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第七話 ご慈悲を
冬の夕暮れは早い。
窓の外が藍色に沈みはじめるころ、侍女が一通の招待状を運んできた。
金の縁取りが施された厚紙。蝋印は、町でも名の知れた伯爵家のものだった。
「まあ……」
思わず頬がゆるむ。
今夜の晩餐会への招待。しかも急な欠員が出たため、ぜひ来てほしいとある。
社交の場に招かれるのは名誉なことだ。けれどそれ以上に、私は別のことを思いついた。
「ウラシェル」
名を呼ぶと、部屋の隅に控えていた彼が静かに顔を上げた。
「はい」
「今夜の晩餐会に一緒に参りましょう」
わずかに目を瞬かせたが、すぐに視線を伏せる。
「かしこまりました」
その従順さに、胸の奥が満たされる。
良い機会だわ。
上の世界を見せるのも、導きのひとつだもの。
この子のためになる。
支度の時間。
私は真紅のドレスを選んだ。胸元には控えめな金糸の刺繍。派手すぎず、けれど品位は失わない装い。
いつもの黒いリボンで髪を束ね、宝石のアクセサリーで身を飾る。
鏡に映る自分の姿を確かめてから、視線を横へ向ける。
侍女が、ウラシェルの上着の皺を整えていた。
深い色の上着は上質だが、装飾は少ない。あくまで従者としてふさわしい格だ。
「とても似合っていますよ」
そう声をかけると、彼は小さく会釈した。
顔立ちが整っているから、きちんと整えれば見劣りしない。
けれど──
私と並ぶ存在ではない。
その線引きが崩れないことに、私はなぜか安心していた。
晩餐会の広間は、燭台の光で昼のように明るかった。
宝石のきらめき、絹の擦れる音、香水の甘い匂い。
「アディポセラ様!」
何人もの貴族が挨拶に来る。
信仰の話、領地の話、最近の慈善活動の話題。
私はワインで酔ったのか、久しぶりに喋るからか、自然と口数が多くなっていた。
「やはり、恵まれない方々にも正しい導きは必要です」
ワイングラスを持ちながら、穏やかに微笑む。
「生まれではなく、与えられた環境が人を形作るのです。ですから、手を差し伸べることが大切なのです」
皆が感心したように頷く。
その視線が、少し離れて控えるウラシェルへと流れた。
「まあ、あの美しい方は?わたくしの許婚よりもお顔が整っておりますわね!」
「北から来た子です」
私は誇らしささえ覚えながら答える。
「まだ文字も読めませんけれど、今、信仰と礼儀、文字の読み書きを学ばせているところです」
「なんてお優しい!」
その言葉に、胸の奥があたたかくなる。
やはり間違っていないのだわ。
しばらくして、ひとりの紳士と夫人が興味深そうに尋ねた。
「しかし……その者をなぜお側に? 奉公人にしては、ずいぶんと目立つ容姿だ。
しかも、文字も読めぬなら、それは猿と言っても過言ではなかろうに。」
「衣服だって高級なシルクで……奴隷なのにわざわざ……ねぇ?」
悪意のない、純粋な好奇心の声。
私はくすりと微笑む。
「ええ、確かにまだ粗削りで文字すら読めぬ猿と言っても良いところはあります」
扇を軽く揺らしながら続ける。
「ですが素直で従順な子です。野の獣でも、きちんと手をかければ人の役に立つようになりますでしょう?
奴隷にシルクを来させるなんて豚に真珠ではありますが……」
周囲から小さな笑いが起こる。
私はそれを、場が和んだ証だと思った。
「時間はかかるでしょうけれど、あの子もきっと、神にふさわしい生き方を覚えてくれます」
そう言い切ると、なぜだかとても満ち足りた気持ちになった。
私は守っている。
私は導いている。
私は正しいことをしている。
それが疑いようもなく思えた。
夜も更け、馬車が館へと戻る。
窓の外には、静かな闇が広がっていた。
私は多少の酔いが回っていた。
「今日は長かったでしょう」
向かいに座るウラシェルに声をかける。
「ですが、とても良い夜でしたわ。皆あなたを珍しがっていましたけれど、悪くは言わなかったでしょう?」
彼は一瞬だけ目を上げ、
「……はい」
とだけ答えた。
「少しずつでいいのです。ああいう場にも慣れていきなさい。あなたのためなのですから」
私は微笑む。
胸の奥には、確かな充足感があった。
今夜もまた、ひとつ善いことをした。
そう信じて疑わない。
そのまま、私は夜の帳に揺られる馬車の中で、静かに目を細めた。
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