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#ワンナイトラブ
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周りにいたほかの客たちが、コーヒーまみれの私を見てひそひそとなにか言っているのが聞こえてくる。
テーブルに据え付けてあったペーパーナプキンを取って、とりあえず顔に付着した液体を無言で拭った。
「借金返済の件は振込先をメールをしておくわ。そこに振り込んでおきなさい」
カフェの女性店員が「大丈夫ですか」と声をかけにやってきたので、周囲の目が気になった叔母はすっくと立ちあがってそのまま去っていった。
結局、最悪の結末になった。
それなら最初からなにがなんでもお見合いを断っておけばよかった。今さら後悔しても遅いのだけれど。
私も立ち上がり、こぼれたコーヒーの後始末をしてくれている女性に謝罪をしていると、突然背後から私の肩にスーツの上着が掛けられた。
振り向くと真後ろに長身の男性が立っていて、彼の顔を見た瞬間、驚きすぎて思わず目を丸くする。
「え! る……琉輝さん?……」
「とりあえず出よう」
「え、でも」
彼に右手を引かれ、混乱したままカフェをあとにしてしまった。
先ほどから予想外のことが起こりすぎていて、私はオロオロするばかりだ。
足早にしばらく歩いたので、「いったん止まってください」と伝えようとしたそのとき、彼がどこかの部屋の扉を開けて私を中に押し入れた。
「ここ、入っても大丈夫なんですか?」
中はミーティングルームといった感じで、テーブルと何脚かの椅子が設置してある。
「うちの会社が使ってる部屋なんだ。とりあえず座って」
一番近くにあった椅子を引き寄せて差し向けられたので、素直にちょこんと腰をおろした。彼も同じように私の隣に腰掛ける。
「本当に琉輝さんだ。お久しぶりです。本物、ですよね?」
私の言い方がおかしかったのか、彼はフッと表情を緩めながら小さくうなずいた。
彼の名は鳴宮琉輝。年齢は私より四歳年上だから二十七歳だ。
彼とは、私が大学生のときに短期留学をした先のボストンで知り合った。
くっきりとした高い鼻梁、目力のある瞳、シャープな輪郭、そのどれもが魅力的な輝きを放っていて自然と見惚れてしまいそうになる。
「もちろん本物。翠々とここで会えるとは思わなかったな」
彼に名前を呼ばれるだけで、懐かしさと恋しさから涙が滲んでくる。
私が短期留学をしたのは、二年半前の大学二年の春休みだった。
琉輝さんはMBAを取得するためにボストンのビジネススクールに通っていて、そこで私と出会った。
彼は卒業後もアメリカで仕事に就いたと聞いていたので、ずっと日本には帰ってきていないと思っていた。だからさっきはひどく驚いたのだ。
「琉輝さんの顔が見られて本当にうれしいです」
彼とはメッセージのやり取りを交わしていたこともあったけれど、一年前から音信不通になってしまった。
「日本に帰ってきてたんですね」
「連絡できずにすまなかった。実はあのころ、俺も政略結婚を強制されてた。断る条件として、仕事に集中するために、しばらく外部との連絡を制限されてたんだ」
彼の話を聞き、自分と同じような目に遭っていたと知って驚きを隠せなかった。
「まだ完全に自由になったわけじゃないんだ。条件付きで戻ってきてる。でもずっと、俺は翠々を捜していた」
彼が切ない瞳で私を射貫く。その表情を目にした途端、息が止まりそうになった。