰にやられた!」
駆けつけた兵士が膝をつく。
倒れていた男は、すぐには答えられなかった。
「……中に」
「中?」
「兵が……一人……」
「誰だ?」
男は荒い息を整えようとする。
「エルンだ」
周囲の兵士たちの顔が変わった。
「エルン・ヴァイス?」
「そうだ」
「間違いないのか」
「同じ隊にいた。見間違えるわけない」
一人がすぐに立ち上がった。
エルン・ヴァイス。
少し前、王都北西区画の戦闘で異常を起こし、その後長期間の治療と観察を受けていた兵士だった。
現在は前線勤務を外れ、王都内部の後方支援任務へ復帰している。
「何でエルンがここにいる」
「分からない」
倒れた兵士が首を振る。
「俺も声をかけただけだ。見回りの時間でもないのに、あいつが一人でここへ入っていったから」
「それで?」
「最初は返事をしなかった」
男の顔が強張る。
「振り向いた時……目がおかしかった」
「目?」
「それから、胸を押さえて」
一度、息を吸う。
「『まだ残ってる』って」
周囲が静まった。
「何が残ってるんだ」
「知らない」
倒れた兵士は、自分の胸元を掴んだ。
「あいつの胸の奥で、黒い何かが動いた。そのあと……」
右肩へ視線を落とす。
「気づいたら壁に叩きつけられてた」
次の瞬間。
警報が発せられた。
ただし王都全域ではない。
旧訓練区画と、その周辺軍施設だけ。
エルン・ヴァイスの捜索が始まった。
◆ ◆ ◆
【異世界/王都イルダ・旧訓練区画前】
アデルが到着した時には、入口の前に十人以上の兵士が集まっていた。
「中は?」
「三班入れました」
指揮兵が答える。
「見つかった?」
「いえ。もういません」
「出口は」
「正面以外に二つ。地下通路が一つあります。地下は旧兵舎と補給区画に繋がっています」
アデルの顔が険しくなる。
その横を、治療杖を持ったイデールが足早に通り過ぎる。
「襲われた人は?」
「こちらです」
「先に診るね」
普段と変わらない柔らかい声だった。
だが、歩みは速い。
簡易寝台へ運ばれた兵士の前へ行くと、イデールはすぐに右肩へ光を当てた。
「痛む?」
「はい。でも動きます」
「じゃあ骨は大丈夫そう。頭は?」
「打ってません」
「吐き気は?」
「ないです」
「分かった。少しだけじっとしてて」
白い光が傷へ染み込む。
そこへノノとヴェルニも到着した。
ノノは携行端末を開きながらアデルのそばへ来る。
「本当にエルンなの?」
「目撃した兵は間違いないと言っている」
アデルが答える。
イデールが治療を続けながら聞いた。
「エルン、何か喋ってた?」
「『まだ残ってる』と」
その瞬間
イデールの手が止まった。
ノノも顔を上げる。
ヴェルニが低く聞く。
「やっぱり、あれか」
イデールはすぐには答えず、治療を終えて立ち上がった。
「ノノ、エルンの記録を出せる?」
「うん」
端末へ情報が並ぶ。
《エルン・ヴァイス》
《王都防衛軍・後方支援任務》
その下。
北西区画で負傷した際の治療記録。
黒い文字列状の異常反応。
一時的な人格・行動異常。
そして
サロゲートの片鱗。
イデールが小さく息を吐いた。
「……エルン」
アデルが見る。
「最後に診たのは?」
「六日前」
「その時は?」
「普通に話したよ」
イデールは少し眉を寄せた。
「笑ってたし、仕事の話もしてた。身体の反応も安定してた」
「異常は?」
「強いものはなかった」
「消えたと思った?」
イデールは首を振る。
「そこまでは言ってないよ」
柔らかい声。
だが表情は厳しい。
「完全に消えたとは、一度も確認できてない。でも、本人の意識は安定してたし、黒い反応もずっと弱くなってた」
ノノが記録を見つめる。
「だから後方勤務まで戻せた」
「うん」
ヴェルニが端末を覗き込んだ。
「じゃあ、何で今さら出てきた」
誰もすぐには答えられなかった。
◆ ◆ ◆
【異世界/王都イルダ・臨時指揮室】
エルンは、北西区画の治療所で起きた事件のあと、王都軍の管理下へ置かれた。
最初の数日は
黒い反応が何度も検出された。
イデールが治癒光を当てると、首筋や胸、腕の皮膚の下を細い文字列のような黒い線が走った。
本人の記憶にも欠落があった。
自分が結界杭を壊したこと。
仲間へ手を出したこと。
何を考えていたのか断片的にしか覚えていない。
だが時間とともに状態は安定した。
名前。
所属。
家族。
過去の記憶。
全て答えられる。
治癒光への異常反応も減った。
エルン本人も軍へ戻ることを望んだため、前線ではなく、王都内部の物資整理や施設巡回などを担当する後方勤務へ段階的に復帰した。
監視を完全に外したわけではない。
定期診察も続いていた。
それでも
ここ数週間。
問題は起きていなかった。
「これ……」
ノノの指が止まった。
過去の反応波形。
最初はエルン本人の反応と、片鱗の反応が明確に分かれている。
白と黒。
二つ。
ところが時間が経つほど黒い波形が小さくなる。
いや。
ノノが拡大する。
「違う」
アデルが見る。
「何が」
「弱くなってるんじゃないかもしれない」
さらに重ねる。
「最初は片鱗だけ別の波形だから見つけやすい。でも後になるほど、エルンの反応に近づいてる」
イデールの表情が変わった。
「馴染んでた?」
「可能性がある」
「本人の中に?」
「うん」
ノノは慎重に言葉を選ぶ。
「意識的に隠れてたのかは分からない。でも少なくとも、外からは見分けにくくなってた」
ヴェルニが低く言った。
「治ってたんじゃない」
誰も答えない。
「深く入ってたってことか」
アデルが王都の地図を見る。
それならエルンの状態が安定していた時間そのものが
片鱗が消えていた時間とは限らない。
むしろ
本人の記憶。
感覚。
身体。
そこへ少しずつ
入り込んでいた可能性がある。
◆ ◆ ◆
問題は
エルンが今どこにいるかだった。
旧訓練区画から伸びる通路は三つ。
軍倉庫。
旧兵舎。
地下の軍用通路。
そこから現在使用中の管理区へ出れば、王都内部へいくつもの道がある。
「外門は?」
アデルが聞く。
「封鎖済みです」
「内側は」
「全部は止めていません。人数が多すぎます」
アデルは頷いたその判断は正しい。
相手は異形ではない。
王都軍の制服を着ている。
そしてエルン本人の記憶を持っている。
警備交代。
倉庫。
医療区画。
補給路。
裏口。
全部知っている。
「外から敵が入ったわけじゃないんだね」
ノノが言った。
「最初から王都の中にいる」
イデールが地図を見る。
「前もそうだったよ」
アデルが振り返る。
「何が」
「兵士の顔で、兵士らしいことを言う。だから周りが一瞬迷う」
ヴェルニが言った。
「迷ったら終わりか」
「でも」
イデールはすぐにヴェルニを見る。
「見つけたからって、いきなり斬らないでよ」
「俺?」
「あなた以外に誰がいるの」
「まだ何もしてないだろ」
「だから今のうちに言ってるの」
柔らかな言い方。
だが、イデールの目は真剣だった。
「中にエルンが残ってる可能性がある」
ヴェルニは一度息を吐いた。
「……分かってる」
「ならいい」
アデルが地図へ視線を戻す。
「捕らえる。殺すな」
「うん」
ノノが頷く。
「できれば二つの反応を切り分けたい」
イデールが続けた。
「あと、見つけたら名前で呼んで」
「エルンを?」
アデルが聞く。
「そう」
イデールは頷く。
「前に片鱗が表へ出た時は、『兵士』『守る』『通す』って、役割ばかり繰り返してた」
一度、言葉を切る。
「だから役割じゃなくて、エルン本人を呼ぶ」
ノノが小さく頷いた。
「名前で本人側の反応が上がるか確認する」
「お願い」
アデルが通信を開いた。
「全捜索班へ。対象はエルン・ヴァイス」
少し間。
「見つけても攻撃するな。必ず名前を呼んで反応を確認しろ」
◆ ◆ ◆
捜索は静かに行われた。
王都全域へ大きな警報は出さない。
エルン本人へ、こちらがどこまで把握しているのか知られないためでもある。
交代予定にない兵士。
単独行動する者。
不自然な動きをする者。
一人ずつ確認する。
十分。
二十分。
三十分。
見つからない。
やがて
旧兵舎へ続く廊下でノノが足を止めた。
「ここ」
石床。
ごく薄い黒い筋。
血ではない。
影が焼きついたような痕。
「こっちへ行ってる」
ヴェルニが廊下の先を見る。
「旧兵舎か」
イデールが壁へ手を触れ、弱い治癒光を流す。
白い光がほんの一瞬
黒く濁った。
「通ってる」
アデルが聞く。
「いつ?」
「そんなに前じゃないと思う」
アデルが武器へ手をかけた。
「行くぞ」
◆ ◆ ◆
旧兵舎は、今ではほとんど使われていない。
訓練用寝室。
古い倉庫。
壊れた術具置き場。
夜間は人も少ない。
身を隠すには都合がいい。
アデルが先頭を進む。
少し後ろにヴェルニ。
ノノとイデールが続く。
その時。
――からん。
何かが床へ落ちる音。
全員が止まった。
右側の倉庫。
扉が僅かに開いている。
アデルが近づく。
一歩。
二歩。
突然
中から人影が飛び出した。
「っ!」
ヴェルニが反射的に前へ出る。
だが出てきたのは別の王都兵だった。
顔色を失っている。
「待ってください!」
アデルが聞く。
「どうした」
「中にいました!」
「エルンか」
男が大きく頷く。
「はい! エルン・ヴァイスです!」
イデールの表情が変わる。
「見間違いじゃない?」
「同じ隊で何度も話してます。間違いありません!」
「どこへ行った」
アデルが聞く。
「奥の窓から出ました!」
「様子は?」
「最初は……」
兵士が息を整える。
「苦しそうでした」
イデールが一歩近づく。
「何か言った?」
「いえ。でも」
男は迷った。
「助けてほしいみたいな顔をしてました」
全員が黙る。
「それから急に」
「急に?」
「笑ったんです」
兵士は自分の口元を指した。
「それまで苦しそうだったのに、急に別人みたいに」
ノノがアデルを見る。
旧訓練区画で監視兵を襲った時と同じ変化。
本人。
そのあと。
別の何か。
イデールはすぐに窓へ向かった。
「行こう」
アデルが腕を伸ばす。
「イデール」
「分かってる」
振り返る。
「一人では行かないよ」
そして。
少しだけ声を落とした。
「でも、エルンはまだいる」
◆ ◆ ◆
窓の外
旧兵舎の裏から地下へ続く階段。
ノノが残留反応を追う。
「下に行ってる」
「どこへ繋がる」
王都兵が地図を確認する。
「旧軍用通路です。昔の訓練場と補給区を繋いでいました」
「今は?」
「半分閉鎖されています」
ヴェルニが武器を握り直した。
「逃げ場は少ないな」
「向こうも地形を知ってる」
ノノが言う。
「待ち伏せには向いてるよ」
イデールは暗い階段を見る。
「アデル」
「何」
「見つけても、最初は私に呼ばせて」
アデルが見る。
「危険だ」
「知ってる」
「前にも直接やり合ってる」
「だからだよ」
イデールの声は柔らかい。
だが迷いはなかった。
「エルンが中に残ってるなら、私の声を覚えてるかもしれない」
ノノが頷く。
「本人側を引き出せれば、二つの反応を分けられるかもしれない」
ヴェルニが言う。
「いきなり飛びかかってきたら?」
イデールが見る。
「その時はお願い」
「都合いいな」
「頼りにしてるってこと」
ヴェルニは一瞬黙った。
「……最初からそう言えよ」
「今言ったでしょ」
アデルが階段へ足を踏み出した。
「行くぞ」
◆ ◆ ◆
地下通路は冷えていた。
壁の灯りも半分以上が消えている。
四人の足音だけが狭い通路に響く。
ノノが小さな光を前へ飛ばす。
最初の角。
何もいない。
次。
何もない。
さらに奥へ進んだ時。
イデールが突然止まった。
「待って」
アデルが振り返る。
イデールは壁を見ていた。
そこに。
黒い文字。
指で擦りつけるように
たった一言。
『逃げて』
ノノが近づく。
反応を調べる。
「これ……」
「どう?」
イデールが聞く。
「片鱗側じゃないと思う」
「じゃあ」
ノノが壁を見る。
「エルン本人の反応に近い」
イデールの表情が揺れた。
「……エルンが書いたんだね」
まだいる。
中に。
その時
通路の奥から。
掠れた声がした。
「……イデール……さん」
全員が顔を上げた。
暗闇。
姿は見えない。
イデールが一歩前へ出る。
「エルン?」
返事はない。
「聞こえてる?」
数秒。
「……来ないで」
本人の声だった。
苦しそうな人間の声。
「大丈夫」
イデールは静かに答える。
「そこから動かなくていいよ」
「……だめ」
「何が?」
荒い息。
「もう……」
そこで声が途切れた。
次に聞こえた声は。
同じ喉から出ているのに明らかに違った。
「遅い」
ヴェルニがイデールの前へ出る。
アデルも武器を構えた。
暗闇の奥。
二つの目に。
黒い文字列が浮かぶ。
ゆっくり
エルンが姿を現した。
王都軍の制服。
見慣れた顔。
だが。
首筋。
頬。
腕。
以前より遥かに多くの黒い線が皮膚の下を走っている。
イデールが息を呑んだ。
「……エルン」
ノノも携行端末を見る。
白い反応。
黒い反応。
そして
二つが区別できないほど重なっている場所。
エルンの口元がゆっくり持ち上がった。
「見つけた」
アデルが低く聞く。
「何を」
黒い目が。
イデール。
ノノ。
ヴェルニ。
最後に
アデルへ向く。
そして。
笑った。
「次の身体を」
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うわ、一気に不気味な空気になった……「まだ残ってる」「逃げて」「次の身体を」エルンの中に本人と片鱗が混ざり合ってるのが明確になってきて、背筋が冷えた。名前を呼んで引き戻そうとするイデールの試みと、ヴェルニとの軽妙なやりとりが逆に緊張感を際立たせてる。「逃げて」の壁文字で本人がまだ完全に消えてないと知れたのは救いだけど、ラストの笑顔が怖すぎる……続きが気になる!