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仕方がなかった。それほどまでに、敵は強かったのだ。
組織を…ヨコハマを、守るには、この方法しか思いつかなかったのだから。
(てめぇなら…何か、別の方法でも思いついたのかよ…)
残った微かな自我で、思い浮かぶのは憎たらしくも愛おしい、相棒の顔。
「中也!!!」
声が聞こえた。
聞き慣れた、憎たらしい声。
何度も何度も、耳にしてきた声。
ああ、来ちまったのか。
(……来んなっつったろ、莫迦。)
声に出したつもりだった。
けれど、口が動いたのかどうかさえ分からない。
視界は赤く染まり、身体の感覚はとうに失われていた。
自分が今、どこに立っているのかも分からない。
ただ、目の前にいる敵を倒さなければならない。
それだけが、最後に残された命令だった。 「中也!!聞こえてるか!!」
うるせぇな。
そんなに叫ばなくても聞こえてる。
お前の声なら、どんなに遠くたって聞き間違えるはずがねぇだろ。
(……悪ぃ。)
何に対する謝罪なのか、自分でも分からなかった。
任務を失敗することか。
勝手に汚濁を使ったことか。
それとも、あの夜の喧嘩を最後にしてしまったことか。
(いや、)
きっと、全部だ。
(……なあ、太宰。)
もう一度、名前を呼びたかった。
いつもみたいに、莫迦だの蛞蝓だの言ってやりたかった。
どうせまた、嫌味ったらしい笑顔を浮かべているのだろう。
そう思うと、少しだけ笑えた気がした。
けれど。
霞んだ視界の向こうに、必死な顔をした男が見えた。
ああ、そんな顔もできるんだな。
いつも余裕ぶって、何もかも見透かしたような顔をしているくせに。
今はまるで、置いていかれる子供みたいな顔をしている。
(……悪いな。)
今度こそ、声にはならなかった。
そして、伸ばされた手が、こちらに届くことはなかった。
----------・・・
「いや、嘘だろ…夢か?いや、俺死んだし……は?????」
一人の、美少女ともいえるほどの顔立ちが非常に整った少女は、そんな大声を上げながら鏡の前に突っ伏していた。
少女の名は「チュリア・ナカシア」。長きに渡りこの王国を支えてきた公爵家の一人娘である。
そこに映るのは、絹のように滑らかな、橙がかった亜麻色の髪に、快晴の如く澄んだ瞳、肌は白い陶器のようで、まさしく…
「まんま俺じゃねぇか…」
そう、中原中也の容姿に酷似…いや、本人であった。
「てか俺死んだんじゃなかったのか?てか生きてたとしても何で俺、幼女になってんだよ。」
チュリア…否、中也の脳内に浮かんだのは、自分が一生を誓った首領の顔。
(あの人が見たら発狂するんだろうな…)
ロリコンお化けとしても有名なところはどうしても理解できないが。
「取り敢えず、この世界のことを整理しよう…」
豪華絢爛とも言える部屋の机の上にちょこんと座ると、顔を顰めた。
「おそらく…というか絶対この世界は、“おとはな”の世界だよなぁ」
“おとはな”というのは、前世、部下の樋口に勧められて読んでいた転生恋愛小説の“乙女の私でも花嫁になれますか”の略称である。
内容は、家族に虐げられていた少女が、自殺のために線路に飛び込むと、何故か別の世界に来てしまうというもの。そこで出会ったのが、その国の王子だった。優秀で容姿端麗、あまりの才覚ゆえに、誰にも理解されず、心を開くことができない孤高の存在。二人はお互いの優しさに触れ合うことで、恋に落ちる…。
「いや、あの小説はなんだかんだ面白かったけどよぉ…まさか、その世界の登場人物に…しかもあの『チュリア・ナカシア』に生まれ変わるなんて、ありえねぇよ!!」
チュリア・ナカシア…その身分は公爵令嬢と、やんごとなき立ち場であり、その姿は王国の薔薇と称されるほどに美しかった。いわば勝ち組である。しかも王子の婚約者という大層な肩書付きときた…。
「そんでもって物語きっての悪役ってか?どんだけ要素詰め込んでんだよ」
そう、チュリア・ナカシアという人物は、心の温かさが中心となっている物語で数少ない悪役である。そのためか、かなり設定が詰め込まれた役柄であった。
「たしか、父親の立場を利用して王子の婚約者になり、権力を振り回してヒロインに対して犯罪まがいのことをしたり…。」
王子への執着がおぞましいほどで、ヒロインは何度も命の危機に直面する。その度に王子や周りの主要人物が助け、絆を深め合っていくのだ。
「そんで最後は婚約破棄&公爵家がこれまで重ねてきた犯罪の断罪で公爵家諸共死刑。」
(まあそれも、あの腹黒王子が邪魔者を完全に消すために捏造した犯罪だらけで、公爵家自体は完全に白だったんだけどな。)
数秒の静寂が走る。
「ってか俺死ぬのかよ!!!」
今更である。
「いや、確かに前は裏社会の人間として色んなことをしてきたが…まさかこんなお先真っ暗女に転生するとは思わねえだろ!!」
どうにか回避できないものかと考える。
(今この体…チュリアは幾つだ?)
前世の記憶を取り戻したことでそちらに引っ張られているが、十二年間この体で生きてきたのだ。頑張れば思い出せるはず…!
「ええと…」
目を閉じ記憶を辿る。父親はナカシア公爵家の当主。王族に次ぐ身分の持ち主だ。母親は国内でも有名な美貌の持ち主で、貴族社会には珍しく、両親の仲は非常に良好であった。
「あ、そっか…俺、母親、死んだんだ。」
ポツリと出たその一言は、誰に聞かせるわけでもなく、一人だけの静かな部屋に溶けていった。
チュリアの母親は元々病弱で、何年も辛い闘病生活を送っていた。でも、
(そんな姿を想像させない、明るくて優しい人だった…)
そんな母が、チュリアは大好きで、父も愛していて、使用人たちでさえ、尊敬の念を抱いていた。
(俺は、親を知らねぇ…)
中原中也という人物に、親は存在しない。
前世の中也は荒覇吐の制御装置でしかなかった。彼の記憶は八歳から発生したもので、そこからが中也の人生であった。兄を名乗る男も、実際には全くもって血の繋がりはない。
だからであろうか。
その存在の偉大さが、あまりよく分からなかった。
勿論、ポートマフィアの仲間のことを、家族のように思っている。首領という絶対的な主人を持ち、姉のように接してくれた姐さんだっていた。慕ってくれる部下たちの顔だって、目を閉じれば浮かんでくる。
けれど、それとチュリアでは、何かが違うような気がした。
(でも、きっと、誰よりも大切な人だったんだな)
その証拠に、浮かんでくる思い出は、温かく穏やかなものばかりだから。
絵本を読んでもらった夜…家族三人でピクニックした日…盛大に祝ってくれた誕生日…
思い出せば思い出すほど、胸の奥が妙に締め付けられる。
“母はもういない”……それは、今の自分にとって紛れもない事実だった。
十二年間、一緒に過ごしてきた大切な人。
これから先も、ずっと隣にいてくれると思っていた人。
もう、いない。
「……。」
なんだか、泣きたくなった。いや、実際には泣いているのかもしれない。頬に触れた指先が、少し濡れていた。
(……ったく。何やってんだ、俺。)
中原中也は、そう簡単に泣くような人間ではない。
少なくとも、本人はそう思っていた。
だが、今の自分は中原中也であると同時に、チュリア・ナカシアでもある。
この身体で過ごした十二年間。
父に愛され、母に愛され、使用人たちに囲まれて育った十二年間。
それらは決して偽物ではない。
(……ああ、そうか。)
ふと、思い至る。
(俺、二度目の人生を貰ったんだな。)
なんだか、心拍数が上がったようだった。
「よしっ!」
いつまでも感傷に浸っていられない。まずは破滅ルートを防ぐために考えなくてはならないからだ。
「たしか、チュリアが我儘捻くれ女になったのは、母親が亡くなった十二歳の頃だから…つまり今は十二歳か。」
まだ十二歳なら希望が見える。今からなら今後の未来を変えられる可能性が高い。それに…
「まだあの腹黒王子と婚約してねぇはずだ!」
そう、全ての根源である王子との婚約は、チュリアが我儘な性格になってからの出来事であるため、一応まだ互いは顔見知り程度の間柄なのだ。
「となればやることは決まりだな。」
・王子と婚約しない
・他人に嫌がらせをしない
・権力を振り翳さない
以上。
「そんでもって俺は自由に生きる。金持ちの家に生まれたんだ、それくらいはさせてもらうぜ」
女の体では体術にも限界がある。女騎士にでもなろうか…
そんなことを考えながら、窓を眺めると、小高い丘の方に小川があるのが見えた。
「あ…」
(あいつはここにいんのかな…)
川を見て思い出すと言うのも中々なものではあるが、自殺野郎にはそれくらいでいいもんだ。
(あぁ〜゛糞、会いたい…そんな風に思うなんて)
どこまであの糞鯖に惚れてしまったのだろうか。
思い浮かぶのは、最期の記憶。
汚濁のせいで曖昧だが、確かに見えた。必死にこちらに手を伸ばす憎たらしい顔が。
(ほんと、青鯖が空に浮かんだような顔しやがって…莫迦な奴。)
自分が死んだ後、果たして生きてくれただろうか。
(まぁ、アイツは死神に嫌われてるからな。死ぬんだったらきっと老衰だ。)
いい嫁さんもらって、なんだかんだいい生活して死んだんだろう。
(本当に嫌な奴)
そんなことに意識を向けていると、いきなり扉が開いた。
「チュリア!チュリア!!目を覚ましたのか???」
「えっ…と、お父様??」
現れたのは自分によく似た髪色をした、四十代ほどの男であった。記憶から彼が自分の父親であることがわかる。
「大丈夫なのか??病で丸一日眠っていたと聞いた時は鳥肌が立ったぞ!!」
「だっ、大丈夫!!お父様!落ち着いてください!!」
「娘の命がかかっていたんだ!!落ち着いてられるか!!」
使用人や護衛たちが抑え込むことで、なんとか落ち着きを放つ。
どうやら、前世の記憶を取り戻す前、熱でぶっ倒れていたらしい。
「……本当に、もう大丈夫なのか?」
「はい。もうすっかり元気ですわ、お父様」「そうか……そうか……!」
父は娘の手を両手で包み込むと、心底安堵したように息を吐いた。
その様子を見て、中也は少しばかり居心地の悪さを覚える。
(……なんだよ。大袈裟だな)
そう思う一方で、胸の奥がむず痒くなるような感覚もあった。
この男は、本当に自分を大切に思っているらしい。
いや、記憶を辿れば当然なのだろう。母を亡くしてからも、父はチュリアを精一杯愛してきた。仕事で忙しい身でありながら、娘との時間を作ろうと努力していたことも覚えている。
(……俺には、勿体ねぇくらいの親父だな)
「チュリア?」
「え?」
「どうした?どこか痛むのか?」
「い、いえ!何でもありませんわ!」
思わず背筋を伸ばす。
しまった。中原中也の癖が出た。
「……チュリア?」
父が不思議そうに首を傾げる。
「お前、少し雰囲気が変わったような……」
「そ、そうですか?」
「うむ。以前より随分と……」
(やべぇ。まさかバレたか?)
「……元気になったな!」
「…………はい?」
「以前は母さんがいなくなってから、ずっと塞ぎ込んでいたからな。こうして元気な顔を見られるだけで、父さんは嬉しいぞ!」
「あ……」
そうだった。チュリアは母を亡くしてから、随分と変わってしまったらしい。父はそれを心配していたのだろう。
「……お父様」
「ん?」
「私、お父様のことが大好きですわ」
「…………」
父の動きが止まった。
「……え?」
「え?」
「い、いや……今、何と?」
「ですから、大好き、と」
「…………」
父は一度目を伏せ、それから勢いよく娘を抱きしめた。
「チュリアぁぁぁ!!」
「わっ!? お、お父様!?」
「父さんもだ!!父さんもチュリアが大好きだぞ!!」
「わ、分かりましたから!!苦しいです!!」
周囲の使用人たちが微笑ましそうに見守っている。
(……なんだこれ)
中也は困惑していた。
前世では、誰かにこんな風に抱きしめられた記憶はない。
もちろん、仲間たちとの関係は良好だった。けれど、これはまた違う。
(……悪くねぇな)
そう思った。
今度の人生では、この人を悲しませたくない。
母親を失った悲しみは、きっと父も同じだったはずだ。それでも父は、自分の前では気丈に振る舞ってくれていたのだろう。
ならば、せめて自分くらいは笑っていよう。
そんなことを考えていると、父がふと顔を上げた。
「そういえば、皇太子殿下がいらっしゃっているぞ。お前が危篤と知ったら急いで駆けつけてくださった。」
父から出た言葉に耳を疑った。
「……今、なんだって…?」
「だから、お前の婚約者の皇太子殿下が見舞いにいらっしゃっているぞ。」
“お前の婚約者”
確かにはっきりとそう聞こえた。
(なんで⁈確か、婚約を申し出たのはチュリアから!それも母を亡くしてからある程度の期間は空いていたはず!!まだ婚約してないはずなのに…!!)
「あの…」
「どうした?お腹でも空いているのか?今料理長に連絡を-」
「違います!あの、王子様が私の婚約者?なのは本当でしょうか?私、あまりにも長く寝ていたようで、記憶が曖昧に…」
これでもマフィアだったのだ。ある程度の演技力は叩き込まれている。…向いてるわけではないが。
「そうだったのか。あぁ、可哀想なチュリアよ。今教えてやるからな。」
父は抱きしめていた腕を強め抱き上げると、ベッドの上に寝かせた。
「お前と皇太子殿下が初顔合わせをした日、殿下がお前のことをそれはそれは非常に気に入って、その場で婚約を申し込まれたのだ!」
………………
「…はぁ?!?!」
理解が追いつかない。
(なんで⁈原作では公爵家の権力をふんだんに利用して、嫌々の婚約を結ばせた設定だったのに!!!)
「いやぁ、父としてこれほど鼻が高いことはない!あの皇太子殿下が将来の義息子になるなんて!お前の母が生きていたならば、涙を流して喜んだだろう!」
あまりにも嬉しそうな顔をするから言い出せない…
(俺が婚約破棄したいだなんて…!!!)
そもそも、王子…いや、皇太子との婚約となれば、そう簡単に破棄できるものではない。原作では公爵家から申し出たため大事にはならなかったが、今回はそうはいかない。
(どうする…初っ端からプラン1が崩れたぞ)
そして、考えついた結論は…
「あぁどうしましょう、まだ具合が悪いようで、目眩が…」
「チュリアーーー!!!」
取り敢えずこの場で倒れることだった。
コメント
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読ませていただきました!中也がチュリアに転生して、しかも既に王子と婚約済みっていう想定外の展開、冒頭から惹き込まれました。何より中也の口調と公爵令嬢の振る舞いのギャップが可愛すぎます(笑)。母親の記憶に触れるところや、お父様に抱きしめられて「悪くねぇな」と思えるようになった成長がじんわり来ました。原作知識が通用しない絶望感も含めて、続きがすごく気になります!