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行き着いた先はコンビニから十分程で辿り着く、小山。 明るいコンビニから見た姿は真っ暗だったけど、月明かりに照らされた山中は想像より明るく、スマホのライト一つで充分に歩けるほどだった。
視界の良い昼なら三十分ほどで登り降りでき、木々が植えられ、草花が多数咲き、小川が流れている。そのおかげか山中は涼しく、吸う空気は爽やか。
まさに、都会のオアシスみたいな場所だ。
懐かしい景色に嬉しいような、苦しいような、また分からない感情が私を支配していく。ただこの場所に立って居られるのは、昼と夜とでは雰囲気違うからだろう。
月明かりに照らされた紫陽花が、静かに咲いている。今年も綺麗に咲いたんだな。
「ん? なんか上手く撮れねーな」
紫陽花にスマホを向け、何度もタップする流星。写真を撮りたいようで、フラッシュの光りが周囲を淡く照らした。
「あー、これね。遠くから全体を撮るより、近場で主体を決めた方が良いんだよね」
「主体?」
「うん、一本の花を焦点を当てて撮るの。それにフラッシュで撮るのは難しいから、私のスマホで照らすよ」
久しぶりにした写真の話に、声のトーンが上がってしまった。それを自覚した私は、努めて声を低くしてスマホのライトを当てる。
「へー、確かにまとまりがあるな。写真、好きなのか?」
「まあ、昔からね。一眼レフも持ってるし。私もここの紫陽花を撮って……」
目の前に存在する紫陽花の花が、色褪せて見えてくる。
こんなに美しく、気高く咲いているのにね。
「そういえばさ、仕事って何してんだ?」
「え?」
彼と対面した時。私は話を繋げようと、仕事の話をしようとした。だけど彼は人差し指を口元に当て、呟いた。
仕事の話なんか、今どうでも良いだろうと。
それをあえて、聞いてくるなんて……。この人は。
「アパレル関係で働いているの」
「ふーん。順調か?」
「うん、やりたかった仕事が出来ているしね。……だけど、私は。馴染めていないんだよね、会社の人と……」
思わず漏れていた言葉。どうしてだろう。この人の前では、ずっと閉じていたはずの心が少しずつ開けていく。
「ある先輩に……、私だけ明らかに目を逸らされているんだよね……。あ、でもね。小川さんは。いやその先輩は、私の指導係で。失敗を黙ってフォローしてくれたり、困っていた時に助けてくれたんだよね! だから、私が悪いだけだから……」
声にした途端、ヒリつく喉の奥。あれだけ優しい人に避けられるなんて。自分はそれほどの人間なのだと、身につまされていく。
「そいつ男か?」
「うん、三つ上……かな?」
「そんなの。お前が心にフィルター張っているからだろ? 相手は遠慮して近付かないだけ。別に嫌われてるとかじゃねーよ」
心のフィルター?
月明かりに照らされた先に目を向けると、僅か一メートル幅の川が静かに流れている。近付いて覗き込むと、そこには無表情の私が映っている。
この小川に、過去の私を映し出したらどんな姿が見られるのだろう?
誰に話しかけられても、私は無表情で返し。昼食を共に食べないかと同僚に話しかけられても、私は一人、外のベンチでおにぎりを食べている。
そんな私が、職場で馴染めるわけないじゃない。
五年前。この小川を覗き込んでいた私は、髪が長くて、おしゃれな撮影着まで用意して、キラキラと輝いた目をしていた。
それなのに、今の私は……。
ぼんやりと小川を眺めていると、草むらの方にチカチカと点滅する頼りない光。それは。
「ホタル! こんな都会に」
「あー、川が流れているからな。僅かだけど居るんだよ」
「……全然知らなかったな」
目を細めて眺めているけどずっと同じ場所で点滅していて、一向に飛ぶ気配がないホタル。田舎と一緒にしてはいけないけど、どこか弱々しく見えた。
「あの子、飛ばないね? 弱ってるのかな?」
「メスじゃねーの? メスはオスを待ってるから、飛ばないんだよ」
「へー、詳しいね?」
「ん? まあ。……好きなんだよ、蛍が」
ホタルに向いていた視線は私の方に向き、月明かりに照らされる。空に輝く星のような瞳は、真っ直ぐに私をとらえてくる。
ドクン。
高鳴った胸を抑えて、悟られないように小さく呼吸を繰り返す。
違う。彼はホタルを好きだと言っただけで、私のことじゃないから!
分かっていたはずなのに、次は胸が締め付けられて息苦しくなっていく。私を好きになってくれる人なんて、居るはずないのに……。
私はずっと、嫌いな自分を変えてくれる誰かを待っていた。
彼と出会ったのも、この人なら私を変えてくれると他力本願からだった。それなのに私は、彼を叩いて逃げた。
変わる勇気がなかったから。自分の力で飛ぼうとしなかったから。
「……なんだか、あのホタル。私みたい」
気付けば、そんな身勝手な言葉が出ていた。
「は?」
「あ。いや、違うか……。だってこの子はそれが合理的で、習性としてこうしているだけなんだから!」
そうだよ。こんな私と、一緒にしてはいけない。
私なんかと……。
「なぁ。どうしてこんな格好しているんだ?」
短髪、白いポロシャツ、ジーパン、黒いシューズ。
先程と変わらぬまなざしが、心の奥を突いてくる。
「いや。好きでしているなら、何も思わねーよ。だけどお前、仕事はアパレル関係だって言ってるし。駅で会ってホテルに行く時、着飾った女ばかり見ていたよな? 本当はああいう格好して出歩きたいんじゃねーの?」
「放っておいてよ!」
私だって、あんな華やかな街を好きでこの格好で歩いていたわけじゃない。
「俺を引っ叩いてホテルから出て行ったのは、怖かったから。女風を利用したのは、そんな自分を変えたかったから、だろ? 話してみろよ? 俺はセラピストだから、見知った奴より気楽だろ?」
全てを見通していた彼から目を逸らすと、チカチカと光続けているホタルが視界に入ってくる。
私の時間は二十歳で止まっている。この五年間、ずっと止まり続けている。
夢に魘され、蛍が飛ぶ時期になるとあの日を思い出し苦しくなる。
このまま私は人を避け、過去に囚われ、この季節が来る度に苦しむ人生を生きていくしかない。
私は飛ぶことも。ううん、光ることすらも出来ない蛍。
変わりたい。変わりたくて、この人と出会ったんだ。
「……私ね、田舎出身なの。実家は茶農家で、周辺は茶畑と山に囲まれた、ど田舎。電車は一日に二本あれば良い方ってぐらいの。子供の頃からオシャレと写真が好きでね。高校生の時に収穫の手伝いして、両親が一眼レフのカメラを買ってくれて。茶畑や、自然の風景を友達と撮りに行ったり、写真を見せ合ったり。カメラについて勉強したり。楽しかったな……」
あの頃は、誰かに笑われたり、人の視線を気にすることもなく、私が私らしくいられた頃だった。
「アパレル関係の仕事を夢みて、田舎から上京してきたの。だけどさ、都会住みの人と話が全然合わなくて……。服装とか、いつも行くショップとか、カフェの新作とか……。私の地元にはなくて。何の話をしているかと口篭ってしまって。そうしている間に、同じゼミの子はどんどんと離れて行って。同じ地方出身の子も、私を避けるようになったんだよね。……私と一緒に居ると、同じ田舎者だと思われるからね」
おはようと軽く声をかけただけで、「あ、うん」と言い離れていくゼミの子達。怒らせてしまった、と悩んだこともあったけど、話したこともない子にも避けられるようになって、ようやく気付いたんだよね。
「地元では自然と仲良くなってたから、友達の作り方なんて分からなくて。あーあ、失敗しちゃったなーとか思ってたら大学の写真サークルのポスターを見かけてね、思い切って入会してみたの。……でも、来ない人ばかりで。飲み会とか他の大学との交流会? そんなのばかりで、撮影の話はない。そんな、名前だけの場所だった。思い切って飲み会の時に『活動をしたい』と言ってみたけど、……真面目すぎって笑われて。あー、私だけノリが違うのかなってなって。余計にサークルでも、ゼミでも。浮く存在になって……」
初めて話す、都会での孤独。
私は東京に来て、軽く雑談出来る相手も居なかった。バイト先でも、「一人だけ張り切っちゃって痛い」と陰口を言われていたのを知っている。
「だから。大学やバイトが休みの日は、一人で撮影に行ってたの。……この山にもよく来て、空、木、花、草、小川。その日の気分に合わせた写真を撮っていたの」
無機質なものは、私を笑ったりしない。そんな思いで。
パシャ。
紫陽花に一眼レフを向けていた私の横で、シャッター音が重なった。
『ごめん、ごめん。真剣な顔って、綺麗だなと思って』
スマホをかざしていたのは、二学年上のサークルでの先輩だった。
さらりとした髪に、キリッとした目元。爽やかな笑顔は、勝手に写真を撮られたことさえも許してしまうぐらいの魅力に溢れていた。
その瞬間、私の心は切り取られた。彼の瞳というレンズに、私は知らぬ間にピントを合わせられていた。
「一人で野外活動しているとサークルの集まりに連れて行ってくれて、行かなくなった飲み会に連れて行ってくれる。私をサークルに馴染ませようと、先輩はいつも私を気にかけてくれていたの」
そんな大学二年の初夏、実家の茶畑が黄緑色に彩る頃。
先輩に付き合おうと言われて、私はその手を握った。
都会の街を知らない私を、先輩はあちこちに連れて行ってくれた。やっと私も都会の人に認められた。それが嬉しかった。
付き合って一ヶ月。六月末は、二十歳の誕生日だった。
「知らない世界を教えてあげると、先輩にバーに連れて行ってもらったの。初めて足を踏み入れた世界、カクテルグラスというのにピンクでキラキラとしたお酒を注いでもらう。大人になったんだと嬉しくて飲んでみたけど、すごいキツくて。体が熱くて、頭がクラクラして、意識がぼんやりして、水が飲みたいと言った。……だけど先輩はまたお酒を勧めてきて、慣れるからって。だけど、完全に意識がなくなって。先輩に肩を貸してもらって、歩いたのは薄っすら覚えている。それで意識が戻ったら。私、先輩のアパートに居て。そしたら先輩が……」
気付けば全身の力が抜け、しゃがみ込んでいた。
脳内を激しく脈打って。上手く息が出来なくて。目の奥に光が走って。塞がっていたはずのかさぶたが剥がれ、血がどくどくの流れてきたかのように、私の傷を広げていく。
「助けて……」
しゃがみ込んだ私を覗き込む目は、何を考えているかが分からない。
何を言っているのだろう。彼はお金でレンタルした人。
耳障りの良いことしか言わないに決まっているじゃない。
「あなたには分からないから!」
人生で初めて、声を荒らげた私は大きく息切れを起こしていた。
寄り添ったフリをなんて止めて。「辛かったな」、そんな軽い言葉、返さないで。
……じゃあ、なんて返して欲しいの?
勝手に話して、勝手なこと言い放って。私は、何がしたいのだろう。
『また、バーに連れて行ってやるよ』
『今日、泊まりに来いよ』
先輩から距離を取ったのに、彼は頻回に話しかけてきた。明らかな下心のある言葉ばかりを並べて。
そう言われる度に私は身震いを起こし、心が冷えていった。
何度も、あの日のことを言おうとした。だけど怖くて。彼の目が、彼の声が、彼の腕が。
全てが、私を縛り付けてくる。
だから、この小山も来れなくなって。肩まであった髪を靡かないほどに切り落として。男女境目が曖昧な服を選んで。学食で一人ご飯とか全然平気だったのに、人目が怖くてあのコンビニに逃げ。全てを忘れようと、別の場所で写真を撮ろうとフィルターを覗くと、彼が隣にいるのではないかと指先がガタガタと震えて。だから、写真すら諦めるしかなかった。
子供の頃に抱いた夢を叶えよう。そんな思いで就職したけど、先輩や同僚はカジュアルなファッションでオシャレ。それに比べて私は、上下黒のスーツ。
ズボンだったら、今時の服装でも着られるじゃない?
何度自分にそう言い聞かせても、女性らしい格好をすることが怖い。せっかく買っても、外に着て出歩くことが怖い。
人が怖くて、何を考えているのか分からくて、信じられなくて。私は会社でも、居場所を作ることが出来なかった。
仕事だけは私の味方。それだけあれば良い。そう思っていた。
だけど忌まわしい過去は、私の腕を掴んで離さなかった。
時折悪夢に魘されて、誕生日の季節が近付くと漠然とした不安が襲ってきて怖くなる。一人で生きていくと決めたのに、誰も信じないと決めたのに。私は誰かを求めている。
先輩を好きにならなかったら。
付き合わなかったら。
お酒を断れたら。
彼のアパートに行かなかったら。
なんとか拒否出来たら。
そんな後悔が、私の中で反芻する。
二十歳の誕生日。私の人生は壊された。
……違う。私が勝手に壊しただけ。そんな過去を引きずって人を遠ざけた、私が。
「顔、上げろよ」
強く閉じていた目を開き、顔を上げる。すると目の前に、小さな光が舞っていた。
「……ホタルが、空を飛んでいる」
「仲間であるお前に見せつけているのかもしれないな。次はお前が飛ぶ番だって」
「飛べないよ……。私なんか」
他責思考の、私なんか。
「こうゆう仕事してると、会うんだよ。お前のような女。そして口を揃えて言う。隙があった自分が悪かった……って。そんなわけ、ねーだろ?」
「……え?」
「いいか? 自制の効かない野郎なんか、男じゃなくただのノミだ。そんなのに噛まれて、痛いと泣くのか? 自分のせいだと嘆くのか? バカバカしいだろ? さっさと薬塗って治しちまえよ!」
ぶっきらぼうで、優しさなんて見えないのに。
私に手を差し伸べてくれる、温かなものだった。
「……飛べるかな?」
「飛べるに決まってんだろ? 蛍は強いから、飛べる」
私の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く返してくれる。
『え? いやいや、付き合ってたんだよね?』
『アパート行ったんでしょ?』
『文句言うなら、付き合わなかったら良いじゃん?』
『っていうか。確か、二十歳だよね? 未成年じゃあるまいし』
普段関わりがなかった、写真サークルの女性先輩達。大学で一人でベンチに座っていた私の元に来て、彼を避ける理由を聞いてきた。彼に聞いてきてほしいと、頼まれたらしい。
付き合いのことを勝手に言ってはいけない。
分かっていたけど、あの時の私は抑えられなくて。抑えきれなかった気持ちを、辛さを、ただ感情のまま話して。その時、返された言葉だった。
──私が、悪かったんだ。
五年間、心に氷の刃となって刺さっていた。
だから、髪を伸ばせなくなった。女性らしい服を着れなくなった。
「隙のあるお前が悪い」と、否定されるのが怖くて。
だから、髪を伸ばせなくなった。女性らしい服を着れなくなった。
隙のあるお前が悪いと、否定されるのが怖くて。
あの日のことは勿論苦しいけど、その後に告げられたことの方が苦しかったのかもしれない。
味方だと信じていた同性に思い切って打ち明けて、笑って否定されたことの方が。
だけど今、ようやく消え去ってくれた。彼の温もりによって。