久々にピアノを弾いたあの夜、空色を想いながら枯葉を歌った時に気が付いた胸のくすぶりを、きちんと消化しておけば良かった。最初は本当に小さな炎だったのにそのまま放置してしまったから、俺の胸を徐々に焦がしてまるで炎が燃え広がるように、熱く、激しく、気が付いた時には全てに燃え広がって手が付けられなかった。
空色に会うと、会える前は楽しみだったのに会った後が辛い。
激しく燃えるような胸の内を鎮火できなくて苦労する。
その回数が増えれば増えるほど、彼女を求めてやまなくなる。
俺は自分が怖い。
いつか理性が吹っ飛んで、彼女を求めてしまいそうだ。
あの可愛い笑顔を誰の目にも触れさせたくないと、独占欲にかられている。
誰も人を信用せず、誰も好きになったことのない男が恋した女性は、他人の妻。苦しい胸の内がドロドロの嫉妬で醜く歪んでいる。
こういう気分の時はシャンソンがよく合う。
さっさと仕事を片付けて帰宅し、広い空間でがむしゃらにピアノを弾いて歌った。
俺の自宅は大抵の人間が憧れるタワーマンションの最上階の角部屋。神戸の夜景を一望できるから見晴らしは良く、日当たり最高で冬は寒く夏はめっちゃ暑い、住むには最悪環境の一室。
部屋も沢山あるけれど、改造して機材部屋にしたり、レコーディング部屋にしてある。
もう曲はなにも書けないし、音楽に全く無縁の生活を送っているのに、無駄な空間だけが俺と共に存在している。
これらは全部、俺の自由と精神を金に換えただけの代償の産物。
辛いなら手放してしまえばいいのに、音楽に関する想い出が捨てきれないのは、音楽が無いと俺は生きていけないからなのだ、と最近気が付いた。
不自由だったからうまく音が鳴らせなかっただけなのだ、と。
じゃあ、今は?
今はまだ足かせがある。でも、あと少し。もう少しで自由になれる。
俺がもっと早くにいろんなことに気が付いて、がんじがらめになる前に自由を手に入れていたら、空色を探しに行けたのかな。
打ち合わせの度に旦那に羨望の眼差しを向けなくても、空色の隣で…。
そんなことを考えながらピアノを弾いていたら、あれだけなにも浮かばなかった俺の頭に、新しいメロディーが浮かんだ。
スタンダードなシャンソンやジャズ曲を弾くのを止めて、Dの黒鍵を抑えてみた。そこから流れるメロディー、コード、歌詞――美しい旋律を奏でるはずのピアノで弾いても、ドロ臭い曲が出来上がった。
「ははっ、六年ぶりに書けた曲がこれか…」
思わず呟いた。
マイナー調で激しい曲。ドロ臭さ満載の、今の俺の心境をただ曲として表しただけのもの。
うん。いい。
空色の旦那が羨ましいってそればっかり考えていたら、曲が出来てしまった。アーティストはどん底であればある程、研ぎ澄まされて美しくなって、なにかが溢れてくる。それを俺は歌やピアノで曲にする力があるから、見聞き出来る形に変えられる。
六年ぶりの曲のタイトルは――『羨望』。
そのままの俺の心境を綴った、俺だけのための曲。
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