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マジシャンになりたい。——本当に、この世界の中に踏み込みたい。
そして、何かを変えたい。
自分の人生も、この胸の奥にずっと灯っていた願いも——
すべて、手品のように“見せてやりたい”。
剛は再びマイクを掲げ、明るく会場に笑顔を向けた。
「本日の演目は以上となります!
また次回、夢の中でお会いしましょう!」
司会の明るい声とともに、会場に拍手が響いた。
観客たちは、夢から目覚めるように、ひとりまたひとりと席を立っていく。
だが羽鳥だけは、まるでその場に縫い付けられたように、呆然と立ち尽くしていた。
胸の奥が、まだ熱を持って震えている。
指先には、さっきまで握っていたカードの感触が、はっきりと残っていた。
隣で立ち上がった東堂が、そっと微笑みかける。
「どうでした? 公演の感想は」
羽鳥は視線をさまよわせながら、かすれる声で答えた。
「……凄かったです。ほんとに、夢みたいで……
僕、剛さんに“マジシャンになりたい”って、何も言ってなかったのに……」
その言葉に、東堂はふっと目を細めた。
その時——
テントの奥から、まるでタイミングを測ったかのように剛が姿を現す。
眩しいほどの笑顔はそのままに、軽やかな足取りでこちらに向かってくる。
「ま、そりゃそうさ」
羽鳥の前で立ち止まり、剛は悪戯っぽく笑った。
「この三択の質問そのものが、君の“素質”を見抜くための仕掛けだったからな」
「……え?」
羽鳥が驚いたように目を見開くと、剛は人差し指を立てて言葉を続けた。
「予想するだけじゃない。“どう予想するか”を見てたんだ。
どこまで思考を巡らせるか。どれだけ自分の直感を信じられるか。
そして……“自分の未来に、どれだけ欲をかけられるか”」
羽鳥の喉が、ごくりと鳴った。
「君は見事に当てた。偶然じゃない。
あの選択肢の中から“最も信じがたく、けれど惹かれるもの”を選んだ。
それは、ちゃんと舞台に心を預けていた証拠だ」
剛の声には、芝居がかった軽さと、静かな敬意の両方があった。
「マジシャンに、なりたいんだろ?」
その言葉を告げられた瞬間、羽鳥の胸の奥で、何かが静かに確信へと変わっていく音がした。
——まだ、本当の幕は下りていない。
夢の続きを、追う準備は整いつつあった。
羽鳥がまだ信じきれずにいるその横で、
舞台袖からいつの間にか現れた斬島が、静かに口を開いた。
「……演者側の誘導によっても、選ぶカードを限定させることができます」
まるで補足説明でもするような、淡々とした口調。
剛は即座に振り返って、眉をしかめた。
「おいおい……! 仕掛け全部喋んなよ!」
斬島は、首をわずかに傾けたまま、無表情で言葉を返す。
「事実を述べただけです」
「それを今言うなっての。余韻ってもんがあるだろ余韻が!」
剛が肩をすくめてぼやくと、斬島は小さく息を吐き、静かにその場を離れていった。
羽鳥はそのやり取りに、少し肩の力を抜いて笑っていた。
ようやく、夢の中から現実に戻ってきたような、不思議な安堵があった。
東堂は、柔らかな笑みを浮かべながら羽鳥に向かって手を差し出す。
「もし、ご興味が湧きましたら──我が劇団をご覧になりませんか?」
差し出されたのは、一枚の名刺。
柔らかな手触りのその紙には、Shangri-La Gardenの文字が、洒落た筆記体で記されていた。
羽鳥が名刺をまじまじと見つめていると、すぐ隣から剛が言う。
「夢の続きが見たいなら、来ればいい」
それは、挑発とも誘惑とも取れる、不思議な響きだった。
カレンがにこりと笑って補足する。
「シャングリラの本拠地は、裏面に書いてあるからね。迷わないでね」
すぐに、斬島が仮面越しに淡々と付け加える。
「迷ったら交番に聞きなさい。親切に教えてくれます」
その“全力で現実的”な助言に、横から翔悟が盛大にツッコんだ。
「それ完全に小学生にする説明だからな!? もっとサーカスっぽく言おうよ!!」
羽鳥は、思わず吹き出した。
このサーカスは、非現実なのに、どこか異様に“人間くさい”。
羽鳥は、まだ胸の奥に残る興奮を持て余したまま、そっと声を上げた。
「……あの、さっきの、“願いを叶える”って話……」
剛は、羽鳥の顔を一瞥すると、軽く口角を上げて言った。
「ん? ああ、ちゃんと叶ったろ?」
その何気ない一言に、羽鳥は目を瞬かせる。
「え? でも……まだ何も……」
剛は少しだけ目を細め、にやりと笑う。
「お前さ、今どこにいると思う?」
羽鳥は、一瞬言葉に詰まった。
「この舞台に上がって、自分の手でカードを選んで、客の前で一歩踏み出した。
……それ、夢の入口だろ?」
声には軽さがあったが、どこか芯のある静けさもあった。
「夢ってのは、自分で掴むもんだ。
他人に渡されて叶うもんじゃない」
「でも、ちゃんと“スタートライン”は見えただろ?
あとは走るかどうかだ。そこは、お前次第ってだけさ」
羽鳥は、剛の顔をじっと見つめた。
その目に浮かぶ光は、さっきの舞台の中で見た“奇跡”と、どこか同じものだった。
「……なんか、上手いこと言われた気がします」
「気のせいだよ。俺、だいたい適当だから」
剛が肩をすくめると、羽鳥はふっと笑ってしまった。
——けれどその笑いの奥には、確かな覚悟の種が、もう根を張りはじめていた。
剛の言葉が、確かに羽鳥の心の奥に残る。
“夢は、自分で叶えるもんだ。”
今ならその意味が少しだけ、分かる気がする。
この一風変わった劇団の名刺を、彼はそっと胸ポケットにしまった。
——夢の続きを、追いかけるように。
***
羽鳥が去ったあとの夜のテントには、
夢の痕跡を片付けるように、控えめな作業音だけが静かに残っていた。
天井の灯りは落とされ、ランタンの光がぽつりぽつりと床を照らしている。
舞台の奥、仮面を外した斬島 凶が、闇の縁からふと問いかけた。
「団長……本当に、彼を入れるつもりですか」
その声音には、慎重な警戒と、かすかな戸惑いがにじんでいた。
東堂は、片手にランタンを提げたまま、穏やかに笑った。
その笑みは、まるで結論をとっくに決めていた人間のそれだった。
「うん。そうだよ」
あまりにあっさりとした返答に、斬島は軽く息をつき、目を伏せる。
「また一人、面倒を背負い込むのですね……」
折り畳まれた客席の端。
ソファに深く腰を下ろしていた翔悟が、頭をかきながらぼやいた。
「ほんっと、金持ちの道楽ってやつだよ……」
その隣では、カレンが小さく笑いながらクッションを抱え、トラとタランチュラの籠に目をやっていた。
「でも、若い子が入ってくれたら楽しくなるよね。ね? トラくん、タラちゃん」
暗がりから、剛が現れる。
「まぁ……あの判断と度胸は悪くなかったと思うよ。ちょっと派手に煽ったのは反省してるけど」
斬島がちらりと横目で剛を見る。
だが、口調に否定はなかった。
東堂は皆の声を聞きながら、舞台を見つめたまま呟くように言った。
「風が変わる時って、こういうものさ。唐突で、説明がつかないくらいでちょうどいい」
翔悟が腕を組みながら、ぽつりとこぼす。
「……でもさ、あんな素直そうな子、本当にこっちに向いてんのかねぇ」
その声に、剛が少しだけ沈黙して、天井を見上げた。
「俺は……伸びると思うよ。
あの目は、まだ負けを知らない。けど、ちゃんと“悔しい”を感じてた」
言葉に迷いはなかった。
舞台に立った者だけが知る、熱の残り火のような響きがあった。
東堂が一歩前へ出て、静かに言葉を落とす。
「舞台は嘘をつかない。
自分の弱さも、伸びしろも……全部、舞台が教えてくれるんだ。」
剛は、鼻で笑うように小さく息を吐いた。
「団長は、ほんと舞台狂いですね」
東堂はそれを否定せず、ただ微笑むだけだった。
沈黙が、今度は心地よい間として流れる。
小さな風が、幕の隙間をくぐり抜け、未来が静かな音で始まっていく。
それはまるで、新しい舞台の幕開けのようだった。