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母と娘の幸せな時間は、あっという間に過ぎていった。
王城で不自由なく暮らし、そして時には、遠征して他の国を支配する。
魔法で適当に地形を変えてやれば、逆らう国は無かった。
誰の血を流すことなく、犠牲になったのは消し飛ばされた山々だけ。
イザにとって、全てが順調だった。
いや、魔族にとっても同義であったし、人間もまた、無駄な争いが無くなったことで平和になった。
魔族の支配に戸惑う市民は多くとも、平和という安定に誰もが心を開きつつあった。
魔族が町を歩いていても、ただ恐れるか、その美しさに見惚れる者は居ても、敵意を向ける者は居ない。
イザはたったの十カ月あまりで、大陸のほとんどを支配下に置いたことになる。
棲み処となった最初の王国は、大陸のほぼ中央に位置するヘルンベルン王国。
東に大山脈が縦走し、その向こう側は魔族の治める国がある。
北にはヘイムルッソ帝国。南にはルダー王国。そして西にはラッツァ王国。その他の小国もいくつかあるが、戦力が十分な国は主に三方の国だった。
それら全てを、イザは一年もかけずに支配下に置いた。
現在の体制をそのままに、魔族に武力を行使しないという条件を一つにしたことも、大きかったのだろう。
各国には少数の魔族が、それを監視するために駐在する。
その彼らに何かあれば、全ての国々が連帯責任を負うと定めた。
お陰で、どの国も身動きが取れなくなり、人間同士の争いも頓挫して平和になったのだ。
駐在の魔族が悪逆の限りを尽くせば話は変わっただろうが、どの魔族も人間を警戒しつつも穏やかで、狼藉を働くことなど皆無であったのも大きい。
たった一国、西の辺境国で、西海岸を縦に伸びた土地を持つイーラムン共和国だけは首を縦に振らなかった。
ただ、圧力をかけ始めたところで、そのうち気が変わるだろうとイザは踏んでいる。
というか、その段になって彼女は、もはや興味を無くしていた。
イザの力を用いなくても精鋭たちが育ってきているし、もう他にやる事もないのだ。
他の国々よりも、少々頑固だなと、その程度にしか思っていない。
それよりも今は、安定して平和な状態を満喫している。
イザの心はもう、休む態勢になっていた。
**
その日もイザは、精を注がせるという一仕事を終えた午後、フィリアと部屋のソファでくつろいでいた。
その仕事には、フィリアが生まれてすぐに、別の寝室を用意させた。
だから気兼ねなくそれまで通りに、魔力を集めている。
フィリアは何をしているか理解していたし、生まれた通りの精神年齢でもないから、イザはさらに心丈夫に感じていた。
それよりも、そんなことなど些事であるかのごとく、フィリアは十カ月という短い期間で、齢十四、五に見えるまで成長していた。
さすがのイザも最初の数カ月は驚いていた。なにせ、ひと月に一歳分は育つのだ。
日ごとに背が伸び、少々自信家な、小生意気な顔をするようにもなった。
しかし嫌味さも上手く隠すし、ことさらに美しさが際立つ。
この最近では、少女の持つ可憐さと大人を垣間見せる美貌の、両方を合わせた別格の端麗さへと育っている。
誰もが見惚れ、王城で遠目に見つけても通路でばったり出会っても、その姿をずっと追ってしまうのだ。
フィリア自ら、「このくらいの方が、わたしは好きね。お母様のような大人の美人よりも」と言うほどに見目麗しい。
話し方もすでに、大人顔負けにナマイキを言う。
そんな言葉を聞いて、イザは聞かずにいられなくなった。
「フィリア、あなたは姿を自由に出来るの?」
「うん。幼くは出来ないけど、気に入ったところで止めるのは簡単よ」
その言葉に、イザの目が見開く。
まだ二十歳そこらの美しい盛りであるから、当然の反応だった。
「私も今のまま止めておきたい。出来るかしら」
「お母様も出来るわ。教えてあげる」
ソファで隣同士、ぴったりと寄り添いながら交わす母娘の会話、には似つかわしくない、魔道の極致が語られることもある。
ただ、それが彼女たちの日常でもある。
そして二人には、その神髄を伝えるのに言葉は必要ない。
イザのプラチナブロンドと、フィリアの銀髪が少し絡む。
そのように頭を寄せ合うだけで済むのだ。
「お母様。またフラガお父様のこと考えてる」
寄せ合ったままフィリアが言った。
伝えるだけではなく、伝わるものもあったらしい。
「えっ? ……どうしてフラガのことを? それに、お父様って」
「だって、お母様とフラガお父様と、わたしの三人で楽しそうにしているのを、思い描いているもの」
それは今まさに、イザが空想していたことだった。
愛するフラガとフィリアとの三人で、こうしてソファでくつろいでいるところを。
「私の心が読めるの?」
その声は、少し震えていた。
涙をこらえきれずに、ひと粒が頬を流れてゆく。
「少しだけ。でも、とても強い気持ちしか伝わらないわ。だから、それだけ強く想っているって、わかるの」
感情まで伝わるのか、フィリアにも涙が浮かぶ。
なぜならそれは、渇望して止むことのない、けれど、叶わぬ願いと知りながらの、悲しい想いだから。
「……そうよ。あの人とフィリアと、三人でささやかに生きるの。それが夢。かなわないけどね」
イザは涙を止めてみせた。
さっきは不意を突かれただけで、もはやどうにもならないと、誰よりも理解しているから。
ただ、復讐も果たし平和も手に入れ、気が緩んでしまっただけだ。
「フラガお父様のところに行きたい?」
フラガを、フィリアはお父様と呼ぶ。
そういう世界があれば、どれだけ幸せだろう。
「うん……そりゃあ、ね。だけど、フィリアを残して行けないわ。あなたのことも、同じくらい大切なんだもの。ずっとあなたの側に居るわ、フィリア」
死ねば、フラガのもとに行けるだろうか。
そんなことは、もう何億回と思った。
けれど、それ以上に許せなかった。
仇を討つまでは、死ねなかった。
だけど今は? と、イザは思った。
仇は討ったし、大陸を治めて魔族の支配下に置いた。
成すべきことを全て成したのだ、今は。
いつもの自問自答に、新たに加わった疑問が浮かんだところで、フィリアが言った。
大切なフィリアを残して死ねないからと、そこで閉じた自答のすぐ後だった。
「フフ。わたしが親離れをしたらどうする?」
親離れなど、産んで十カ月で想像もしなかったことだ。
「あら。あなたが大人になったらって? そんな日が来るかしら」
「もう! 子ども扱いして!」
見た目ばかりは十分なフィリアは、子ども扱いされたのが意外だったらしい。
本気ではなくとも、まさかと思っていたのだろう。
「私も二十歳を過ぎたところだし、魔族からしてみればあなたも私も、ずっと子どもみたいなものでしょうね」
イザは普段から側近たちに反感を持たれ、時には子ども扱いもされるために抵抗は無かった。
何なら受け入れていたし、長命な彼らにどう扱われようとも、何とも思わない。
その程度には、大人だった。
「そんなのずるい! お母様が子どもだったら、わたしはずーっと子どものままじゃない」
「フフフフ。そうよ。だからずっと一緒ね」
イザがそう言ったところで、少し頭に血が上っていたフィリアにも意図が伝わったらしい。
途端に落ち着いて、イザの腕に抱きついた。
お互いに細い腕だから、どんなにきつく抱いてもすり抜けてしまいそうだった。ゆえにフィリアは、ことさらギュッと頬まで寄せた。
「も~。わたしは嬉しいけど……お母様はそれでいいの?」
「いいも何も、フィリアと一緒に過ごせるのは、私にとってかけがえのない幸せなのよ? 一緒がいいわ」
それが事実なのは、ちゃんとフィリアに伝わっているらしい。
そのために抱きついたわけではないが、どこだろうと触れていれば、ウソかどうかくらいは分かる。
それがこの母娘の、特殊な繋がりだから。
「お母様……そんなにわたしのことが好きなのね」
「ええ。愛しているわ」
かけがえのない娘への、心からの愛情。
失う悲しみを知っているからこその、ただ親であるという以上の愛。
「わたしも! わたしもお母様のこと、愛してる!」
「フフ。嬉しい」