「………………もう一度、やった方が良いか?」
「そうですね。その方がおもしろっ……、いえ、ローゼンティーナにとって必要な事かと」
ほんの僅かな沈黙、アリエールは気を取り直したようにコーヒーを一口飲むと、再びシグナルブックを叩いた。
「おう! 俺だ!」
秒でジンオウガ出た。待っていたのだろう、彼の後ろでは座布団を敷いた乙姫が湯のみを両手で包むようにしてこちらを向いていた。
「なんだ? 用事があるんだろ?」
ニヤニヤと笑うジンオウ。明らかに、アリエールを馬鹿にしている様子だ。当のアリエールは、努めて冷静でいようと、コーヒーを口に運びホッと吐息を吐き出す。
「由羽はいるか?」
「由羽?」
ジンオウガ眉根を寄せる。だが、マリアは見逃さなかった。「由羽」とアリエールが口にした瞬間、ピクリと乙姫の眉が動いた。そして、チラリとジンオウの方を伺った。
普段のアリエールならば、ジンオウの背後にいる乙姫の僅かな仕草も見逃さなかっただろうが、アリエールの意識はジンオウに集中しており、乙姫までは意識の範疇に無かった。
「由羽か? アイツは休みだ」
「休み? 乙姫の護衛に休みなどあるか」
「生理だ。女の子の日って奴だ」
「はぁ? 生理? そんな都合の良い巫山戯た事があるか!」
冷静を保とうとしていたアリエールだが、ほんの数秒で彼女の意思は瓦解した。畳みかけるように、ジンオウに対して怒鳴り声を上げる。ジンオウのことになると、氷の仮面も解けてしまい、素の彼女に戻るようだ。これが、アリエールが明鏡に連絡したがらなかった理由だろう。
「大体、お前は本当に乙姫の護衛をしているのか? 社でタダ飯を食って寝ているだけじゃ無いのか?」
「いや、そんな事は――、あるかもな」
「乙姫! 今すぐこの馬鹿を社から叩き出せ!」
アリエールはジンオウの後ろにいる乙姫に話を振る。楽しそうに二人を見ていた乙姫は、コロコロと笑う。
「アリエール、落ち着いてください。私、今生理なんですよ?」
「…………それが?」
全く予期できない告白に、アリエールは面食らう。眉根を寄せて、小首を傾げる。
後ろで見守っているマリアも、乙姫の言葉は予想外で、頭に大きな『?』を浮かべた。ただ、ジンオウだけは分かっているようで、何度も頷いている。
「私と由羽の生理周期は同じなんですよ。だから、由羽も生理なんです。知っていました?」
「いや、流石にそれは……」
助けを求めるようにアリエールがこちらを見るが、マリアは困惑して「はい、流石に」と言葉を濁した。明鏡の情報は逐一仕入れているが、社のある神宿山の情報だけは入手出来ない。もちろん、そこに住む乙姫、彼女の生理周期などもってのほかだ。
「由羽には、休みを与えています。今は、島にある別宅で休んでいることでしょう。ね?」
と、最期はジンオウに確認する。
「おう、その通りだ」
「それに、ジンオウはいるだけで良いのです。彼がいれば、悪い虫も寄ってこないでしょうから」
「その悪い虫がジンオウなのだがな」
彼の実力は折り紙付きだ。真面目な話、こんな風におちゃらけてはいるが、誰よりも頼りになるのは、やはりジンオウだ。
「では、由羽はそこにはいないと?」
「ああ。由羽に何か用事か?」
「いや、所在を確かめたかっただけだ。今、ローゼンティーナにはヨウとレアルがいる。まさか、由羽まで釣られた来たわけではないだろうと思ってな」
「アイツは行ってねーよ。俺が保証する」
「魔神機の起動トリガーの条件がまだ分からない。もし、由羽とレアルに下手に動かれて、魔神機が覚醒したら、手に負えない。それは乙姫も分かっているだろう?」
「はい。表向きには、魔神機の覚醒は『文明』とされていますが、実際は不明です。明鏡で管理している物に関しては別ですけどね。世界各地にある、休眠状態の魔神機の覚醒は、私達にも謎です。無理はしません」
「…………分かった」
腑に落ちないが、明鏡が相手ではそう答えるしかないだろう。得心のいかないアリエールは、少女のように頬を膨らませる。
「胸と同じで、気の小さい女だな! せめて、気持ちくらい寛大になれ。直に乙姫に抜かれるんじゃないのか?」
満面の笑みを浮かべるジンオウ。
対して、アリエールはこめかみに青筋を立てている。手にしたコーヒーカップが、ピシリと嫌な音を立てる。
「シノは昔からでかかったがな、あ、由羽の奴は小さいな。お前と同じくらいか」
両手を前に出し、わしゃわしゃと胸を揉むようなジェスチャーをする。
「小さいのはお前だろうが!」
執務室にアリエールの怒声が響き渡るが、すぐにその声は広い部屋に霧散する。
「オイオイ、俺のが『アレ』が大きいって、お前が一番よく知っているだろう? それともご無沙汰過ぎて忘れちまったか? 見せてやろうか?」
「お前! 次に会ったら、コロス!」
コーヒーカップが割れるのと、ホログラムが消えるのが同時だった。
「あらら。器用な事をするわね」
片手でコーヒーカップを砕き、もう片方の手でシグナルブックのスイッチを切っていた。
「………………」
デスクに広がるコーヒーを眺めながら、アリエールは今日一番大きな溜息をついた。
「…………マリア…………」
「はい」
マリアは胸元からシグナルブックを取り出す。左手一つで操作し、小さなウィンドウを立ち上げる。シノの画面を立ち上げ、手紙のマークを押す。
「この事は、他言無用だ! 分かったな」
「もちろんです、他言無用、分かりました」
言いながら、マリアは先ほど起こった出来事をシノの元へメールしていた。
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