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家に帰ると賢也は柔やかに迎えてくれた
「楽しんできた?」
あなたは毎週楽しんでいるものね。
そんなことは言えないから「うん、楽しかったよ」とだけ答えた。
夜に賢也が求めてきたが、あの写真を思い出すと嫌悪感で体が強ばる。
「体調が悪いから無理、しばらく書斎で一人で寝るね」
「それなら、オレが書斎で寝るよ。有佳がベッドで寝るといい」
「大丈夫、言ってなかったけど書斎にソファベッドを入れたの」
賢也に抱かれたベッドではもう二度と寝たくなかった。
「ソファベッド?いつ買ったの?」
「ダメだった?そうよね、毎週金曜日に遅くまで残業してくれているのに無駄使いとかダメだったよね。ごめんなさい」
賢也が慌てて「そんなこと無いよ」と言う姿が少し滑稽に見えた。
そして何事もないように朝を迎え、いつものように朝食を食べた後、賢也は「今日はどこかに出かける?」と聞いてきた。
やましいことがある場合は優しくなるというのは本当なのかもしれない。
「今日はゆっくりしてる。賢也は好きなところにでかけていいよ」
「いや、オレも読みたい本とかあるし」
お昼にサンドイッチを作ってそれをつまみながらお昼の情報番組を見ていると、愛妻家として知られていた俳優がアイドルとの不倫関係が明るみに出て、番組降板やCM打ち切りの話題を伝えていた。
「浮気をするのって、奥さんの事はどうでもよくなったってことなのかな?浮気相手のことが好きなら、もう元に戻らないよね。そうでしょ賢也?」
「え!!いや・・オレは・・・・浮気をしても奥さんを好きって事もあるし」
「ふ~ん、でも私はダメかも。同じ空間にもいられないかも」
「そうなんだ・・・何か飲む?淹れてくるよ」
そわそわとしているのがよくわかる。
こんなにわかりやすいのにどうして今まで気が付かなかったんだろう。
「いらない」
賢也はキッチンに向い、不倫の話題が終わってからマグカップを持って戻って来た。
なんで不倫なんてするんだろう・・・
浮気をしても奥さんが好きな事もあるなんて言っているけど、好きなら浮気なんてしないよね。
だって、サレた側はこんなにつらい気持ちになるんだから、好きなら苦しめるようなことはしないよね。
「体調はどう?」
「今日は結構調子がいいかも」
「そうか」と言いながら肩を寄せてくる。気遣うふりをして自分の欲望を見たそうとするその姿に幻滅する。
ごめんと言って立ち上がり自分の城に向った。
あの女性(ひと)としてるのに私ともとか
なんだか気持ち悪い
二人でホテルから出てくる写真を思い出すと心が冷えていく。
またあたらしい一週間が始まる。
賢也を玄関まで見送ると、「行ってくる」と言って顔を近づけてきた。
とっさに顔を背けて身体を押した。
「ごめんなさい、今までこんなことしてなかったでしょ、びっくりしちゃって」
「そうだよね、ごめん」と言って笑ったあと「でも、有佳がかわいいからつい、じゃあ行ってくる」
ドアの外に出て行く賢也の後ろ姿をみつめながら
しらじらしい・・・と不快な気分になった。
今日から探偵事務所での仕事が始まる。
気分を入れ替えて、軽く化粧をして事務所に向かった。
「領収証の整理をお願いできますか」
そう言って手渡されたレジ袋にはぐちゃぐちゃに入れられた領収書が入っていた。
ズボンのポケットに無造作に入れたのかくしゃくしゃにまるめられたものもあり、とりあえずは綺麗に伸ばして月ごとに分けていく作業から始めた。
「前の事務の方っていつ頃退職されたんですか?」
「あははは、領収証ためすぎだよね。半年くらいかな、悪いね」
「それが仕事なんですから大丈夫ですよ。それに、こんな風にまた仕事できることが嬉しいんです」
「ところで、片桐さんは旦那さんと離婚の方向で考えているってことでいいのかな?」
「はい」
「今週の金曜日も会うのかどうかは分らないが、相手の女性の素性とか決定的なネタを仕入れるために片桐さんに頑張ってもらうことになるから」
「頑張る?」
「探偵事務所ってことで調査の手助けもしてもらうことになるけど、練習に丁度よかった」
「丁度よかったって?」
「探偵事務所と言っても、主な依頼は浮気調査か恋人の身辺調査だから、片桐さんの場合は身をもって研修できるというか・・・・まぁ・・ちょっと辛いかもだが」
「いえ、むしろ安く調査をしてもらえるし、これからどうすればいいのかも教えてもらえるのは助かります」
「まぁ、多分もっとキツいことが出てくると思うけど、今はクライアントとしてではなく俺の相棒として支えてやるからさ、弱音はいくらはいてもいいよ。ただし、伝票関係の弱音は却下だけど」
松崎の笑い方は柔らかい。
賢也も前はこんな感じに笑っていたのに、今はなにか無理をしているように感じてしまう。
それはそうだろうな、あの人が本気で微笑むのはあの写真の女性・・・
「大丈夫です、人間相手よりも伝票の方が楽ですから」
「確かにそうかもしれないな、じゃあ、俺は出かけるから留守番よろしく。3時になったら勝手に帰宅していいから」
松崎を見送ると、大量の伝票の仕分けを始めた。
初めてこの事務所に来たときはヒマそうだなと思ったが、意外に電話での問い合わせがある。
マニュアル通りの説明をして、料金に納得した場合のみ松崎から直接折り返しをすると伝える。
気がつくとあっという間に3時になり一日目の仕事が終わった。
松崎は帰ってこなかったが、鍵を預かっているので簡単に部屋を片付けてから事務所を出た。
結婚をしてから、この2LDKの中だけが私の世界だった。
社会と繋がる事がこんなにも嬉しく感じるなんて思わなかった。別に仕事が嫌でやめたわけじゃない、賢也が結婚後は仕事を辞めて家を守って欲しいと・・・・
私は家に閉じ込められて守られるだけの存在だった、でも今日から違う
「有佳、なにか楽しいことがあったの?」
「え?」
「なんとなく楽しそうだから」
いけない、仕事を始めたことはまだ秘密なんだから、気をつけないと。
「そうかな、久しぶりに学生時代の友人から連絡があったからかも」
「そう」
嘘をつけるのは賢也だけじゃない。
わたしも賢也の嘘の数だけ嘘をついていく。
「体調はどう?」
「うん・・・、少しはいいかな」
「じゃあ、今日は一緒に寝ないか」
そう言いながら賢也は私の髪を指で梳いた
すごく気持ち悪かった。
賢也は身体を求めてくるのが意地になっているように感じる。
でも、賢也が引く言葉を知っている。
「今週も金曜日は残業?」
髪を触る手が一瞬止る
「うん、ごめんね。でももう残業は無くなると思うから」
「そう、わかった」
そう言って“自分”の部屋に戻った。
事務所に出勤すると簡単に片付けをしたため、応接セットと自分の作業スペースは多少居心地がよくなった。
「吐き気?」
「そうなんです、最近ふとしたときに吐き気がするんです」
会計ソフトに領収証を打ち込んでいる所に松崎がコーヒーを淹れて持ってきてくれた。
「言っていただければ私がやりましたのに」
「別に、手が空いた方が淹れればいいよ、ところで検査とかしたの?」
「胃カメラは胃潰瘍になる手前だって言われて薬の処方を受けただけなんですが、まだ吐き気は続いているんです」
「それ、別の病院も行ったほうがいいよ、セカンドオピニオン」
「そうですよね」
「そういえば、今週の金曜日も旦那さんは“残業”?」
「そのようです」
松崎さんがのぞき込んで「すこし吹っ切れてきた?」と言われて、賢也が不倫していることがなんとなく他人事の様に感じるようになってきた。
「それなら、ミッションをこなせるかも」
「今なら何でもできそうな気がする、ここで働かせてくださってありがとうございます」
「いやいや、実際こっちも困っていたし、片桐さん・・・って、有佳ちゃんて呼んでいい?」
「はい」
なんだか照れちゃうけどそれもいいかも
「事務も完璧だしなにしろ事務所が綺麗だ」
「役に立てているならよかった。ところでミッションとは?」
ミッションの説明を受けた後、まだ受付している診療所に寄ってから帰った。