テラーノベル
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射る者との一騎打ちから三日の後、秋晴れの空の下、鮮やかに色づく森でソラマリアとレモニカは苔桃の実を摘んでいる。険しい道行きの小休止の時間に見つけた秋の実りを皆に持って帰ろうと考えたのだ。ソラマリアの持つ籠を苔桃でいっぱいにしようとレモニカははりきって森を行き来し、地面を凝視していた。
特に熟した一際赤い実りを見つけるたびにレモニカは涼やかな空気に歓声を響かせる。ソラマリアの名を呼ばわり、駆け付けた籠に成果物を放り込んでいく。
にこにこと笑みを浮かべ、小鳥のように笑いさんざめくレモニカの横顔を見て、ソラマリアは満たされた想いになった。しかし、この関わり方は果たして王女と騎士、主従の関係と言えようか、と閉じた心の中で呟く。
「また面倒なことを考えているわね? ソラマリア。貴女、表情に現れていてよ? 特に眉間に」とレモニカはソラマリアの眉の間を指さして言った。
非難めいた口調だが、揶揄うような声音でもある。
「いえ、そんなことは――」
「嘘。白状なさい。何を考えていたの?」
見上げるレモニカの強い眼差しにソラマリアは少しだけ心の錆びついた鉄の扉を軋ませる。
「ただ、私は殿下の騎士に相応しいだろうか、と」
「まあ、そんなことを考えていたの? 安心していいわ。相応しくなくたって貴女はわたくしの騎士だから」
「そういうわけにも。従者が半端な在り方では殿下の評にまで影響を与えかねません」
「そう。でも思いつめないことよ。自らに手枷をはめては上手くいくものも上手くいかないわ」
そう言ってレモニカは両手に溢れんばかりの苔桃を籠に流し込む。
「あらかた取り尽くしてしまったわね」と言った直後、レモニカの表情が強張り、ソラマリアの背中に隠れる。
抜刀しつつ、レモニカの視線を追って振り返ると、そこに一匹の猿がいた。尋常の猿ではない。その瞳には知性を感じられ、握りしめた手斧の使い方は十全に把握しているようだ。
使い魔だろうと推測したソラマリアが誰何を問う前に猿が口を開く。「苔桃を寄越しなさい」
猿は苛立たし気に尾で地面を叩いている。
「分けてあげて、ソラマリア」とレモニカは優しく言う。「いささか採り過ぎてしまったわね」
「全部寄越せ!」そう喚いて猿が飛び掛かってくるとソラマリアは籠を放り出して応戦する。
斧まで含めて一つの生き物かのように、猿は巧みに身を翻してソラマリアと渡り合う。手斧の一撃は十分に重く、どのような相手であれ振り抜いて来たソラマリアの剣が取りこぼさないまでも押し返される。
そして戦い慣れぬ猿の身のこなしに翻弄され、ソラマリアの剣は決め手に欠けていた。猿は両手だけでなく、両足にも斧を持ち替え、時には尾をも使う。また地面から木に飛び移り、枝を飛び交ってソラマリアの勘を狂わせる。
「使い魔ならば話ができるのでしょう!?」とレモニカが非難めいた口調で問う。「一体苔桃をどうしたいのですか? こちらは苔桃ごときのために危険を冒したいとは思っていません」
猿が高い木の上に引き下がって、尾の先に手斧をぶらつかせながら品定めするようにレモニカを見つめる。
「あたしは打っ手切る者」と猿は言う。「察しの通り、第六階級。第二十三位。魔法少女一〇一柱の蛙。森の影の主。甲高い声で鳴き、千里を見通し、霜を立てる力を持つ」
白紙文書に封印を貼り付けた時に現れる説明文で名乗っているようだ。
「わたくしはライゼン大王国王女レモニカ。こちらはその近衛騎士ソラマリア。それで、苔桃が何だというのです?」
「我が主の命令です。食べ物を持って来いと。餓えておられました。怪我をして身動きがとれません。とにかく沢山の食料を届けなくてはなりません」
「それを早く言いなさいな」とレモニカは打っ手切る者を叱責する。「苔桃など全てくれてやりますわ。主の元へ案内なさい」
打っ手切る者は見極めるようにレモニカの顔を見る。
「疑っている場合ですか。あなたの主の危機でしょう。それともソラマリアに打ち勝てる目算がありますか?」
打っ手切る者は人間のように肩を落とし、ため息をつく。「分かりました。ついて来てください。こっちです。急いで」
枝を飛び行く猿をソラマリアとレモニカは追う。打っ手切る者は時折疑わしげに振り返っていたが、途中からその心配はないと確信したようだった。
歌うようなせせらぎが聞こえ、行き当たった沢を沿うように川上へと向かう。すると風に乗って何か甘ったるい臭いが漂ってきて、ソラマリアとレモニカは顔を顰める。打っ手切る者の方は特に何とも思っていない様子で臭いをたどるように木々の枝を揺らす。
しばらくして臭いの正体を見つける。川の畔に苔桃の他にも野生の実りが山のように積まれていた。それが熟し、いくらかは発酵し、この臭いを発していたのだ。
「主。また苔桃です。東の方にもまだありました」と打っ手切る者は言って、木の実や果実、川魚の山盛りに近づく。「さあ、ソラマリア。その苔桃をこちらに」
「そういう訳にはいかなくなりました。打っ手切る者」とレモニカが代わりに答える。
今ではソラマリアの前に立っている。これではどちらが騎士か分からない。
「何? 約束を破るのですか?」と言って使い魔は猿の体に牙を剥かせる。
打っ手切る者」が庇うように守っているのは大量の腐敗した食糧に埋もれて酷い臭いを放つ屍だった。
「我々はあなたの主を救いに来たのです。しかし死者を救うことはできませんし、この苔桃を手向けに供えるつもりもありません」
ここまで近づくと果実の香りでも誤魔化しのきかない死臭が漂っている。
「打っ手切る者。お前の主はもう死んでいるということだ」とソラマリアが付け加える。「分からないのか?」
その屍もまた腐敗が進んでいる。ここ最近のことではないはずだ。打っ手切る者はずっと死者の為に、主の最期の【命令】に従って食物を集めていたのだろう。
「主が死んでいる? そんなことは見れば分かります」と打っ手切る者は淡々と言った。「それとこれには何の関係もありません。私は使い魔です。主の命に従うものです。主は死せども命令は生きています。食料を探してこいと言われれば、地の果てまでも探し尽くします」
使い魔打っ手切る者は猿の瞳でじっとソラマリアを見つめる。
「まあいい。使い魔の特性は封印の特性だ。ずいぶん融通の利かない魔導書もあるものだ」そう言ってソラマリアは再び剣を抜き放つ。「いずれにしても使い魔の封印はいただくつもりだ。だが猿とはいえ、我が主は無駄な殺生を好まん。大人しくしてくれると助かるのだが、抵抗するようなら――」
「いいえ、ソラマリア」とレモニカが口を挟む。「封印を貼った者が死んで、つまり主が死んで使い魔を縛る【命令】は掻き消えたのよ。打っ手切る者は決して【命令】に縛られているわけではない。打っ手切る者は自らの意志で……」
ソラマリアは自嘲的に静かに笑って言う。「見上げた騎士道だな。しかし、そうだとしても……」
ソラマリアは言い淀み、戦いに備える。
打っ手切る者もまた斧を構える、主の最期の命令に殉ずるべく。
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