それからぼちぼちと仕事が入るようになった。
簡単なものは納期が二日、多いものでも1週間程度の猶予がある。
慣れてくると家事の要領もよくなって、サクサクとこなしていける。
目に見えて消化できる仕事なので、達成感をはっきりと得ることができた。
今までは家事と育児だけをこなすだけで、それはやるのが当たり前で誰にも認めてもらえてなかった。
夫の雅史でさえ、“お疲れ様”や“ありがとう”もないけれど、そんなものなんだろうと諦めの感情もある。
でも仕事になると、ノルマがあればそこを目指して工夫して努力するから、自分のスキルも上がる。
そうやって頑張った結果は毎月のお給料に反映されるし、なにより社会の誰かのためになっていると実感できる。
これが自己肯定感というものだろうか。
仕事の連絡は、久里山からLINEで届く。
データはメールでのやり取りでもいいのだけど、気分転換を兼ねて事務所まで出向くことにしている。
「どうせならちょっとおしゃれして、お友達とお茶でもしてきたら?“圭太のお母さん”というラベルもたまには外さないと、息が詰まるわよ」
母は、そんなふうに言って圭太を預かってくれる。
「ありがとう。助かる!買い物したいものもあるんだけど、いいかな?」
「もちろん!お母さんも圭太ちゃんといられてうれしいんだから」
事務所に行くと、また久里山は留守で遠藤がいた。
この前の、チラリと見せた悲しそうな表情を思い出して、私はこの人のことが気になっているんだと知る。
___だからといって、それを訊けるほど親しくはないし
「こんにちは。出来上がりを持ってきました」
「あ、岡崎さん。今回は早い仕上がりですね」
「はい、要領がつかめたようです」
「それなら、次回は少々難しいものをお願いしてみようかな。どうです?やってみますか?お子さんがまだ小さいから、無理はいけませんが」
「どうしようかな、私にできると思いますか?」
「おそらく、大丈夫だと思いますよ」
「一応、どんな感じか見せてもらってもいいですか?」
「それはかまいませんが、お時間は大丈夫ですか?お子さん、圭太くんでしたっけ?」
「はい、母に預けてるので大丈夫です」
では、と奥からパソコンを持ってきて、開いてデータを見せてくれるらしい。
どこが難しいのか説明を受けていると、ドアが開く音と同時に話し声がきこえてきた。
「お疲れ様でーす、あ、岡崎さん、来てたんですね?」
久里山だった。
会話していたようだったけど、どうやら電話しながら入ってきたらしい。
「久里山君、個人的な用事であまり抜けられるのはちょっと……」
「っあ?あー、その分時給引いといてください、俺は平気なんで」
「しかしそれでは……」
「なんだったらもうクビでもいいですよ、別に俺は大した仕事もしてないんで。あ、もしもし?うん、そう!」
遠藤がまだ何か言おうとしているのに、かかってきた電話にすぐ答える久里山。
話し方や内容から、それは仕事のやり取りではないと察しがついた。
遠藤の方が年上で上司なのに、久里山の横柄な物言いには不快感が残る。
「ったく、困ったもんだ。あ、すみません、うちわの話を聞かせてしまって」
「いえ、私はいいんですけど。久里山さん、いいんですか?」
「あー、いいんです。さ、続けましょうか?」
またパソコン画面に視線を落とした時、その向こう側で何やらゴソゴソしている久里山が目に入った。
「遠藤さん、俺、辞めますわ。いい株主が見つかったんで」
「「え?」」
何故か私まで同時に声を出していた。
「岡崎さんもどうですか?そんなちまちました仕事より、バーンと大きい勝負、してみませんか?その気になったらいつでも連絡してくださいね!じゃ!」
紙袋にまとめていたのは私物たったようで、それだけを持って、それから名刺とネームプレートをカウンターに置いて出て行った。
「あの!本当に辞めちゃうみたいですよ、いいんですか?」
「仕方ありません。元々あまり真面目でもなかったし、副業もしてるようだし」
「副業?投資とかですか?」
私はさっきの久里山の会話を思い返す。
「それもどうかわかりません。ただここに出入りしている女性の何人かに、声をかけていたようですが。岡崎さんは大丈夫でしたか?」
そう言われて久里山とのLINEを思い出してみる。
___やけに馴れ馴れしい時もあったし、お茶でもどう?みたいな誘いもあったけど
久里山から投げられる軽くてチャラい会話には、興味がなかった。
そういえば、ホストみたいな雰囲気もあったなぁなんて今頃思う。
___ん?ということは、これからは遠藤さんと直接やり取りができるということ?
何故かそのことがとてもうれしかった。
それからは、遠藤とはメッセージを通して会話をした。
それはもちろん仕事の話が主な内容で、久里山のように名前で呼ばれることも、お茶に誘われたりするようなこともなく、淡々と事務的なやり取りだった。
そのそっけなさにまた、安心感と少しの物足りなさを感じてしまうのはどうしたことかと自分の気持ちがわからなくなったのだけど。
遠藤耕史というその男性のことを、好きとかそんな感情ではなく、どういう人なのか知りたいという興味があった。
久里山のように、あけすけに会話を振ってくるわけでもなく、かと言って冷たいわけでもない。
でも、遠藤の周りには何か透明な壁があるようで、そこには入らせてもらえないという雰囲気があった。
◇◇◇◇◇
アルバイトを始めて3ヶ月が過ぎた頃、成美から話したいことがあると連絡がきた。
集合場所はあのカラオケ店にする。
なんとなく“遠藤さんの写真、撮っておけばよかった”と思った。
成美が話したいことは、きっとそういう話なんだろうと予想がついたから。
___イケメンでもないし、別にいっか
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