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夏休みも後半、計画性を持って進めているはずの課題は何故か積もるばかり。そろそろ本格的にヤバいと思い始めている東本の家には――――。
「おい東本こっちカバーしろ!」
「いやちょっと俺死にそうなんだけど!!?」
「俺こっちの敵片付けとくねえ」
紅上兄弟が夏休みに入って五回目の訪問という名の突撃をかましていた。毎度のこと連絡を入れずに来るので、東本は常に家を綺麗にする癖がついた。とは言っても東本も紅上の家に行くときは特に連絡をしていないので、お互い様といえばお互い様である。
紅上達がこちらに来るときは大体暇している時だ。この前はいい日本酒とおつまみを実家から貰ったから皆で飲み会しようと言われた。おつまみは紅上家専属シェフの人がつくったらしく、これまた絶品であった。東本も段々舌が肥えてきている気がしている。
そして今回はというと、紅上が新作のRPGゲームを持ってきて、今日でこれをクリアするとのたまったのだ。そういうことは早く言ってほしい。課題をやろうとしていた東本は途轍もなくイラついたが、ゲームの欲求に勝てるわけもなく、ゲーム機をテレビにつなぎ、かれこれ五時間程プレイしている。
と、先程から謎に敵に群がれている東本の操作するキャラクターのHPが、ついに底をついた。
「あっちょ、あっ死んだ!」
「ふざけんな馬鹿東本が!」
「馬鹿じゃねーわ!」
「あ、俺蘇生アイテム持ってる。東本くん蘇生しとくね」
「ガチすか、おねしゃす!」
漣斗さんが蘇生アイテムを使っている間に、紅上がキャラクターの持つ剣で敵を薙ぎ倒していた。東本も漣斗さんに蘇生してもらい、もう一度武器を敵に向かって振るう。元々紅上の活躍もあり、敵はとりあえず全滅した。
「とりあえず終わったな、進むぞ」
「てか何で東本くんあんなに群がられてたんだろう」
「わかんねっす。ちょっと確認してみます」
自身のステータスや身に着けているアイテム一覧を開く。特にデバフなどは付いていないように見えたが……。
「あっ待って。東本くんのその防具」
「え? ……あ!?」
東本のキャラクターが着ている防具の特性の欄、そこに『敵を一定数引き寄せる』とあった。
「うっそだろこれ!? 呪いの防具じゃねーか!」
「だはははは!」
紅上、大爆笑である。なんとまあ性格の悪い奴だろう。
とりあえず防具を手持ちと入れ替え、東本達は次のダンジョンへ向かった。
*
「……はー、疲れた」
「結構やったよな」
「そうだね」
結局あれから二時間ぶっ通しでゲームを続けた。つまり、開始から七時間経っている。空は既に暗く、時計を見れば九時を回っていた。東本は目がシパシパしていた。先程のダンジョンをクリアして、ようやく半分まで来たのだ。
「そろそろ流石に休憩しよーぜ。ビール飲もうビール」
「あ、いいなあ、俺も飲みたい」
漣斗さんが同意してきたので、ビールを二本出す。紅上にも「飲むか?」と訊いたが、要らないと言われたので、あとは適当なつまみを持ってキッチンから戻った。紅上は休憩となってもスマホを弄っていた。目が疲れないのだろうか。
「おいしょ、どうぞ」
「あ、柿の種だ。いいよね、美味しくて」
「っスよね。俺これの梅しそとワサビ好きで」
「わかる~」
そんなことを話しつつ、漣斗さんと飲み交わしていれば、紅上がようやくスマホから顔を上げた。
「……そろそろ時間だな」
「あ? 何の?」
「次のターゲットのバイトが終わる時間だよ」
「!」
ターゲット、バイトが終わる時間。そんな単語が出るとなると……。
「まさか、殺しに行くつもりか?」
「ああ」
「わあ、急だね」
紅上は座布団から腰を上げ、背負ってきたリュックサックから折り畳み式ナイフを取り出した。次は誰を殺すのだろうか。疑問に思って尋ねれば、「田中愛奈だ」と返ってきた。
田中愛奈といえば、経済学部の真面目ちゃん、眼鏡をかけた清楚系美人という印象が強い。そいつを殺せば、残りは三人になる。意外と早かったな、なんて東本は思った。
「んじゃ、行ってくる」
「おー、行ってらー」
「気を付けてね、ここで待ってるから」
「おう」
「あ、漣斗さんはいるつもりなんすね……」
*
午後九時半。田中愛奈は塾のシフトを終え、同じくバイト仲間の松崎信也と帰っていた。愛奈の履くヒール付きのサンダルがコツコツと音を立てる。会話をしようと、愛奈は松崎に話しかけた。
「どうですか、松崎さんのクラス」
「いやー、実はさ、ちょっと色々あって」
「色々?」
「あのさ、新しく入った子いるじゃん。小郷くん」
「あ、体験終えたばっかりの」
小郷寅之助くん。新しく愛奈のバイト先の塾に入ってきた中学一年生だ。体験入学の時は愛奈のクラスに入ったが、正規入学により、松崎のクラスに移ったらしい。
「そういえば、田中さん小郷くん持ってたっけ?」
「はい。体験の時だけ」
「そっかー」
むむむ、と悩んだような顔をする松崎に、「小郷くん、どうかしたんですか?」と尋ねた。
「いやさ、小郷くん俺の授業四回目なんだけど、宿題全然やってこないんだよねえ」
「えっ、そうなんですか」
「そうそう。全部すっぽかしてんの。やばくない?」
確かに、クラスに入ってから全部となるとかなりヤバい。
「注意したんですか」
「いやー、一応毎回注意してたんだけど、流石に四回目すっぽかされるとやばいなってなって、塾長にも言って今日めっちゃ叱ったの」
「どうでした?」
「反省の素振り無し! 逆にヤバいよね」
「うわ」
「田中さんの時どうだった?」
「えー、ちょっと待ってください」
確かに小郷くんは不真面目なところもあったが、愛奈が受け持った時は一応宿題もやって来ていたし、授業内でも指定した範囲の問題はちゃんと解いていた。普通の中学一年生の男の子、という印象だ。
「いやでも、一応ちゃんとしてましたよ。授業でちょっと居眠りとか、それはありましたけど」
「授業で居眠り! そう俺、それもされてんの!」
「えー、マジですか」
「そーなんだよ。やっぱ正規入学ってなってやる気途切れちゃったのかなー」
「あぁ、いますよね、最初だけ真面目にやって、って子」
「やっぱそうなのかなー」
その後も、自分のクラスの問題児の話、商店街に新しくできたチェーン店の話、最近行ったラーメン屋の話と話題が続いていく。「今度一緒にご飯食べよう」と誘われ、了承したところで、いつも解散するT字路まで来た。ここから松崎は右、愛奈は左の道になるのだ。
「じゃ、お疲れ!」
「はい、お疲れさまでした」
ぺこり、とお辞儀をして、松崎と別れる。明るい彼と別れると途端に心細くなってしまうのは、時間帯が遅く、道が暗いからだろうか。
元々愛奈はそこまで社交的ではない。友達も数人しかいなかったし、高校時代のほとんどの子の印象は友達程仲良くない知り合い、という感じだ。だからこそ、明るく気遣いをしてくれる松崎は愛奈にとって話しやすい。昔一度彼氏がいたが、愛奈がつまらなかったのだろう、すぐに捨てられた。
松崎さん、良いかもしれないな。なんて、おこがましいことを考えた、その時だ。
すぐ横の路地から、人が飛び出してきた。白いティーシャツに黒い上着。上着のフードと前髪で隠れた顔。長い黒髪の男。その手に持った銀色に光り輝くそれが、ナイフだと気づくのにそう時間はかからなかった。無情にも振りかざされる刃物に、愛奈は恐怖から引きつった悲鳴を上げた。
*
田中愛奈がバイト先の塾から帰るルート、そこに繋がる路地から紅上は飛び出した。ポケットに仕舞ったナイフを振りかぶる。
田中愛奈がこちらに気づいた。ナイフを見て、すぐに表情が恐怖に染まる。身を庇おうとして、手を前に突き出してきたが、どうせ無意味だ。
「ひっ、ぃやぁああっ―――――!」
悲鳴を上げられた。面倒だな、と紅上は内心舌打ちをした。聞かれないよう急いで口を塞ぐ。そのまま振りかぶったナイフを胸に突き刺した。ずぶり、と肉に刺さる感触。ぴくぴく、と少し痙攣した後、田中愛奈は動かなくなった。
ナイフを抜く。付着した血を拭いて、折り畳んでポケットに入れた。あとは証拠隠滅すれば終わりだ。
あっけないな。
そう思った時、じゃり、と砂がこすれる音がした。バッと顔を上げる。
「田中さん……?」
男だ。息が切れている。走ってきたのか。悲鳴を聞かれた? こいつ、どっかでみたことある。いやそんな事よりも――――見られた。
まずい。
そう思うより先に足が動いた。駆け出す。死体の回収なんて後でどうにでもなる。でも、人間の記憶はどうにもならない。見られたらお終いだ。人間が見たものはどんな物的証拠よりもずっと足がつく。見間違いだと思わせればいいがあの至近距離、見間違いなんて起こす方が難しい。
「もしもし!? 警察ですか!? 今……」
後ろで電話を掛ける声が聞こえる。警察。来られたらお終いだ。もう既に証拠が掴まれ始めている。これ以上は駄目だ。次に支障が出る。
紅上は一度も足を止めずに、自身の兄と依頼者のいる東本の家へ走った。息が切れる。人の目が嫌に気になる。返り血が付いた白いティーシャツは上着のチャックを閉めてどうにか隠した。こんな時だけ、自分の足が嫌に遅く感じる。体感時間は酷く長かった。アパートの外階段を上って、東本の部屋の前へ行く。ぼろいアパートはいづぞや殺した女の家のように人がいない。チャイムを鳴らす。何度も。ピンポンだなんて軽快な音がムカつく。早く入れろ、早く――――!
「お、帰ってきた。どうしたそんなチャイムならして――――」
「入れろ!」
「うお!?」
ようやく扉を開けた東本を押しのけて部屋に入る。体力の限界が来たのか、足がもつれてその場に倒れ込みそうになったのを、どうにか下半身だけにとどめた。はあ、はあ、と息が切れた。心臓の音が嫌にうるさい。
「おい、どうした? なんでそんな走ってきたんだよ」
「………………」
「……? おい? 紅上?」
不審がって東本が声をかけてくる。何とか答えようと、紅上は口を開いた。
「……っ、やっべえ……」
「は? 何が?」
「………………見られちまった……!」
「……え?」
「…………現場、見られたんだよ……!!」
「っ、は!? 噓だろ!?」
その時、リビングにいたらしい漣斗がこちらへやってきた。息を切らして座り込む紅上を見て、漣斗は目を見張った。
「……漣? どうしたの?」
「いやこいつ、現場見られたって」
「!」
漣斗は紅上に近付いた。落ち着かせるように背中をさすられる。紅上は強張った身体の力を次第に抜き、深い溜息を吐いた。
「……落ち着いた?」
「……おう。悪ぃ」
顔を上げて、履いていたスニーカーを脱いで部屋に上がる。走ったからか酷く暑く、上着も脱ぎ捨てた。ティーシャツに付いた返り血を見た東本がうわ、という顔をしたが、それを気にする余裕はまだなかった。
*
紅上が凄い勢いで帰ってきた。訳を訊けば、現場を人に見られたのだと。
……あいつ、この前「俺が間違える訳ない」みたいな態度とってなかったか……?
多少モヤった東本だったが、それよりも証拠の方が大事なので言わないでおくことにした。東本は多少なりとも配慮の出来る人間だった。
とりあえず紅上を座らせて、全力疾走してきたらしいのでお茶も出した。がぶ飲みして「おかわり」と突き返してきたので、とりあえず調子は戻ったらしい。いつもの紅上だ。
「それで、見られたのはどんな奴だったの?」
「あー……、男。なんか、どっかで見たことあるなって思ったらあいつ、田中愛奈とバイト先一緒の奴だ。時々一緒に帰ってた」
「へー、そんな奴いるんだ……ってか、何でわかるんだよ怖……」
「調べたんだよ。田中愛奈を残してた理由が、あの男のせいだ。おかげでいつ解散するかちゃんとわかるまで結構時間食った」
「へー」
すると、漣斗さんは何かを考えこんだ後、「なるほどねぇ」と呟いた。何かに迷っているような表情を見せた漣斗さんを不思議に思った東本は「どうかしたんすか?」と尋ねた。
「……んー、いや、ちょっと頼みごとしようかなって」
「……?」
その時の漣斗さんの瞳は、紅上と同じ冷たさを纏っていた。
*
バイト先が同じの、田中さんが殺された。
その事実に、松崎は少なからずショックを受けていた。
松崎は殺された彼女と仲が良かった自負がある。あの日も一緒に帰っていて、別れる前にご飯を食べに行く約束だってした。……それなのに。
悲鳴が聞こえた気がして、それがさっき別れた田中さんの声だった気がして、走って向かった頃には、もう遅かった。
田中さんを刺した犯人は、フードを被った男だった。中に来た白いティーシャツに血がべったりついていて、前髪とフードで顔は見えなかったけど、こっちに気づいて、すごい勢いで駆けて逃げて行った。追いかけるよりも先に警察と救急に連絡したから、犯人は未だ捕まらず仕舞いらしい。
だけど、身近な人が死んだとしても、日々は過ぎていく。
病院の霊安室に死体が置かれても、外にいる人達は忙しそうに歩いていて、田中さんが死んでも、空は青いまま。
「……何でこういう時に、晴れるんだろうな」
警察からの取り調べの帰り、空を見上げてぽつりと呟いた。
比較的車通りが少ないいつもの道まで歩く。閑散とした住宅街は、車通りもないが人通りも少ない。
今日はバイトもないし、ゆっくり休もう。そう思って、家までの道を急いだ。
その時、俺の隣に黒い軽自動車が止まった。え、と思った時にはドアの扉が開いて、視界が揺れて、気づいたときには男によって中に引き込まれた。
「っなん」
何だお前、と言おうとしたのに、口に布を押し付けられて、言葉にならなかった。変な臭いがして、くらりと意識が遠のく。睡眠薬、という言葉が脳裏をよぎった。
暗くなっていく視界の中で、目の前にいる男に、既視感を覚えた。
*
気づいたら、知らない床に横たわっていた。
「!」
起き上がろうとして、両腕両脚を縛られていることに気づく。困惑したが、意識を失う前の状況を思い出すと、どうやら誘拐されたらしい。
周りを見回すと、壁も床も一面コンクリート張りになっている。あるものと言えば錆びた謎の廃材のようなものだけだ。窓はなく、天井に付いている消えかけの蛍光灯だけが唯一の光源らしい。
と、部屋の唯一の出入り口であろう扉から、誰かが入ってきた。いきなり眩しい光が開いた扉から入ってきて、顔を顰める。逆光になって見えづらかったが、その姿はあの時松崎を車に引き入れた男のものだった。
「ああ、起きたんだ」
柔らかな声。どうしようもなく安心感を覚えそうな声色なのに、感じるのは冷たさだけだった。その真逆さに松崎はぞっとする。
「松崎信也くんだよね。田中愛奈さんと同じバイト先の」
「! なんで、名前……」
「わかるよ。調べたから。君のことも、身の回りの人のこと、全部ね」
そう言いつつ、男は腰から何かを取り出し、松崎の方へ向けた。黒光りするそれは、誰に聞いても答えが一致するような代物――――拳銃だ。
「っ、な……! なんで、そんなん……っ」
「知ってる? 俺はね、弟の為なら何でも出来ちゃうんだ」
そう言って、男は引き金を引いた。
パンッ、と何かが破裂するような音が、俺の聞いた最後の音だった。
*
漣斗が松崎信也を撃ち殺して部屋を出ると、スーツ姿の男が待ち構えていた。
「オレに頼み事なんて珍しいと思ったら、やっぱ大好きな弟の為かよ」
「……漣真兄さん」
軽薄で、嘲笑うような笑みを浮かべる兄。紅上家の長男であり、次期当主。憎いことに、血のつながりは顔を見ただけで分かってしまう。それほどまでに、漣斗と漣真、そして漣の顔は似通っていた。
「はは、そう険しい顔すんな。漣そっくりの顔が台無しだぞ?」
「……銃、お返しします」
「ん、どーもな」
借りていた銃を手渡す。漣真は銃の状態を確認して、懐へ仕舞った。松崎信也を撃ち殺した銃も、誘拐する為に使った車も、このビルも、全て漣真からの借り物だ。
「…………業者に頼んだことはしてくれましたか」
「勿論。盗ってきたぜ」
――――田中愛奈の死体。
そう言い放ち、漣真は口角を吊り上げた。
*
その日、東本は坂ノ束大学へ向かっていた。理由は簡単、一限目から授業があるからだ。電車を乗り継ぎ、目的の駅で降りる。
めんどいな、なんて思いながら大学の門を通ろうとしたその時。
「すみません。少々お時間ありますか」
「? はい――――」
声を掛けられ、振り向いたその先には――――。
「私、こういうものですが」
腕を組みつつ警察手帳を見せてくる、キャンプ場で見かけたあの時の女がいた。