フィリアの存在を魔族たちに示すのは、誰が思うよりも容易かった。
結局のところ、一人として拒否感を示す者は居なかった。フィリアが産まれたその場において、全てを見た者たちでさえ。
それは、フィリア自身が最も理解していた。
その深紅の双眸で、力を込めて一瞥すれば誰もが跪くだろうと。
手始めとして側近たちを会議室に集めた時に、それがイザにも分かった。
あれほど忌避の目で見ていた者たちが、たったの数秒で、フィリアに対し敬愛と畏怖の念で深々と首を垂れた。
「わたしをうけいれなさい。そうすればママといっしょに、しょうりとはんえいをさずけてあげる」
その舌足らずな物言いでさえも、彼らにはむしろ特別なものに聞こえたという。
フィリアの力は、とりわけ魅了においてはイザの比ではなく、城下に集めた一万人でさえバルコニーからの一瞥で全てが終わった。
通達を出してその日その時間に人を集めることの方が、よほど時間を要した。
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王都に居る一万の魔族に、フィリアの存在を示したその夜。
イザとフィリアは眠りにつくため、共にベッドに入っていた。
横向きに向かい合い、ランタンの灯りで互いの顔を見つめながら。
午後を過ぎた頃にお披露目という名の魅了を終え、ご機嫌な側近達と会食をし、疲れ果ててうたた寝をするフィリアをセリアと共にお風呂に入れた後のことだった。
「本当なら、私がごり押しで収めようと思ってたのに」
イザは、この眠る頃になって目をパッチリと開いたフィリアに言った。
それまではまともに話をする時間がなかったのだ。
「ママだと、はんかんをもつひとがでてくるでしょ?」
大浴場ではほとんど眠っていた子とは思えない、ハッキリとした声だった。完全に目が覚めたらしい。
「私はどうせ力で抑えつけるからいいけど、フィリアのそれは効果が切れたりしないの?」
「だいじょうぶよママ。ほんのうにすりこみするみたいなものだから」
それは幼子の発する妄想ではなく、深い知識と経験に裏付けされた確信だった。
少なくともイザには、そう聞こえた。
ただ、それが事実であるかどうかは、実際の確認には時を必要とする。
しかしその頃には、名実ともにフィリアも認められているだろう。イザはそう考えていた。
この最初さえ凌げれば、後はどうとでもなる。
「なら安心ね。それにしても便利な力ねぇ」
「ふふ。だけど、にんげんにはこうかがうすいかも」
「それはどうして?」
「だって、にんげんはおろかだもの。きょうりょくよりもころしあいをこのむばんぞくよ。たぶん、あらそいのほんのうが、とびぬけてつよいんだとおもう」
「確かにね。根拠のない猜疑心も強いし」
「ママはそのせいで、つらいめにあったものね」
その言葉は、イザの目をハッと見開かせた。
それまでは愛でるように娘を見ていたのに、負の感情が電流のように脳から流れ出たせいだ。
もう少し話していれば睡魔に呑まれて、眠りに落ちるだろうとまどろみさえ感じていたはずなのに。
「あっ。ごめんなさいママ。かってに、ママのいやなきおくをはなしちゃった」
イザは、娘と記憶を共有していることに何の戸惑いもなかったはずが、今になってその弊害を感じた。
いや、共有していること自体には、やはり問題はないと思い直した。
あるとすれば、感情まで共有されていないことだった。
それには、たった今気が付いた。
しかし同時に、なぜ今まで気付かなかったのかと自分を恥じた。
フィリアにとっては、イザの記憶は単なる知識と人生の記録のようなものなのだろう。
でなければ、今でも魂を包み込んでいる憎悪で、フィリアも毒されていたはずではないか。
こんなに無邪気でいられるはずがない。
ある程度成熟した精神で生まれていようと、最愛の人を失った辛苦は、その真新しい心を蝕んでしまうはずだ。
それが無かった次点で、感情まで共有していないのだと真っ先に気付いておくべきだった。
その失態ゆえに、愛くるしい娘に対して、真っ黒でへどろのような瞳を一瞬ではあったが、開いてしまった。
「ごめんなさいフィリア。驚かせたわよね。私、怖い目をしちゃったわね」
嫌いになった?
そこまで聞こうとした時だった。
「ううん。かんがえれば、わかることだったのに。ごめんなさいはわたしのほう。ママ、ごめんなさい」
本当の辛さは分からないが、容易く触れてはならないものに触れてしまった。
それは理解し、そしてその言動を心から謝っている。
フィリアの謝罪は、そういう心の表れだった。
「いいのよ。私がまだ、心の整理がついていないせいなだけ。驚かせてごめんね?」
イザは少し安堵した。
大切な娘に向けて良い感情ではなかったのに、それほど傷つけてはいないらしいと感じて、胸をなで下ろした。
フィリアには、こんなに辛い想いをさせたくないし、見せたくない。
「フィリア、抱きしめて眠ってもいい? あなたを抱いていると、安心するの」
「うん! わたしもママにだきついていたいから。ほんとなら、まいにちそうしてねむりたいのよ?」
良い子だからそれは我慢しているのだと、アピールしている。
とても微笑ましくて、毎日もっと甘やかしてしまいたい。
そう思ってしまうくらいに、本当に可愛い。
イザはすでにそういう親バカに目覚めていて、今も一瞬で心を埋め尽くされてしまっていた。
「それじゃあ、今日から三日だけ許可します」
そう言ってイザは、すぐさまフィリアを抱きしめた。
その胸で窒息しないように、少しの加減をして。
「どうしてみっかだけなの? ずっとでいいじゃない」
抱きしめかえしてくる細い腕と、非難の眼差し。
「ずっとにしたら、あなたが甘えんぼになってしまうじゃない。私も我慢するのよ?」
「ええー? わたしはあまえんぼになんてならないわ。それでもダメ?」
「ダ~メ。私も甘えんぼになっちゃう」
「えー! ママのせいで? そんなぁ……」
フィリアは落胆したが、けれど、イザの言葉に満足もした。
同じ気持ちなのか。
そう思ったことで、嬉しくなったのだ。
「さ、今日はもう寝ましょう。私も疲れちゃった」
「う~ん……しょうがないなぁ。わたしはまだげんきだけど」
「あなたはお風呂で寝ていたものね」
「う~……」
そんなやりとりをもう少し続け、やがて二人とも自然に瞼を閉じた。
お互いに眠そうな顔を見ていて、同時に睡魔がやってきたのだろう。
母子ならではの甘く優しい時間は、夢の中で続いているらしく――二人とも穏やかな微笑みを浮かべていた。
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