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麗太
#追放
第193話 誰かの制服
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
六つの光が、ラストの足元へ絞られていく。
駅前はひどい有様だった。
バス停の屋根は崩れ、案内板は倒れ、
駅舎の庇の一部は地面に落ちている。
赤茶けた粉がアスファルトの上に広がり、
ところどころで異世界の石材のような破片も混ざっていた。
戻りかけた駅は、また傷つけられていた。
だが、木崎は駅舎を見なかった。
今見るべきものは一つ。
ラスト本体。
「六点、さらに絞れ!」
木崎が叫ぶ。
「駅じゃない! 足元だ!」
警官たちが手持ち灯を持って動く。
前の二人が半歩下がる。
左右の二人が斜めに寄る。
後ろの二人が開いて、逃げ道を塞ぐ。
光は揺れている。
人が持っているから、完全ではない。
それでも、固定された金属よりは強い。
止まらない光。
錆びない檻。
ラストの足元で、錆の進みが鈍る。
ラストは、ぼそぼそと呟いた。
「……狭い」
「光が、邪魔」
木崎はカメラを下ろした。もう記録だけでは足りない。
「お前は警官じゃない」
その言葉に、ラストの目の奥の文字列が乱れた。
「……借りた」
「余っていた」
「余ってなんかいない」
木崎は一歩前へ出る。
六つの光も、それに合わせて前へ進む。
「その制服は、誰かが着ていたものだ」
「誰かが人を守るために着ていたものだ」
「お前が人を追い詰めるために使っていい顔じゃない」
ラストの足元で、錆が一瞬止まった。
日下部の声がイヤホンから飛ぶ。
『停止、五・六秒!』
『拘束用の光節、入れます!』
木崎は短く答えた。
「入れろ」
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部は震える指で、光節の配置を確定させた。
画面上に、六つの光点が表示される。
その内側に、さらに細い三角形が二つ。
動く光の檻の中心へ、短時間だけ重ねる拘束用の光節。
固定すれば錆びる。
だが、固定時間を短くして、動く光と重ねればいい。
「三秒だけです」
日下部が言う。
「三秒だけ、ラストの足元に光節を固定する」
「その間に役割剥がしを重ねる」
佐伯が息を呑む。
「三秒で足りますか」
「足りません」
日下部は即答した。
「だから、三秒を何度も重ねます」
城ヶ峰が言う。
「失敗したら」
「光節が錆びます」
「持ち手も危険です」
村瀬が青ざめる。
城ヶ峰は一瞬だけ目を閉じ、すぐに開いた。
「やるしかない」
日下部は通信を開く。
『木崎さん』
『三秒拘束を繰り返します』
『一度で止めようとしないでください』
『言葉で乱して、光で縛る』
『その繰り返しです』
木崎の声が返る。
『分かった』
『しつこいのは得意だ』
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
ラストが突然、腕を振った。
それだけで、周囲の錆が一気に跳ねる。
倒れていた案内板の金属枠が砕け、赤茶けた粉が空中へ舞う。
排水溝の蓋が内側から押し上げられる。
駅舎外縁に残っていた鉄骨が、嫌な音を立てて裂けた。
ギギギギギギッ!
「右、避けろ!」
木崎の声に、右側の警官が飛び退く。
直後、その足元に赤錆の筋が走った。
光の檻が歪む。
その隙を、ラストが抜けようとする。
「後ろ二人、詰めろ!」
警官たちが必死に動く。
手持ち灯が交差し、白い線がラストの足元を切った。
ラストの歩みが止まる。
一秒。
木崎が言葉を叩きつける。
「お前は守る者じゃない!」
二秒。
「誘導する者でもない!」
三秒。
「その顔で、人の前に立つな!」
ラストの体がぶれた。
警官の制服の輪郭が、黒い影の中へ溶けかける。
目の奥の文字列が暴れ、頬から首へ流れ出す。
日下部の声。
『一回目、成功!』
『次、来ます!』
だが、ラストも黙ってはいない。
ラストは両手を広げた。
「……錆びろ」
「全部、古くなれ」
地面の下から、赤茶けた波が広がる。
旧バス待機レーンの端に残っていた金属ポールが次々と崩れた。
遠くの照明柱が傾き、駅舎外縁の破片がさらに落ちる。
ガァンッ!
ガラガラガラッ!
轟音が駅前に響く。
警官の一人が思わず光を下げかける。
木崎が叫んだ。
「下げるな!」
「音を見るな! ラストを見ろ!」
警官は歯を食いしばって光を戻す。
六つの光が、再びラストを囲んだ。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、白い配置図を見ていた。
現実側で、ラストが追い詰められている。
六つの動く光。
三秒ごとの拘束。
役割を剥がす言葉。
ラストの周囲にあった警官の輪郭が、少しずつ崩れていく。
パイソンは、感情のない目でそれを見下ろしていた。
「想定より早いですね」
怒りはない。
焦りもない。
ただ、計算の一部が予定より早く失われつつある。
それを確認しているだけだった。
ラストの反応が乱れる。
錆の広がりは大きい。
だが、中心が揺れている。
パイソンは、静かに言った。
「戻るくらいなら、崩れますか」
白い配置図の中で、ラストの黒い点が赤茶けていく。
パイソンは止めなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
二回目の拘束が入った。
光が重なる。
ラストの足元が白く光る。
木崎は叫ぶ。
「その制服を返せ!」
ラストの体が震える。
「……違う」
「借りた」
「使っただけ」
「返せ!」
三回目。
ラストの足元から、赤錆が逆流した。
いや、違う。
外へ広がっていた錆が、ラスト自身へ戻り始めている。
最初に崩れたのは、足だった。
警官の靴の形をしていた影が、赤茶けていく。
つま先が粉になり、踵が崩れ、足首から下がぼろぼろと地面へ落ちた。
警官たちが息を呑む。
「崩れてる……?」
木崎は目を細めた。
「自分を錆びさせてるのか」
ラストは、足元を見下ろした。
「……拘束」
「嫌だ」
「止まるくらいなら」
「古くなる」
その声は、これまでで一番はっきりしていた。
木崎は一瞬だけ言葉を失った。
ラストは逃げようとしているのではない。
拘束されるくらいなら、自分自身を錆びさせようとしている。
「日下部!」
『分かっています!』
『ラスト反応、自壊方向へ反転!』
『錆が外ではなく内側へ向かっています!』
城ヶ峰の声が入る。
『止められるか』
日下部は数秒黙った。
『無理です』
『自壊を選んでいます』
『外から止めれば、周囲へ錆が爆ぜる可能性があります』
木崎はラストを見た。
足が崩れている。
膝まで赤錆が侵蝕している。
制服の裾が粉を吹き、黒い影が内側から吹き出し始めている。
ラストの目は、もう木崎を見ていなかった。
もっと奥。
どこでもない場所。
自分が借りた顔のさらに内側を見ているようだった。
木崎は低く言う。
「光を緩めるな」
「最後まで囲め」
警官たちは震えながら頷いた。
◆ ◆ ◆
ラストの体が崩れていく。
足から膝へ。
膝から腰へ。
腰から胸へ。
赤茶けた錆が、警官の制服の形をなぞりながら上へ這い上がる。
だが、それだけではない。
内側から、黒い影が溢れ出した。
狂った煙のように。
壊れた文字列のように。
黒い影がラストの胸から、肩から、目から漏れ出す。
影の中には、数字とも文字ともつかないものが走っていた。
それが暴れている。
行き場を失った命令。
使われなかった役割。
誰かの顔の残り。
壊れた観測。
それらが一斉に外へ出ようとする。
木崎は叫んだ。
「光を閉じろ!」
「影を外へ出すな!」
六つの光が一斉に寄る。
警官たちは歯を食いしばる。
手が震えている。
でも、灯りは下げない。
黒い影が光に触れ、弾ける。
赤錆の粉が舞い、朝の空気が濁る。
ラストは、最後に木崎を見た。
「……戻る場所」
「ない」
木崎は答えた。
「お前が奪った顔には、あった」
ラストの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
その直後、胸の中心から錆が一気に広がった。
警官の制服の中身が、崩れる。
黒い影がねじれ、文字列がばらばらに散り、赤茶けた粉に飲まれていく。
音は小さかった。
崩れた建物のような轟音ではない。
さらさら、と。
乾いた砂が落ちるような音だった。
ラストの体は、完全に崩れた。
そこに残ったのは、誰かのものだった警官の制服だけだった。
中身を失い、地面に落ちた制服。
胸元の名札は、錆で読めなくなっていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】
日下部の画面から、ラストの反応が消えた。
《RUST CORE / LOST》
《ROLE SHADOW / COLLAPSED》
《RUST SPREAD / STOPPING》
《LAST / NO RESPONSE》
村瀬が、震える声で言った。
「消えた……?」
佐伯も画面を見つめる。
「ラスト反応、消失」
城ヶ峰は、少しだけ目を伏せた。
「周辺の錆は」
日下部は画面を確認する。
「新規拡大、停止」
「既に腐食した構造物は危険ですが、広がりは止まっています」
村瀬が息を吐く。
「止まった……」
日下部は、まだ画面から目を離せなかった。
ラストは倒された。
だが、拘束したわけではない。
追い詰められ、自ら崩れた。
その選択が、画面の空白に重く残っていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・駅周辺南側/旧バス待機レーン付近・朝】
木崎は、地面に落ちた警官の制服を見ていた。
近づこうとした警官を、手で止める。
「触るな」
「でも……」
「証拠だ」
木崎は言った。
「それと、誰かのものだ」
警官は黙った。
制服の周りには、赤茶けた粉が薄く積もっている。
黒い影はもう見えない。
文字列も走っていない。
ただ、抜け殻だけが残っている。
木崎はカメラを構えた。
今度は記録するために。
「ラスト、消失」
「残存物、警官制服一式」
「錆の新規拡大、停止を確認」
イヤホンから城ヶ峰の声が入る。
『木崎、無事か』
「生きてる」
『現場を封鎖しろ』
『制服には触れるな』
『駅周辺の安全確認を急ぐ』
「了解」
木崎は駅前を見た。
バス停は壊れた。
案内板は倒れた。
駅舎外縁も傷ついた。
だが、錆の広がりは止まった。
やっと、駅を戻すための邪魔が一つ消えた。
木崎は小さく息を吐いた。
「……次は、駅だ」
◆ ◆ ◆
ラストは消えた。
拘束されることを拒み、自分自身を錆びさせて崩れ去った。
足元から侵蝕され、体全体が赤錆に覆われ、
内側から狂った黒い影が溢れ、
最後には粉のように崩れた。
残ったのは、誰かのものだった警官の制服だけ。
ラストの錆は、駅周辺を大きく傷つけた。
だが、新たな腐食は止まった。
駅を完全に戻すための最初の障害は、取り除かれた。
その勝利は、決して明るいものではなかった。
けれど、確かに道は開いた。
次に戻すべき場所は、はっきりしている。
錆びた駅前。
壊れたバス停。
倒れた案内板。
崩れかけた駅舎外縁。
そして、そのすべてをもう一度、現実側へ戻すこと。
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