目が覚めた。けれど、そこに“朝”という
実感はなかった。
白い天井。
淡く光る蛍光灯。
窓の外は、夜明け前のように薄く明るい。
――ここ、どこだろ。
体を起こそうとする。
けれど、腕が動かない。
重い。冷たい。
視線を落とすと、
腕に刺さった点滴のチューブが静かに
揺れていた。
“あ、俺……生きてるのか”
そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと
痛んだ。
生きてるのに、ぜんぜん温かくない。
喉が渇く。
声を出したい。
でも、空気を吸い込むたびに痛くて、
「たすけて」の“た”すら、声にならない。
耳を澄ませても、何の音もしない。
機械の音も、人の足音も。
ただ、自分の呼吸のかすれた音だけが
病室の静けさに吸い込まれていった。
“いるま……”
呼ぼうとしても、
唇が震えただけだった。
温かい手も、優しい声も、どこにもない。
夢の中であれほど怖かった“いるま”すら、
今は――恋しく感じた。
なつはただ、
天井を見つめたまま、
涙が流れる感覚もなく、目を閉じた。
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「……なつ!!」
遠くで、誰かの声がした。
音がぼやけて、現実と夢の境目みたいに
震えている。
まぶたを動かすのにも力が要った。
重たいまつげのすき間から、
光の粒がこぼれてくる。
「なっちゃん!聞こえるか!?」
ああ――、聞き覚えのある声。
なつの視界がようやく焦点を結んだ時、
そこには泣きそうな顔で覗き込むらんと、
目の縁を赤くしたこさめがいた。
遠くですちとみこともいて
みことは泣いているように見えた。
「なつ……っ、目ぇ開けた……!」
「よかった……ほんとによかった……!」
らんは力いっぱいなつの手を握りしめた。
点滴の針が少し動いて、痛みが走る。
でも、そんなのどうでもよかった。
“触れてくれる”そのぬくもりが、
ただ懐かしかった。
「ごめ……ん」
やっとの思いで、なつはかすれ声を出す。
「 どれだけ心配したと思ってんだよ……ッ」
らんの声が震えた。
こさめは静かにシーツの端を整えて、
なつの髪に手を添えた。
「もう大丈夫…だからっ」
なつの目尻から、ひとすじ涙がこぼれる。
あたたかいのか冷たいのか分からない。
でも、それが確かに“生きてる証拠”
みたいに感じた。
心の奥で誰かがささやく。
(でも、いるまはいない)
(もう……声も、ない)
そう思った瞬間、
心臓がまた小さく締めつけられた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
白い天井。
窓から差し込む光はやさしいのに、
なつにはどこか、遠い世界の色に見えた。
「起きたしたか、なつさん。」
看護師がカーテンを開け、
ベッド脇の花瓶の水を替える。
ベッドの上でなつは、
ぼんやりと点滴の管を見つめていた。
「……もう、何日目ですか」
「今日で七日目です。
またずいぶん寝てましたね。」
「………、ッそう、ですか」
七日。
その間、夢は見なかった。
いるまの声も、笑いも、
どこにもなかった。
――まるで、何かを“置いてきた”みたいに。
朝食のパンをちぎるたび、
何かを壊してるような気がして、
手が止まる。
看護師に促されるまで、
食べることを忘れていた。
◇
午後。
面会時間になると、らんとこさめが
また来た。
こさめは花束を抱えていて、
らんは小さな紙袋を差し出した。
「ほら、アイス。特別に許可貰った。
いるまくんと食べてたやつと同じの」
「……ありがと」
なつは少し笑った。
でも、スプーンを口に運ぶ瞬間、
胸がざわついた。
“もう、あの隣にいるはずの人はいない”
それを舌が思い出してしまう。
「なつ、退院の許可出たんだってな」
「うん、明日」
「よかった……。
でも、退院したらちゃんと精神科行こう。主治医の先生も言ってたし」
「……分かってるよ」
らんは心配そうに眉を寄せたまま、
それ以上は何も言わなかった。
◇
夜。
消灯後の病室。
他の患者の寝息が静かに響く。
なつはベッドの上で、
天井を見上げていた。
瞼を閉じると、
あの“黒い夢の海”が少しだけ覗く気がした。
でも、もう声はしない。
“いるま”の名を呼んでも、
何の応答も返ってこない。
――もしかして、
本当に全部終わったのか。
静寂の中でそう思った瞬間、
ようやく涙が零れた。
夢で泣いてばかりだったのに、
現実で泣くのは、これが初めてだった。
◇
翌朝、
退院手続きを済ませたなつは、
病院の正面玄関を一歩踏み出す。
風が冷たくて、
息が白く広がる。
「……重いなっ」
誰に言うでもなくつぶやく。
らんとこさめが両脇で歩き出す。
その背中の奥で――
ほんの一瞬だけ、
風の中に“タバコの匂い”がした。
なつは立ち止まった。
けれど、振り返っても誰もいない。
ただ空が広くて、
どこまでも無音だった。
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コメント
4件
初コメ&フォロー失礼いたします。 一気読みさせて頂きました。 ボロ泣きしました。 書き方がとても好きで、登場される人々の感情が痛々しいくらいにリアルで、読み手側へも、"違う人"への恐怖、というか...なんというか、上手く表せないですが...、が訪れるようでした。 そして赮さんの苦しみが、此方側へもズシリと重く伸し掛るように感じました。 長文失礼致しました。
初コメ、フォロー失礼致します。。 先程この作品を一気に読ませていただいて…ほんとに涙が止まりません… 感情表現がとてもお上手で 赤様やメンバー様の感情が全部頭に入って来ました なにか自分の救えにもなれた感じがします。 ほんとにこの作品愛してます…無理しない程度に更新待ってます 長文失礼致しました