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真琴が去ったあと、翼は一人でローラーを押し続けていた。白線が少し曲がっているのに気づいて、慌てて修正する。
でも、手が震えていた。
(……なんで今、あんなこと聞くんだろう)
真琴の言葉が、胸の奥に刺さったまま抜けない。
「また、野球やりたいって思わないの?」
翼はローラーを止めて、空を見上げた。
眩しい夕陽が、目を細めさせる。
頭の中に、ずっと昔の光景が蘇る。
——小学校3年生の春。
父の病院の小児科病棟で出会った、1つ上の少年。
本郷渉。
抗がん剤で髪が抜け落ちても、ベッドの上で毎日古田敦也のビデオを見てキャッチングのフォームを研究していた渉。
「俺、絶対キャッチャーになる。翼とバッテリー組んで、優勝するんだ」
渉が入ってから、チームは変わった。
それまで勝てなかった試合が、勝てるようになった。
渉の6年生の夏、初めてリトルリーグで優勝したとき、
渉はマスクを外して、翼に向かって満面の笑顔で言った。
「翼、俺たち最強だな!」
……あの笑顔が、忘れられない。
中学2年の秋。
渉は癌を再発して、病室で最後の息を引き取った。
その前日、翼は病室で渉の手を握りながら、
「また、バッテリー組もうな」と言えなかった。
渉が亡くなってから、翼はマウンドに立てなくなった。
投げようとすると、渉の最後の笑顔が浮かんで、喉が詰まる。
綺麗な思い出のまま、終わらせたかった。
もう二度と、誰かとバッテリーを組んで、
「最強だな」と言ってもらえる日が来るなんて、思えなかった。
「……俺は、もういいんだ」
翼は小さく呟いて、ローラーを再び押し始めた。
笑顔を作ろうとしたけど、うまくできなかった。
そのとき、背後から足音が聞こえた。
「翼」
振り返ると、タクが立っていた。
練習着のまま、汗を拭きながら近づいてくる。
187cmの体が、夕陽を背負って大きく見えた。
「……どうした? 顔色悪いぞ」
タクは翼の額に手を当てようとして、翼が少し後ずさったのに気づいた。
タクは手を止めて、静かに言った。
「真琴が何か言ったのか?」
翼は首を振った。
「ううん……なんでもない。
ただ、ちょっと昔のこと思い出してさ」
タクはそれ以上聞かなかった。
代わりに、翼の持っていたローラーをそっと取り上げて、
「もういい。俺がやる。お前は休んでろ」
翼は小さく笑った。
「タク、俺はマネージャーだよ?
手伝うのが仕事だって」
「マネージャーも、たまには休め」
タクは翼の頭を軽く撫でて、
「俺がいるんだから、頼れよ」
その言葉が、胸に染みた。
翼はタクの大きな背中を見ながら、
(タク……お前がいるから、俺は今もここにいられる)
そう思った。
でも、
「また野球やりたい」なんて言葉は、
まだ、喉の奥に押し込めたままだった。