翌朝、教室の扉を開けると、そこにはいつものように席についている藤澤の姿があった。
「おはよー」
軽く手を振る仕草も、笑顔も――普段と変わらないように見える。
だが、大森の胸に引っかかるものがあった。
その笑みは、どこか“作り物めいて”見えたのだ。
目だけが冷たく、笑っていない。
⸻
授業が終わり、音楽室に集まったとき。
「今日の合わせ、どうする?」
大森が言うと、藤澤は机に肘をついたまま視線を上げる。
「んー、やんなくてもよくない?」
「え?」
若井が目を瞬く。
「別にさ。バンドなんて、歌とギターがあれば形になるし」
淡々と吐き出されたその言葉に、音楽室の空気が凍りつく。
若井は眉をひそめ、大森を見やった。
――いつもの藤澤なら、こんなこと絶対言わない。
「どうしたんだよ、お前。疲れてんのか?」
若井が声をかけても、藤澤は曖昧に笑った。
「悪い、バイトあるし今日はもう帰るわ」
そう言って立ち上がり、鞄を肩にかけて出ていく藤澤。
「……なぁ、元貴。なんか変じゃね?」
若井が小声で言う。
「うん……俺もそう思う」
大森は椅子を蹴るように立ち上がり、慌てて藤澤を追いかけた。
⸻
廊下は、もうほとんど人がいなかった。
夕陽が伸ばす長い影の中、藤澤の背中だけがまっすぐに続いている。
「涼ちゃん!!」
呼ぶと、ゆっくりと振り返った。
大森の方へ歩み寄る。
至近距離。
吐息が触れるほどの距離で、冷たい瞳が大森を射抜く。
「なあ、元貴」
「お前、歌ってる時さ……ほんとに“自分の声”だって思えてる?」
唐突な問いに、大森の喉がひくりと動いた。
「もし自分が“自分じゃなかったら”?」
「……え?」
「俺、ずっと考えてんだよ。俺が奏でる音って、本当に必要なのか。俺がいなくても、お前らやれるんじゃねーの?」
軽い口調のはずなのに、その瞳は氷のように冷たかった。
「なあ元貴。お前はどう思う? 俺、必要か?」
大森は言葉に詰まった。
胸の奥がざわつき、息苦しさが広がる。
そんな彼を見て、藤澤はにやりと笑い、顎をすっと掴んだ。
「答えてみろよ」
近すぎる距離。
藤澤の吐息が頬にかかる。
唇が触れるか触れないかの距離で止まり、目が鋭く細められる。
「……おかしいな。お前、俺の声に怯えてる?」
藤澤の声は甘やかに響くが、その奥底には狂気じみた喜びが潜んでいた。
「嬉しいなぁ……その怯えた顔、ずっと見てたい」
目と鼻の先に迫る距離。
吐息が触れるほど近い。
藤澤はにこりと笑っていたが、その笑みの奥に冷たい刃のようなものが潜んでいた。
「ねぇ、元貴。俺、本物に見える?」
大森の呼吸が止まった。
藤澤の指は氷のように冷たく、顎を支えたまま動かない。
「……どういう意味だよ」
声を絞り出すと、藤澤は目を細め、笑みを深めた。
「君が見てる“俺”は、本当に藤澤涼架なのかなって。
もしかしたら、入れ替わってるかもしれないよ」
吐息が耳元を撫でる。
心臓が暴れるように脈打ち、足がすくんで動けなかった。
「……冗談、だろ?」
「さぁ、どうかな」
その瞬間、ドアの向こうから生徒たちの笑い声が聞こえ、藤澤は顎から手を離した。
藤澤はにやりと笑うと、 踵を返して廊下の奥へ消えていった。
赤い影が伸びて、飲み込まれるように。
⸻
放課後、教室でクラスメイトが噂をしていた。
「旧校舎の鏡からまた叫び声が聞こえたんだって」
「マジで? 誰かの声?」
「なんかさぁ……藤澤くんに似てたって言う人もいるんだよ」
クラスメイトたちがざわめく中、藤澤は机に腰掛け、にやりと笑った。
「へぇ……俺の声だったら、どうする?」
教室の空気が一瞬張り詰める。
だが次の瞬間、藤澤は肩をすくめて言った。
「実はさー、昨日ちょっと旧校舎覗きに行ったんだよ。
そしたらゴキブリが出てきてさ! 思わず叫んじゃった」
「マジかよ!」
「ビビりすぎ!」
クラス中が爆笑に包まれる。
……けれど。
笑っていない二人がいた。
若井と⸻ そして、大森。
あの赤い廊下での顎の冷たさと、唇が迫る距離。
そしてあの狂気の囁きが、頭から離れなかった。
コメント
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若井と大森くんは気づいてるけど他のみんなは気づいてないところどれだけ3人の仲がいいかわかる
偽物涼ちゃんめー!ウロチョロした挙句、もっくん達まで狙いやがってぇ!(失礼、取り乱しました) 今回のお話も読めば読むほど、どんどん世界観に入り込んでしまいます…! 続き楽しみにしています!