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ー217
何度も目にしてきた凌汰の自室。
今まで入るのに躊躇したことなんてなかったのに。ドアノブすら震える手じゃ掴めない今の現状はなんというか違和感だ。
だがまあ仕方ない。
一枚壁を挟んだその先に会いたいと思っている奴がいるんだ。改めて実感してもやはりというか緊張する。
でもやっと、やっと言える。
ありがとうって。
今までも、これからもありがとう。
……文脈がおかしいのは大目に見てもらいたい。情けないが上手い言い回しが浮かばないんだ。
これが限界。それに何より伝えたい思い。
(……りょうた、)
緊張より、不安より、躊躇よりも。会いたいって思いの方がずっとずっと強い。仕舞いには期待までしてしまう。
よし、なんて意気込んで。小さく息を吸った。ドアノブに手を回す。震えはいつの間にか納まっていた。
「凌汰!………は、?」
部屋間違えたか?
ドアに足を差し込んだまま慌てて部屋番号を再確認する。217号室。間違いない、凌汰の部屋だ。もう一度視線を目の前に広がる景色へと移した。
「は、なん、なんで」
肌触りがいいと愛用していた薄黄緑色のベッドカバー。幼い頃凌汰が唯一母親にもらったと言っていた大切にしていた犬の人形。嫌がる俺を余所に一番目につく場所に立てられた俺と凌汰が写った写真。
他にも生活をするに当たっての必需品から凌汰が大事にしていたものまで。凌汰の存在を確証してくれるそれらのもの全てがなかった。
いや、消え去っているの方がしっくりとくるかもしれない。
同室者のいない凌汰の部屋は本当に何もなくて。
殺風景な、ただの…
まるでそう、ただの空き部屋……みたいな
「っ、あ、あぁあ、」
がくん
立っていることすら出来なくて膝が地面につく。
心臓がやけに煩い。全身が冷たいものに侵される。
(…で、でんわ、)
頭に反芻される嫌な予感を、違う違うと首を横に振ることで払い去る。
違う、何かの間違いだ。
嫌に震えが刻む手首を片手で握って、ポケットからスマホを取り出す。
よく利用する項目から慣れ親しんだ番号を選んだ。
一秒すら要することはなかった。
違う、絶対に。
耳にあてる。心臓がバクバクと脈立っている。沈黙が恐怖に変わる。
『ーおかけになった電話番号は現在使われていないか…』
カタン、
滑り落ちたスマホの衝撃音が静寂な廊下に響いた。
なんで、だって、だって
(っ、んなの…ないだろ、)
何も知らない。何も聞いてない。気づくことすら出来なかった。
(あほ…あほ、りょ、たっ)
俺になんの断わりもなく何一人で勝手な行動とってやがる
言ってた。明日昼飯一緒に食おうって。
言ってた、また明日ねって。
それなのにいないってどういうことだ。
わざわざ俺から出向いてやったっつーのに。肝心のお前は約束すっぽかしてどこへ行っちまったんだ。
(………うそつき、)
お前がいなかったら意味がない。
…お前がいなくちゃなんの意味もねえんだよっ
もう昼飯すら一緒に出来ない。くだらないやっかみして、アホ陵汰って悪態つくことももうできない。
(い、い…たかった、)
ありがとうももう言えない。伝えられない。
昨日のありがとうじゃ、あんなんじゃ全然伝えきれなかったのに。
「……りょ、たぁ…ッ!!」
胸を抉られたような痛みだけが残った。
膜の張る視界にいやいやと頭を振る。
(なくな…泣くんじゃ、ねえ…!)
強く唇を噛み締める。は、は、とうまく呼吸が出来なくて、両手で胸を抑え込む。
それでもギリギリのラインでやっと踏みとどまっている堰は今にでも切れてしまいそうで。尚一層強く唇を噛んだ。
自分のことだけで精一杯だった今の現状で、
だからまさか近づく足音が確かに存在して
(りょうたぁ……!)
「泣き過ぎると目溶けるよ」
まさか誰かに言葉をかけられるとは思いもしていなかった。
「っ、ふ………、…!!?」
突然背後からかかった声にビクッと肩が揺れる。
ギギギ…とまるで錆び付いたカラクリ人形のように恐る恐る首だけを回した、ら…
そこにいたのは凌汰…ではなくて。
予想すらしていなかった
「み、やせ、」
「どうも、会長さん」
なんでここにおまえがいるんだ一年の寮なら別の階だろうがというかそもそもいつからそこに…
山のように積もる質問。特に最後を重視で消化しようと口を開いた。
だが相変わらずの何を考えてんのかわからない無表情面に飄々と俺を見下ろすその姿に。途端に真面目に疑問を投げかけようとする自分がなんだかバカらしく思えてしまう。
結果構えた口からは「は、うぁ、え…」という、なんとも情けない声だけが零れることとなった。
「それにしても意外だなぁ。会長も泣いたりするんですね」
「う…、って!泣いてなんか、ねっ!!」
そうだ!誰が泣くか、誰が!!適当なこと言ってんじゃねえぞコラ!!!
キッと鋭い逆光で捉えるも、きっと今の俺の顔は羞恥で耳まで赤くなっているだろうから威厳半減なのかもしれない。
しかも座り込んでいる俺からしたら必然的に見上げる形になってしまうという欠点もあった。
ぐ…なんか敗北感
「うわーなにその受け顔。もしかして狙ってる?」
「だ…れが、!ってかなんだうけがおって!!」
「無自覚か。だとしたら余計タチが悪いよ」
「だ、から!ああもう!!お前と話してるとまじで話しがズレる…!」
「でもほら、涙止まったね」
「っ、……そもそも泣いてなんかないし…」
ほら、と指で差されたのは目元だった。
…だから泣いてなんかなかった。泣くわけがない。だって誓ったんだ。凌汰の分も背負って強くい続けたい、凌汰の分も…
(……弱いな、俺の方が)
ちらりと今はただの空き部屋と化した凌汰の自室だった場所を視界に入れただけで、またたまらなく胸が苦しくなった。
「それだよ、その顔」
泣きそうなそんな顔
泣いてなんか、ねぇよ。
ただ、ただ苦しいんだ。息が詰まって、呼吸すら出来ないだけなんだ。
凌汰にただ会いたかっただけなんだよ…っ
俯かせた顔からはもう全ての景色が遮断された。隣に三谷瀬が腰を下ろすのが気配でわかった。
「………ありがとうって言ったらな…あいつ言ったんだよ」
珍しいって。俺が礼を言うのがそんなに。
「いつだってあいつに甘えて頼ってばっかだったのに。実際は礼の一つも満足に言えてなかった。……ばかだよなぁ、おれ」
三谷瀬は何も言わない。
それでよかった。むしろそれがひどく安心した。別に誰かに頷いてほしかったわけじゃない。否定してほしかったわけでもない。
「…っ、お、おまえも悪かったな。せっかく背中押してくれたのに全部無駄にしちまって…」
はは!と明るく笑おうとして口から出たのは乾いた…自分でも痛感するくらいひどく泣きそうな掠れ笑いだった。
「っ、」
何度目かもわからない、強く力を入れた唇からは切れて鉄の味がした。
ぎゅっ、と瞼を閉じたその刹那。
ふわ…頭に温かい柔和な感触が伝わった。三谷瀬に頭を撫でられている…そう気づくのに時間はかからなかった。
「見返りが欲しかったわけじゃない。ただあんたが大切だったんだよ」
紡がれた声は胸ん内の蟠りを溶かすくらいひどく優しいもので。
ばっ!と目を見開き、顔を上げる。はくはくと口を開いては閉じ、そして息を呑んだ。
なんで…喉元から振り絞った声は三谷瀬の表情によってかき消されることとなった。
(あ、にてる)
『結ちゃん』
花が綻ぶように温かくて柔らかいその表情が。重なって、瞳に焼きついて離れない。瞳を惹きつけて止まない。
「…りょうたが言ってたのか、?それ…」
ぼそぼそと声を紡ぐ俺に三谷瀬は間髪入れずに答えた。
「なわけないでしょ。俺会ったことないし」
「な、ならなんで…そんなことわかんだよ、」
な…なんだ。一瞬2人は顔見知りかと思ったがどうやら違ったようだ。
「残念だけどただの勘。想像力は豊かなものですから」
「残念ってわけじゃ…、」
「嘘。俺には期待が外れて落ち込んでるように見えるけど?」
「っ、な…!ら、らく、らくたんっ!?だだだ誰が…!」
(な、なんだこいつなんなんだ一体!!)
一見くだらないようにも思える今の会話の中にどうやら三谷瀬の琴線に触れたものがあったらしく。
いつもの無表情面はどうしたんだ、とつっこんでしまいたいくらい今の三谷瀬は普段と対だった。何がそんなに面白いのやら、くつくつと喉を震わすその様はひどく歳相応のもので。
基本無表情はたまた冷めた瞳または人を見下したような、そんな姿しか見たことなかったからか。そんな表情一つが無性に新鮮に思える。そして何故だか嬉しくも思えてしょうがなかった。
…..というかそれと同じくらい無意識なのか何なのか。軽く触れる程度だった頭の上の手はいつも間にやら、がしがしと、まるで偉いことをした犬を褒めるような扱いで頭を撫でてくるようになった…
これはなんだ。真剣に問い質したい。
(…こいつ、俺のことを同輩か年下かなんかだと思ってるんじゃないか…)
いや、もしかすると一番悪くて犬という可能性も…。
ばれないようそろりと隣を窺う。
うん、おまえでもそういう顔するんだな。なんて何気失礼な感想抱いちまうくらい今の三谷瀬の纏う空気は柔らかい。そして悟る。
……あぁこれもしかするともしかしなくとも犬フェルター越しに見られてるなおい。
まあだが。犬のように扱われながらも胸ん内で急ピッチに染まりつつある感情は、プライドを傷つけられた怒りでも羞恥でも何でもなくて。
(もったいないだろ、んな…いい顔して笑うのに)
嬉しさの4文字だった。
久しく感じるこの居心地のいい空気を噛み締めるように、知らず知らずの内に俺も笑みを零していた。
「それにしても…いろいろと悪かったな、三谷瀬」
微笑を浮かべつつ苦く眉根を寄せれば、澄んだ色素の薄い双眸がちらりとこちらを捉えた。すでに表情は平素通りに戻っていて頭を撫でていた手は撤去された。離れていく間際名残惜しく思ってしまい、つい視線で追っかけてしまったのは果たして三谷瀬に気づかれたかどうか。
「本当に悪かった。背中押してくれたのに無駄にしたこととか、さっきだってつまらない俺の泣き言…黙って受け止めてくれた」
もしお前があんな風に言葉をかけてくれていなかったら。きっと俺ははかりしれない不の感情に一人抱えきれず押し潰されていただろうから。
「っ、それに、あのときの三谷瀬の忠告…聞き流してたのも全部…っ、」
初めてまともと呼べる対面をしたあの日、三谷瀬は確かに言ったはずなのに。宇宙外生物もとい転校生の洗脳事態より更に絶望的なこれからが待ってるって。そう忠告してくれたのに。
「あと近づくなって約束破って、わ、わるかった…」
二度と近づくな、そう言われてたのに。
写真を撮って脅しのようなことをするくらい、そのくらい俺と接触するのが嫌だったのだろう。
それなのに…..
ずきん、と締め付けられるような痛みは先程の安堵感とは全く別のものだった。
(ってか、なんでこんなに痛むんだ…)
きっと俺は三谷瀬に嫌われている。
そんな事実くらい初対面のあの出来事で痛いくらい思い知らされたはずなのに。
「……なんで」
いまさら近づくなって冷たく突き放された事実が脳裏を掠める度に、どうしようもないくらい胸が痛むのだろうか
それっきり口を噤んでしまい、重く圧し掛かるような沈黙が場に流れる。どくんどくん、と心臓が嫌な音を刻む。
そんなとき、はあ…とため息が静寂な空気に不意に溶け込んだ。誰の、なんて、そんなのわかりきっている。びくりと張り詰めたように全身が強張る。
三谷瀬はブレザーの胸ポケットからスマホを抜いて軽く何かを操作してからスピーカーを耳にあてた。
「……あ、ナナ?」
ナナって…平凡生徒の、
「もう?さすが本当に話しが早くて助かるよ」そう電話越しに口元を吊り上げてみせる三谷瀬を後目に、俺はといえば奈落の底へと突き落とされたような絶望感に陥っていた。
三谷瀬はまるで俺の存在が元よりないように話していたが真っ暗になった頭の中では何を言っているのかもうわからなかった。
……本当に嫌われた。
いや元々嫌われていた自覚はあったが。でも、でもここまでとは思っていなかった。もしかしたら三谷瀬との距離が詰まるかもしれない、そんな淡い期待をどこかで持っていたのかもしれない。
んなこと天地がひっくり返ってもありえないのに。
期待するだけ拒まれたときの絶望は膨れ上がるばかりなのに。
(そんなこと…嫌ってくらい思い知らされたはずだろうが、っ)
わかってる。三谷瀬とあいつは親しい間柄とよべるような関係で、逆に俺は顔も見たくなくなるくらい嫌われているんだ。優先するのにわざわざ順位をつけるまでもなく明白だってことくらいわかってた。
(…けど、なら)
なんで声をかけたんだ。
頭を撫でたんだ、…あんな優しい言葉をかけてくれたんだよ….っ、
(っ女々しすぎる、)
勝手に期待して絶望して。そしてトドメに八つ当たり。
「…….ばかみてー…」
きゅっと踵を返す。
もうだめだ…足元がぐらつく中1秒でも早くこの場から逃げ出そうとしたそのとき、
「目溶けるってば」
デジャヴだった。
腕を掴まれて、歩行しようと前に出した右足が無意味に地面へと着地した。
「…….はなせ」
言って後悔。ちがう、こんなこと言いたいわけじゃない。
心なしか腕にかかる力が強くなったような気がする。
「あんたがあほみたいな顔して笑うまで離さない」
「い、いから、離せ…」
「今のあんた訳わかんなさ過ぎるよ。勝手に泣いて、勝手に怒って。俺にどうして欲しいか…」
「っ、離せっていってんだろうがぁっ!!!」
ーーパアァァン….腕を振り払った音が痛いくらい室内に反響した。
「なんなんだよ、お、まえこそっ!なにがしたいんだよ..…!!」
見えない。卑怯だけど、三谷瀬の表情が恐くて見れない。
「訳わかんないのは、こっちだよ…まじでふざけんな、っ!」
なんでこんな言葉しかでないんだ。これじゃあ完全に八つ当たりではないか。
三谷瀬の言う通り勝手に拗ねて勝手にキレて…これ以上本当に俺はなにがしたいんだ。
違うんだ、言いたい言葉は。もっと別にあるのに
俺ら以外人ひとりいないこの場所で聞こえてくるのは乱れた息を整える俺の声だけだった。もう心情は絶望なんて一言じゃ言い表せないくらいで。泣きたくなった。
「…….わかった」
あ、終わった。
たった一言。だが怒りの滲んだ声色で無残にもそう言い渡された。
ーーー自業自得。この一言に尽きた。
身を翻すのがわかった。足音が遠ざかるのがわかった。物理的にも、きっと心理的的にも距離が広がる。
これで本当にもう顔を合わすことも声が交じることも…笑顔を向けてくれることも、もう本当にないのか。
ーーいいのか
このまま、これで終わって。
なくなって、初めて気づいたその大切さは
なくなって、ばかみたいに知った絶望感は
自分自身が一番わかっているはずだ。
(もう…….うしないたく、ねぇっ!)
「…ご、めん」
走って、追いついて。
勢い任せに三谷瀬の背中に縋り付いた。
俺より背丈が低いはずなのに微動だに倒れることはなかった。
ぎゅうっと三谷瀬の服にしがみついて顔を埋める。
…やっぱり怖くて顔は見れなかった。
「っ、あ、やまるから…いかないで…」
もう失いたくねえんだ。
「ごめん…ごめん。いやだ、行くな、」
自分でももう何を口走っているのかわからなかった。ただ頭の中で渦巻く言葉をそのまま口に出していた。
どん引きされたかもしれない…背丈もあってガタイのいいやつに抱きつかれて、キモいとか思われているかもしれない。
「嫌だ、行くなよ….」
「….」
「三谷瀬..」
「なに言ってんの」
さあぁぁ、全身が急激に冷えていく。
冷たい声でパシっと身体を振り払われた。
(また間に合わなかった….)
堰が切れた音がした。もう限界だ、そう思ったとき
「そういうとこやっぱアンチ会長だね」
泣き虫。
ポンポン、そう優しく頭を撫でられた。
「さっきの電話さ、ナナとだったんだけど」
「……」
そんなこと知ってる。
ナナという単語が三谷瀬の口からでただけでまた胸に靄がかった。そんな俺に気づいてかはたまた偶然か、頭に滑らせる手がさらに優しくなった気がする。
「どうしてまた泣きそうな顔すんの。……写真を消してって頼んだんだ」
「写真?」
泣きそうな顔しているのだろうか…自分ではよくわからないがそれが本当なら相当酷い面なんだと思う。
というか写真…?なんの、そう視線に込めて服から手を離しおずおずと顔をあげる。
(ーーあ、目あった)
視線がぶつかる。
そんなことだけでこうも心臓が跳ねるとは昔の俺なら思いもしなかった。それに三谷瀬の表情すごく和らいでいる。いつもの冷たい空気が全然感じられない。
それがこうも嬉しいなんて…あれ俺どうしたんだ。
っていうか写真、写真…一体いつのなんの、
全思考をフル活動させ記憶を呼び起こそうとするも一向に思い出せる気配がしない。わからない、眉根を下げ懇願するように三谷瀬の顔を覗きこむものの、「ふぅん。わからないんだ?」そう言われてしまえば自力で探し当てるしか他ない。
(写真…なんの、わかんねえ…っ)
考えても考えても三谷瀬の期待する答えには辿りつけない。
募る焦燥感。早く言わなくては今度こそ呆れてしまうかもしれない。それは嫌だ。
だけど..焦れば焦るほど正解が遠のいていくような気がしてばかみたいに立ち尽くすことしかできなかった。
「……いじめすぎたかな」
上からの呟くような声が上手く聞き取れなくて小首を傾げた。
「って、うお…!え、は、な、…!!?」
頭への愛撫は不意に中断され、片手でぐっと両腕を引かれ逆の方でそのまま後頭部を押さえつけるように手を回された。
ぐっと距離が近づく。
視界一面に三谷瀬の見惚れるくらい整った顔が映り思わず息を呑んだ。
(っち、か)
後頭部に回されていた手が滑るように耳の後ろへと触れる。
ひやりとした感触にぞくりと肌が粟立った。
離れていく背中が、遠ざかる距離が怖くて怖くてさっきまではあんなに怯えていたのに。
今は三谷瀬に触れられている場所が熱を帯びたように甘く疼いている。
今確かに三谷瀬は俺の目の前にいる。手の届く距離にいるんだ。そう実感した途端ひどく安心して、嬉しくて。キュウ…と淡く胸が締め付けられた。
「んんっ、ん、」
何もかもを見透かされてしまいそうな深くて真っ直ぐな色を宿した三谷瀬の双眸に一瞬でも捉えられてしまえば視線を反らすことなどもうできなくて。
唇を重ねられ、僅かにできた隙間から舌が差し込まれる。
(あ、セカンド)なんとなくそう思って、ふる、と体の芯が小さく震えた。
「はっ…ふぅ、ンン」
「わからないなんて許さないよ?」
「っはぁ、な…にが、…んぁ!」
口内を遠慮なしになぞる舌先が熱いせいで息が持ってかれる。
口から漏れる声が自分のだとは思いたくなくてきゅっと目蓋を閉じた。鼓膜を震わせるのは互いから漏れる水音だけで、全身の温度が急上昇する。
(…..やっぱ慣れてやがる)
こういう行為に。
一回目のときも思ったが改めてそんな印象を受けた。
「ってか写真ってまさか…」
しばらく口内を蹂躙された後ゆっくりと三谷瀬が離れた。同時に掴まれていた腕も離される。
…なんか寂しいな、とか思ってしまっている自分まじでキモい乙女か。
「あの時の…?」
初めて面と向かって対面したとき。俺との接点を切り離すために故意的に撮られた俺が三谷瀬にキスされているあの写真。
「ぴんぽーん」
「な、なんで…?」
ぱちぱちと目を瞬かせる。
「だ、だっておまえ俺に近づくなって…だから写真まで撮ったんじゃ…」
「気が変わった」
くるりと三谷瀬が踵を返した。今度こそ向けられた背中にたじろぐ。遠ざかる背中に直感する。ああ、きっとこいつはもう振り返らない。追いかけようと右足の踵に重心をかけるも、遮るようになぜか内心で戸惑われた。
「っ三谷瀬!なぜここにきた!」
その代わりなんておこがましいことは言わないが。
精一杯の声を遠ざかる背中に投げかけた。
「内緒」
……せめて振り向いて言えよ。
ってか内緒って。やっぱわけわかんねぇ。
「…….はあぁぁああぁ」
三谷瀬の姿が見えなくなった途端全身の気が抜けたように盛大に息を吐きながら蹲る。あああ…!と空にでも向かって叫んでしまいたい衝動を必死に押し込め、がしがしと頭を掻き回す。
ーーーわけわかんねえ……っ
写真を消した。つまりそれは近づくなという言いつけを破棄したのと同じ意味なわけで。だから、それは、つまり
(普通に接しても…いい?)
今度は自惚れでもなんでもなくて。
さらにうずくまり両腕で抱え込んだ脚に顔を埋めた。
だめだ、俺いま絶対に変な顔している。口元がだらしないくらい緩みきっている自覚がある。
本当に三谷瀬の考えていることはわからない。
あからさまに俺のことが嫌いなんだと伝わるくらい感情の篭っていない表情と冷たい冷たい瞳や空気しか向けてくれないと思っていたのに。
俺の背中を押してくれて、隣に座って話しを聞いてくれて。そして遠まわしに近づいてもいいと言ったり。
もうここまできて自覚しないわけにはいかなかった。
冷たく突き放されて心臓が誰かに握り潰されたかのように痛むのも。
あいつがあの平凡生徒と親しく声を交わすのを目にしただけで胸がもやもやすんのも。
ふとあいつが見せた優しくて柔和な笑顔に嬉しくて堪らなくなって、胸が跳ねたのも。
キスされて嬉しくて、けど慣れていることに気づくとギュウ、と胸が苦しくなるのも。
ぜんぶぜんぶ、俺は三谷瀬が好きだからだ。
この学園では当然となっている恋愛の好きという意味で俺が三谷瀬に抱くこの感情はきっと恋なんだ。
(……りょうたがいなくなったのに、)
それにこの想いが実を結ぶ確立なんて限りなく無に等しいだろう。
それでも、今までで一際大きく高鳴るこの鼓動はもう誤魔化せない。
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