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間を置いて、声を発したのはヒットだったが、その声音は必死に搾り出した空元気にも聞こえた。
「ま、まあ、だけどさ、俺たちだって色んな小さい命を食べて生きてるって意味じゃ同じなわけだろ? お互い様って訳には、やっぱり簡単には言えないけどさ、先生がいつも言ってる食事に感謝しなさい、って事なんじゃないか? 確かに恐ろしい事で、凄く注意しなきゃならない事だけど、過度に怖がる程の事でもないよな? なあ、皆?」
謂わば、生存本能の警鐘である恐怖を抑制し、尚且つ、彼我(ひが)の運命に達観した言動は、ともすれば勇敢な真理にも聞こえるが、ヒットの震える声と青ざめた顔色を見ると、ナッキもオーリも釣りに対する戦慄を消す事が出来ずに居たのも当然だろう。
しかし、集まった他の若鮒達の間からは、意外にもヒットの言に同調、追随する意見が多く、徐々にその声は増えて行ったのだった。
それらの多くは、たった今知った恐ろしい現実から目を逸らしたいが為の逃避だったのだろう。
その証しに、肯定する面々は揃って笑顔を浮かべ、不必要な程の盛り上がりを見せていた。
だが次の瞬間彼らは沈黙を取り戻す事になった。
「……食べないのだ」
重く沈み込む様に、然(しか)しはっきりと教師役の鮒は言い、更に言葉を続けた。
「その生き物は、多くの場合…… 釣り上げた我々を食べる事は無い! 我々が命懸けで抵抗し、死に物狂いにそれこそ必死に生き延びようともがく態(さま)を…… その態を…… 楽しむ為だけに釣りを行うのだ、只、苦しむ態を見て楽しむ為に……」
先程まで半ば茶化していた若鮒達も、最早一言も発せずに、只、息を潜めて教師役の鮒の顔を無表情に見つめたまま固まっているだけだった。
重苦しい雰囲気の中、只一人口を開いたのはオーリだった。
「う、嘘、そんな…… 残酷な事って……」
オーリの言葉に教師役の鮒は三度頷いた後、彼女に向き直って言った。
「そうだな、そう思うのも無理は無い…… 我々自身が不必要に命を軽んじる事が無いのだから、他の生き物のその様な行為を信じられないと感じるのだろう…… だが、これは本当の事なのだっ! 私自身、今日までの生涯の中で、身近な仲間が釣り上げられ蹂躙されてしまった様子を直接この目にしている、四回だ…… 犠牲になってしまった四匹が川面から引き上げられた後、釣りをやっていた生き者達は決まって嘲(あざけ)る様な笑いを伴った、歪(いびつ)な嬌声(きょうせい)を上げながら歓喜に酔い、一頻(ひとしき)り捕まった仲間達を眺め回した上で、満足した様に彼らを川に投げ戻したのだ…… 戻された三匹とも口や鰓(えら)に深手を負っていた…… 内二匹は、日を待たず餓死に至り、残る一匹は傷口から何かの感染症を煩いこちらも数日後には力無く下流へと流され、二度とその姿を見る事は無かった……」
そこで一旦言葉を切った教師役の鮒は、大きく水を吸い込むと一層凛とした表情を浮かべた後、再び話し始めた。
「四回の釣りの犠牲者の内三匹は、その様な悲惨な最期を遂げた…… 残る一匹は…… 川に戻される事は無かったのだ! その鮒は…… 有ろう事か川岸の土の上に打ち捨てられたのだ! 私は川面からその最期の姿を見ている事しか出来なかった、あの時ほど己の無力を呪った事は無かったよ…… 苦しそうに口を開閉しながらも、尾を打ち付け、体を捻り、背鰭も胸鰭も動かせうる全てを使って、直ぐ脇に見えている川へと戻るため精一杯の努力を続けていた、グスッ! だが…… その内に瞳は命の光を失い、銀色に輝いていた美しい鱗ごと体は日光によって乾き…… やがて、ただの肉塊と化していった…… 彼女は私の妻だった……」
静まり返った若鮒達の中から、啜り泣く声が聞こえ始めたが、その声は次第に伝播して行き、やがて全員が揃って泣きはじめた。
ナッキもとても悲しい気持ちになり、声を上げて泣いてしまっていた。
悲しみ、口惜しさ、怒り、恐怖、あらゆる気持ちを皆が嘆いていた。
教師役の鮒も顔を上に向け涙を堪(こら)えていた様だが、若鮒達の嗚咽が収まり始めると、笑顔を見せながら彼らに改めて声を掛けたが、大分無理をしていたのだろう、その目にはまだ光るものが見られた。
「これで良く分かってくれたと思う! ミミズは美味しいが釣りで使われる餌だ、慎重に慎重を重ねて向き合って行く必要がある! 万が一見つけた時には、自分達で判断せず、年長の鮒に報告するようにしてくれ! まあ、ミミズなんて食べなくても生きていけるっ! 一番安全なのは避けて生きていく事なんだろうが…… とにかくっ! 皆十分に注意をしなきゃならないぞ? さあ、今日は随分長引いてしまった、授業はここまでとする! 皆気を付けて帰るように!」
若鮒達は一斉に帰り支度を始め、教師役の鮒も引き上げようとしていたが、みな一様に黙り込んで|暗澹《あんたん》たる表情をしていた。
ナッキはどうしても確認したい事があったので、教師役の鮒に近付いていくと弱々しい声で質問をした。
「先生、あの、どうしても気になるのです! 教えてください! その非道い、残酷な生き物は何と言う生き物なのでしょうか?」
ナッキの言葉に帰り掛けていた若鮒達は皆動きを止め、教師役の鮒の方を振り向いた。
「そうか、そうだな気になるだろうな、皆も覚えて置きなさい、その生き物は、『ニンゲン』と言う! 巨大な体を二本の足で支えて歩く、残忍で狡賢(ずるがしこ)い獣、それが『ニンゲン』だっ!」
若鮒達は一斉に揃った声を返した。
『ニンゲン……』