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第17話:大荒れの議会と、狂王の自問自答
玉座から見下ろす議事堂は、酷くカビ臭かった。
最高級の伽羅が焚かれているはずだが、紫堂焔の嗅覚は、重厚な円卓を囲む老害どもの皮膚から滲む加齢臭と、腐りかけた権力欲の悪臭を正確に捉えていた。
「次期皇后には、玲を迎える」
退屈に支配された空間へ、決定事項という名の命令を投下する。
沈黙は、わずか数秒。直後、議事堂は沸騰した泥のように弾けた。
「なっ……正気の沙汰ではございません」
「歴史の汚点。教会の反発を招きますぞ」
「よりにもよって、穢れた半妖の血を玉座の隣に置くなど」
顔に赤黒い鬱血を浮かべ、喉仏を震わせる貴族たち。血管が破裂しそうなほどの怒声。だが、焔にとってそれは羽虫の羽音にも等しい雑音でしかなかった。
ただ、煩わしい。視界の端で揺れる頸動脈。斬り裂けば、さぞ鮮やかな赤が噴き出すだろう。
焔は気怠い呼気を吐き出すと、腰の愛刀を鯉口から滑らせた。
銀閃。
摩擦音すら置き去りにした一振りが、議会の中央に鎮座する、樹齢数百年を誇る神木製の円卓を、紙切れのごとく一刀両断した。
鼓膜を打ち据える、鼓室が破けるような轟音。舞い散る木片と土埃。
「――俺の決定に口を挟むなら、その舌と首を物理的に切り離す」
喉の奥で転がした、凪いだ声。
「……異論のある者は前に出ろ」
純粋な殺気。室内を満たしていた熱が急激に奪われ、老害どもの浅い呼吸が完全に停止する。血の気が引き、青ざめた肉の塊と化した彼らは、己の首の繋がりを確かめるように震え上がった。
完璧な、凍結。
その中で、ただ一人。滑るような足取りで一歩前に出た者がいた。
「陛下のお心のままに」
穏やかな、底の知れない微笑を貼り付けた初老の男。筆頭貴族にして帝国宰相――久我玄安である。
本来であれば、純血主義を掲げる貴族派の重鎮であり、教会の意向を最も重んじるこの男こそが、真っ先に「半妖の皇后」を声高に否定し、糾弾の先頭に立つべき存在であった。誰よりも伝統と体面を重んじるはずの宰相が、一片の淀みもなく肯定の意を示したのだ。
「我が養女である聖女、彩も、あの薬師殿の腕と献身を高く評価しております。神の御心に仕える娘が認めた恩人です。我々が反対する理由など、どこにありましょうか」
糸目から覗く光は、微塵も笑っていない。
久我が彩の養父であることは周知の事実だ。だが、日頃は何かと理由をつけて皇室の決定に介入し、自己の権益を守ろうとする狡猾な古狸が、この死線の空間において、完璧に物分かりの良い忠臣を演じ切っている。その異様さ。腹の底でいかなる損得勘定を弾き出し、どれほどの毒を仕込んでいるのか。
だが、結果として議会は静まり返った。最大の障壁となるはずの宰相が真っ先に頭を垂れたことで、他の貴族たちも完全に反論の口実を失ったのだ。
焔は完全に興味を失い、血の臭いを嗅ぐことなく議事堂に背を向けた。
○
玲を待機させている私室へと続く渡り廊下。
冷たい夜風が、焔の火照った皮膚を撫でる。
歩きながら、焔は己の手を見下ろした。そこには、玲の渇きを癒やすために自ら切り裂き、そして彼女が舌を這わせた痕跡が、わずかな熱を帯びて残っている。
(なぜ俺は、あんな生意気で可愛げのない女を、玉座の隣に縛り付けようとしているのか)
柄にもない自問。
出会った当初、あれはただの体質を治すための道具であり、己の殺人衝動を受け止める壊れない玩具でしかなかった。
だが、瘴魔獣の一件以降、あの色素の薄い白髪から目が離せなくなっていた。
この呪われた体質のせいで、誰もが紫堂焔を神として崇め奉るか、爆弾として恐れ戦くかの二択しかない。
だが、あいつだけは違う。
殺気を向けても、あの女は血圧が上がっていますねと事務的に脈を測りに来る。己の命すら、冷徹な損得勘定の天秤に乗せ、ただ興味深い症例として観察する。
異常なまでの合理性。
一切の感情論を排し、ただ損得と薬効のみを信奉するその在り方は、狂気に蝕まれた焔にとって、ひどく心地の良い冷たさだった。
(俺の狂気を、あいつの狂気が受け止めている……。俺には、あの壊れた薬師が必要だ)
玉座の孤独。血の渇き。そのすべてを、無機質な冷たさで埋めてくれる存在。
それは打算ではない。
焔は自身の内側に巣食う、重く歪な熱を自覚しながら、私室の重厚な扉を押し開けた。
○
扉を開けた瞬間、待ち構えていたかのように、色素の薄い双眸が焔を射抜いた。
「陛下」
部屋の中央に立つ玲は、一切の情緒を感じさせない真顔で詰め寄ってきた。
「先ほどの決定ですが、冷静に考えてみてください。私を皇后にする政治的リスクは計り知れません。反乱の火種、教会との関係悪化、暗殺リスクの増加。利益と不利益が完全に釣り合っていません」
息継ぎすら惜しむような、平坦で事務的な抗議。
いかにこの婚約が非合理的であるか。薬師と患者という関係の最適解からどれほど逸脱しているかを、玲は淡々と羅列していく。
その口調に、名誉への執着も、皇室への畏れも、女としての戸惑いも存在しない。あるのはただ、損得勘定という冷徹な天秤だけだ。
焔は、その長広舌を心地よい竪琴のように聞き流しながら、歩み寄った。
(……本当に、可愛げのない女だ)
反論を続ける玲の肩から、純白の髪が一房こぼれ落ちる。
焔は自然な動作でその毛先をすくい上げると、抗議の言葉を紡ぐ薄い唇から視線を外し、手の中の白銀へ深く、ひどく甘い所作で口づけを落とした。
その瞬間、玲の言葉が一瞬止まり、肩が微かに跳ねるのが見えた。
「リスクなら、俺が全て物理的に叩き斬る」
低い、凪いだ声を落とす。
「お前は黙って、俺の隣で好きに解剖でも調合でもしていろ」
反論は許さない。これは提案ではなく、玉座からの絶対命令だ。
玲は言葉を失ったように焔を見上げていた。やがて、抗うことを諦めたのか、その細い喉が深々と息を吐き出す。
「……人の話、聞いてます?」
呆れ果てたようなその声に、焔は腹の底から湧き上がる衝動を抑えきれず、喉の奥で低い笑い声を鳴らした。
コメント
1件
うわあ、今回もすごい密度だった……! 議会であの円卓を一刀両断するところ、映像が浮かぶみたいに鮮烈でした。久我宰相の「お心のままに」、あの笑顔の裏で何を読んでるんだろう。めっちゃ気になる。 玲が真顔で「リスク計算」しながら抗議してくるのがもう完全に彼女らしくて、でも焔が髪に口づけるシーンで一瞬言葉が止まるところ、“らしさ”が崩れる一瞬がすごく好きです。「黙って隣で解剖してろ」って命令形なのに、なぜか甘やかされてるように聞こえるのがズルい……!