テラーノベル
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設定が私を苦しめる……。
僕と若井が車を飛び出すのとほぼ同時に救急車が到着した。状況判断や搬送の邪魔になるからと救急隊に止められてビルに戻ることは許されず、救急車の近くで若井と寄り添って待つことになった。
今にも倒れそうな僕を、若井も不安だろうに支えてくれる。マネージャーはチーフに連絡を取り、状況の確認を急いでいた。
程なくしてストレッチャーに横たわる元貴が運ばれてきた。酸素マスクを口元に押し当てらて、意識がないのか目を閉じている。
動かない元貴に赤く塗りつぶされた元貴の写真が重なって、居ても立っても居られなくなった。
「元貴……ッ」
若井を振り切ってストレッチャーに駆け寄るが、救急隊の人に離れて、と強く咎められ立ち竦んだ。すぐに僕の傍に寄った若井が、邪魔にならないように僕の腕を引っ張って距離を取らせた。
掛け声と共に元貴を乗せたストレッチャーを救急車に押し込み、状況を一通り聞いたらしい事務所スタッフの1人が救急車に同乗した。
僕も乗りたかったけれど、真っ青な顔をして、今にも倒れそうな僕を危険だと判断したのか、傍にいる若井に僕を託して救急車はサイレンを鳴らして動き出した。
何事かと人だかりができはじめ、ざわざわと声が聞こえる。基本的に業界の人間しかいないとはいえ、人の好奇心に際限はないし、どこで誰が見ているか分からない。表通りに出ればたくさんの人が歩いているだろう夜の時間帯だ。
マネージャーがチーフの指示を受け、車に戻りましょう、と僕らに声をかけた。動くことができない僕の腕を引き、若井がゆっくりと歩き出す。
車の後部座席に僕を隠すように乗せて若井も乗り込み、マネージャーが運転席に座ってエンジンをかけた。
僕は自分の身体を抱き締めるように腕を組み、身体を折ってシートの上でうずくまる。寒くもないのに身体が震え、ぼろぼろと涙があふれた。
どうしよう、どうしよう、僕のせいだ。
こんなことになるならさっさと相談しておけばよかった。
元貴を1人にするべきじゃなかった。
どうやって調べているのか分からないけれど、きっと僕たちのスケジュールを相手は把握しているのだ、今日だってこの場所にいたんだろう。
少し考えれば分かることなのに、どうしてあのとき元貴を独りにしたんだろう。
どうしてもっとちゃんと、元貴と話し合わなかったんだろう。
「……ふっ、……ぅ……っ」
声を殺して泣く僕を、若井がそっと抱き締めた。若井だって不安なはずなのに、僕の背中をゆっくりと撫でてくれる。不確かな大丈夫も、責めるような言葉も、何も言わない若井のやさしさが嬉しくて、同時に苦しかった。
ピッと音がして後部座席のドアが開き、チーフが強張った顔を覗かせた。若井や僕が口を開く前に、チーフはマネージャーに病院の名前を告げた。元貴が運ばれた病院であることは訊かなくても分かった。
「お二人は先に病院の方へ。私も詳しい話を聞いたらすぐに向かいます」
僕らの返答を聞く前に、また小さな音を立ててドアが閉まった。
僕の様子にわずかに逡巡したマネージャーは、それでもシートベルトを装着して、若井と僕にもシートベルトを締めるように促した。どうしようもなく震える僕の代わりに若井が僕の分もシートベルトをつけてくれた。
病院に着くと救急車に同乗したスタッフが待っていて、元貴が意識を取り戻したことを教えてくれた。救急車の中で意識が戻ったらしく、記憶もしっかりとしており外傷もほとんどなかったというのが不幸中の幸いだった。
とはいえ、全身打撲に加えて頭も打ちつけているだろうからと、今は精密検査を受けているという。
安心して力が抜けた僕を若井が抱き留め、ここだと人目につくからと、検査を終えた元貴が戻ってくるという病室で待つことになった。病室にはひとつしか椅子がなかったが、若井はそれを僕に譲り、僕の傍に寄り添うように立った。
ずっと涙が止まらなくて、そんな僕を若井が心配してくれているのが分かったけれど、若井を安心させてあげられるような言葉は何も浮かばなくて何も言えなかった。
だって、最悪の事態を免れただけだから。
無事でよかったと手放しで喜びたいのに、元貴がこんな目に遭ったのは間違いなく僕のせいで、ストーカーがいなくならない限りこの不安が消えることはない。もっと過激でもっと悪辣な手段を取るかもしれない。
どうしたらいいんだろう。どうしたら相手は満足するんだろう。
元貴と別れたらいいの? たとえ別れたって僕がMrs.である限り元貴と一緒にいる時間は長い。別れることなんて考えられないし、僕にMrs.を辞めろってことなの? そっちの方がもっと有り得ない。
「涼ちゃん、何か飲む?」
若井の気遣いに緩く首を横に振る。何か口に入れたら吐いてしまいそうだった。
「今日は入院することになると思いますので、その手続きをしてきます」
マネージャーが僕ではなく若井に向かって言う。今の僕に言っても聞いてるかどうかわかんないもんね、ごめんね。
僕も若井も何も言えなくなって、ただ静かに時が過ぎていく。いつもなら気にならない沈黙がこんなにも重苦しいものになることなんて珍しい。
「あれ、マネージャーは?」
「元貴!」
そんな沈黙を打ち破ったのは、階段から落ちて怪我をした張本人ののんびりとした声だった。
若井が振り返って叫ぶように名前を呼ぶ。しー、と人差し指を唇に当てた元貴は、心配かけてごめんと、困ったように眉を下げて笑った。
私服から検査着に着替えているものの、自分の足でしっかりと立っている元貴が扉を閉める。目立った外傷はないとはいえ、全身を打撲した元貴は歩きにくそうで、いてっとよろけた元貴を若井が支え、ベッドに座らせた。
さんきゅ、と笑って、僕たちを安心させるように、
「空手やっててよかったわー」
とおどけて見せた。
若井はなんだよそれ、と力を抜いたように笑い返しているが、僕は笑うことなんてできなかった。受け身が取れたとか、そんなのどうでも良かった。
元貴が悪いわけでも、ふざけているわけでもないのも分かっていた。分かってはいたけれど、あまりにも軽い調子に頭にカッと血が上り、怒鳴りそうになるのをギュッと手を握り込んで耐えた。
一歩間違ったら大怪我をしていたかもしれないのに、こうやって話すことさえできなくなってしまったかもしれないのにって想いがぐるぐると頭の中を巡った。
でも、元貴が怪我をしたのは僕のせいで、巻き込まれただけの元貴を怒鳴るのはお門違いだ。
唇を噛み締めて言葉を飲み込むと、飲み込んだ言葉が涙になってぼたぼたと垂れた。
不意に若井が僕の傍をそっと離れて、静かに部屋を出た。言葉による指示を出したわけではないけど、きっと元貴の視線だけで意図を察したんだろう。
「……涼ちゃん」
元貴がやわらかく、やさしく僕の名前を呼んだ。いつもの、恋人としての元貴の声音に、ますます涙があふれてくる。
涙でぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて顔を上げることができない。返事をしようとすると嗚咽が漏れてしまいそうで、声を出すことも叶わなかった。
「涼ちゃん、おいで」
元貴の声に導かれるようにゆっくりと顔を上げると、元貴が両腕を軽く開いて微笑んでいた。
眉尻を下げて、唇をゆるやかに上げている。
「……もと、き……ッ」
立ち上がった拍子に椅子が倒れ、ガタッと音を立てた。引き寄せられるようにふらつきながら元貴の前に立つ。勢いのまま飛び込みたかったけれど、全身を打っている元貴に抱きついていいかが分からずに躊躇すると、元貴が僕の手をとって、大丈夫だから、と笑った。
ゆっくりと腕を伸ばし、力を込めないように気をつけながら元貴を抱き締める。元貴は僕の顔を見上げながら、そっと腰を抱き寄せた。
元貴の頬を両手で包み、
「……なにが、あったの」
と、かさかさの声で訊く。そんな僕の問い掛けに、元貴は平然とした顔で答える。
「ん、足滑らせてさ」
……なんで、嘘つくの。
本当かもしれないけど、今の僕にはそれが真実だなんてどうしても思えなかった。
疑わしげな眼差しを向ける僕に苦笑した元貴は、腕を解いてベッドを叩いた。
促されるままベッドに腰掛けると、さっきソファでしたみたいに僕の手を取って指を絡めた。
「……さっきはごめん。嫌な態度とった」
元貴が僕の顔をしっかりと見ながら言った。
――――ずるい。
先に謝られたら何も言えなくなってしまうじゃないか。問い詰めたいのに、何を隠しているか訊きたいのに、全部言えなくなってしまう。
コンって軽くドアが外から叩かれた。元貴がへぇい、と声を上げると、若井が顔を出した。ベッドに並んで手を繋いで座る僕らを確認してから、チーフが来たけどどうする? と訊いた。
手を離すことなく元貴が頷くのを見て、チーフが失礼します、と言って入室した。割と元気そうな元貴の様子を見て、ほ、と安堵の息を吐く。
「遅くなりました。意識が戻って何よりです」
「あちこち痛いけどね」
苦く笑う元貴に同じように苦笑したチーフが続ける。
「検査結果等の詳しい話は明日、今日はこのまま入院となります。それと」
チーフがカバンの中から画面がバキバキに割れたスマートフォンを取り出した。
「一応持ってきましたが、おそらくは使えないかと」
元貴は自分のスマートフォンを受け取ると、バキバキの画面に触れたり電源ボタンを押したりしてみるが、電源は入らなかった。
落ちたときの衝撃を物語るそれに、ぎゅっと心臓が痛くなった。打撲だけで済んだのが奇跡のように思えた。
「タブレットに同期してあるからそっちでなんとかなると思うけど」
「着替えも必要ですし、差し支えなければ取ってきますが」
「あー……、涼ちゃん、鍵持ってる?」
申し訳なさそうに元貴が僕を見る。こく、と頷く。
「では、今から取りに行き、そのままお二人はお送りしますね。明日は元々午後からですし、午前中には連絡します」
小さな子どもが入院するわけではないから泊まることはできないと思っていたから仕方ないけれど、チーフが淡々と業務連絡をする姿に苛立ちが募る。
詳しい話を聞いてからここに来ると言ったのに、なんでその話題には触れないのだろうか。
「ねぇ……なにがあったの?」
元貴は教えてくれないから、チーフに直接訊く。チーフは眉を下げて元貴を窺った。
「……大森さん」
「だめ」
「ですが」
「俺が足を滑らせた、それだけだよ」
「なんで!? なんで教えてくれないの!」
立ち上がって叫ぶ。元貴はそんな僕を静かに見据えた。
冷静なその表情が僕の神経を逆撫でする。いくら個室とはいえ、病院で出すような声ではないと若井が僕を宥めるように肩を抱いた。でも止められなかった。
「ねぇ、なにがあったの! 誰かに突き落とされたんじゃないの!?」
元貴が一瞬目を見開いて、すぐに細めた。若井とチーフが驚いて僕を見る。
「心当たりでもあるの?」
「それはッ」
僕のストーカーが元貴を狙っていたから、と答えそうになって口をつぐむ。
僕の言葉を待つようにしんと静まり返った室内に、元貴の溜息が響いた。
「……ほら、涼ちゃんも言わないじゃん」
「っ」
元貴の目が責めるように僕を見つめる。僕も元貴を睨みつけるように見返して、だけど言葉は出てこなかった。
「……冷静になるために、一度家に戻りましょう」
だから、慰めるようなチーフの声に頷くしかなかった。
廊下で待機してくれていたマネージャーと若井と一緒に車に戻る。無言の僕を2人は気にしてくれていたけれど、かける言葉が見つからないのだろう、最悪な空気のまま元貴の家に着いた。
車で待機すると言ったマネージャーを置いて、若井と2人で元貴の部屋に向かい、僕が持っている合鍵で玄関の鍵を開けた。
「ん?」
ドアを開けてすぐ、若井が何かに気づいて声を上げた。振り返ると玄関に落ちた何かを拾おうとしゃがんでいる若井の手元を見て、
「さわらないで!!」
と反射的に叫んだ。
びくっと震えた若井が戸惑うように手と顔を上げる。
なんで。
なんで?
なんで!?
「なんで……!」
若井が拾おうとしていた白い封筒を、奪い取るように拾い上げた。
「りょ、涼ちゃん……?」
白い封筒がぐしゃっと音がするくらい強く握り締める。
忌々しいそれを自分の鞄に押し込み、元貴の部屋からタブレットと入院セットが入ったボストンバックを持ち出す。以前難聴に罹ったときに、いつ入院してもいいように、と準備していたのが役に立つとは思っていなかった。
「ちょ、涼ちゃん!」
タブレットとバックを持って元貴の部屋を飛び出す僕を、慌てて若井が追いかけてくる。オートロックだから施錠の心配はない。
エレベーターに乗り込むと、どうしたの、と若井に問われるが、黙ったまま答えなかった。
「これ」
「あ、ありがとうございます。じゃぁ、おくりま」
「いい。早く持っていって。若井は送ってもらって」
「は!?」
車の前で待っていたマネージャーに荷物を押し付け、声を上げた若井を振り向かずに歩き始める。
戸惑う若井に何度か名前を呼ばれるが、無視して歩き続けた。
元貴の家と僕の家はそんなに離れていない。徒歩でも30分はかからない。
都心部とはいえ閑静な住宅街を、黙々と歩き続ける。
「涼ちゃん!」
ぐいっと腕を掴まれて強制的に立ち止まらされた。肩で息をした若井が、待ってよ、と顔を歪めた。
「……なんで泣いてんの」
ぼろぼろとこぼれる涙を若井の指先がそっと拭った。
「なにがあったの? さっきの、なに?」
僕の腕を掴む力を緩め、若井が宥めるように訊いた。
涙を腕で拭い、ふるふると首を横に振る。
立ち止まっていても仕方がないから再び歩き出した僕の腕を持ったまま、若井も僕に倣って歩き始める。
「……ねぇ、そんなに俺、頼りない?」
傷ついたような小さな声に思わず立ち止まる。悔しそうに眉を寄せた若井が、苦しそうに息を吐いた。
「元貴も涼ちゃんも、なんか変じゃん」
僕と元貴のことを誰よりも案じてくれている若井に、ずきりと良心が痛む。話をすれば、きっと若井は親身に話を聞いて力になってくれるだろう。元貴ともちゃんと話せるように手伝ってくれるだろう。
僕の迷いを感じ取ったのか、ふ、と小さく笑って、僕の手を握った。
「言ってくんなきゃ、分かんないよ」
若井のあたたかい手が、僕の不安や苛立ちをやさしく包む。視線を彷徨かせたあと顔を上げる。
ん? と首を傾げた若井の背後に蠢いた影に、
「若井!!」
力の限り叫んだ。
続。
全然全容見えなかった。
でも次で終わらせたい。
私事ですが、今朝? 深夜? 車のナンバープレートが盗まれました。寝起き(6時くらい)早々、現場検証と事情聴取をパジャマでしました。Mrs.のTシャツとユニクロのハーフパンツで夏の朝陽を浴びた。
どうぞ皆様、お気をつけください。まじふざけんな。
コメント
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私もナンバープレート!!!と衝撃でした🥲本当にお疲れ様です💦 どうでも良い話なんですが、自転車のサドル盗られた時の事を思い出しました。笑 💙💛のやり取りにちょっぴりキュンとしてるところに、キャー💥となり。 ドキドキです🫣
ストーカー誰なんだろうと思い、1話から読み返してみましたが、さっぱり分かりません。 分からないなりに考えてみましたので流し読みしてください😙 前話の自販機にいる❤️のところに向かう💛がすれ違いざまに会釈した人が怪しいなって思いました。💛は過去に出会っていることを、覚えていないという描写があったので、すれ違っても分からなかったのかなと。❤️が階段から落ちる直前に会ったというクリエイターがストーカーなのかなと思ったり。ということは、クリエイターと会釈した人が同一人物??けど、クリエイターが盗撮隠し撮り家の中まで入ることができるのだろうか?と疑問がでてきて、じゃあこの人ではないかと思ったりして、結局のところ全くわかりません!!🤗 次で本当に完結できるの?!とワクワクしながら待ってます🙇 ナンバープレートの件、災難でしたね。何か別のいいことがありますように!!!
もしかしたら初コメです! ナンバープレート盗まれたの衝撃が大きすぎて素敵なお話の内容が半分ほど吹っ飛びました。なのでもう一度読んできます。