「怒濤」
僕は電車を下り改札を出る。駅には他校の学生達が電車の時間を待っているのかベンチに座りながら談笑をしていた。僕はその人達に目を向けるがすぐに視線を逸らし、出口に向かって足を運ぶ。
僕は改札口から右手側の出口から外に出るとタクシー乗り場の横を通り抜け、住宅街がある方向に歩いて行った。
辺りはもう真っ暗になってきていて、街灯がオレンジ色に灯っている。
僕が橋を渡りしばらく住宅街の中を歩いて行くと小さなアパートが見えてきた。そのアパートは比較的新しい見た目で壁はレンガ状にデザインされている。
「晴斗くん、久し振り。」
僕がアパートの階段を上ろうとしていると背後から中年の女性に声を掛けられた。小学生のお子さんが二人いる中島さんちの奥さんだ。
「あぁ中島さん、帰ってきてたんですね。旅行どうでした?」
中島さんはニッコリと笑みを浮かべ、箱状の物を肩に下げていたバックから取り出し僕に手渡した。
「おかげさまで楽しめました。あっ、これお土産ね。良かったら食べて~。」
「ありがとうございます。」
どうやら、焼き菓子らしい。
「それじゃ、失礼します。」
僕は中島さんに一礼して階段を上がっていった。すると中島さんが階段の下から顔を出して「また、ご飯食べに来てね。子供達も喜ぶから。」と告げて去って行った。
それから僕は階段を上がり終え、2階の一番端の部屋の鍵を開けドアノブを回し、玄関の明かりをつけ靴を脱いだ。
ブレザーをハンガーにかけてクローゼットにしまうと、 それからリビングに移動した。僕はキッチンでコップに水を入れ、テレビの横にある棚の上に置いた。そこには二人組の男女の姿が写っている写真があった。
「ただいま。父さん、母さん。」
僕はネクタイを外しながら、洗面台の方へ歩いて行った。洗面台で顔を洗い、僕は寝室に入った。今日はあまり寝られそうに無い。僕はそのままベッドに身を投げた。
「おはようございま~す」
生徒会長選挙も終盤に入り、立候補者による挨拶運動はいっそう活気を放っていた。
僕はネクタイがゆがんではいないかを手探りに確認しながらまたいつも通り息を殺して校門を抜けようとした。
「すみません。もし、よかったらこれ」
見つかってしまった。
立候補者の襷を掛けた一人の女子生徒が僕にチラシのような物を手渡してきた。
「あなたが望むような学校生活を遅れるように頑張りたいと思っています。どうか応援お願いします」
彼女は笑顔でそう語りかけた。笑顔を見れば何となく分かる。何故、彼女が立候補しているのかが。余程、自分に自信があるのだろう。自己評価だけでは無い、周りからの評価も随分高いだろう。あれはクラスの活動なんかで一番先頭に立って多くの人間を引っ張っていく人種だ。嫌いだ……。
僕は小さく「ありがとうございます」と言ってチラシを受け取り、玄関に向かって歩いて行った。
「晴斗くん、おはよう」
下駄箱には同じクラスの女子達が居た。彼女たちは笑顔で僕に話し掛けてきた。
ウザいんだよ。人に笑顔を振り撒いて相手の機嫌ばっか覗って何が楽しんだよ。一人にさせろよ。僕の事なんかどうだって良いだろ。
心の底から彼女らを好きにはなれない。彼女たちだけでは無い。僕を取り巻く他人のほとんどだ。
僕と関わらないで欲しい。僕の事なんか気にしないで欲しい。もういい加減、一人にして欲しい。
「うん。おはよう!!」
僕はそんな自分の気持ちを押し隠してそう答えた。彼女達は夢にも思わないだろう。僕がこんな人間だなんて…..。
「晴斗~、おはよう!!」
教室に入ると山内が飛びついて来た。ちょっとウザい。ただ、それだけ。嫌いでは無い。もちろん、菊さんや河村のおじいさん、和哉や岩田も。
「おはよ~」
僕が山内から飛びつかれ、教室の入り口で動けずに居ると岩田が入ってきた。
「って、また晴斗にウザ絡みしてんのかよ」
「マジでこいつウザいんだよ。岩田、こいつどうにかして。」
岩田の助けもあり、山内がやっと僕から離れた。
「ちっえ~、つまんなねぇなぁ」
山内はそういうと隣の椅子に腰を掛け、ポケットからあめ玉を出し、自分の口の中に放り込んだ。
「そういえば、晴斗。さっき佐藤さんがお前のこと探してたぞ」
「えっ、何で?」
「何でって、俺は知らねえよ。」
「そっか、ありがとう。山内」
「おう!!」
僕らは担任の先生が教室に入っていきたのを確認し各々の席に戻った。僕が佐藤さんの席の方を見ると、佐藤さんは廊下側の一番先頭の席に座り隣の女子と話していた。
僕にはいつも通りの佐藤さんがいるような気がした。もし本当に彼女が悩んでいるのならどうせ、昨日のことなのだろう。
僕がそんなことを考えていると前の席からプリントが渡ってきた。どうやら、生徒会長選挙の告知らしい。僕はそのプリントに視線を落とし、先生の話に耳を傾けず、ただプリントの文字を無気力に眺めた。
HRが終わり、僕は鞄を肩にかけ教室を出ようとした。
「晴斗くん、ちょっと良い?」
教室のドアに手を掛けようとしていると後ろから佐藤さんに声をかけられた。振り向くと佐藤さんが少し気まずそうに立っている。
それから僕らは中庭へと移動して、ベンチに腰を掛けた。話し出すタイミングをはかっているのかしばらく沈黙が続く。校内には帰宅している生徒と部活に向かう人達の声や足跡が響き渡っている。
「晴斗くんさ。私に話してないことがあるでしょう?」
佐藤さんは僕の方を見て喋らない。
「この前の和哉さんが言ってたこと。あれってどういうことなの?…..って私がそんな干渉して良いようなことじゃないよね。たぶん……」
佐藤さんはまた黙ってしまう。
「うん、そうだね。佐藤さんには関係ないよ。それを佐藤さんが知ったとしてどうなるの?…… 」
僕はいつの間にかそう口走っていた。他の人からするとひどい言い方に聞こえただろう。もちろん、佐藤さんにも。別に僕は佐藤さんが嫌いなわけではない。でもだからといって、好きでも無い。多分どうでも良いんだと思う。
彼女と話していて自分の中で憎悪が生まれることは無い。同時に楽しい訳でもない。でも時々彼女と話している時に自分が知らない自分の顔が垣間見える時がある。自分が普段なら芽生えないような感情がいとも簡単に溢れ出す。
彼女のことを自分がどう思っているのか僕は全く見当がつかない。彼女は他の人達とは違う。彼女になら話して良いのだろうか。あのことを…….。
僕はゆっくりと口を開く。他の人には聞こえず佐藤さんにだけ聞こえるくらいの声量で。
「佐藤さん実は僕さ。小さい頃に…..」
僕が言いかけたとき、僕のポケットにあるスマホから着信音が鳴った。
「ごめん。佐藤さん、電話だ。」
「ううん、大丈夫だよ」
僕は佐藤さんの了承を得てスマホの『応答』の文字をタップし、スマホを耳に当てる。
「もしもし」
僕が出ると電話の相手が言葉を返す。どうやら電話の相手は菊さんらしい。菊さんは少し震えた声でしゃべり出した。
『河村さん、倒れたって』
「えっ….」
僕はその場で沈黙した。突然の出来事で自分の中でまだ理解が追いつかなかった。それから僕と佐藤さんは急いで病院に向かった。