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第16話:半妖の診療記録と、正気を疑う婚約宣言
霞がかった、ひどく古い夢を見た。
誰かの金切り声。壁に投げつけられた陶器が、粉々に砕け散る音。
『化け物』『穢らわしい』『我が家の恥晒しめ』——輪郭のぼやけた大人たちが、怯えと嫌悪を込めて吐き捨てる罵声。
小さな自分の手が、髪が、みるみるうちに色素を失い、異形のそれへと変異していくのを、私はただ呆然と見つめていた。
「…………」
静かに目を開けると、そこは見慣れた皇帝の私室の寝台だった。
瘴魔獣に深く抉られたはずの腹部に痛みはなく、傷口は完全に塞がっている。それどころか、全身の血脈には昨日までの自分とは違う、焼け付くような「熱」が微かに燻(くすぶ)っていた。
(……陛下の血の力。凄まじい効能ですね。やはりあれは万能薬だ)
そんな感動と共に身体を起こそうとした時。
寝台の傍らの椅子で、足を組み、壊れた腕輪の残骸を眺めている男の姿が目に入った。
「起きたか」
皇帝陛下は、手元の残骸から目を離さずに淡々と口を開いた。
「……で、お前は何の『半妖(まざりもの)』なんだ?」
「……は?」
私は思わず、素の口調で聞き返してしまった。
「今更それを訊くのですか?」
「ああ。今までお前の出自になど、欠片も興味がなかったからな」
なんと堂々とした無関心だろうか。
私は「なるほど、この方らしい」と内心で深く納得しつつ、少しの間だけ口をつぐんだ。
「だが、今回の件で状況が変わった」
短い沈黙を破り、陛下が腕輪の残骸を置いて私を真っ直ぐに見据えた。
「お前の異端の体質が、聖女に知られた。いずれ教会や宮廷の耳にも入ることになる。……その説明が必要だ」
「……なるほど。そういうことでしたか。納得しました」
私は頷いた。要するに、厄介な身内の政治的責任を回避するため、情報を整理しておきたいということだろう。極めて合理的な判断だ。
「結論から言えば、私自身、自分に『何の血』が混じっているのか分かっていません。母親に纏わる情報は、何一つ残されていませんでしたから」
私は自分の過去を、まるで他人の診療記録(カルテ)でも読み上げるかのように、一切の感情を交えず淡々と語り始めた。
「生まれた時は普通の人間でした。ある程度の家格の屋敷の離れで、『お嬢様』として不自由なく育ちました。……私が、跡取りが生まれない当主の『苦肉の策』、つまりどこからか半妖の女を買って産ませた道具だと知るまでは」
「ほう」
「五歳の頃です。重い熱病をきっかけに、今の体質が露見しました。髪が真っ白に抜け落ち、新しく生えた髪も白く、瞳も赤く染まりました。そしてお誂え向きに、私が『半人半妖』と判明したのとほぼ同時期に、都合よく本妻に純粋な人間の男児が生まれましてね」
私は当時の大人たちの慌てふためく様を思い出し、少しだけ面白おかしく続けた。
「完全にお役御免となった私は、体裁上、名簿には名前を残されたものの、実質的には『いないもの』として扱われました。屋敷から遠く離れた森の奥に、幽閉同然で住処を移されたのです。……まあ、おかげで誰にも邪魔されず自由に毒草の研究ができたので、結果的には最高の環境でしたが」
「……お前を捨てた家を、恨んでいるか?」
私の生い立ちを聞いても、陛下は同情など微塵も見せずにそう問うた。
「まさか。不要になった駒を切り捨てるのは、組織を運営する上で当然の判断です。むしろ殺さずに、森という素晴らしい実験場を与えてくれたことに感謝すらしていますよ」
私が迷いなく答えると、陛下はフッと面白そうに口角を上げた。
「……そうか。お前らしいな、玲」
――玲。
初めて、彼が私をただの「薬師」ではなく、個人の名で呼んだ。
その響きに微かな違和感を覚えていると、陛下は腕を組み、目を閉じて深く考え込んだ。
(……なるほど。私が半妖だと宮廷に知れた以上、後宮に置いておくのは体裁が悪すぎる。おそらく、帝都から遠く離れた辺境へ追放か、もともとの森に戻されるか……。あの素晴らしい書庫が使えなくなるのは残念ですが、仕方ありませんね。退職金代わりに、珍しい毒草の種でも要求しましょう)
私が自らの「追放」を極めて前向きに受け入れ、荷造りの算段を始めた、その時だった。
「お前を、俺の婚約者とする」
「………………はい?」
目を開けた陛下が、明日の天気を告げるような、極めて事務的な決定事項を言うような口調で告げた。
私の頭脳が、完全に白紙になった。
「半妖だろうが何だろうが、『皇帝の伴侶』という立場を与えれば、教会も貴族も手出しはできん。お前は今まで通り、俺の傍で好きに解剖でも毒の調合でもしていろ。外野の文句は俺が全て握り潰す」
「いや、ちょっと待ってください陛下。半妖は世間的に『穢れ』の象徴です。そのような不浄な存在を伴侶にするなど、帝国の歴史においても類を見ない異常事態であり、完全な非常識です」
私は寝台から身を乗り出し、真顔で陛下の顔を覗き込んだ。
「……失礼ですが、先ほどの戦闘で頭でも強く打たれましたか? あるいは濃密な瘴気で脳の血管がやられましたか? 正気ですか?」
「俺はいつだって正気だ。半妖だろうが何だろうが、俺の隣に置く分にはどうでもいい」
私の至極真っ当な(そして極めて不敬な)追及に対し、陛下は全く意に介さなかった。
それどころか、身を乗り出していた私の肩を押し、乱暴に寝台へと寝かしつける。
「もう決まったことだ。さて、これから議会でうるさい老害どもに、この決定を叩きつけてくる。お前は大人しく寝ていろ」
私が止める間も、反論する間も与えず。
陛下は一方的に話すことだけを話し終えると、漆黒の外套を翻し、颯爽と部屋を出て行ってしまった。
バタン、と重い扉が閉まる音が響く。
残された私は、寝台の上で一人、天井の木目をじっと見つめていた。
「…………えっ?」
しばしの空白の後、間抜けな声が漏れた。
「…………脳に、陛下の血が回りすぎたのでしょうか。幻聴が……」
生まれて初めて自分の「合理的な予測」が、暴君の力技によって完全に粉砕された。
薬師としての冷静な思考回路は完全に吹っ飛び、ただぽかんと唖然とするしかなかった。
コメント
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いやあもう、今回もめちゃくちゃ良かったです……!玲さんの過去が明らかになって、あの冷めた口調で自分の生い立ちを「診療記録みたい」に語る感じ、背筋がゾクっとしました。それでいて「最高の実験環境でした」って締めるあたり、彼女らしさ全開でニヤリとしましたね。 で、そこからの陛下の婚約宣言ですよ。「半妖だろうが何だろうが俺の隣に置く」って、もう完全に理性ぶっ飛び案件じゃないですか(笑) 玲さんが生まれて初めて合理的思考を粉砕される様子、読んでるこっちまで一緒に「えっ?」って声出ました。伏線もキャラの掛け合いもどんどん面白くなってて、次話が待ち遠しいです!