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それは、数年前の話だ。
まだ班の編成が今とは少し違っていた頃。
壁外調査の成功が続き、兵団の中で“リヴァイ班”の名が一層強くなっていた時期だ。
問題は、その年に入団してきた新兵だった。
名はマリア。
成績は上位。身体能力も悪くない。
判断力は平均以上。精神面も安定している。
書類上は、優秀だった。
最初に違和感を覚えたのは、配属から一週間後。
訓練後、俺が装備を点検していると、背後から声がした。
「兵長、お疲れ様です!」
振り返ると、満面の笑み。
距離が近い。
「……何だ」
「兵長の刃の扱い、本当に綺麗ですね! 今日も見惚れてしまいました!」
見惚れる、だと?
「仕事をしろ」
「はい! 兵長のためなら何でもします!」
即答。
嫌な予感しかしない。
それは序章だった。
数日後。
食堂。
俺が紅茶を飲んでいると、正面に音もなく座る影。
「兵長、隣いいですか?」
聞く前にもう座っているだろうが。
「勝手にしろ」
「ありがとうございます!」
目が、妙に輝いている。
「兵長って、普段は何を考えてるんですか?」
「仕事だ」
「好きな食べ物は?」
「紅茶だ」
「それ以外は?」
「質問が多い」
「すみません! でも兵長のこと、もっと知りたくて!」
周囲の視線が痛い。
エルドが笑いを堪えている。
オルオは露骨にニヤついている。
……面倒だ。
決定打は、壁外調査後だった。
帰還し、報告が終わった直後。
廊下で呼び止められる。
「兵長!」
振り返る。
マリアだ。
妙に真剣な顔をしている。
「何だ」
「好きです!」
間髪入れる間もなく言葉が飛んできた。
一瞬、沈黙。
「……何の話だ」
「兵長のことです!」
声がでかい。
数人が足を止める。
「尊敬とかじゃなくて、好きです!」
こいつ、はっきり言いやがった。
「却下だ」
即答。
「えっ、まだ何も言ってません!」
「今言っただろう」
「ちゃんと聞いてください!」
「聞く必要がない」
歩き出す。
が、すぐに追ってくる。
「兵長、私、本気なんです!」
「俺は本気で断っている」
廊下の角で、エルヴィンと鉢合わせる。
エルヴィンが状況を一目で察する。
「……取り込み中か?」
「違う」
「告白中です!」
ハモるな。
エルヴィンはわずかに口元を緩める。
「ほどほどにしておけ」
それだけ言って通り過ぎた。
助けろ。
翌日から、アプローチは激化した。
・朝の挨拶は必ず最前列
・訓練では必要以上に隣に来る
・紅茶を淹れてくる
・さりげなく腕に触れる
「兵長、髪切りました?」
「切ってない」
「でもかっこいいです!」
「黙れ」
班の空気が微妙におかしくなる。
ペトラが眉をひそめる。
エルドが面白がる。
オルオが「兵長も隅に置けない」とか抜かす。
ぶちのめすぞ。
限界が来たのはその三週間後。
夜、執務室で事務作業をしていると、 ノックの音がした。
「何だ」
「マリアです」
嫌な予感しかしない。
「入れ」
扉が閉まる。
距離が近い。
「兵長、私、諦めません」
真っ直ぐな目。
「勝手にしろ」
「でも、兵長は絶対私を好きになります」
自信満々だな、こいつは。
「根拠は」
「私、兵長の一番近くにいますから!」
意味が分からん。
「お前は部下だ。それ以上でも以下でもない」
はっきり言う。
「部下は兵長を好きになっちゃいけないんですか?」
「立場を考えろ」
「立場が邪魔なら、私、班を抜けます!」
机を叩きそうになるのを堪える。
「ふざけるな」
低く言う。
空気が凍る。
「仕事を感情で左右するな」
「でも私は本気で——」
「俺は本気で拒否している」
沈黙。
マリアの目に涙が滲む。
……クソッ、面倒だ。
泣かれるのが一番困る。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「やっほー!」
おい、クソメガネ。
空気を読め。
「取り込み中だ」
「分かってるよ」
ハンジは状況を一瞬で把握する。
「マリア、新兵はもう消灯時間だよ」
柔らかい声でハンジが言う。
マリアは唇を噛む。
「……失礼します」
やっとあいつが出ていった。
そして、静寂。
ハンジがにやにやする。
「モテるねえ、兵長」
「黙れ」
「どうするの?」
「どうもしない」
「放っておくと悪化するよ?」
そんなことは分かっている。
翌日、エルヴィンに呼ばれた。
「問題があるようだな」
淡々とした声。
「私情だ」
「私情が隊に影響するなら対処が必要だ」
それは正論だ。
「移動させるか?」
エルヴィンに問われ、一瞬考える。
確かに、班を移動させるのは一番簡単な対処法だ。
だが——
「……本人の問題だ」
逃げではない。
だが、簡単に配置換えで解決するのは違う。
エルヴィンは頷く。
「なら君が線を引け」
言われるまでもない。
最終的に、決着は戦場でついた。
次の壁外調査で 奇行種の群れに出くわし、 マリアが突っ込みすぎた。
明らかに、俺を庇おうとした動きをしやがった。
「馬鹿が!」
怒鳴る。
無理な軌道で ワイヤーが絡まる。
落ちる。
俺が即座にカバーに入る。
巨人のうなじを削ぎ、マリアを引き上げる。
帰還後、俺は真正面から言った。
「お前は何をした」
「兵長を守ろうと——」
「俺は守られる立場じゃない」
低く、抑えて言う。
「お前のその感情が、班を危険に晒す」
マリアに俺の言葉が刺さっているのが分かった。
「好きだの何だのは勝手だ」
「……」
「だが、それで判断を誤るなら、俺の班にいる資格はない」
沈黙。
マリアの目から涙が落ちる。
だが、目は逸らさない。
「……兵長を危険に晒しました」
「そうだ」
「すみません」
長い沈黙の後、マリアは深く頭を下げた。
「もう、言いません」
「言うな」
それで終わった。
その後、彼女は俺と距離を保った。
必要以上に近づかない。
必要以上に見ない。
ただの部下になった。
やがて、別の部隊へ移った。
最後に言った言葉は——
「好きになったことは後悔してません。でも、兵長の部下でいられたことのほうが誇りです」
……悪くない締めだった。
数日後。
ハンジが茶化す。
「兵長、寂しくない?」
「ない」
「本当に?」
「本当にだ」
エルヴィンが静かに言う。
「線を守ったな」
「当然だ」
それが俺の役目だ。
感情に溺れれば、班は壊れる。
だから、越えない。
越えさせない。
俺は上官だ。
それ以上にはならない。
そう、自分に言い聞かせながら
紅茶を口に運んだ。