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ソラマリアは顔面に拳を食らい、鼻血を噴き出す。が、半歩よろめきつつも耐えて、お返しにと己が拳を打つが、相手は身軽な足さばきで退いてかわした。
ソラマリアよりも少しばかり若い女が薄い笑みを浮かべて構えた拳を下げる。純朴そうな顔立ちだが、短く刈った髪は獣のように逆立っている。
「シャリューレさんの血、初めて見た気がします」
それは打っ手切る者を回収した、その夜のことだった。その日の午後は打っ手切る者の主を埋葬するのに費やし、日が暮れるまでに少しばかり北へと歩みを進め、一番星の現れた頃に見つけた小川のそばで夜を明かすことにした。
それとほとんど同時に現れたのが焚書機関第五局の元焚書官たちの一人、シャリューレことソラマリアをライゼン大王国に売り渡した者たちの一人だった。
ベルニージュが結界を張る前にどこからともなく現れた女は一気に間合いを詰めてソラマリアに拳を食らわせたのだ。
その場にいる全員が戦いに備えるが、ソラマリアは片手をあげて旅の仲間たちを制する。
「誠実な人。君もそうだったのか」とソラマリアは悲し気に言った。
「私のことなんて、覚えていてくれたんですね」とミゾナは少し嬉しそうに言う。
「ああ、だが、少々信じ難いな。君は第五局に入って間もない新人だっただろう? 恨みを買った覚えはないんだがな」
「恨みって……。あれは一応大王国側からも働きかけがあったんですよ。報酬、今となってははした金でしたけど」
「焚書官の給金は、まあ、高くはないが、最前線の第五局は手当ても多かったろうに」
「そうですね。私は……。何というか、流れと言うか、断り切れなかったというか。口止めされる可能性もありましたしね」
「ねえ? また決闘でもするわけ?」ベルニージュが苛立たしげに言う。
「ソラマリアさんも律儀に付き合うことないんじゃない?」とユカリも同調する。
「ああ、だが、私を殺すことが任務で、私に殺されることが上の意向だと聞かされてはな」とソラマリアは言葉を濁す。
「同情してくれてるんですね。ソラマリアさん」とミゾナは一層嬉しそうに言った。「自ら引導を渡してくれるのは情けをかけてくれているってわけですか。まあ、一応刑が執行されたってことで、ここで死んでも死後教敵認定は外されますからね」
焚き火の明かりと爆ぜる音が悪霊の囁きのような冷たい風と共に会話の外で存在を主張している。
「そんなことより」とベルニージュが口を挟む。「セラセレアってのは一体何を考えて一人ずつ送り込んで来るの? 魔導書を献上するのが目的ってわけじゃないよね?」
ミゾナは初めてソラマリア以外の存在に気づいたかのように視線を向ける。
「そもそもあなたたちがどこにいるか分からないからですよ。全員で手分けしてこの半島を虱潰しに探してるんです。罪人である私たちは上の協力も横の連携も得られないですし、連絡手段もないので。あと使い魔たちは柔軟性が無いですからね」
「ただ罪人を処刑するためだけに魔導書を? ふーん」ベルニージュが納得していないのは態度から明らかだ。
「任務を果たしたならば生きたまま教敵認定が失効されるのだろう? 何故そうしようとしない」と尋ねたのは除く者だった。
ソラマリアと第五局のことについて除く者が興味を示すのは珍しい。
「任務を果たす?」ミゾナは堪え切れないという風に笑いを漏らす。「確かに、それが一番ですよね。では、そうしますか」
ミゾナが革紐をつけた両の拳を掲げ、律動的な足さばきをしたかと思うと一瞬にしてソラマリアとの間合いを詰め、腹部への打撃を見舞う。が、それは人間の放つ拳ではない。大槌を打ち据えるような衝撃でソラマリアの体は宙に浮き、十数歩分は吹き飛ばされる。
その背後からベルニージュが炎を放とうとしていたが、すんでのところで堪える。ミゾナは吹き飛ばしたソラマリアの元へ直ぐに身を寄せ、ほとんど踊りを踊るような接近戦を仕掛けてきたからだ。素早く回り込み、さらに外から抉り込むような鉤打ちがソラマリアを襲う。剣を抜かせないという意志を感じる。元よりそのようなつもりはないが。
ソラマリアは相手の流儀に合わせるように、拳をあげて、突きを放つ。空気を切り裂く重々しい音が響くが、ミゾナは余裕をもって躱してみせた。ソラマリアが放つ猛然とした連打も上半身の捻りだけで躱す。
「今までの連中よりも数段強いな」とソラマリアは正直に言った。
「ありがとうございます。魔導書との相性とか、あるのかもしれないですね」ミゾナは拳を止めることなく返事する。「っていうかソラマリアさん、戦う者とか闘う者はどうしたんですか? 使うならソラマリアさんでしょう?」
「それこそ相性なのかもしれないな。どうも自分に貼っても自分のもののように使えないんだ」
言葉も拳も途切れることなく応酬する。
「ああ、どちらかというと操作する感覚、指図する感覚に近いかもしれませんね」
「言い得て妙だな。自分に合った戦い方は身に沁みついているからな」
ソラマリアの拳は決して鈍いわけではない。その一つ一つが重く、鋭いが、ミゾナがその上を行くのだった。
二人との戦いは徐々に焚き火から離れていく。ユカリたちは付かず離れず邪魔しないように追ってきている。
「拳闘はソラマリアさんの戦い方じゃないですよね」
そう言ってミゾナが不自然に距離を取り、その隙にソラマリアは剣を引き抜いた。
「ベルニージュの言う通りだな。やる気がないのか?」
「貴女に言われたくないですね」
ミゾナの突撃を迎え撃つように剣を振るうが、その拳によって刃が払われる。打ち据えた響きは鋼の如きだった。魔術によって拳を硬化させているのだ。
短剣と打ち合ったことすらほとんどない。それ以上に射程の短い鉄の拳との立ち回りにソラマリアは翻弄される。自身が慣れた戦い方をしていても、相手があまりに異質な戦い方をしているとまるで調子が狂う。
剣を振り上げた肘を打たれ、突き出した剣を握る指を叩かれ、懐に入り込もうとするミゾナを振り払わんとするあらゆる剣の軸、肩を鉄拳に打ち据えられる。
ソラマリアの剣は悉くが芯を捉えられず、まるでミゾナの肌を撫でるような極限のところを斬る。ミゾナは衣服を切り裂かれるが、しかしただの一太刀もその身に浴びていない。
「まだ見つけられないんですか? 殴る者の封印」とミゾナは挑発めいたことを言う。
「おおよその見当はついている」
もはや襤褸切れが纏わりついているといった姿のミゾナのまだ大きく隠されている箇所は限られていた。
ソラマリアは拳を躱しつつ、剣を跳ね上げるようにミゾナの胸元を切り裂いた。
「惜しいですね」とミゾナは言った。
しかし白い肌が露わになっただけで、封印は見当たらない。ただ縦に伸びる手術痕があるだけだ。
「正解は……」ミゾナは拳を解き、胸に手を当てる。
胸元の傷を見つめるソラマリアの顔に、次の瞬間、血に濡れた刃が突き出され、ぎりぎりで躱すもこめかみを掠った。槍の穂先がミゾナの背から胸を突き破ったのだった。
「ここでした」と答えたのはミゾナではない、別の女だ。
その女の言う通り、握る槍の穂先に封印が引っ掛かっていた。
「お久しぶりですね、シャリューレさん」と血に濡れた女が引き攣ったような笑みを浮かべて言う。
「ああ、何年ぶりだったかな、セラセレア」と言いつつ、ソラマリアの視線は倒れ伏すミゾナから離れなかった。
「また騙されちゃった……」と呟いたミゾナの言葉が耳にこびり付く。