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#O_ga’s contest.
唯,私達は恋をしただけ.
私は後悔ばかりでしか無い.
貴方にもっと愛を伝えたかった——-
第一章 『白い祈りは森に溶ける』
鐘が三度,鳴った.
神殿の白い回廊は光に軋み,私は命を受けた.
「聖女アリア.森奥の塔に棲む魔女を討て.」
声は冷たくて,私は「はい」と答えた.
其れが私に許された唯一の正しさだった.
森は静かだった.
鳥の声は遠く,葉の擦れ合う音だけが胸の鼓動に重なった.
“魔女は人を惑わす”
“祝祭を壊す”
教えられた言葉を私はなぞる.
やがて,塔が見えた.灰色の影.
倒れかけた階段.割れた窓.乾いた薬草の匂い.
私の手を扉に挙げた時——
「入ってきて…良いよ.」
か細い声だった.
扉がきしみ,光の線が解ける.
彼女は黒でも白でも無い,夜明けの髪色.
深い影を睫毛に落として,其れでも澄んだ目だ.
魔女は笑わなかった.
私を見て,息をする様に言う.
「貴方,聖女…でしょう?」
私は剣の柄に触れた.儀礼の動作.
けれど先に触れたのは胸の奥だった.
理由は分からない.
初めて会った人に…如何して?
「…私はセレナ.怖がらなくていい.
…貴方が怖いのは私じゃない.そうでしょう?」
その言葉が痛む場所を正確に当てた.
私は指を組む.祈りは降りない.
代わりに,彼女の肩の埃だけが風に舞う.
この塔には血の匂いがしない.
代わりに乾いた涙の匂いがした.
「……私はッ…貴方を討ちに……来ましたッッ.」
あまり声が上手く出なかったがようやく告げると,魔女は小さく頷いた.
受け入れる様に.諦める様に.
其の一瞬,安堵が過ぎった気がして,私は余計に戸惑った.
如何して安堵するの?
如何してッ…私まで少し,ほっとしているの?
塔の奥で古い鐘が一度鳴った.
私は剣を抜かなかった.抜けなかったと言うのが正解だろう.
沈黙に,微かな気配が混じった.
階段の影で,小さく鳴く音.
「………待って.」
魔女が私を制し,影からそっと抱き上げたのは痩せこけた子猫だった.脚に罠の傷.
白い包帯が薄く赤く染まっていた.
「森の罠に掛かったの.手当てはしたけれど,此処から動けなくて.」
魔女の指先が,微かに光る.
光は熱では無く,温度の無い優しさに似ていた.
私は息を呑む.
“魔女は人を傷付ける”
神殿の言葉が足元からひび割れていく.
「貴方は,何故……助けるの?」
自分でも驚く程に声が掠れた.
魔女は答えない.子猫の頭から体の下半身までを撫で,私を見ない.
私は塔の窓辺に並ぶ小瓶に目に入った.
薬草の束.乾いた花弁.糸で綴じられた祈りみたいな処方箋.
何れも誰かを傷付ける為の形をしていなかった.
魔女に声を掛ける言葉を探していると,
床板が鳴った.
足元の古い木が抜け,私は姿勢を崩した.
咄嗟に手を付いた掌に鋭い痛みが走った.
棘が深く刺さって,血が滲んだ.
「動かないで.」
魔女の手が私の手を包む.
柔らかな指.薬草の匂い.
光が,ごく小さく,私の皮膚を縫う.
痛みは穏やかに溶けた.
祈りと同じ形で…でも祈りより静かに.
「呪いじゃない.唯の手当て.
……其れでも怖い?」
問は責めていない.
私の中で”正しさ”だけが,音をたてて揺れた.
「私は…貴方を討つべきだと思っているのにッッ”……」
情けない声だった.聖女の癖に.
掌に残る温度が離れなかった.
私の正しさは,こんなにも脆いのだろうか.
魔女を見ると,一瞬だけ 驚いた様だった.
けれども直ぐに目を逸らしてしまった.
外で風が鳴る.
塔の隙間から遠く村の鐘の音が遅れて届く.
祝祭の日の合図——-の筈が,何処か沈んでいる.
魔女が窓に顔を向けた.
長い睫毛の影が,頬に落ちる.
「もう直ぐ,森に霧が出る.
村に降りる霧は祝祭を冷やす.
………私が止めている内は,誰も倒れない.」
私は言葉の意味をゆっくり飲み込む.
魔女は,祝祭を壊していない.
逆だったんだ.壊れない様に,冷える霧を受け止めている.
「……如何して.そんな事を…」
やっとの思いで問うと,彼女は少しだけ笑った.
笑った——-と呼んで良いのか迷う程の微かな表情.
「私が此処に居る理由が,他に無いから.」
静かに子猫が眠る.
私の掌の痛みも,殆ど消えている.
祈りは武器にならない.
でも,今は武器を欲しくない自分もいる.
私は剣から手を離し,代わりに胸の前で指を組む.
光は降りない.
代わりに,言葉にならない願いが,喉の奥で解けた.
ーーーーどうか,間違えたくない.
「………明日,又来ます.」
自分でも驚く程に自然に言葉が出た.
彼女は首を傾げ,目を伏せる.
「明日は,もっと霧が濃い.」
「……其れでも?」
私は頷いた.
けれども後悔はしていない.
理由は上手く言えないけれども.
唯,今日の私が,明日の私を此処へ連れていく気がした.
扉を出ると,森の光は少し傾いていた.
振り返ると,彼女は扉の影に立ち,何も言わなかった.
けれど,その沈黙が,私には”また”の合図に思えた.
私は塔を離れた.神殿に戻れば,報告を求められる.
“討伐は?“と.
答えはまだ,持てない.
でも,抱えて歩ける重さの迷いなら,確かに此処にある.
足元で,小さな白い花が揺れる.
名前を知らない.
其れでも,祈る様に頭を下げた.
——祈りが,初めて私自身の為に落ちた音がした.
第二章 『灰の塔に灯る霧払い』
鐘が,一度だけ鳴った.
森の奥まで届く,薄い音.
私は,起きていた.
霧の匂いは予告の様で静かで,冷たい.
受け入れるのは,慣れている.
痛みも,視線も,役割も.
受け入れてしまえば,何時か終わるから.
扉の前で気配が止まった.
叩く音の前に,私は声を掛ける.
「入ってきて…いいよ.」
光の線が床を切り,彼女が立った.
白い祈りを纏った少女.
想像より小さな肩.想像より震えてない手.
「貴方,聖女…でしょう?」
少女は剣に触れ,祈る様に指を組む.
光は降りない.
代わりに,喉の奥で祈りが解ける音だけがした.
「…私はセレナ.怖がらなくていい.
…貴方が怖いのは私じゃない.そうでしょう?」
言葉を選ぶ時に,胸が少し痛む.
真実を半分だけ差し出すのは,古い癖.
「……私はッ…貴方を討ちに……来ましたッッ.」
と少女に言われた.
分かっていた事だった.
あまりにも心情が現れやすかった.
私は小さく頷いた.
塔の音で,小さな気配が鳴いた.
私は少女を制し,影から子猫を抱き上げる.
痩せこけた体.罠の傷.
包帯は今朝取り替えたばかりだ.
「森の罠に掛かったの.手当はしたけれど,此処から動けなくて.」
「貴方は,何故……助けるの?」
少女の問いには答えれなかった.
答えたくなかった.私はわざと問いも目も逸らした.
少女の息が僅かに乱れる.
近付いた掌に,棘.
床板の割れ目は,私が直すべきだった.
「動かないで.」
私は少女の手を包む.
薬草の粉末,麻の糸,ささやかな光.
呪いでは無い.唯の,繕い.
傷は,静かに閉じた.
「呪いじゃない.唯の手当て.
……其れでも怖い?」
私が問い掛けると.
少女の肩から緊張が穏やかに落ちる.
「私は…貴方を討つべきだと思っているのにッッ”……」
私は少し驚いた.
少女は私を討つべき.其れが仕事なのに.
少し揺らいでいた.
何故か,胸の奥が暖かくなって,私は目を逸らした.
受け入れてはいけない温度だった.
窓の外で,風が変わる.
霧の気配が,ひとつ濃くなる.
「もう直ぐ,森に霧が出る.
村に降りる霧は祝祭を冷やす.
………私が止めている内は,誰も倒れない.」
私は説明が下手だ.
だから必要な部分だけを伝える.
少女は,真っ直ぐ問う.
「……如何して.そんな事を…」
私は息を飲み込んだ.
「私が此処に居る理由が,他に無いから.」
其れは本当で,其して半分の嘘.
本当は——–
この霧は,私の体を通ってしか静まらない.
息を吸う度に,骨に氷が入る.
吐く度に,指先が痺れ,刻印が疼く.
母がそうしていた.
母は,祝祭の夜に眠る様に終わった.
私は塔を受け継ぎ,霧を受け入れた.
もう受け入れるのは,慣れている.
だから,安堵したのだ.
少女が「討ちに来た」と言った瞬間——–
終わりが来る.
この役目が,一つだけ,やっと終わる.
村は,暫く待つ.
神殿は霧に気付く.
誰かが,次の方法を探すまでの時間が,少し延びる.
そう思えば,安堵は正しかった.
正しい筈だった.
其れでも,彼女が剣を抜かなかった時,
別の安堵が胸を満たしてしまった.
“生きたい”なんて,
こんな場違いな願いを何処に隠せば良いのだろうか.
少女は言った.
「………明日,又来ます.」
私は首を傾げ,
止める言葉を探しながら,止めきれない沈黙が喉に絡まる.
「明日は,もっと霧が濃い.」
「……其れでも?」
少女は頷いた.
少女が頷く度,私の中の結び目が解けていく.
扉が閉じ,足音が遠ざかる.
私は子猫を寝かせ,窓を開ける.
冷たい霧が,塔の呼吸みたいに流れ込む.
夜,儀を始める.
床に古い印.
指でなぞる度,刻印が答える.
肺まで満たす透明な刃を,静かに,静かに呑み込む.
視界が白く,遠くなる.
床に波打ち,瓶が微かに鳴る.
私は塔の端で膝をつき,霧を自分の形に縫い止める.
母に教わった最後の言葉を思い出す.
“痛みは,誰かの分だけ静かになる”
誰か.
今夜,其の誰かの顔が,白い祈りの色で浮かんだ.
私は慌てて目を閉じた.
名前を呼べば,きっと解けてしまう.
儀が終わる頃,夜は一段と暗い.
村の方角の灯りは,ちゃんと揺れている.
祝祭は冷えずに済んだ.
代償に,手が震えて止まらない.
胸の奥に氷の粉が残る.
息を吸うと,少し,血の味がした.
私は棚から小瓶を選ぶ.
眠り草,熱止め,子供用の微量の甘い薬.
麻布で包み,扉の外の枝に結びつける.
朝方,迷子の鳥みたいな子供達が此処を通る.
“塔の枝には時々良い事がある”
村の言い伝えは,何時の間にかそう変わっていた.
誰にも見られずに,誰かに触れる方法.
私は其れしか知らないから.
夜明け,私は卓に座る.
紙を広げ,震える手で文字を書く.
——————–聖女アリアへ.
書き出して,辞める.
名前を紙の上で呼ぶのが,一番危ない.
別の紙に,短い文.
“明日は霧が深い.塔の北側の道を通って.
枝に結んだ白い紐が三つ続く場所は,足元が抜ける.気を付けて.”
手紙では無い.唯の注意で良い.
其れで良いんだ.其れでしか,駄目だ.
私は紙を折り,扉の隙間に挟む.
彼女が来れば,見付かる.
鐘が,二度,遠くで重なる.
指先の震えはまだ止まらない.
私は胸に手を当てる.
其処にあるのは,唯の霧の後味.
なのに,祈りに似ている.
受け入れるのは,慣れている.
痛みも,終わりも.
でも———–
彼女の「また」を,
私は,知らない顔で待っている.
階段の下で,子猫が眠い目を上げた.
私はその頭を撫で,静かに息を吐く.
扉の外に,柔らかい足音.
朝の光が,線を作る.
私は立ち上がり,受け入れる姿勢のまま,
其れでも,少しだけ,手を伸ばす準備をする.
第三章 『霧の道,揺れる心』
森の朝は,まだ湿った光を運ぶ.
霧は深く,足元の枝が隠れる.
もう一度私は手紙を確認する.
“明日は霧が深い.塔の北側の道を通って.
枝に結んだ白い紐が三つ続く場所は,足元が抜ける.気を付けて.”
彼女の筆跡は,淡くて,でも確かに私を守ろうとしてくれている.
慎重に足を運ぶ.
枝が音を立て,霧が息を吹き掛ける.
一歩一歩,心が揺れる.
“魔女を討つ”
“彼女を信じる”
胸の中で,命令と願いがぶつかる.
北側の道に差し掛けると,三つの白い紐が見えた.
古い罠が仕掛けられていた.
足元が抜けそうになる瞬間,空気が変わった.
「危ない……!!」
風に混じって,微かな手の温もりを感じた.
遠く,塔の方から——-彼女だった.
私の手に触れる事無く,でも救ってくれる,彼女の魔力.
息を整え,前を見る.
霧は濃いけれど,心は少し軽かった.
“何故,私はこんなにも彼女に惹かれるのだろうか”
疑問は答えを持たない.
でも,揺れる胸は,確かに生きていた.
森を抜ける頃,鐘が鳴る.
村の音では無く,塔の鐘.
彼女が私を見守っている合図だった.
小さな祈りを,胸に落とす.
其れが今日の私の,ほんの少しの正しさ.
第四章 『霧の向こうの瞳』
霧が少し晴れ,髪が揺れる彼女の姿が目に入った.
私の目と,彼女の目が合う.言葉が無くても,
互いを理解出来る様な気がした.
「セレナ………」
声に出すと,微かに彼女は笑った.
戦う魔女としてでは無く,一人の仲間として,
私を見つめているその瞳に,胸が押し潰されそうになった.
塔を背に,私達は互いに距離を保ったまま.
触れられない.抱き締められないもどかしさ.
其れでも,互いの存在を確かめるだけで,
世界 は少しだけ柔らかくなった.
私は彼女が火刑場へと連れて行かれる日が近付く事も知らず,私は唯,彼女を見つめ続けた——-
愛しているのに,どうする事も出来ないこの胸の痛みを抱えながら.
第五章 『最後の日の愛』
昨日までの森の朝は,穏やかで,静かだった.
霧の中で互いを見つめ,笑い,話し,触れられない距離を感じながらも,心は一つだった.
その日は私達は初めて,誰の目も気にせず,唯一緒に過ごした——-.
あの森の小道,塔の屋上,夕暮れの水辺,全てが私達だけの世界だった.
けれど,幸福は長く続かなかった.
翌朝,神殿の者達や村の者達がやって来て,
彼女を連行し処刑しようとしていた.
「セレナをッ…処刑しないでッッ”…!!!!」
叫んでも,この者達は微動だにせず,彼女を囲む腕は鉄の様に固く,自由を許さなかった.
私は唯,火刑場の高台からその様子を見守るしか出来なかった.
薪の炎の向こうで,彼女は目を閉じ,口元だけで私に伝えてくれた.
“愛してる”
口パクの言葉が,私の胸に突き刺さった.
「止めて」と叫びたくても,手を伸ばしても,何も出来ない.
炎が彼女の体を包むその瞬間,私の心は引き裂かれる様に痛んだ.
「セレナぁ”ッッ”………!!!!」
「……私もッ…愛しているッ……」
私は彼女の名を叫んだ.泣き叫んだ.
でも,世界は残酷で,炎は彼女を逃がさず包み込んだ.
最後に私も彼女の想いを答えた.
彼女に伝わったかは分からない.
けれども,伝わっていなくても良い.
彼女の想いを聞けれたから——-
世界は私達を引き裂いだ.
私は許せない.一生この世界と私自身を憎むだろう.
私は後悔した気持ちで溢れかえった.
唯,胸の奥で彼女と私の想いは最後に一つになった気がした.
触れられなくても,抱きしめられなくても,
心の中では永遠と彼女を想い続ける——-
第五章 『灰に還る星 』
夜は静かだった.
塔の窓から差し込む月光だけが,私の影を引き伸ばした.
外では村の犬が一声吠え,遠くで誰かが戸を閉める音が聞こえた.
この静けさがどれだけ私を残酷に突き放すか,私は多分,知っていた.
昨日,一日——-あの短くて濃密だった時間を,私は何度も反芻した.
霧の小道でのぎこちない笑い,夕暮れの水辺で見せた彼女の横顔,塔の屋上で交わした無言の約束.
触れられない距離の中で,彼女は私の全てだった.
彼女の指先が風に揺れる草に触れるのを見ただけで,どうしようも無く胸が満たされた.
けれど,幸せは朝とともに終わった.
鐘の音が,私達を現実へと引き戻した.
村の人々の怒気と祈り.扉を叩き壊す様な男達の足音.
私は彼女の前で何も出来なかった.
彼女を守る為に力を使えば,もっと多くの人を傷付けるかもしれない——-私は何時もそう言い聞かせていた.
彼女の安全を,村の安全を,何方も同時に守る術は,私には無かった.
連行された朝,彼女は眼を潤ませながら私を見た.
その目は怒りでも憎しみでも無く,唯——-疑問でも無く,確かな優しさだった.
「行かないで.」
と声を上げられない.私達は互いを縛る立場にあった.
“聖女と魔女”
誰もが信じる秩序の名の下に,私たちは欺瞞の片を背負っていた.
火刑場の準備は粛々と静かに進められた.
薪が積まれ,縄が用意され,私の周りには白装束に身を包んだ者達の影.何百の視線が私を刺した.
本当は叫び出したかった.あの朝の穏やかさを,
もう一度だけ彼女と分かち合いたいと.
けれど,叫んでも届かぬ事は分かっていた.
声は秩序の波にかき消されるだけだ.
夜,火刑場の小さな独房で,私は自分自身と向き合った.
誰の為に戦ってきたのか.誰の為にこの力を使ったのか.
答えは何時も,同じ場所に落ち着く.
彼女——-の為だ.
けれど,私が彼女を選べば,村は深く傷付くだろう.
彼女を傷付けたくないという気持ちと彼女を”私だけのもの”にしたいという我儘な欲が私の胸の中で絡み合う.
窓の外には遠くに見える火刑場の高台.
月が其処を冷たく照らしていた.
私は一晩中,彼女の笑顔を思い出し,風に乗った小さな祈りを括り付けた.
“生きて欲しい”
——-其れが主たる願いだった.
同時に,もう一つの願いがあった.
“忘れて欲しい.私に囚われないで欲しい”
矛盾する願いを同時に抱く自分が,先に来るのは赦しだろうか.
其れとも自己嫌悪だろうか,私には分からなかった.
唯,何方の願いも——-彼女の幸福を思う気持ちの延長だった.
朝が来る.空は薄い灰色に染まり,村人達と神殿の者達は整然と集まった.
私は連行され,薪の上に座らさせられた.
彼女は高台の群衆の中にいた.彼女の白い衣が,群れの中で一際柔らかく見えた.
私の視線が彼女を捉えると,彼女は此方を見返した.
目に必死の光があり,口元が震えていた.
叫びたそうで止めたいという気持ちが見え見えだった.
私もこのまま死ぬなんて嫌で彼女と同じ気持ちだった.
けれど,私が声に出してしまえば,彼女をもっと危険に晒すかもしれない.
私が叫べば,群はさらに暴走するかもしれない.
だから,私は選んだ.
言葉を口に出す,唯——-口パクを伝える事を.
其れは卑怯にも見えるかもしれない.
けれども,その静かな行為の中には,私なりの覚悟だった.
彼女に最後の確かな想いを残す為の,ほんの小さな贈り物だ.
私の唇を,ほんの少しだけ動かす.息も止める.
誰にも見付からない様に,最小の動きだけで.
“愛してる”
言葉は空気に乗らず,唇だけが語る.
けれど,彼女の眸の奥に確かに届いたのを私は見れた.
その瞬間は世界が軋んだ様に感じた.
彼女の顔に浮かんだ表情は,歓喜でも救いでも無く——-深い絶望と一片の安堵.
彼女は叫んだ.私の名を.
けれども,村の怒声が其れを飲み込み,私は其れを全部は聞けなかった.
其れでも,彼女の瞳が私を追い,最後に彼女が小さく口を動かしたのを私は見れた.
私にだけ聞こえる様に,でも本当に聞こえたのは心の奥の音だった.
炎が着いた.最初は香の様な匂い,次第に熱が前へ押し寄せる.煙が視界を蝕み,目が痛む.
痛みは確かにある.けれど,もっと鮮明なのは,
彼女の笑顔の記憶だった.
私を守る為に差し出したあの手,私を見て微笑んだ瞬間のやわからかな光.
燃え上がる炎の皮膜を超えて,私は彼女を探した.群衆の中,小さな白い衣が揺れている.
彼女が見ている.見てくれている.
燃えゆく内,世界は断片になった.
音は遅れ,色は溶け,思考は一本の線の様に細かくなった.
私は焦らず,慌てず,唯一つの事だけを心に刻む.
彼女が生きる事.彼女が私の居ない世界で幸せになる事.
もし私の死がその確率を少しでも高めるなら,其れは祝福に等しいと思った.
息が浅くなり,身体が熱に侵される.
痛みはあるが,其れは私を驚かせる程,醜くは無い.
むしろ,今は静謐だ.
視界が白くなる中で,私は最後の力を振り絞って彼女を見た.
その瞳に宿るのは,迫り来る絶望と,同時に私への何か——-赦しか,愛か,あるいは唯の覚悟かもしれない.
彼女は火刑場の向こうで 私を見続けてくれていた.
私の唇は少ししか動かない.
声ももう出なかった.
だからもう一度最後に彼女の名前を——-
“アリア……生きて……”
煙が全てを奪っていく.熱が全ての音を遠ざけた.
けれども,私は知っている.
彼女の心には,この一刻が焼き付いてる筈だと.
私が残せる最後の灯火が,彼女の胸の中で小さくとも燃え続けるだろうと.
意識が薄れていく.痛みはやがて遠い海の様に広がり,思考は溶け,私は頭の中で彼女の名前を繰り返した.
彼女に届く訳が無い.分かっていたけれども,
私が今出来る事はこれしか無かった.
灰になっていく自分の身体を感じながら,私は幸せを知った.
私達の愛は許されなかった.世界は私から多く奪った.
けれど,最後の瞬間に確かに彼女と繋がっていたという事実だけは,誰にも奪えない.
目を閉じる前に,私は静かに祈る.
どうか彼女が,
“私の事を憶えていて欲しい”
“苦しむのでは無く,笑って生きていて欲しい.
其して,もし許されるなら,何時か誰かに,其の愛を分け与えて欲しい——-私の代わりに,彼女が愛される事を”
炎の中で,私は小さく微笑んだ.
灰になるその瞬間まで,私の中には彼女が満ちていた.
星が燃え尽きる様に,私は灰に還る.
けれども,何処かで——-彼女の胸の中で,
小さな光として残るのだと信じて________