テラーノベル
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第一話「名前のない記憶」
雨の匂いが、まだ部屋に残っていた。
遠くで、誰かの声が聞こえる。
『──逃げて』
赤い光。
崩れる音。
伸ばされた手。
誰かが自分を強く抱き寄せる。
『生きて……』
その瞬間、世界が白く弾けた。
「──っ!」
少年は息を荒くしながら目を覚ました。
薄暗い部屋。
見慣れた天井。
カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
夢。
そう思った瞬間、頭の奥が鈍く痛んだ。
「……っ」
額を押さえながら身体を起こす。
濡れた服が冷たい。
昨日、何があったんだっけ。
思い出そうとしても、靄がかかったみたいに輪郭がぼやける。
その時。
部屋の隅に、小さな影が座っていることに気づいた。
青と白の毛並み。
黄色い瞳。
額に赤い結晶を持つ、小さなメモリアル。
長い尾が、ゆっくり揺れていた。
「……」
少年はしばらく無言でそれを見つめる。
メモリアル自体は珍しくない。
街にも学校にも普通にいる存在だ。
けれど、こいつは妙に静かだった。
吸い込まれそうな青い目が、ずっとこちらを見ている。
まるで、目を覚ますのを待っていたみたいに。
少年は掠れた声を落とした。
「……お前、メモリアルか?」
メモリアルは答えない。
ただ、少しだけ安心したように目を細めた。
その反応に、なぜか胸がざわつく。
初めて見るはずなのに。
妙に落ち着く。
理由は分からなかった。
少年は視線を逸らし、ふらつきながら立ち上がる。
台所へ向かい、冷蔵庫を開けた。
中には食材が綺麗に並んでいる。
卵。
野菜。
ラップのかかった作り置き。
少年は特に気にした様子もなく卵を取り出した。
フライパンを火にかける。
慣れた手つきで卵を割り、ぼんやりと焼ける音を眺める。
後ろから、メモリアルが静かについてきていた。
気づけばすぐ後ろにいる。
「……なんで普通についてきてんだよ」
メモリアルは答えない。
代わりに、じっとフライパンを見つめていた。
数秒後。
小さく口が開く。
「……たべる」
当然みたいな声だった。
少年は思わず眉をひそめる。
「は?」
「……たべる」
図々しい。
初対面のくせに。
なのに、不思議と追い出す気にはならなかった。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥が、妙にざわつく。
温かい湯気。
誰かと向かい合って座っていた感覚。
けれど、それ以上は思い出せない。
「……なんだよ、それ」
少年は小さく眉をひそめる。
メモリアルは答えない。
ただ当然みたいに、そこに座っていた。
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