テラーノベル
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次の日の朝、僕は誰よりも早く起き、無言で朝食を済ませると、ポケットにお守りとあの写真を入れて家を出た。向かったのは、町のはずれにある古い神社。子どもの頃、祖母に連れられて来たことがあったが、大人になってから足を運ぶのは初めてだった。
境内には誰の姿もなく、蝉の声がけたたましく響いていた。鳥居をくぐった瞬間、空気が一変する。少し涼しく、静かで、まるで外とは別の世界のようだった。
拝殿の前に立ち、深く頭を下げる。
「どうか、ついてきているものを祓ってください。もう、怖くて仕方がありません」
心の中でそう必死に唱えていると、後ろから足音がした。
「お祓いかね?」
驚いて振り返ると、白い法衣を着た神主らしき老人が立っていた。話を聞いてもらい、写真とお守りを見せると、老人はしばらく無言で写真をじっと見つめたあと、静かに言った。
「これは“迷いの者”だな。生と死の間で道を見失っている。おそらく、その事故現場で突然命を絶たれた者だろう」
「ついてきたのは……僕が通ったからですか?」
「おそらく、君に“気づいてほしかった”のだ。名前も知られず、存在すら忘れられた者は、やがて誰かに見てほしくなる。そして一度気づかれてしまうと、放っておけなくなる」
老人は、拝殿の奥から小さな紙のお札を取り出し、僕の額にそっと当てて呪文のような言葉を唱えた。そして続けて言った。
「今日から三日間、このお札と共に祈りなさい。名前もわからぬままなら、『もう戻っていいよ』と静かに伝えるだけでいい。そうすれば、その者もきっと、自分の場所へ戻っていく」
僕は深く頭を下げ、お札を胸に抱いて帰路についた。
その帰り道、例の事故現場の前を通ったとき、ふと空を見上げると、一羽のカラスが電柱の上から僕を見下ろしていた。
だが、不思議と怖くはなかった。
心の中にはまだ恐怖が残っていたが、それ以上に──“誰かの悲しみ”に触れたような、そんな感覚があった。
4章
その晩、僕は神社でもらったお札を枕元に置き、「もう戻っていいよ」と何度も心の中で唱えた。祈るたびに胸が苦しくなったが、不思議と昨日までのような冷たい気配は感じなかった。
二日目の夜も同じように祈りを捧げた。階段の軋む音も、ノックの音も聞こえない。兄も、「最近、妙に静かだな」と言っていた。少しずつ、日常が戻ってきたような気がしていた。
三日目、最後の夜。僕は少し安心して、祈りを終えると早めに眠りについた。
──夢を見た。
あの事故現場の前、帽子を被った人物が立っている。ゆっくりとこちらに振り向くと、その顔には──なにもなかった。目も鼻も口も、ぽっかりと空いた空白だけ。なのに、その「顔のない顔」が、僕に向かって“笑った”ように見えた。
「ありがとう。これで……君の場所、空いたね」
その声が頭に直接響いた瞬間、僕は飛び起きた。汗で全身が濡れていて、息が荒い。夢だった。でも、いやな感触だけが体中に残っている。
手探りでお札を探す。──ない。
枕元、布団の中、机の上。どこにもない。
背筋が凍った。あれほど大事にしていたお札が、忽然と消えていた。
そのとき、スマホが震えた。画面を見ると、「写真アプリ」に通知が来ていた。「新しい写真が追加されました」。
開くと──そこには、僕の部屋のドアの前に立つ“誰か”のシルエットが写っていた。帽子を被り、背中を向けて立っている。
時間を見ると、たった今、撮られたものだった。
全身の血の気が引いたその瞬間、部屋のドアが、「コツ、コツ……コツ」と、音を立てた。
もう一度、振り返って確認しようと思った。でも、体が動かない。
そして、ドアの向こうから、またあの声が囁いた。
「……今度は、君の番だよ」
終わり。
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