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青森県のどこかの山中に、地図には存在しない村がある。…そんな話は、実は界隈では有名なのだという。
かつて、テレビ番組の特集で取り上げられたこともあったらしい。
しかし、決定的な証拠は得られず、やがて番組は打ち切られ、噂だけが独り歩きした。
人々は興味を失い、記憶は少しずつ風化していく。
杉沢村。
名前だけが、まるで呪いのように残された。
俺たちは今、その杉沢村を調査するため、山へと足を踏み入れている。
問題はひとつ。
杉沢村の正確な場所は、誰も知らないということだ。
だから俺たちは、わずかな手がかりを頼りに、N山へと辿り着いた。
近年、行方不明になった人物たち。その“最後に目撃された地点”を洗い出した結果、多くの人物がこの山の周囲で消息を絶っていることが判明したのだ。
偶然とは言い切れない一致。
だからこそ、ここに来た。
しかし、山はあまりにも広大だった。
鬱蒼と生い茂る木々。
どこまでも続く獣道。
似たような景色が延々と繰り返され、方向感覚すら曖昧になる。
見つかるはずがない。
普通に探したところで、すぐに辿り着けるような場所ではない。
ましてや、相手は怪異だ。
存在そのものを隠すことに長けているのは、少し考えれば分かる。
「……どこだよ、杉沢村は」
誰ともなく漏れたその言葉は、湿った空気に吸い込まれて消えた。
事務所を出発してから、ここに至るまで、 すでに十三時間が経過している。
休憩は挟んでいるとはいえ、疲労は確実に蓄積していた。
全員の表情が険しく、無言の時間が増えている。
そして 氷見は、見るからに機嫌が悪かった。
表情は普段と変わらないはずなのに、
その周囲に漂う空気が、明らかに重い。
(……ヤバいな)
禍々しい、と形容したくなるほどの圧。
今、うっかり余計なことを言えば、何かが引き金になりそうな気配すらある。
山の静寂の中で、 不意に、風が木々を揺らした。
その音が、やけに大きく聞こえた。
けれど、立ち止まっている猶予はなかった。
今この瞬間にも、誰かが、何も知らぬまま、 杉沢村へ足を踏み入れているかもしれない。被害の連鎖を、これ以上広げるわけにはいかなかった。
もちろん、犠牲者を減らしたいという思いはある。
だが、それだけではない。
怪異は、人を襲った数だけ強くなる。
恐れられ、語られ、噂として増殖するほど、その存在は輪郭を得ていく。
杉沢村は、すでに限界を越えている。
振り幅の大小など問題ではない。あそこに巣食う“何か”は、群を抜いて肥大化しているのは確かだった。
そして、 被害が増えれば増えるほど、あれは、村の外へ出てくる。
だか、疲労を無視し、さらに北へと進む。
足取りは重く、呼吸のたびに肺がひりついたが、立ち止まる選択肢はなかった。
しばらく進んだ頃だろうか。
獣道の奥に、何かが横たわっているのが目に入った。
生き物の死体だ。
自然の中では、決して珍しい光景ではない――はずだった。
「……たぬきか?」
後ろから、神薙の声がする。
「多分ね……」
霜月の答えは歯切れが悪い。
子供たちには、できれば見せたくない光景だ。だが、この獣道を外れれば、険しい斜面。それを越える術はない。
俺は隣を歩く蒼斗に声をかけた。
「……通れるか?」
「あれ、ただの死体じゃない」
蒼斗は立ち止まらず、俺を振り返ることもなく、そう言った。
ただの死体じゃない、とは一体。
その言葉の意味を問い返そうとしたその瞬間。
「……首がねぇな」
先頭を歩いていた廻谷が、独り言のように呟いた。
そして、間を置かずに続ける。
「一匹や二匹の話じゃねぇぞ、これは」
視線を獣道の脇へ向けた瞬間、理解した。
藪の中。崖の下。倒木の影。
転がっている。
首のない生き物たちが。
狐。 イノシシ。 熊。
種類も大きさもばらばらな死体が、共通点だけを残して無造作に散らばっていた。
それらは皆、一様に首を失っている。
血の気が引くのを感じた。
捕食でも事故でも説明がつかない。
まるで、必要な部分だけを丁寧に切り取られたかのようだ。
風が吹き抜け、藪がざわりと揺れる。
その音が、首のない死体たちの視線がこちらを追ってくる錯覚を生んだ。
異様。
その一言以外に、この光景を表す言葉はなかった。
「村は、おそらく目と鼻の先だろうな」
低く抑えた声で、氷見が口を開いた。
「俺が言ったことを覚えているか?」
そう言われ、記憶を辿る。
だが、頭の中には霧がかかったように、はっきりと思い出せるものがない。
「……何か、言ってたか?」
氷見は小さく舌打ちし、視線を前方から逸らさずに続けた。
「鳥居の前にあるという髑髏石だ。覚えてるだろ」
一瞬、背筋が粟立つ。
「……あれは、十中八九本物の髑髏だ」
「でも、それは……人間のものだろ?」
俺の言葉に、氷見は短く頷いた。
「ああ。だがな」
そこで、ほんのわずかな沈黙が落ちる。
「村の周囲に、“生き物の首だけ”を欲しがる存在がいるとしたら?」
言葉の意味が、ゆっくりと脳裏に染み込んでくる。
獣たちの首。
人の髑髏。
点と点が、不吉な線で繋がっていく。
――もし、そうだとしたら。
「この先は」
氷見は、獣道の闇を指差した。
「杉沢村へと続く道だ」
風が止み、山が息を潜めたように静まり返る。
まるで、“正解に辿り着いた”ことを、何かが待っていたかのように。
死骸を見つけて10分。
辺りは濃い霧で覆われていた。前方約1mさえ覚束無いほどの霧。
白い壁の中を手探りで進んでいるような、そんな感覚。足場は不安定で一 歩足を滑らせれば最後、落ちる。物理的な恐怖。
だがやはり、精神的な恐怖には勝てない。
先程から感じる見えない気配は、俺たちの精神をすり減らしていく。
一方歩けば、向こうも一方。グシャッと枯葉が踏みつけられる音が鮮明に聞こえる。
「…なにかが…」
俺の呟きは氷見の睨みによって制された。
その瞳は、「何も言うな」と語っている。
それっきり、俺は口を閉ざした。
が、…絶対にバレてはいるだろう。向こうはこちら側の行動を真似している。果たしてこの沈黙に意味はあるのだろうか。
俺は顔を伏せ、地面を見つめながら歩いた。
しかし、それも長くは続かなかった。
背後で誰かが俺のすぐ後ろに立つ気配を感じる。勘違いなどではない。
「…ぁ…あ…」
喉が勝手に震えた。
その瞬間、耳のすぐ隣で息遣いが聞こえた。
温度を感じない、乾いた呼吸。
そして、首になにか冷たい物が当たる感触がした。
…いや、当たった訳では無い。当てられたのだ。
今まさに、首になにかが当てられている。
そして気づいてしまった。俺は今、首を刈られようとしているのだ、と。
それを知覚した途端に、足は縫い付けられたように動かなくなった。
本能が逃げろと警告を鳴らしている。けれど、恐怖が体を縛り付けた。指先が冷たい。
どく、どくと心臓の音だけが俺の耳に入ってくる。
三途の川は、もう俺のすぐ側まで迫っていた。