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「うわー。美味しそう。これ食べるの久しぶり」
私は注文した生春巻きとフォーを目の前に、思わず声をあげた。ニューヨークにいた頃はピザの他によくこれとメキシコ料理を食べたのを思い出す。
「美味しいよねー。このピーナッツソース」
今日は経理の|姫野《ひめの》さんの他に事務の|立花《たちばな》さんと|日向《ひなた》さんが一緒だ。皆でフォーの中にバジルやもやしなど色々な野菜やハーブを入れながらお喋りをする。
「七瀬さん、お仕事どうですか?」
立花さんがフォーを食べながら私に尋ねた。
「そうですね。だいぶ慣れてきました。八神さんと五十嵐さんがとても親切に教えてくれるし、社長も私にとても良くしてくれますし」
生春巻きにピーナッツソースを付けるとかぶりついた。爽やかなハーブの味や中に巻かれているエビがこのソースにマッチしていて美味しい。
「そっかー。実は皆で今度の秘書はどんな人になるのかって結構話題になってたの」
「そうなんですか?……あの、前の秘書の方はどうして突然辞められたんですか?」
実はこの会社で長続きしない秘書の話が前から気になっていた。
「前勤めてた|相楽《さがら》さんなんだけどね、ほら、うちの社長ってあの通りの容姿でしょう?しかも仕事してる時なんて男の色気を漂わせてるじゃない。だから社長にすっかり夢中になっちゃったのよ」
── あーなるほど……
私はフォーを食べながら、容姿端麗な桐生社長を思い浮かべた。初日に感じた私の勘は正しかったようだ。
「それで朝から晩まで色目使われて社長もどうしていいか困ってた感じだったんだけど、ある日西園寺さんが会社にやって来て社長のことで大げんかになったのよ」
西園寺さん……。私は桐生さんに頻繁に電話をかけてくる女性を思い出した。
「あー、そうそう。あの西園寺さんねー」
立花さんの話を聞いていた日向さんが意味ありげににやにやした。
「あの、西園寺さんって……?」
「七瀬さんは知らないかもしれないけど、社長の許嫁らしいのよ。それで会社に以前よく来てたの。時々外で社長が出て来るのを待ってた時もあるし」
── ふーん、許嫁がいるのか。まぁお金持ちだしあの容姿だしね。
私は桐生社長の明かされるプライベートな話に興味深々で耳を傾ける。
「それで、西園寺さん、相楽さんが社長に言い寄ってるってブチ切れちゃって二人で大喧嘩になったのよ。それを外出先から帰ってきた社長に見られて……。まぁあれはかなりの大騒動だったわよね」
立花さんと姫野さんが日向さんの話にクスクスと思い出し笑いをした。
「まぁ、彼女すごいよね。あの騒動以来しばらく来てないけど、許嫁とはいえ普通あんなに頻繁に会社まで来ないでしょ。七瀬さんも気をつけたほうがいいよ」
いつも電話で話す西園寺さんを脳裏に思い浮かべる。彼女に実際会った事はないけど、声はわりと甲高くどちらかというと大人の女性というよりは若い女の子の様な声をしている。
彼女の馴れ馴れしい話し方に、てっきり社長の親戚の子かと思っていたけど婚約者だとは思わなかった。でも気性の荒そうな彼女に目をつけられて、また会社を辞めるような羽目にはなりたくない。
「でも七瀬さんなら大丈夫なんじゃない?ほら、今までの秘書と全然違うし」
姫野さんは視線を私を頭の天辺からつま先まで走らせた。
「あの、悪い意味に捉えないでね。七瀬さんて今までの秘書と比べるとちょっと控えめなのよ。社長にも全然興味なさそうだし。だから七瀬さんのスキルとその姿を見て、秘書にぴったりだと思ったんだと思うのよ」
*
その後、私はボランティアのある「Paw Hotel and Daycare」に向かって歩きながら今夜聞いた話を考えた。
なぜ自分のような人間が秘書に選ばれたのか、だんだん理由がわかってきたような気がした。要はこの地味な真面目そうな格好が社長秘書として望まれたのだ。これなら西園寺さんとも揉めないと思ったのだろう。
しかもその後の姫野さんの話だと、桐生社長は相楽さんの前の秘書とも何かあったらしく、それが原因かどうかよくわからないけどその秘書も短期で辞めていったらしい。
やはりあの容姿に人懐こそうな物腰、しかも仕事に集中している姿は出来る大人の男としての風格を帯びている。気持ちはわかるけど桐生社長に恋心を抱くととんでもない事になりそうだ。
「今晩は。遅くにすみません」
「Paw Hotel and Daycare 」に着くと、早速出て来た佳奈さんにここに保護されているポテトの様子を聞いた。
ポテトはここに半年近く保護されている高齢のラブラドールだ。実は今日会社帰りに寄ったのは最近ポテトの容体が良くないからだ。
数ヶ月前にやっと引き取ってくれる家族が見つかったのだが、丁度その頃体のあちこちに腫瘍が出来始め病院で検査をした。
結果は悪性のリンパ腺癌。既に末期でどうしようもない状態だった。もちろん引き取る話もなしになり、現在佳奈さんが引き取ってポテトを最後まで看取る事になった。
一応抗がん剤の薬を飲ませてはいるが、こういう薬は最初は良く効くがしばらくすると効かなくなる。要は寿命を数ヶ月伸ばすだけだ。
ポテトも最初はよかったものの、最近また腫瘍がボコボコと戻って来て以前よりも辛そうにしている。ちょっと前まで食べる事が生きがいだったポテトなのに、食事も最近は残すようになり一日中寝てばかりだ。
「ポテトの調子どう?」
私を見て嬉しそうに寝たまま力無く尻尾を振っているポテトの頭を撫でながら、佳奈さんに尋ねた。
「あまり良くないわね。もうあまり長くないかも。覚悟をしておいたほうがいいかもね」
佳奈さんは悲しそうにポテトを見た。
私は新しく買ってきたぬいぐるみをポテトの前に置いた。もちろんポテトはちらっと見ただけでまた目を閉じてしまった。それでもずっと一緒にいてあげられない自分の分身だと思って、そのぬいぐるみをポテトの傍に置いた。
「佳奈さん、もしポテトの容体が変わったらいつでも知らせて。すぐに駆けつけるから」
ここ半年ほどずっとポテトの世話をしてきた。連休の日などは自分のアパートに連れて帰り、一緒に過ごしたこともある。
保護された犬はあっという間に里親やフォスターが見つかる場合もあるが、こうして何ヶ月も引き取り手がいない場合もある。ずっと世話をしていたことで、情が移ってしまい自分の犬がこうして癌で死んだときの事を思い出してしまう。
「ポテト。また明日も必ず来るからね。私がいない間に天国にいかないでね」
私は痩せ細ったポテトの体を一生懸命撫でた。