「カイラン、危険だ」
「僕はゾルダークだ。簡単には殺せないよ、リリアンを殺さないよう話す。早馬を出すよ」
アンダルは会わない方がいいだろう。王太子はどうなるかわかってアンダルに囁いたんだ。その嫉妬心さえなかったら今頃…
「アンダル、リリアンを見ても驚くなよ?僕の乗る馬車の前に飛び出して大声で騒ぐ平民の女を騎士が捕えたんだ。常軌を逸してる。悪いけど僕は脅したよ」
アンダルは興奮がさめやらないのか体は震えている。
「いいんだ。リリが悪い」
「息子のいる邸に彼女は入れない。門番の小屋近くに詰所がある。そこに転がしておいてもいいか?お前も王太子が来るまで彼女とそこにいるか?」
アンダルが邸にいたいなら滞在は許す。
「トニー、父上の名前を使って王太子を呼ぶんだ」
さすがによくないと思ったかトニーの表情は暗い。だが僕の名では侮られる。最速で来てもらわなければならない。
「父上には僕から説明する。陛下には知られないよう手紙を届けろ。アンダル、書けるか?」
アンダルの字で書かれた手紙を、ゾルダークの印で封をして使者に持たせ送り出す。
「カイラン、リリに会わせてくれ」
もう外は暗闇になっている。松明に照された道を歩いて僕はアンダルと共に門番の所へ向かった。縄で縛られ猿轡をされ床に倒れたままのリリアンを見てアンダルは立ち止まる。僕は騎士に合図して猿轡を外させる。
「アンダル!助けて…カイランに殺される!」
近づかないアンダルに気づいたのか、リリアンは口を閉ざした。体を震えさせ涙を流しながらアンダルを見つめている。
「なんだその格好は?そこまでして王都にいたいのか。ゾルダークまで来ればカイランが助けてくれると、着飾らせてくれるとでも?」
「友達だもの、カイランは公爵家の後継でしょ?お金なんて沢山あるわ、助けてくれると思ったのよ」
アンダルを刺激しないよう大声は止めたらしい。
「カイランはもうリリのことは邪魔な存在でしかないと言ったろ!夫人との間に子もできてる。リリのことなんてなんとも想ってないんだよ」
僕は黙って見ている。緑の瞳を向けられても言葉は出さない。
「リリ、選ぶんだ」
リリアンはアンダルを見つめ首を傾げる。
「王家の騎士に殺されるか、脚の腱を切るか」
アンダルの言葉に衝撃を受けたリリアンは大声を出す。
「ふざけないでよ!なによそれ!私は選ばないわよ!王様の孫がお腹にいるかもしれないのよ!殺せるわけないじゃない!」
昔の面影などなくなった汚れた顔で口から唾液を撒き散らし、怒りに体を震わせている。
「リリ…子ができたのか?」
アンダルの声は優しくなる。リリアンに近寄ろうとするのを腕を掴んで止める。彼女は頭がおかしい。嘘も平気でつくだろう。
「わからないわ。月の物がきていないの」
アンダルの様子が変わったことに気づいたのか、甘えた声を出し始める。
「アンダル、ここで決めろ。どちらも選べないなら僕は王宮に彼女を引き渡す。王太子とは話さない」
僕の囁きに体を揺らしたアンダルは碧眼から涙を流し僕を見つめる。
子がなんだ、そんなものは関係ない。どちらかを選ぶんだ。
僕がリリアンに一歩近づくと、先程の恐怖を思い出したのか震え始める。
「僕には関係ない。王家の騎士に殺されてしまえ」
僕は騎士に合図して王宮へ行くよう命じる。それを見たアンダルが声を上げる。
「待ってくれ!リリ、君に選択肢はない。もし子がいようとも脚の腱は切る。わかったな?」
「嫌よ!歩けなくなるのは嫌!」
「歩けるよ、走れなくなるだけだ」
長く歩くことも無理だが、医師の手当てがちゃんとされれば日常に支障は出ない。
「痛いのはいやよ!アンダル、ごめんなさい。もう二度と王都には来ないわ」
騎士に猿轡をするよう命じる。
「彼女の言葉は嘘だと思え。お前が選ぶんだ」
アンダルの肩を掴み決断を待つ。自分の子を宿しているかもしれないと聞いて揺らいでしまったか。無理なら僕が決断してやる。
「やってくれ」
アンダルの小さな声が届き、僕は頷く。さすがにここでは無理だ。門番の詰所で行うか。ライアン医師を呼んで到着の報せを聞いたら騎士にやらせる。
「僕は邸で相手を待つ。今夜には来ると思う」
ゾルダークの名で脅したんだ。飛んでくるだろ。
「お前は彼女と共にいない方がいい」
アンダルの顔を掴みリリアンを見ないよう遮る。
「邸の客間で休んでろ、何かあれば呼ぶ。脚の処置は明日にするからな。王太子の返答次第で二人は男爵領に帰れる」
「手荒な真似は…」
「逃げ出す可能性があるから縄で縛って猿轡はするが床には転がさない。寝台のある部屋に入れておく」
子を望んでいたからな。心配が勝ったか。
僕は騎士にリリアンを詰所に留めておくよう命じた。
「泣いても暴れても縄は緩めるな」
騎士の顔を見て固く命じる。女性にこの扱いは騎士として嫌なものだろうが、この女はそういうところをついてくる。アンダルの腕を掴み邸へと向かう。腹も空いた、食事が終わる頃には王太子の返答が来るだろう。
アンダルは客間に通し食事を与え、リリアンの元へ行かない様に廊下に騎士を立たせる。僕は自室で食事を取り急いで湯に入り体を洗い髪を乾かす。夜着の上にガウンを羽織り、客の訪れを待つ。
扉が叩かれハロルドが顔を出した。
「カイラン様、旦那様の名前で王太子を呼ぶとは怒られますよ」
「わかってる。承知の上だよ」
「来たのか?」
「応接室に通しました」
「一人か?共は?」
「近衛を一名」
「ハロルド、聞いていたか?」
王太子が待つ部屋へ向かいながら問う。ハロルドはレオンを邸に連れていった後、日が傾き始めた薄暗い四阿の近くに来ていたはずだ。
「はい。上手く使った方がいいでしょうね」
王太子の返答によるな。部屋に入ると不機嫌な顔の王太子がソファに座り僕を睨み付ける。
「公爵は?」
挨拶もなく父上の確認を問われる。
「近衛は外へ出していただけますか?」
王太子は眉間にしわを寄せて舌打ちし手を振って近衛を下がらせる。部屋には二人きりになる。
「呼んだのはお前か、アンダルが来てるんだな。どこにいる?女はどこだ」
王太子の対面に座る。こんなに感情を剥き出すところは初めて見る。いつも余裕の表情の人だった。
「なぜ弟を陥れた?」
不敬罪に問われるような言い方だが、ここには内密で来てるだろうから問題はない。
「なんのことだ」
とぼけることにしたのか。
「アンダルに嘘を囁いた」
不機嫌顔の頬がひきつっている。
「聞いたか」
「はい」
「あいつは怒ったか?」
「当たり前でしょう。未来を変えられたんだ」
「確認もせず信じたのはあいつだ、その結果あの馬鹿女を選んだ。自業自得だろ」
開き直るか。そうするしかないだろうな。
「殿下の嘘が招いたことだと陛下は知らないのでは?」
王太子は笑いだす。陛下は知っているのか?
「だからなんだ?嘘が招いた結果、国は大きな富を得たんだ!文句なんかあるか!」
国が富を得た?隣国との婚姻か…まさかアンダルに媚薬を盛ったのはチェスターか…それなら納得だ。陛下は王太子の嘘を知っても怒ることなどしないだろうな。
「ミカエラ嬢は知らないでしょう」
この男の急所は彼女だ。嫉妬心から弟に嘘をついてまで彼女を遠ざけた。アンダルの性格など熟知していただろう。どうするかなど予想できたはず、彼女を傷つけたのは王太子が始まりだった。
「…言うのか」
知られたくはないだろうな。彼女はまた傷つき、マルタン公爵は今度こそ王家を許さないだろう。
「スノー男爵夫人はゾルダークで保護しています。出たら消すと言ったのに逃がすなんて…アンダルは探しに来て滞在しています」
「望みは?」
「見逃してもらいたい。夫人の脚の腱を切り二度と出ていけないようにします」
「お前はまだあの女に惚れてるのか?目を覚ませよ」
「アンダルの生きる意味が彼女だから言ってる」
アンダルをここまで落とした本人は罪悪感を持っているだろう。こうなるとは想像できなかったはずだ。自分が裏で動き穏便にアンダルとミカエラ嬢の婚約を解消させてから近づこうと策を練ったろうが、アンダルの行動のせいでマルタンに嫌われてしまっては動けなかったか、臆したか。
「わかった。陛下には俺が話す」
「アンダルは怒り傷ついてる」
王太子の顔から不機嫌は消える。諦念な様子だ。
「憎かったわけじゃない。羨ましかっただけだ」
王太子として厳しく教育を受け邁進していたのに愛した少女は素直で優しい弟の婚約者だったなら、小さな嘘をついてもいいと思ったか。
その結果、望まない相手と婚姻か。王族なら仕方のないことだが。一時の醜聞など耐える覚悟でミカエラ嬢に告げていたら今頃どうなっていたか。
「私がアンダルを宥める」
「何が欲しい?」
話が早くて助かる。
「貴方が国王でいる間、ゾルダークに不当な不敬罪、不当な王命を下すことはしない。と密約を交わしたい」
陛下とお祖父様の密約をそのまま引き継ぎたい。国王も人間だ、感情を持ってる。何が引き金になって牙を剥くかわからない。お祖父様は面白いことを提案したものだ。誰かが不当だと言えば不当になる。曖昧な密約。陛下が父上に強く言えないのも友人のような関係を築けたのもこの密約のせいだろ。どの貴族よりも強気でいられる。
「なんだそれは」
「呑めないのならマルタンに話します。今ここで決めていただく」
王太子は僕に険しい目を向けて睨んでいる。父上の睨みに慣れた僕には利きもしないが。
「紙を寄越せ!」
そんなにミカエラ嬢に知られたくないのか。テレンスは嫌われているだろうな。
机の上に用意してあった紙を二枚並べ万年筆を渡す。王太子は二枚の紙に同じ内容と自身の名前を記し、その横に僕が差し出した針を親指に刺し押し付ける。渡された紙に僕の名も書き同じように血判を押す。
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