りょさん視点。長くてもいいって言ってくれたから約6,000字あります。
あのアイドルの子と連絡先を交換したその日から今日までの一週間、毎日質問が送られてくるようになった。売り出し中のアイドルってそんな暇なの? って言いたくなるくらいの量で、あまりにも通知がうるさいから流石にミュートにしちゃうほどだ。
お金も権力もあると自分が頑張らなくてもどうにかなるのかな。今音を作っている曲だって結局は彼女の父親からの圧力で制作に至ったわけだし。
……元貴はどんな気持ちであの曲を作ったんだろう。
明るいメロディラインには僕たちMrs.らしさを感じさせながらも、あの子が歌ったら可愛く見えるだろうな、という親しみやすいポップス。わざと幼さを残した物言いで素直に今の自分を語りながら、大人の女性に対する憧れと不安を紡いだ歌詞。若井のギターも僕のキーボードも、少女の背中を押して、見守るような立ち位置に配置されていた。
元貴が生み出した楽曲はどれも愛しているけれど、この曲だけは愛せそうになくて少しだけ困ってしまう。プロのアーティストなんだから私情を挟むべきじゃないってわかっているのに、あの子のために元貴が書いたんだって思うとどうしようもなく嫉妬してしまう。
嫉妬する権利を、自ら手放したというのに。
何度もループする思考に沈まないように、軽く頭を振って気分を切り替える。切り替える、といっても結局、あの子と元貴のことを考えるだけなんだけど。
好きな人のことはなんでも知りたいじゃないですか、という言葉通りに本当にいろいろなことを訊かれた。
気持ちはわからなくはないし、恋する女の子のいじらしい行動だと思う人もいるだろう。僕だって、元貴がその相手じゃなければいくらだって応援してあげたくなる。かなうといいね、頑張れ、君は可愛いよ、って。
そもそも、元貴との付き合いが長いからってなんでも知っているわけじゃない。
元貴のイタリアン好きは有名な話だから簡単だったけど、好きなメイクなんてわからないし、好きな仕種なんて知らない。好きな色なんて、そのときそのときでコロコロ変わるからあてにならない。
付き合っていたんだから詳しいだろうって言われたって、実際は知らないことの方がはるかに多かった。日々を一緒に過ごす中でお互いに気づいていったものばかりで、信頼や愛情は、築いていったものだ。
だから素直に分からないと伝えても教えろとしつこくて、仕方なしに今までに元貴が褒めてくれた自分を思い返しながらなんとか回答をしていた。
似合うね、可愛い、って笑ってくれた元貴との思い出を汚されたようで胸が痛かったけれど、仕方がないと諦めるしかなかった。
元貴がしあわせならそれだけでじゅうぶんだ。
僕が付けてしまった傷を彼女が癒してくれるならそれでもいい。
元貴がやりたいことをやって笑っていられるならそれが一番いい。
せめて音楽という形だけでいいから、僕を元貴の世界に置いてくれたらうれしい。
「デート……かぁ……」
そう言い聞かせて切り売りした愛おしい記憶はちゃんと功を奏したらしく、今朝一番に『今日、大森さんから誘われてデートするんです』ってメッセージが届いた。
元貴は単独のお仕事で朝から見ていない。何時からデートなのかも分からないけれど、もしかしたら既に二人は一緒にいるのかもしれない。
元貴の将来は、これでちゃんと守られるのかな。
Mrs.としての活動や元貴の歩く道を阻む弊害は、ちゃんとなくなったのかな。
僕は彼を守ることができたんだろうか。
それとなく事務所のスタッフに確認したくても、ここ数日間なんだかみんなが慌ただしく動いていて、なんとなく訊けるような雰囲気ではない。鬼気迫るというか、レコーディングで追い込まれているのに、元貴が「やっぱこれなし!」って言ったときと似た、修羅場のような空気感を漂わせていた。
「ごめん涼ちゃん、今日ご飯行けなくなっちゃった」
今日も訊けそうにないなぁとぼんやりしていると、スタジオを出る準備を終えた若井が触っていたスマホから目を離して眉を下げた。
元貴と合流してからというもの、僕を心配した若井と毎晩食事を共にしていた。大丈夫だよと言っても、俺が安心するためだから、と言ってくれた若井に甘えすぎていたことを悟る。
若井にも予定があって当たり前なのに、悪いことしちゃったな。
「ずっと付き合わせちゃってごめんね」
「俺がしたいだけだって言ったじゃん。次謝ったら怒るよ」
むっとする若井につい謝りそうになって、慌てて口をつぐむ。
「えっと、じゃぁ、ありがと」
若井のやさしさには本当に救われた。同居しているときからたくさん救われてきたけれど、この数日間は若井のおかげで人間らしい生活を送れたと思う。
「……やっぱり涼ちゃんは笑ってる方が可愛いよ」
噛み締めるように男前に笑った若井に不覚にもときめく。
頬が熱くなるのを感じながら、好きになっちゃいそうって冗談めかして言うと、若井は声を立てて笑った。
直後に困ったように苦笑する。
「嬉しいけど、俺まだ死にたくないんだよね」
「なにそれ?」
僕に好かれると若井は死んじゃうの? なんで?
意味がわからなくて首を傾げる僕に若井はやさしく微笑んだ。やさしさの中に安堵が滲んでいて、ますます分からなかった。
「まぁ……うーん、……全部大丈夫だよってことかな」
「ますます分からないんだけど……」
「いいからいいから。ほら、帰ろ」
どうやら教えてはくれないようなので、促されるまま廊下で待機していたマネさんの車で家まで送ってもらった。
家の近くで下ろしてもらい、何か食べなきゃだめだよ、食べたものLINEして、と若井に言われたからコンビニに寄る。過保護だなぁと思いつつ、そうさせてるのは僕だもんね、と店内を見回す。
美味しそうなものがたくさん売っているけれど、やっぱり一人だと何も食べる気が起きなかった。
それでも若井を心配させるわけにはいかないから、お弁当コーナーで卵雑炊を買ってコンビニを出た。
仕事帰りのサラリーマンや、飲み会帰りの大学生とすれ違いながら一人の道を歩く。
最近は若井と夕飯を食べたあと車で家まで送ってもらっていたから、こんなふうに一人で歩くのは久しぶりだった。
元貴と二人で、何度も歩いた道だ。
並んで歩いて人が少なかったら手を繋いで、人がいなかったらキスなんかして。
くだらないことで笑い合って、些細なことで言い合いして、未来への不安や期待を語り合って。
全部僕らが歩いてきた軌跡で、奇跡のような日々だ。
ぽと、と手に水滴が垂れて、雨だっけ、と立ち止まって空を見上げる。
空には綺麗なお月様が見えて、雨なんて降っていなくて、ああ、泣いてるのか、と自覚する。
自覚すると次から次へと涙が溢れてきて、唇を噛んで俯く。
元貴がしあわせならそれでじゅうぶんだなんて嘘だ。
僕がつけた傷をあの子が癒すなんて本当は嫌だ。
元貴がやりたいことをやって笑っている隣に居たい。
元貴と一緒に生きていきたかった。日々を積み重ねて人生を一緒に創っていきたかった。
誰よりも近くで、しあわせにしたかった。
「……ッ」
ごし、と目を擦って小走りで家路を急ぐ。
人にぶつからないように気をつけながら走り出して、一人きりのエレベーターで息が苦しくなって嗚咽して、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら家の鍵を差し込んだ。
「え……」
その瞬間、驚きで涙が引っ込んでいった。驚きはすぐに恐怖に変わり、鍵を持っていた手を離す。
鍵が開いてる――どうして?
オートロックのある部屋に住め、ってマネさんから言われたことがあるけど、鍵を家に忘れて出かけそうだと元貴に指摘されてやめになった。
一応芸能人なんだから施錠確認だけはちゃんとして、と念を押されたから、閉まっていることを確認してから出かけることを心がけているつもりだった。
警察……? いや、もしかしたら僕の勘違いかもしれない。朝閉め忘れていた可能性だって捨てきれない。施錠を確認したのが、もしかしたら昨日の記憶かもしれない。
ごく、と空気と一緒に口の中に溜まった唾液を飲み込んで、鍵を引き抜く。ドアハンドルに手を掛けると、やはり施錠はされていなくて、小さな音と共にドアが開いた。
泥棒に入られたんだろうか。部屋を確認しないとわからないけれど、真っ先に浮かんだのはそれだった。
ゆっくりと部屋に入り、音を立てないようにドアを閉める。何かあったら逃げられるように鍵は閉めない。
リビングと廊下を分ける扉の細長いガラスから光が漏れている。電気だって消したはずなのに、なんでついてるの?
息を殺して耳を立てるが、特に物音はしない。でも、誰かがいる、そんな人の気配だけはしていた。
「……」
もう、嫌になるなぁ……。
いろいろ我慢して元貴を傷付けてまで別れて、若井に心配かけて、元貴に恋をする女の子に手を貸して、それで、これ?
恐怖より疲労が襲ってきて、開き直ったかのようにどうでも良くなった。
仮に泥棒だとしたら、騒がず抵抗しなければ見逃してくれるんじゃないかな、と考え始める。高価なのはキーボードとかブランド物のバッグとかだけど、命よりは安いだろう。
諦観なのか楽観なのか、脳が考えるのをやめた。
念のためにスマホで警察にすぐにかけられるようにだけ準備して靴を脱ぐ。
ゆっくりと足を進め、深呼吸をひとつしてから意を決してリビングのドアを開けた。
「おかえり、涼ちゃん。遅かったね」
リビングの大部分を占める大きなソファに、悠然と微笑んだ元貴が座っていた。
「……え……は……?」
たっぷり数秒間は固まって、なんなら心臓も止まっていたような気さえして、やっと絞り出せた言葉は、なんの意味も持たないただの音だった。
僕の様子に、ドッキリ成功とでも言いたげに目を細めた元貴はゆっくりと立ち上がると、立ち尽くす僕の手から滑り落ちそうなスマホを取り、表示される画面を確認して顔をしかめた。
「判断としては正解だけどさぁ……、それなら玄関の時点で通報しなよ」
危ないなぁと呆れたように言って、スマホのキャンセルボタンをタップして、僕に視線を向けた。
久しぶりにちゃんと元貴の顔を見た気がする。
この前みたいに不機嫌じゃなくて、よそよそしい感じもなくて、穏やかで、やわらかくて、付き合っていたときによく見せてくれた素の元貴の表情だった。
僕を見つめるあまい目に心臓がさっきまでとは違う意味で跳ねた。
なんでそんな目で僕を見るの?
なんだか落ち着かないし、心臓のあたりがソワソワする。
頭の中はまだ混乱していたけれど、どうやって入ったの? と問い掛けた。事務所にひとつ鍵を預けてあるけれど、いかなる理由があってもメンバーは持ち出すことができない。いざというときに事務所に保管されていない方が問題だからだ。鍵の保管場所も僕らは知らないくらいだ。
ある程度セキュリティがしっかりしているマンションに住んでいるから、いくらメンバーと言えど管理人さんが開けてくれるとも思えない。仮に開けるとしても、僕に連絡の一本くらいあるだろう。
「だって俺、合鍵持ってるもん」
さらっと告げられた答えに絶句する僕に、ほら、と元貴が掲げて見せたのはお揃いのキーホルダーがついた僕の家の鍵。
「あ……」
元貴の家の合鍵はお別れしたときに返したけれど、そういえば元貴からは返してもらっていなかった。
開けてみればひどく単純なできごとに安心して、強張っていた身体から力が抜け、へろへろとしゃがみ込む。なんだよそれぇ……。
ただ、どうやって元貴がここに入ったのかは分かったけれど、どうして元貴がここにいるのかの答えにはなっていない。いくら合鍵を持っているからって勝手に入るのはどうなのとも思うが、急にやってきたということは、それだけの何かがあったのだろうことくらいは予想がついた。
「鍵返すだけなら明日でもよかったのに」
用件があるのだと分かっているのに、自分から切り出す勇気がなくて元貴から目を逸らしたままに立ち上がる。元貴が片眉を上げるのが目端に映り、逃げるように買ってきた卵雑炊を温めるために電子レンジへと向かった。
そんな僕をじっと見る視線を感じるけど、振り返ることができない。幾分か落ち着いた頭が鍵が開いていたときとは違う恐怖を教えてくる。
沈黙が落ちた空間に、元貴の不満そうな溜息が響いた。
「話したいことがあってさ」
「……そう」
続けられた静かな声に、スーッと心臓のあたりが冷たくなっていく。
あの子と付き合いますって報告? それともMrs.の今後について?
どっちにしたって喜ばないといけない。彼女ができたお祝いもしないといけない。
本当の意味で、僕らの関係が変わるだけだ。
「……今日、デートだったんでしょ?」
「え?」
「楽曲提供した子と。隠さなくたっていいよ」
ぺりぺりと卵雑炊のビニールを剥がしながら、明るい声を作って言う。
「可愛い子だもんね、元貴と並んでるとすごく……」
お似合いだよね、と続けたかったのに言えなかった。
言えるはずがなかった。
「あ、あんまりわがまま言って困らせちゃダメだよ? 気分屋なのも飽き性なのもちょっとは我慢しないと」
「ねぇ」
それでも何か言わなくてはとどうにか言葉を吐き出していると、低い呼び掛けと同時にぐいっと身体を引っ張られた。
こわい顔をした元貴に、息を呑む。掴まれた腕が痛い。
「なんで知ってるの」
「あ……」
――しまった。彼女と連絡先を交換したことは、元貴はもちろん、若井にもマネさんたちにも言っていないのに。
「それに」
どうしようと焦る僕に、ふっと力を抜いてこわい顔を止めた元貴の手が、僕の頬にそっと伸ばされた。
「泣くほど嫌なんでしょ?」
「え……?」
視界が滲むな、とは思っていたけど、またもや気づかないうちに泣いていたらしい。
「言ってよ」
「……な、にを」
「俺と一緒にいたいって」
ふわっと笑った元貴の目から、静かに涙がこぼれ落ちた。
「俺のためだって言うなら、俺を諦めないでよ。俺の将来を思うなら、俺の傍にいてよ」
僕の頬に触れる元貴の指先が、かすかに震えている。
「言えよ、俺が好きだって。俺と生きていきたいって。俺は、涼ちゃんのいない未来なんて要らない」
ぶわっと感情が押し寄せてきて、たまらず元貴に抱きついた。
もう、何も考えたくなかった。
僕の背に腕を回した元貴が、やっとつかまえた、と安心したように呟いた。
続。
合鍵、返してなかったもんねぇ。
次は答え合わせです。やっと終わりが見えてきた。
コメント
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今日はやっと💛ちゃんが報われて、またまた涙涙涙でした😭 こんなに鬼ごっこで捕まって良かったと思ったことないです!笑 そして、♥️くんの、言えよ、俺のこと好きって、、、めちゃくちゃ刺さりました〜💕🤭 長いお話、大好物です🤤いつも、ありがとうございます✨
続き、ありがとうございます😆 つい口に出してしまう藤澤さん、天然すぎる...。 大森さんも有難いですね、捕まえてくれてありがとうございます!! 次のお話も楽しみにしてます!マジで面白くてハラハラして毎回楽しく読ませてもらってます😆
健気な💛ちゃん、やっぱりかっこいい❤️さん… 甘々に甘やかしているところも見たいし、答え合わせも知りたい。けど終わってほしくない😭 と言うぐらいにこのお話にのめり込んでます✨