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ピクリと指が動き、ジェンは、ゆっくりと目を開けた。


―痛い。頭が割れるように痛い。


イェンに殴られた頭を押さえて、ゆらゆらと立ち上がった。

手がぬるぬるする。


―血が出ているんだわ。

―許さない。


揺れる体を支えようとテーブルに手を伸ばすと、手に果物ナイフが触れた。


―イェン……。許さない。

—あんたのために、どうしてあたしばかり苦しまないといけないのよ!


血で滲んだ視界に、うずくまる人影が見えた。


―イェン!!


怒りに染まった頭では、思考など無力だった。

躊躇いなどない。

自分が何をしているのかさえ理解せず、ジェンは果物ナイフを掴むと、両手で握りしめ、人影の首めがけて力いっぱい果物ナイフを突き立てた。


―あたしの痛みがわかった?

紅い飛沫がジェンの頬を濡らした。


―あんたも少しは苦しめばいいのよ。

ジェンの前でイェンが崩れ落ちる。


―…あぁ、頭が痛い。助けを呼ばなくちゃ…


ふらつく足を叱咤して、ゆっくりと歩を進める。

と、ドロリとした紅い水たまりに足を取られた。



体勢を整えることもできず、正面から倒れ込んだ。

「ぅぐっ…」

みぞおちに鋭い痛みが走る。

体を起こそうとしたら、みぞおちから焼けるような熱が広がった。

ジェンのみぞおちに、アンの握りしめた包丁が突き刺さっていた。



イェンは重くて動かすのも億劫な右手でアンの頭を一度だけ撫でた。

本当は、アンを抱きしめたかったけれど、左手はアンの下敷きになり動けなかった。

もう一度、アンの頭を撫でようとした手は、力なく腹の上に落ちた。




ドサッ…。

鈍い音がして、今度はイェンの右手に重みがのしかかった。

紅のぬくもりが右手を濡らしていく。

イェンがぼんやりした目で首を巡らすと、すぐ隣に、ジェンの顔があった。

イェンとジェンは、互いに目を見張った。



…ジェン

…イェン



2人同時に、アンの方へと目を向けた。

再び、二人の驚愕のために見開かれた視線が絡み合った。



―…アン――。



二人は、顔を見合わせ鏡合わせのように瞬きをした。

二人は同時に理解した。


全て、終わったのだと。


二人は、冷たくなり始めたアンの手を探した。

イェンの左手が、アンの体の下でアンの右手を握った。

ジェンの右手が、包丁を握りしめたアンの左手を解き、優しく握った。



『 Only you ー』

一際高いプラターズの声が響いた。



イェンの右手が、ジェンの左手に触れた。

ジェンの手が、イェンの手を力なく握った。

イェンとジェンはにっこりと笑いあった。

アンの愛した笑顔で。


アンの光を失い濁った瞳が、その笑顔を映していた。

高鳴る声が静かな余韻を残して途切れる。


針の滑る一瞬の静寂。

陽だまりの声。

ジミー・デイビスのやさしい歌声が流れ出す。

『 you are my sunshine. my only sunshine 』

月明かりの下、あたたかな太陽の歌声が三人を優しく包み込んでいく。




ジェンとイェンは握ったアンの手に最後の力を込め、互いに頬を寄せ、目を閉じた。

最後の吐息が、闇に溶けていった。

三人の愛した日々は、月明かりの中で静かに幕を閉じた。




fin.



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