最初に伝えるが、この作品はノンフィクションかどうかは
君次第だ。
罪名 建造物侵入と窃盗。
私は、男と窃盗をした。
それについて、男の刑事が質問をしてくる。
「男との出会いは?」
「男との出会いは、神戸に来てすぐの頃に生活保護を
受けるために泊まっていた旅館で‘’親子になろう‘’と言われて旅館を出たあとも よく一緒に居ました。」
「何故、大阪から わざわざ神戸に来たんだ?」
「大阪で色々あって心身ともに疲れて海が綺麗な神戸で
新しい人生を歩もうと思って来ました。」
「大阪で何があったんだ?」
「それは……話せば長くなります。私は人より濃い人生を歩んでいますから……」
そう言いながらも、説明をした。
200x年x月xx日。私は産まれた。
幼い頃は家族に愛されていた。
家族みんなが私に溺愛していた。
しかし、私が物心ついた頃 周りの愛情は歪み始めた。
私が幼稚園生の頃、新しい4階建ての駐車場の付いた一軒家に引っ越した。
私の父は解体業の社長をしていて、父の実家の家業の社長もしていたので普通の家庭よりも少し裕福な生活をしてた。
父の車は沢山ある。Jeep・VOXY・軽トラ・トラック4台・ユンボ2台。
母は、私に付きっきりで面倒を見てくれていた。母の車は、CROWNとベンツだ。
父方のおばあちゃんは、家業の会長をしている。
父方のおじいちゃんは、だいたい3000坪もあるプライベートの山を買って毎日狩猟をしている。
それと、家業の二店舗目の社長をしている。
他にも、イノシシ・キジ・ウリ坊・ニホンザル・狩猟犬・アヒル・ニワトリ・ヒヨコ・クジャク・牛・ミツバチなどの動物を飼育している。
とは、いってもおじいちゃんは、おじいちゃんなりに
田舎ぐらしを楽しんでるみたいだ
そして私は、私立の幼稚園・小学校・中学校に年間1000万の学費を払ってもらい毎日 送り迎え付きで通わせてもらっていた。
その上、英会話・水泳・ピアノ・ソルフェージュ・塾・書道・華道・茶道などの習い事までさせてもらっていた。
習い事は、3歳から中学生まで休む暇なくしていた。世でいう英才教育をさせてもらっていた。
将来は、政治家になれたらいいね
…なんて言われながら。
毎休みは旅行へ連れて行ってもらっていた。
家でも、犬と兎を飼っていた。
家族に私が欲しい物を言えばなんでも買ってくれた。
例えば、ティファニーの新作のネックレスや、最新のおもちゃ、ブランドの服やカバン、ホントになんでも買ってくれた。
私は本当のお嬢様だったらしい…。
私の学校は凄かった。制服・靴下・体操服・カバン全て学校指定のブランド品だった。
全部 揃えるのに、80万は軽くかかる。
行事も凄かった。
全校生徒で年に1度ホールを貸し切ってクラシック鑑賞したり、年に3回お昼休みに体育館にマジックショーが来たり、体育祭はドームを借りて行うし、水泳大会も学校の敷地内にある温水プールで行うし、遠足は学校のバスで頂上へ向かい帰りは歩いて学校に帰るという内容である。
それだけではない、修学旅行のお小遣いはだいたい3万からである。上限なしだ。
そして、校則は厳しくない。
私の学校は、ピアスをしても化粧しても髪を染めてもミニスカでも怒られない。
ただ、式典の時だけ‘’黒髪の式典用の制服で‘’と言われる。
普段の学校生活は、どれだけ制服を着崩しても怒られない。
少し話はズレたが端から見たら、何不自由のない生活をしていた。
誰もが憧れる家庭……
私の家庭の中身は、どうだろうか……
「ぎゃー」「痛い」「ごめんなさい」
「うるさい」
私はいつしか母から虐待を受けていた。確かに、私の悪い所もあるかもしれない。
父は見て見ぬふりだし、その事に触れようとしなかった。
私は毎日母から殴られ、蹴られ、体の上に乗られて気絶するまで首を絞められ、髪の毛を引っ張りながら1階から3階まで引きずり回され、物を投げられ、湯冷めした湯船に何度も沈められ、‘’反省‘’と言われトイレに朝まで閉じ込められていた。
そんな毎日を過ごしていた。
今思えば、この時ぐらいからだろう…
私の心が壊れ始めたのは…
6年後、当時 小学四年生だった私は父に逃げられた。父は、私を置いて何処へ行くかも言わずに出て行った。後日 知らされたのは、父は新しい女の所へ行ったという事だった。
次の日から母の暴力は凄かった。
父が浮気したショックからか母は、ずっと私を責めた。
「産まれてこなければ……」「アンタさえいなければ」
「死ねばいいのに」「‘’ごめんなさい‘’じゃなくて‘’殺してください‘’やろ?」などの言葉を言うようになった。それだけなら、良かったが……。
今までの暴力にプラスで母の暴力はエスカレートしていった。
母は私に刃物を向けるようになった。
包丁で刺すふりをしたり(たまに刺さる時もある)、カッターで私の手の平を切ったり、ペンで血が出るまで刺したり、鼻血が出るまで殴ったり、決まった時間にしかトイレを行かせてもらえなかったり、ケータイのメール内容や電話の着信履歴やカバンの中身や私の友達を全てチェックされ、友達は母が気に入った人としか遊ばせてもらえなかった。
私にプライベートは無かった。
友達や父へメールは、全て母が送っていた。
よくあったのが、母が‘’物が見つかるまで寝んといて‘’と言って寝ずに一日中探して、そこから私の家から2、3時間かかる学校に歩いて行かされてた。
学校側は気づいて…いただろうが、
気にも止めて無さそうだ。。
私の体の傷を見ても何も言わなかった。
明らかにおかしい傷やアザを見ても、鼻血を垂らして登校しても、腕から流れた血が固まっていても、学校側は何も言わなかった。
心の傷が癒えないまま小学六年生の冬、母が私をキリスト教の教会へ連れて行ってくれた。
母は以前からフィリピン人の友達が多いため、多分誘われたのだろう。
周りに日本人は私達だけだった。
ステンドグラスが綺麗な教会だった。
綺麗なステンドグラスに見とれていると牧師が英語で話しかけてきた。
「来週はクリスマスだ。いい事が君にやってくる。」
「なぜ?」
「毎日 お祈りしているイエス様が、君に素敵なプレゼントをくれるのさ。」
「サンタじゃなくて?(笑)」
「おっと!そうだったね笑。」
と笑顔で話されていた。
だが、私は本当にサンタが居るのなら‘’私を幸せにしてくれ‘’と思った。
何故なら、私はクリスマスが嫌いなのだ。
クリスマスで楽しいのは、母以外の誰かと居る時とご飯の時だ。
それ以外は、ずっと母の暴力に耐えなければならない。
‘’周りの家族は、幸せそうなのに……‘’
‘’周りの家族は、親から暴力なんてされてないのに……‘’
そんな事を思っていると、母の友達から男達を紹介された。
ケシー・ロネル・ケビン・ジェイ・ジュベル・エリックの6人のフィリピン人だ。
彼らに会ってから、毎日が楽しかった。
彼らと私と母で、遊ぶ事が多かったのだ。
彼らとスキーやスケートや広島や日本の伝統的な場所へよく行った。
そして私は中学生になった。
反抗期だった。家で反抗出来なかった分、先生に反抗していた。
私のクラスの3分の1の子達(10人)とよく反抗していた。
だいたい10人の中で、私は副リーダー的存在だった。
その10人は、ギャルグループな気もするが
他の人からは‘’問題児グループ‘’と言われていた。
今思えば、ホントに問題児だったと思う。
まず学校へ行くが授業には出ず食堂か中庭で遊んでいた。先生に注意されてもニヤニヤ笑っていたし、先生の言う事は聞かないし、もし仮に授業に出ていても寝ていた。先生がしつこく注意してきたら保健室か中庭に友達と逃げてはしゃぎ騒いでいた。
放課後は真っ直ぐに家に帰ると校則があったが無視して、当たり前のように友達とカラオケに行ったり、ユニバへ行ったり、マックへ行ったり、誰かが誕生日の時はスーパーでお菓子とケーキを買って学校の食堂でパーティーしていた。
ホントに充実した中学生活だった?
いや、多分…反抗してる自分がイケてると思っていたのだろう笑
中学2年生の時は、最低な事をした。
私達のグループは人をいじめるグループでもあった為、世でいう陰キャ男子とイキリ女子をいじめていた。
男子の事は平気で殴るし、女子は心の傷が出来るまでいじめていた。
今更だけど、ホントに後悔している。
そのせいで、私の学年の不登校の人は8人ぐらいいた。
そんな生活をしていた時、当時 剣道部だった私は顧問の先生にエコヒイキされていた。
なので、部活に行かなくても怒られなかったし、部活も気分で参加していた。
そんなある日、顧問の男の先生に声をかけられた。
「どうして部活に来ないの?1ヶ月きてないよ?」
「……」
「無理しないで。」と優しく接してくれた。
が、すぐに先生は 薄気味悪い笑顔で私の太ももを触ってきた。
‘’大丈夫。誰も見てないから。‘’とスカートに手を入れてきた。気持ち悪かった。
今でもあの薄気味悪い笑顔は忘れない。
あの笑顔を思い出すと吐き気がする。
スカートに手を入れてからは、人の気配を感じるまで、ずっと太ももを触っていた。
それからまた数日後、その先生は またあの笑顔で私の太ももを触りスカートの中に手を入れてキスをしてこようとしてきた。
私は恐怖のあまり、先生を押しのけて逃げた。
それからは、先生は何もしてこなくなった。
そして、私から逃げるように別の学校へ転勤した。
後日、周りの女の子から聞いた話によると、私以外にも あんな事をしていたらしい、それがバレて逃げるように転勤したそうだ。
私はその日以来変わった。
‘’男は私を体目的でしか見ていない。‘’
そう思い、私は色んな男と寝た。
経験と知識で私の心は変わると思った。
それと、男に抱かれてる時は‘’誰かに愛されたい‘’という欲が満たされるから、それが良かった。
その頃家では大変だった。
私があまりにも言う事を聞かないため、母が凄く怒っていた。そりゃ怒るのも分かっていた。
だから、どれだけ殴られても何をされても平気だった。それが母からの歪んだ愛情なのだと思い込んだ。
父が出て行って5年。母の虐待が酷くなって5年。
私は父に「一緒に住みたい」と言った。
私の体は、歪んだ愛情に耐えられなかった。
アザが消えても増えるし、切り傷が治ってもまた増える。
それが耐えれなかった。
父は あっさり許可してくれた。
だが、家へ行くと女と女の子供がいた。
その女はタカコと名乗った。
タカコは凄く母親ズラをしてきた。
タカコはよく私の面倒を見てくれるが、小言が多かった。それだけではなく、私を嫌っている態度が嫌だった。
私には居場所がなかった。
なので、父とタカコが寝静まった頃、夜の世界へ出ていった。
夜は、とてもキレイだった。たった1人で宛もなく歩いた。
夜の世界が、私の居場所だった。
たった1つの居場所。
父とタカコとタカコの娘と住み始めて1ヶ月経った頃、
突然タカコの娘が金が無くなったと言い出した。
理由は不明だが、私が取った事になっていた。
何度も違うと主張しても父もタカコも聞く耳を持たなかった。
「あぁ結局、私の意見なんて聞く気がないんだ。」
次の日から、タカコの娘の部屋にはカギがついた。
私の部屋には、扉すらないのに…
私は、引きこもり気味になった。
学校へ行っても楽しくないし、家に居ても邪魔者扱いされるし…
やっぱり、私の居場所は夜の世界だけ。
夜の世界は、どんな私も受け入れてくれる。
そして、夜の世界は孤独な心も満たしてくれる。
それから1週間後、タカコが私に「荷物まとめて」と言うので「どうして?」と聞くと「目障り」と言われたので‘’出て行け‘’という意味だと察知し荷物をまとめていると父が帰ってきた。
するとタカコは泣き出した。
「まいちゃんが急に荷物まとめ出した」と言い出したのだ。
それで反論していると父にビンタされたのだ。
痛かった。その瞬間、涙が止まらなかった。
父は我が子であるはずの私ではなくタカコの味方をし、挙句の果てには今まで手など挙げなかったのに…手を挙げられ私を裏切った。
そのショックで私は泣きながら「もういい。要らないんでしょ。黙って施設行くよ。」と言った。
父はそんな私を見て、父の怒りはすぐに収まり焦りながら何度も止めてきた。
おばあちゃんまで呼び出して止めてきたが、私は聞く耳を持たなかった。
そして次の日、私は大荷物を抱え自転車を漕いでいた。人生で初めての家出。どこへ行けばいいのかも分からず、
道に居たガードマンに聞いた。
「施設入りたいんですけど、どこへ行けばいいんですか?」と聞くと、家庭センターへの道のりを教えてくれた。
家庭センターに着いてすぐ私は「施設入りたいんですけど……」と伝え、別室で今までの事を話した。すると施設へ入ることが出来た。
その施設で私は検査をした。
すると、私は軽度の知的障害を持っていた。
目の前が真っ暗になった。
‘’どうして障害者なの?‘’ ‘’嘘でしょ?‘’
と色んな事を考え頭の中がグルグルしていた。
高校生になってから、とてもキレ症になった。
怒りの限界を達すると血が滴るほどリストカットをし、物を殴ったり物を投げたりして暴れていた。
ほぼ毎日こんな状態だった。
1つストレスが無くなると すぐに新しいストレスがやってくる。
どうしてこの状態でじゃないと気持ちを伝えれないのかは、分からない。
当時は、学校のストレスや生きてる事が辛かったのと、自分が障害者である事が嫌だったのと、両親への怒りが爆発していた。
幼い頃から暴力を振るっていたのにもか変わらず私に何事も無かったかのように接する母。
自分が過去に愛してたはずの嫁が自分の我が子に暴力を振るってても平気で生活していた父。
何も言わずに私を捨てて浮気相手と一緒に生活している父。
私の青春時代を奪った母。
母親でもないのに母親ズラするタカコ。
‘’普通の生活‘’と馬鹿の一つ覚えのように言って押し付ける父とタカコ。
何よりも私を邪魔者扱いする両親とタカコ。
それが許せなかった。
そんな話を学年主任の先生や副担任の先生に聞いてもらっていた。
今でも感謝している。
高校1年の夏。
周りの大人もガキも皆嫌いだった。
生きてる価値ないと言われてるみたいで。
障害者ってだけで嫌な目で見られて、
障害者ってだけでバカにされて
自分をどれだけ切っても
どれだけ血を流しても
どれだけ物に当たっても
どれだけ人を傷つけても
どれだけ自分の首を絞めても
自分の心は晴れなかった。
ずっと曇ったまま
この苦しみに気づいてくれる人も居なかった。
高校2年の夏、私は月に1回定期を買う為に梅田へ来ていた。
普段なら2人以上で出かけないといけないが、定期を買うので1人だった。
梅田を歩いているとおじさんが声をかけてきた。
「1万ゴムでどう?」
私はすぐに意味を理解し、その人とホテルへ行った。
そして、1万を貰い施設の職員にバレるとヤバいのでカバンのそこに隠して施設へ帰った。
それを同級生に見られてたとも知らずに……
次の日、学校へ行くと噂されていた。
そして、1人の男子生徒が援交の話を持ちかけてきた。
‘’1回 生で 1万‘’私が無理だと伝えると‘’1回 生で 2万‘’と言ってきた。
生で2万ならいいと思い その援交の話に応じた。
その子だけで、月8万は貰っていた。
20歳になる頃には月12万だった。
そのお金は買い物に使った。欲しい物は全て買ったが、それでも余ったので……興味本意で薬物を買った。
薬物は援交の時に買って使っていた。
月に1回の援交の時に売人に会い、3万と錠剤を貰っていた。
そして私は売人にある事を教えてもらった。
それがキメセクだ。
キメセクとは、薬物でキマった状態で性行為をする事だ。
それは言葉では現せないぐらい気持ちよくて とても楽しくて 嫌な事を忘れさせてくれた。
その事もあり、私はハマってしまった。
高校3年生の秋。
私の精神異常に不安を感じたからなのか、私は精神科へ行く事になった。
最初は抵抗があり行く気が無かったが、学年主任に「風邪を引いたら病院へ行くだろう?それと同じように心の風邪を治すと思って行けばいい」とそう言って背中を押してもらったので精神科へ行き処方箋を貰い生活をしていた。
だが、暴れる生活は変わらなかった。
ストレスが溜まると自分を傷つけていないと落ち着けなくなった。
病名 うつ病とパニック障害。
そう診断された。それに気づいてから、私は学校へ行くのが億劫だった。
それでも学校に登下校が出来たのは、仲間のおかげだ。
親友や友達が私の為に どんな時も話を聞いてくれたり、毎日 親友との交換ノートや当時の彼氏の支え。
そして何よりも、私のために沢山の楽しい思い出を作ってくれた。
学校が嫌で嫌で辛い時や、自分の事が嫌になって自分自身を殺してしまいたくなる時も、親友や友達やクラスメイトや当時の彼氏のおかげで楽しい学校生活を送れた事は本当に感謝してる。
ありがとう。
高校卒業後、私は新しい生活が始まった。
学校も施設も変わり、職業訓練校へ行きグループホームへ入所した。
職業訓練校では、散々バカにされた。
私は誰にもバカにされたくなかったので仕事に打ち込んだ。
朝から夕方まで職業訓練校で勉強をし、夕方から9時までコンビニでアルバイトをして、夜はキャバクラをしていた。
休日は朝から夕方までレンタル彼女をして、夕方まで8時までに同伴を組んでキャバクラに出勤していた。
ホントにハードスケジュールだった。睡眠時間も3時間から4時間。キツイけど、そこまでしないと誰にも認められない気がしていた。なので、毎日 必死に働いていた。
そんな生活もしながら、新しい出会いを求めてマッチングアプリをしていた。
そんな時、彼に出会った。
彼はホストをしており、ホストクラブの代表をしてると言う…なんとなくでLINEを交換して、talkを交わした。
最初は、とても人見知りで全然LINEのtalkも全然続かなかった(笑)
でも、彼なりに沢山LINEをくれた。
そして、彼のお店へ行く事になった。
初めてのホストクラブ……とても覚悟をしていた。
そりゃそうだ。ホストってアニメや周りから聞いたイメージだと、勝手にシャンパンを持ってこられていつの間にか数千万円のお代金になる。って聞くし……お客さんは華やかな服を着てお店に来ると思っていた。
なので、初めてのホストクラブはスーツで行った。
そして彼に会うと、普通に優しくて 顔もとても美しかった。あまりの美しさに驚いていた。
店内は、とても落ち着いていて 私の好きな雰囲気だった。
席へ案内されると彼から分厚く硬い名刺を貰った。
そこには、ちゃんとしっかり‘’代表‘’と書いてあった。そして、よく周りの声を聞いてみると…彼は周りからも‘’代表‘’と呼ばれていた。
色々と初めてな事ばかりで、キョロキョロしていると彼は私の横に座り
「LINEで冷たくしてごめんよ。俺 会ってからじゃないと優しく出来ひんねん。」
と言われ、
「いいえ。今日はありがとうございます。」
と言うと、彼は笑いながら
「スーツでホスト来られたらホストの面接に来た子みたいやな。」
と言われ恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
私は恥ずかしくて照れていた。
彼が楽しく話している所を、ただただ頷く事しか出来なかった。
そんな私を見て彼は凄く笑っていた。
照れ隠しで‘’人見知りです。‘’と言い訳した。
そして私は、彼に‘’仲良くしたい‘’と言われた。
それならと、私は彼に私の過去の話をした。
そして、あっという間に1時間は経った。
帰宅後、彼からLINEが来た。
「今日は貴重な話をありがとう。」と送ってきてくれた。彼との毎日のLINEや電話、お店に行くのが楽しかった。
そんな日々を過ごしていると、私は大人達に言われた。
「ホストの友達は切りなさい。」「友達関係を見直しなさい。」「夜の仕事してる子なんて、ろくな子居ません。」と言われ傷つき、私はグループホームへ帰るのが嫌になり、グループホームに帰る事も、学校へ行く事も、仕事も辞めた。私は、何もかも捨てた。
行く宛もない私は彼の家へ逃げていた。
彼との生活は、とても幸せだった。
何よりも毎日、好きな人と居るのが凄く楽しかった。
お昼に起きて、彼とご飯を食べて、彼の仕事を見送って
家事をして、彼が帰ってくる前に晩ご飯の準備して、
お風呂も沸かして、彼が帰ってきたら、一緒にお風呂に入って、同じベッドで眠る。
ただ、それだけが私の幸せだった。
彼と居ると、心が満たされた。
彼が居ない世界なんて有り得ない…そう思っていた。
そんなある日、彼から仕事をしてくれと頼まれた。
面接の日…
普段着ないような、タイトなミニスカートに
初めて着る、お腹と胸元が空いた服、
キャバクラで働いていた時のヒールを履いた。
長かった髪もボブまで切って、金髪にした。
ナチュラルメイクだったのに、ギャルメイクにした。
面接が受かり…いよいよ仕事をする事になった。
18歳という若さのおかげで、面接が受かった。
まず、お客さんとホテルに行って、チェックインし、
そして、お客さんとイチャイチャして…
お客さんに夢を見せる…
そんな仕事…
最初は気持ち悪かったし、正直、メンタルにもきてた…
だけど、いつの間にか、その心は麻痺していた。
少しでもお客さんに指名を貰うためなら、どんな事でもした。
どれだけ、体をめちゃくちゃにされても…
どれだけ、玩具でめちゃくちゃに犯されても…
どれだけ、正座させられて暴言を吐かれても…
どれだけ、性行為をしても…
どれだけ、アブノーマルな事をされても…
何とも思わなかった。
誰に何も言われても…
周りから汚い目で見られても…
友達に捨てられても…
彼氏に捨てられても…
お金のためなら、なんでも出来た。
19歳になる手前。
高校生の時に出会った売人に、偶然道端で遭遇した。
懐かしい話をしながら、LINEを交換し、その場を離れた。
その日の夜、お互いの近況報告も含め、会わないかと誘われた。
日を改め会うと、彼は1言目
“相変わらず綺麗だな”と言われた。
嬉しかった。
私の初めてを奪った男でもある彼に、もう一度出会ってから、私の人生は、大きく変わったと思う。
彼と、久しぶりのディナーは、熱帯魚が見えるオシャレなレストランだった。
たまたま、誕生日が近かったこともあり、予約してくれた。
初めての大人なレストランは、すごくシャンパングラスもキラキラしてて、コース料理も美味しくて、
まだまだ子供の私には、少し照れくさかった。
ディナーの後は、すごくオシャレな夜景の見えるホテルで覚せい剤を飲んでから甘い時間を過ごした。
体中にタトゥーが入った大きな背中に包まれながら、ゴツゴツとした手で愛撫され、今にもとろけてしまいそうなキスに、私は虜になってしまった。
何度も何度も行為を繰り返し、
離れ離れになる時間まで愛し合った。
私は彼と過ごすこの時間が終わってしまうのが、寂しかった。
行為が終わったあと、彼の大きな背中を抱きしめた。
抱きしめていないと、どこかに消えちゃいそうで怖かった。
彼に恋心を寄せれるなら寄せたいが、決して叶わない。
彼には、セクシー女優の奥さんが居て、子供も居る。
そして、彼と私は歳が離れすぎている。
だから、余計に叶わない。
だから、私は彼の2番目になると決めた。
私と居る時間は、私だけを愛してくれる…
それだけで、私の心は満たされる。
それだけで、私は幸せだった。
その後、彼とは何度も会った。
19歳の夏。
私は人生を左右する選択をした。
初めてのカウンセリング。
初めての手術室。
初めての整形。
総額400万。
初めてのタトゥー。
彼とお揃いのタトゥー。
ここまでお金を貯めて、私は綺麗になった。
これで過去の私とは、さよならした。
これでいい。これでいいんだと言い聞かしながら…
次の日、私の顔はパンパンに腫れた…
タトゥーは、キレイに彫られていた。
左前腕と左胸に大きく掘った。
これで、昔の私とはお別れ。
19歳の冬。
私は東京へ出稼ぎに行った。
もちろん、行く宛なし。
東京に着いて、まずホテルを探した。
小さなビジネスホテル。
とりあえず、1週間借りる。
そして、初めての新宿 歌舞伎町へ行った。
初めての東京のホストは、皆、顔が美しかった。
キレイな顔で、羨ましかった。
1つ年上のお兄さんみたいなホストと仲良くなった。
楽しく飲んで、アフターに呼ばれた。
結局、ホストって体目当てか…
そう思ってたら、彼は違った。
彼は私の泊まってるホテルに来ては、
一緒のベットで眠るだけだった。
体の関係もなく…ただ、ひたすら眠った。
歌舞伎町の彼に紹介されたお店で働いた。
人妻設定の風俗。
夜しかやってないお店。
大阪から来たと言うだけで、沢山の予約が入った。
1日で、8万。
その大金を見た私は、感動した。
大阪では1日3万が限界なのに…
東京では、8万も貰える。
幸せだった。
20歳の春。
漫画喫茶暮しだった私は、ホテル暮しをする事が出来るようになった。
理由は、友達が彼氏と別れたらしいので一緒にホテル暮しをする事になった。
ホテル暮しは、とても楽しかった。
毎日、仕事終わってから、遊んだ。
真夜中の心斎橋は、とてもキラキラしてた。
真夜中の心斎橋は、私を知ってる人は誰も居ない。
私の過去を知ってる人も居ない。
真夜中の心斎橋は、現実を考えなくていい…
そんな街だった。
いつもルーティンがある。
仕事が終わってから、日給でもらったお金で
カラオケに行って歌いまくって
外食して、ホストの初回に行って、
初回で会ったホストとホテルへ行って朝まで楽しんだ。
仕事のない日は、
お昼に起きて、心斎橋で買い物をして
ホテルに帰って、お昼寝をして
外食して、ホストへ行って、
ホストとホテルに行って朝まで楽しんだ。
この生活が1番楽しかったし、誰にも邪魔されない
この生活が幸せだった。
そんな生活を1年続けたある日、
仕事でお金を上手く稼げなくなっていた…
悩んでいた私は、仕事を辞めた。
職を辞めた私は、立ちんぼを始めた。
1回1万。1日2万が限界…
前の仕事より、お金は少ない…
でも、ないよりはましと、言い聞かせてた。
そんな時、インスタからDMが来た。
仕事を探してますか?
風俗ですか?
違います。1度会えませんか?
いいですよ。今からですか?
今からでも、大丈夫ですよ。URLここで待ってます。
URLの所へ行くと、ちょっと大人なカフェだった。
子供の私には、似合わないカフェ…
入ってみると男がいた。
男は小林と名乗った。
とても優しそうな男の人、出会い方が違っていたら…
っていうのは置いといて。
小林と仕事の話をした。
稼げなくて立ちんぼしてる事、風俗の給料、
援交をしてた事を話した。
援交が出来るならと、小林が仲介役をして
私は相手と援交する。
相手から3万貰う。
内訳は、小林が1万。私が2万だ。
聞いて驚いた。
私は何度も小林に
ホントに私が2万貰っていいのか?と聞いた。
すると、小林が…女の子が頑張っているからねと
笑顔で答えた。
めちゃくちゃ嬉しかった。
今まで奴隷のような扱いを受けてた私には
その言葉は、とても胸に響いた。
世の中に…こんな男が居るんだ。
知らなかった。
小林といる時間はとても楽しかった。
仕事へ行く時も自転車で2人乗りして行ったり、
頑張ったご褒美にご飯へ行ったり、
体調崩した時も、差し入れをしてくれた。
小林と出逢い方が違っていれば…
小林に彼女が居なければ…
そんな気持ちを隠して、ずっと小林と居た。
小林に仲介してもらい援交を始めて
毎日がもっと楽しくなった。
お金は貯まるし、毎日仕事終わったら遊んで
毎日キラキラした生活だった。
20歳の秋。
昔、援交で知り合った男から神戸へ来ないかと誘われた。
大阪、心斎橋の生活は疲れたので…行ってしまった。
初めての神戸。
夜の世界から抜けた私には、何も残らなかった。
ただ男の言われるがままに、生活保護を受け
男の言われるがままに、家を決め
男の言われるがままに、車に乗り
男の言われるがままに、養子申請をし
男の言われるがままに、見張りをした。
そう、この男こそ私が逮捕されるきっかけとなった男。
私の人生に傷をつけた男。
あの日、私は男に温泉に誘われた。
だが、男は温泉へ行く前に仕事をしようと言われた。
体目的と思ったが、男の目的は窃盗だった。
私は、見張り。男は盗み。
盗みに行った男を見て、私は車で空を見ながら男を待った。
そして、現在に至る。
今、刑事に取り調べを受けている。
外は雪が降っていた。
いつも刑事は、私を笑わせてくれる。
取り調べは、全然苦じゃなかった。
イメージしてた取り調べと、全然違って
刑事はとても優しいし、留置場でも普通に暮らしてた。
国選で来てくれた弁護士も優しいし、
心が死んでた私も、生き返った気がした。
これから、どうなるかも知らないまま…
上 完
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どこか直した方がいい所あったら教えてください!