テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「もちろん、続けるよ。さっきのは軽いウォーミングアップ」
「ふぅん。じゃ、今からが本番? いいよ、相手してあげる」
再び視線がぶつかり合い、空気が張り詰める。蓮はつま先に力を込め、一気に東海へと駆け出した。
踏み込みの音と同時に、風を裂くような打ち込み。
台本に沿った動きだが、間合いを詰める感覚や呼吸のタイミングは完全に実戦そのものだ。
「ッ……!」
東海の拳が掠める。蓮は腰を捻り、身体の反動を利用して鋭く蹴りを放つ。
「ぐっ……! ……あっぶな」
「……あれ? どうしたの? あぁ、ごめんね? 身長差考えてなかったよ」
唇の端をゆっくり吊り上げる蓮に、東海の眉間がピクリと動いた。
わずかな舌打ちが耳に届き、そこから漂う棘を感じ取る。
「ッ……あんた性格悪いね。わざと煽ってるだろ」
「それはお互い様じゃないかな?」
「はっ、言っとけよ」
再びぶつかり合う。足音と衣擦れ、息を吐き出す音が稽古場に響く。
次第に蓮の動きは滑らかさを増し、間合いの読みも正確になっていく。
元々スロースターターだが、いったん身体が馴染めば本領を発揮するタイプだ。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
10分が経つ頃には、完全に立場が逆転していた。
終了のホイッスルが鳴り響くと同時に、二人はほぼ同時に床へ倒れ込み、天井を仰ぐ。
「あー、残念。もっとやれると思ってたのに」
「アンタ……なんなんだよ。……どんどんパンチもキックも精度上がってくし……その辺の奴らより全然身体のこなしが違うんだけど」
「なにって、ただのオジサンだけど? 君こそ持久力が足りないんじゃないか?」
額を伝う汗をシャツの裾で拭い、にっこりと笑いながら言い返す。東海は悔しそうに起き上がり、胡坐をかいて盛大に溜息を吐いた。
「……っ、やっぱアンタ性格悪……っ」
「ははは、褒め言葉として受け取っておくよ」
「あー、疲れた。マジで悔しい」
「君も中々いい動きだったよ。でも、まだ荒削りだ。そこを上手くカバーすれば、もっと良くなると僕は思うな。……あと、喧嘩を吹っ掛ける相手を間違うと、そのうち痛い目を見るよ」
額の汗を手の甲でぬぐい、にやりと口角を上げる。
悔しさを隠しきれない東海を、わざとらしく鼻で笑ってみせた。
「……っ、チッ」
東海の舌打ちが背後で響く中、蓮は背筋を伸ばし、呼吸を整える。
その視線の先には、腕を組んで見ていた凛の姿が見え、ゆっくりと蓮の方に近づいてくる。
途端に稽古場の空気が一瞬ぴりっと引き締まる。
“鬼コーチ”と呼ばれる男が動く、その一歩で場の温度が変わる――はずだった。
「なんだかんだ言って、楽しんでたみたいだな」
柔らかな声音と口元だけの笑み。その場にいたスタッフや共演者たちが、一様に目を見開く。
「……え、あの御堂さんが笑ってる?」
「マジで……?俺、初めて見たかも」
「俺も……」
まるで化け物が人間の顔を見せたかのような視線とささやき声が、稽古場のあちこちから漏れ聞こえてくる。
「……あの人でも、あんな顔するんだな」
「やっぱ、特別扱い……?」
蓮は苦笑しつつも、背筋を正して兄を迎えた。
「そう? 結構ギリギリだったよ。彼に指摘されたとおり、まだまだキレも足りないし、動きもだいぶ鈍ってきてるみたいだ」
「そうは見えなかったがな。……まぁ、でもこれで少しはやる気が出ただろう?」
「うん、まぁね」
素直に返すと、凛は片眉を上げ、さらに笑みを深めた。
「それなら良かった。お前、主役だからな。スイッチが入ってもらわないと困る」
「……あと一週間だっけ? それまでには完璧な状態に仕上げてみせるよ。そうじゃないと……馬鹿にされるのは嫌いなんだ」
先日、自分の存在を無視したナギの冷たい横顔が脳裏をよぎる。胸の奥がチリ、と熱を帯び、内心で短く舌打ちをした。
――あんな屈辱、二度と御免だ。
「期待してる」
ポンと肩に置かれた兄の手は、そのまま蓮の頭へ移動し、わしゃわしゃと容赦なく髪をかき回す。
「……あのさ、子ども扱いしないで欲しいんだけど」
「すまない。お前の頭は撫でやすくて、つい」
「つい、じゃないだろ」
凛は他人には決して見せない、柔らかな目元で笑っている。弟子や後輩には叱咤はしても情を表に出さない彼が、蓮にだけはこうだ。
その異様な光景に、雪之丞や東海でさえ言葉を失い、驚きの色を隠せない。
周囲のスタッフも小声でざわめく。
「……あの御堂さんが笑ってる」
「しかも、あんな優しそうな顔……初めて見た」
まるで氷の仮面がひび割れ、人間らしい素顔が覗いたかのような空気が広がる。
しかし蓮にとっては、それは昔から変わらない“兄”そのもの。
厳しくも頼れる存在であり、誰よりも信じられる背中だった。
嫌ではない。……嫌ではないが、もういい年齢なのだから、そろそろやめて欲しい。
一応、抗議だけはしておく。どうせ聞く気はないとわかっていても。
「……ちょっとシャワー浴びてくる」
不本意な注目を浴び、背中に突き刺さる視線がどうにも落ち着かない。
汗臭いまま兄に撫で回され続けるのも、正直あまり気分がいいものではない。
ため息まじりに立ち上がった蓮は、軽く肩を回しながら稽古場を後にした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!