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寝室のドアを開けたとき、目の前には床にうずくまって、小さくなっている〇〇の姿があった。
肩をすぼめ、両腕で自分を抱きしめるようにして、微かに震えている。
その背中を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「大丈夫、帰ったから。」
できるだけ穏やかな声でそう告げて、一歩近づく。
小さく震える体を包み込もうと腕を伸ばした、そのとき。
〇〇が、ゆっくり顔を上げた。
目が合った瞬間、
ほっとしたように緩みかけた表情が、次の瞬間には凍りつく。
みるみる血の気が引いていくのが、はっきり分かるほどだった。
『樹音くん……唇、切れてる……。』
視線が、俺の顔から動かない。
『ごめんね、わたしがひとりで行かせちゃったから……
傷つけちゃった……ごめんなさい……』
今にも泣き出しそうなのに、必死に堪えている顔。
その表情を見た瞬間、ようやく気づいた。
――ああ、そうか。
怒りを抑えきれなかったあのとき、
無意識に唇を噛みしめすぎて、血が滲んでいた。
それを、殴られた痕だと勘違いしたんだ。
責任を、全部自分に向けて。
胸の奥が、ずしりと重くなる。
「……殴られたわけじゃないよ。」
一度、息を整えてから続ける。
「自分で噛みすぎただけ。」
それでも〇〇の表情は晴れない。
『でも……』
言いかけた言葉に被さるように、静かに伝えた。
「〇〇が、俺との約束守ってくれてよかった。」
視線を合わせたまま、はっきりと言う。
「ちゃんと、此処で待っててくれたんだね。」
その瞬間、
俺の服を掴む指先に、ぐっと力がこもる。
『……樹音くんが、いてくれてよかった……』
震える声で、縋るように。
『守ってくれて、ありがとう……ごめんね……』
潤んだ瞳で、言葉を探しながら伝えてくる〇〇が、 どうしようもなく愛おしかった。
言葉を選ぶ暇もなく口を開く。
「……すきだよ。」
一拍置いて、続ける。
「出会ったときから、ずっと。
名前で呼ぶのに慣れないところも。
眠るとき、無意識に俺の服を掴んでくるところも。
ぜんぶすき。だから……」
自分に似合わない台詞だと分かってる。
それでも、全部本心だった。
「……おれと、付き合って。」
言い切ったあと、
胸に溜まっていたものが、静かに溢れ出た気がした。
少しの沈黙。
頬を赤くして、しばらくしてから〇〇が口を開く。
『……わたしも、すきです……。』
その一言を聞いた瞬間、
抱きしめる腕に、思わず力が入る。
言葉はもう、出てこなかった。
〇〇side
ドアが開く音がした瞬間、
びくっと肩が跳ねた。
――帰ってきた。
そう分かっただけなのに、
胸の奥に溜め込んでいたものが一気に押し上げてきて、
呼吸の仕方が分からなくなる。
「大丈夫、帰ったから。」
聞き慣れた声。
それだけで、張り詰めていた糸が切れそうになる。
抱きしめられる、と思った。
それで全部終わる、はずだったのに。
顔を上げた瞬間、
目に入ったのは、樹音くんの唇。
赤く滲んだ血。
一瞬、時間が止まったみたいに、頭が真っ白になる。
――どうして。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
『樹音くん……唇、切れてる……』
声が、自分でも驚くほど震えていた。
嫌な想像が、勝手に頭の中を埋め尽くす。
怒鳴られたんじゃないか、
殴られたんじゃないか、
わたしのせいで。
『ごめんね……』
止めようと思っても、言葉が溢れてくる。
『わたしがひとりで行かせちゃったから……
傷つけちゃった……』
全部、自分の責任だと思った。
守るって言ったのに、
一緒にいるって約束したのに。
「殴られたわけじゃないよ。」
その言葉に、少しだけ息が戻る。
「自分で噛みすぎただけ。」
――本当?
疑うより先に、
胸の奥に溜まっていた不安が、音を立てて崩れていく。
それでも、怖さは消えなくて。
『でも……』
そう言いかけた言葉を、
樹音くんの声が優しく遮った。
「〇〇が、俺との約束守ってくれてよかった。」
その一言が、
胸に、すとんと落ちた。
責められると思っていた。
怒られると思っていた。
なのに。
「ちゃんと、此処で待っててくれたんだね。」
――ああ、
怒ってるんじゃない。
ちゃんと、わたしを見てくれてる。
気づいたら、
無意識に樹音くんの服を掴んでいた。
離れたら、また全部壊れそうで。
『……樹音くんが、いてくれてよかった……』
声が震えるのを止められない。
『守ってくれて、ありがとう……
ごめんね……』
謝りたい気持ちと、
縋りたい気持ちが、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。
しばらくして、
樹音くんが静かに口を開く。
「……すきだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、
胸が強く打たれた。
――え?
「出会ったときから、ずっと。」
冗談だと思いたかった。
でも、声があまりにも真剣で、
逃げ場がなかった。
名前で呼ぶのに慣れないところ。
寝るとき、服を掴んでしまうところ。
そんなことまで、
全部見られていたなんて。
「ぜんぶすき。だから……」
心臓が、うるさくて。
「……おれと、付き合って。」
頭が真っ白になった。
嬉しい。
怖い。
失うのが、怖い。
でも。
樹音くんがいない未来を想像したら、
それだけで胸が苦しくなった。
少し間が空いて、
ようやく声を絞り出す。
『……わたしも、すきです……』
言葉にした瞬間、
もう後戻りできないって分かった。
強く抱きしめられて、
胸に顔を埋める。
――ああ、
この人のそばにいたい。
それだけは、
もう迷わなかった。