テラーノベル
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「おはよう。」
「おはよ〜。」
「おはよー!」
「若井、朝からテンション高いな。」
「だって、今日はプールリベンジの日だからね!」
「楽しみだねぇ。」
そう、なんと今日はバイト終わりにプールで遊ぶ計画を立てている。
この前行けなかった分、リベンジで遊び尽くそうとぼく達はめちゃくちゃ気合いが入っていた。
「でも、ウォータースライダーはやらないから!」
「まだ、それ言ってるの?行くから。」
「そうだよ!プールといったらウォータースライダーじゃないっ。」
「ぜっっったいやらないっ!!!」
こんな調子で、朝からわいわいと騒がしいぼく達は、今日も涼ちゃんが作ってくれた朝ご飯を食べながら、バイトの支度を進めていく。
ちなみに、今日はスクランブルエッグじゃなくて、裏が焦げた目玉焼き。
焦げ目を見て『これも味だよね〜』と笑った涼ちゃんの横顔が、なぜか少しだけ誇らしげだった。
・・・
今日もきっと何事もなく平和に終わる…
そんな風に思っていたお昼休憩の少し前の事だった。
目の前の流れるプールで明らかに周りとは違う動きをしている人が居た。
流れに乗らず、沈むようにして、もがいている。
ぼくは、首にかけていたホイッスルを強く吹き鳴らしながら、監視台を飛び降りた。
足元の水飛沫も気にせず、全速力でプールサイドを駆け、お客さんに退くように促すと、 迷うことなく水に飛び込む。
その瞬間、全身が冷たい水に包まれ、周囲の音が一気に消えた。
そして、監視台の上から確認した場所を目指して、迷いなく一直線に泳ぐ。
もがく水音が近づくにつれ、ぼくはその子が中学生くらいの女の子だと気づいた。
どうやら、急に足がつってしまったらしく、必死に水面でもがいている。
顔は恐怖に引きつり、完全にパニックになっていた。
「大丈夫、落ち着いて。 プールから出ようね。」
出来るだけ穏やかに声を掛けながら、そっと背中と足に腕を回す。
女の子の体は驚くほど軽く、ぼくはそのまま水の中で女の子を抱き抱えて、ゆっくりとプールサイドへ向かった。
安全な場所まで運び上げ、両手でしっかりと支えながら、そっと水から引き上げる。
「足はまだつってる?」
プールの縁に腰掛けて、涙目で小さく震える女の子に、ぼくは出来るだけやわらかい声で話しかけた。
女の子は首を横に振る。少し強張った動きだったけど、それでも意識ははっきりしていた。
「体調は?どっか痛いとか、気持ち悪いとかある?」
「だ…い、じょ…ぶです。」
女の子が震える声でそう答えると、ぼくは、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。今日は友達と一緒?」
「…はい。」
ぽつりと答えながら、女の子は少しだけ首を回し、視線でプールサイドの向こうを指し示した。
そちらを見やると、同じくらいの年頃の女の子たちが、不安げな顔でこちらを見守っている。
ぼくは笑顔を浮かべて軽く手を振り、そっと手招きした。
駆け寄ってきた子たちに軽く状況を説明しながら、女の子にもう一度体調の確認をする。
そして、最後に念の為、『何かあったらいつで声を掛けてね。』と伝え、ようやくその場を離れた。
溺れてる人を助けるという、人生初めての経験に、どっと疲れながら監視台に戻ると、若井が監視台の下に立っていて、こちらに手を振っているのが目に入った。
「お疲れ。元貴、めっちゃカッコよかったじゃんっ。」
若井のその言葉と笑顔に、緊張の糸がふっとほどけていくのを感じた。
それまで張り詰めていた神経が、ようやく呼吸を思い出したみたいに、体の隅々までゆるんでいく。
「はぁー…めちゃくちゃ怖かったあ…。」
ぽつりと漏れた弱音に、若井は何も言わず、ぼくの背中に手を回してくれた。
ポンポンと、優しく、安心をくれるように背中を撫でてくれるその手が、今のぼくには、思った以上にあたたかかった。
心地よくて、安心して、でも、どこか恥ずかしくて…
ぼくは、急に顔が熱くなっていくのを感じ、慌てて若井から一歩離れると、くるりと背を向けた。
「ここに居るって事は若井も休憩なんでしょ?ほら、早く行くよ…!」
プールサイドに設置されている時計を見ると、お昼休憩の時間は過ぎていた。
ぼくは若井に着いてくるように言うと、赤くなっているであろう頬を見られないように、自然を装って若井よりも先に歩き出した。
「ふっ。…はいはい。」
背後に若井の足音を聞きながら、落ち着かない鼓動をなんとか誤魔化しながら、ぼく達は一緒に、涼ちゃんが居るフードコーナーへと向かった。
「涼ちゃんお疲れーっ。」
「お疲れ〜、今日二人とも来るの遅かったねぇ。」
「元貴、さっき、溺れてた女の子助けてたんだよ。」
「そうなの?!元貴、すごいじゃんっ。」
「う、うん。でも、本当はめちゃくちゃ怖かったんだけどね。」
「そんなの誰だって怖いに決まってるよ〜。でも、ちゃんと助けれた元貴はすごいと思う!」
そう言って、涼ちゃんは優しくぼくの頭をポンポンと撫でてきて、ぼくは思わず照れ笑いをした。
「涼ちゃん!おれ、ラーメン!」
また顔が赤くなりそうになったその瞬間、若井の注文の声が響いて、涼ちゃんの手がふっと離れ、その おかげで、ぼくはなんとか平静を装うことが出来た。
(ナイス、若井…!)
思わず心の中で感謝しながら、気まずさを誤魔化したくて、つい、涼ちゃんとは逆の方を向いてしまった。
「元貴は何にする〜?」
すると、後ろから涼ちゃんに話し掛けられ、ぼくは思わず肩を竦めた。
「ぼ、ぼくもラーメン…!」
ぼくは適当に若井と同じものを頼み、そのまま流れるように財布を取り出して支払いを済ませる。
そして、それ以上何か言われる前にと、ぼくはサッと受け取った食券を握りしめ、飲食コーナーへと早足で歩いていった。
「僕もラーメンにしちゃった〜。」
涼ちゃんもお昼休憩に入り、先に席に着いてたぼくと若井の元に、三人分のラーメンを運んできた。
「…ねえ、若井のチャーシュー多くない?」
目の前に置かれたラーメンを見比べると、明らかに若井のラーメンだけチャーシューが多い事に気が付いた。
「おばちゃん、若井のファンらしいよぉ。」
「ふぁー。若井は、ここでもおばちゃんキラーなんだ。」
「へへっ、ラッキー!でも、おばちゃんばっかにモテてもなー。」
「そんな事ないよ?この前、ぼく達の同い年くらいの女の子達が、若井の事カッコイイって言ってたよ。あと、涼ちゃんも。」
初日以降も度々、二人が『カッコイイ』や『可愛い』と言われているのが聞こえてきていたので、ぼくはラーメンを啜りながら、それを二人に教えてあげた。
すると、涼ちゃんは『えぇ〜、照れちゃうっ。』と冗談ぽく笑っていて、若井に至っては、喜ぶかと思っていたのに、『へぇー。』とだけ言って、ラーメンを啜っていた。
これが、モテてきた人間の反応なのかと、思うと、少し憎たらしくなり、ぼくは黙って、若井のラーメンから多めに盛られたチャーシューを数枚強奪したやった。
「あぁ!おれのチャーシュー!」
「うるさい!非モテの気持ちなんか分からない若井への天罰だ!」
「なにそれ?!」
「ふふっ、そういう事じゃない気がするけど〜…って、わぁ!若井っ、ぼくのチャーシュー!」
「なんか余計な事、言おうとしてた気がしたから。」
「えぇ〜!ひど〜い!」
「余計な事って何?」
「元貴のチャーシューも取るよ?」
「やだっ!」
と、こんな感じで、朝と同じく、わいわいと騒がしいお昼休みは、あっという間に過ぎていった。
・・・
そして、いよいよ三人共バイトが終わり、涼ちゃんのところで集合し、いざ!プールへと繰り出そうと思ったその時だった。
「すみませんっ。」
後ろから声を掛けられ、振り返ると、そこには、お昼前に助けた女の子が立っていた。
「どうしたの?もしかして体調悪くなったとか?」
『何かあったらいつで声を掛けてね。』と伝えていたので、つい心配になりこちらからも声を掛けると、女の子はブンブンと首を横に振ってから、そっと近付いてきた。
そして、小さいメモ用紙に英語と数字が書かれていた紙を渡してきた。
「あの…お兄さん、どこ高ですか?それ…私のSNSのIDなんで、良かったら連絡下さいっ。さっきは、ありがとうございました!」
その女の子はそれだけ言って、小さくお辞儀をすると、後方で待ってた友達のところにキャーキャーと言いながら走って行ってしまった。
残されたぼくはポカンとしながらメモ用紙を持ってその場に立ちつくす。
「あの子、…元貴が助けた子だよね?」
「あっ、ふふっ…あの子がお昼に言ってた子だったんだ?…ふふふっ。」
若井と涼ちゃんが笑いを堪えた声でぼくに話し掛けてくる。
いや、涼ちゃんに関しては、完全に笑いが漏れ出ている。
「…ねぇ、ぼく、高校生に見える…?」
そう、今、問題なのは、女の子に話し掛けられた事ではない。
高校生に間違えられたと言う事実の方だ。
ぼくが、そう呟くと、二人共、もう我慢出来ないといった様子で、ケラケラと声を出して笑いだした。
その二人の様子に、ぼくがぷくっと頬を膨らますと、二人は尚も笑いながら、『ごめんごめん』と口を揃えて 謝ってきた。
…まったく反省してないのは、顔を見ればすぐに分かるけど。
「まぁ、確かに童顔ではあるけどっ…ふふっ。」
「サイズ感も可愛らしいしねぇ…ふふふっ。」
「ちょっとー!もう笑うなあー!てか、若井の童顔はまだしも、サイズ感が可愛いらしいってなんだよお!」
ぼくは、そう言って、お腹を抱えて笑う涼ちゃんの背中をポコポコと叩く。
「ごめんごめん〜。何となく、元貴って抱きしめやすいサイズ感というかさぁ。」
涼ちゃんがそう言って、まだ笑いを引きずるように肩を揺らしている。
“抱きしめやすい”。
その言葉に、胸の奥がドクンと脈打つ。
抱きしめられた訳ではないけど、一瞬、あの若井が居なかった日の夜の事を思い出してしまった。
「なっ、なんだよっ、それぇ…!」
ぼくは脈打つ音を誤魔化すように、更に涼ちゃんの背中をポコポコ叩いた。
「ほらほら、もう、じゃれてないで行こうよー。」
そんなぼく達のやり取りを見てた若井が、ぼくと涼ちゃんの間にスッと割って入り、涼ちゃんを叩いてたぼくの手をギュッと握ってきた。
「えー、彼氏取られちゃってるじゃーん!」
と、その時、最近よく会う“例の連中”…
声が聞こえた瞬間、“またかよ”と心の中で溜め息をついた。
ぼくの中では、勝手に“飛び込み男”と名付けていた、リーダー格のやつの声だった。
飛び込み男は、若井がぼくの手を握っているのを見て、わざとらしく囃し立てるような声を上げる。
「ってか、お前、あの時俺に文句言ってきたチビじゃん!この前会った時、どっかで見た事あるチビだなって思ったんだよなー。」
その言葉に、若井が少し顔をしかめながら、ぼくの方に身を寄せ、小声で尋ねてきた。
「何?もしかして、ここ以外でも会ったの?」
ぼくは『うん』と答えて、若井だけに聞こえるよう小声で、あの合宿中にあった一件を簡単に説明した。
「へぇー、それはご愁傷様だったね。」
若井は、あっけらかんとした声でそう言いながら、飛び込み男達に向かって、わざとらしく鼻で笑った。
その態度がカンに触ったのか、今度は連中の視線が完全にぼくたちに向く。
「ひそひそ話してんじゃねーよ!ホモ!」
飛び込み男がぼく達に向かってそう言い放つと、取り巻き達も、ワーワーと同じような言葉で騒ぎ出した。
もはや、聞き飽きた語彙力も品性もないその言葉の数々に、ぼくと若井は呆れ果てて、右から左に受け流していた。
けれど…
「…涼ちゃん?」
いつも、何を言われてもふんわりとした笑顔を浮かべていた涼ちゃんが、珍しく眉間に皺を寄せ、スッと一歩前に出た。
緊張が一気に高まり、場の空気が張り詰める。
どうしたんだろう…
そう思ったその瞬間、涼ちゃんが、いつもより低く、鋭い声で口を開いた。
「僕は何言われてもいいけど、大切な二人へのそれは許さないよ?」
涼ちゃんの声は静かで、それでいて鋭く刺さるようだった。
前に、『僕には元貴と若井が居るから平気だよ!』と言っていた。
だからもう、何を言われても気にしていないのだろう。
だからこそ、ぼくも最近では、涼ちゃんに倣ってあまり気にしないようにしていた。(……まあ、“チビ”は正直ちょっとイラッとしたけど)
でも、今回は違った。
それが、自分ではなく“ぼく達”に向けられた言葉だったから…
涼ちゃんは、それを許せなかったのだ。
いつもの柔らかい笑顔を完全に消し去り、涼ちゃんは飛び込み男に向かって静かに歩を進める。
そして、そのままポケットからスマホを取り出すと、画面を操作しながら、男の耳元で何かを囁いた。
唇が動いてるのが見えただけで、こちらには何も聞こえない。
取り巻きたちもキョトンとしていたが、ただ一人、飛び込み男だけが、涼ちゃんのスマホの画面とその一言を聞いた瞬間…
目に見えて顔色を変えていった。
みるみるうちに血の気が引いていくその様子を見て、ぼくは直ぐに察しがついた。
…きっと、これが涼ちゃんの言っていた“奥の手”なんだと。
涼ちゃんは、最後に飛び込み男の肩をポンッと叩くと、にこりと笑顔を浮かべ、ほんの少しだけ悪戯っぽい表情を見せてぼく達のもとへ戻ってきた。
「もう大丈夫!さっ、遊びに行こ〜!」
その顔はどこかスッキリしていて、まるで何事もなかったかのように明るかった。
でも、それが逆に怖い。
ぼく達は、あの短い時間に一体何が起きたのか、何を言ったのか…
まったく想像がつかなかった。
けれど、たった一つ、確実に言えることがある。
…涼ちゃんだけは、怒らせちゃいけない。
涼ちゃんの様子をずっと黙って見ていた若井が、コソッとぼくに耳打ちしてきた。
「涼ちゃんだけは、怒らせないようにしよ。」
どうやら若井も同じ事を考えていたようで、ぼくは激しく同意した。
・・・
「いーやーだー!ぜっっっっったいに嫌!!」
その後、流れるプール、波の出るプールをたっぷり楽しんだぼく達は、ついに今日のメインイベント、ウォータースライダーにやってきた。
何個かあるうちの、若井が担当しているシングルスライダーではなく(シングルだとぼく達が滑ってる間に若井が逃げる可能性があったので)、複数人で大きなボートに乗って滑り落ちていくタイプのウォータースライダーにぼく達はやってきた。
このウォータースライダーは施設内で一番大型のもので、グルグルと滑り降りた後、最後に穴が空いた所から一直線に下に落ちるという、高所恐怖症の若井にとっては、一番やりたくないであろうアトラクションだ。
案の定、若井は、アトラクションの乗り口へと続く階段の下で、『行きたくない』と子供のように駄々を捏ねていた。
「ほらー、色んな人に笑われてるから!早く行くよ!」
ぼく達の横を、クスクスと笑いながら通り過ぎて行く人達を見て、ぼくは若井の腕を掴んでぐいっと引っ張った。
「笑われたっていいし!てか、まずこの階段が怖いんだってば!おれの担当のとこもそうだけど、こんな下がスカスカで見える階段…!おれ、いつも命懸けで登ってるんだから! 」
確かに、階段は足を置く所が網目状になっていて、下が見える作りにはなっている。
この階段すらも怖いと騒ぎ、もう何回も登っているのに未だに慣れてない若井に、ぼくは少しだけ同情してしまった。
だが、しかし。
この状況を許さない人物が一人…
「若井。もう、諦めて。早く行くよ〜。」
そう言って、駄々を捏ね続ける若井を見て、涼ちゃんがにっこりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、さっきの“奥の手”の記憶が蘇ったのか、若井の顔が一気に引きつる。
涼ちゃんを怒らせてはいけないと、つい先ほど目の前で学んだ若井は、涙目になりながらもついに観念したようで…
1歩、また1歩と、恐る恐る階段を登り始めたのだった。
色んな人に追い越されながら、やっと乗り口まで辿り着いたぼく達。
道中、滑り落ちていく人達の悲鳴を聞いて、ぼくが思ったのは、『なぜエレベーターをつけてくれないのか』だった。
半分まで登った所で、普段の運動不足がたたり、足が止まりそうになった。
けれど、そんなぼくの背後から聞こえてきた、涼ちゃんの『後ろつっかえてるよ〜』の言葉にぼくはある意味鼓舞され、何とか最後まで登りきる事が出来た。
乗り口に辿り着いた時にはフラフラで、『アトラクションに乗れる!』という気持ちより、『やっと涼ちゃんからの圧から解放された…』という安堵の方が、正直、はるかに大きかった。
一方、若井は、相変わらず涙目でガクガクと怖がっていた。
だか、しかし、どうやらここは、普段登っているシングルライダーより遥かに高いらしく、登ってしまった以上、降りるしかない訳で…
この高さを、あのスケスケ階段で降りるのは精神が持たないと思ったのか、泣く泣く、ウォータースライダーで一気に滑り落ちる方を選んだようだった。
正しく、行きも地獄帰りも地獄と、いうやつである。
そして、ぼくに圧を掛け続けていた涼ちゃん(本人はそんなつもりはないと思うけど)は…
「え、元貴…僕…無理かも。」
と、意外と怖がっていて、ちょっとだけ、可愛いと思ってしまった。
しばらくして、いよいよぼく達の順番になり、 ぼく達三人と、後ろに並んでいた女子三人のペアで乗り込む事に。
出発前、係員の人に、『ボートに着いてる取っ手は、絶対に離さないで下さい。』と言われ、若井は誰よりも先に取っ手を掴み、一緒に乗り込んだ女の子達に笑われていた。
そして出発の時がきた。
最初は、ゆっくりとぐるぐる回りながら滑り落ちていくだけなので、怖い要素なんてないはずだった。
なのに、若井からは、『ひっ』とか『ふぁっ』とか、小さいけれど確かに恐怖の色を帯びた声が漏れて出ていて、ぼくは思わず笑いそうになってしまった。
最終コーナーに差し掛かった時、ついに、恐怖の限界に達したのか、今度は涼ちゃんが『絶対に離さないで下さい。』と説明されたはずの取っ手を片手だけ離した。
そして、空いた片手でぼくに、ギュッとしがみついてきた。
ぼくが、涼ちゃんのその行動に『えっ?!』と思ってからはあっという間で、まるで吸い込まれるように穴に向かっていくボート。
そして、真っ直ぐ大量の水と共に落ちていくぼく達。
一瞬、ちゃんと掴まってなかった涼ちゃんが、ふわっと浮いた気がして、ぼくはとっさに足で涼ちゃんを押さえた。
…気がつけば、ぼく達はプールの水面にボートでぷかぷかと浮かんでいた。
落ちる瞬間、一緒に乗った女の子達の悲鳴と、涼ちゃんの叫び声がまだ耳に残ってる気がしたけど、
それよりもぼくの頭を占めていたのは、滑り落ちる間ずっと、涼ちゃんがしがみついていたことだった。
落ちた後も、スタッフさんにボートを回収されるまで涼ちゃんはずっとぼくにしがみついたままだった。
涼ちゃんの体温と、距離の近さに、ぼくの心臓はうるさいくらいに早く動いていた。
それこそ、涼ちゃんにも聞こえてしまってるんじゃないかって思うほどに…。
その後、無事スタッフさんに回収され地上に降り立ったぼく達。
若井はというと、声が出ない程怖かったのか、落ちる瞬間からずっと放心状態で、目は虚ろ、口は半開き。
もはや魂の抜け殻だった。
『さすがにこの状態じゃ、モテないだろうな。』なんて思いながら、ニヤニヤしていたぼくだったが…
「ねぇねぇ、あの人めっちゃ怖がってて、ギャップ萌えすぎたんだけど!」
「分かる〜!めっちゃ可愛かった〜!」
「ねぇねぇ、話し掛けちゃおうよっ。」
…そんなぼくの予想をあっさり裏切って、一緒に乗ってた女の子達が若井に話し掛けに来た。
放心しててもイケメンはイケメンなのか…と、ぼくは思わず遠い目をしてしまった。
なんだろう、この…理不尽さ。
いや、ほんと、かなり理不尽。
「僕は、元貴推しだからねっ。」
遠い目で若井を見つめていたぼくの肩に、そっと涼ちゃんの手が置かれた。
その言葉と、ふわっと優しい笑顔に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「…涼ちゃん…!」
気がつけば、ぼくは思わず涼ちゃんに抱きついていた。
一瞬、『きゃあっ』や『尊い…!』と言う声が聞こえてきた気がしたけど…
気のせいだった…よね?
と、まぁ…色んな事があったけど。
今日のメインイベントを終えたぼく達は、いつまで経ってもこっちの世界に戻って来ない若井を連れて、夕焼けに染まる帰り道を歩きながら…
また一つ増えた夏の思い出を胸に、ゆっくりと帰路についた。
コメント
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キャー!!尊い!!