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「優しい人と言うのは、課長の様な人を言うんですよ」
照れ笑いしながら言葉を返すと、
「……私は全然優しくなんかないです」
課長が一瞬笑顔を消した。
「……え。今日が初日だったから終始笑顔だっただけで、明日から鬼課長に豹変するんですか?」
「そうかもしれませんよ」
私の質問が的外れだったのか、課長は呆れた様に小さな息を吐くと、元の笑顔に戻った。
さっきの真顔の様な、どことなく哀しそうな表情はなんだったのだろう。
「どうぞお手柔らかに」
課長の様子は気になるが、折角笑顔になった課長の顔を曇らせるのも嫌で、詮索はせずに当たり障りのない言葉で流す。
「大丈夫ですよ。怒鳴り散らしたりとかはしませんから」
「笑顔で怒る人って、ブチギレしてる人より怖いですよね」
「だから、『私は全然優しくない』って言ったでしょう?」
イヒヒといたずらっ子の様に笑う課長。
課長、こんな風にも笑うんだ。
「あぁ、なるほど」
課長との会話が何だか楽しくて、一緒に笑う。
もう少し課長と話がしたいな。課長の話を聞きたいな。と思い、どうでも良い話を課長に振り、課長の足を止める。
優しい課長は、嫌な顔一つせずに話に乗っかってくれた。
時間も忘れてお喋りしていると、
『きゅるるるるー』
と結構な高音が課長のお腹から鳴った。
あ‼ そうだった‼ 課長、夕食食べてないんだった‼
「すみません、課長‼ 楽しくてつい、課長の事を引き留めてしまいました‼ 帰りましょう‼」
今何時なんだ? と携帯を取り出すと、時刻は22:00。
1時間以上喋っていたらしい。
「滝川さんは先に帰ってください。私もパソコンの電源を落としたらすぐに帰りますから。外、相当暗いのでタクシー呼びますね」
タクシーを手配しようと、課長が電話の受話器を取った。
「あ、私、自転車で来ちゃったので、タクシーは呼ばなくて大丈夫です。家、本当に近いので、乗っても1メーターで降りなきゃなので。なんか、南瓜をおすそ分けする名目で、課長の邪魔をしてしまってすみませんでした。私、帰ります。お疲れ様でした」
「本当に大丈夫ですか?」
タクシーを断る私を心配そうに見つめる課長。
「大丈夫でしかないです」
そんな課長にガッツポーズで返事をすると、
「面白い日本語。滝川さんの話すお話は本当に楽しいですね」
課長がクスクスと笑った。
「楽しかったですか? 迷惑じゃなかったですか?」
こんなことを聞いたって、優しい課長が『迷惑でした』などと言うわけがないことは分かっている。
だけど、分かり切った答えを聞きたかった。
「凄く楽しかったです。こんなに飽きもせずに笑いながら誰かと会話したのは、本当に久しぶりです」
やっぱり課長は優しい言葉を返してくれた。
課長の本心じゃないかもしれない。部下との関係を良好にする為の社交辞令かもしれない。
それでも、課長の優しさは私の心をあったかくする。
「良かったです。では、また明日。お先に失礼します」
これ以上長居をするのはどうかと思い、事務所を出て行こうと鞄を肩に掛けた。
「また明日。お疲れ様でした。気を付けて帰ってくださいね」
軽く手を振る課長に頭を下げ、事務所のドアを開いた。
事務所を出て、エレベーターに乗り込むと、
「ふふふ」
さっきの楽しかった時間を思い出して笑ってしまった。
私も凄く楽しかったんだ。
いつもある心のモヤモヤが、さっきは全くなかったんだ。
ただただ、ただただ、楽しかったんだ。
ご機嫌に鼻歌交じりでアパートに帰宅。
玄関のドアを開けると、
「早く帰ってくるって言ったよね?」
私とは打って変わって不機嫌な洋樹が、こちらに向かって歩いてきた。
「……ごめん」
「心配したんだよ⁉ 何度電話しても出ないし‼ 何やってたんだよ⁉」
洋樹、玄関で仁王立ち。自分の家なのに、靴さえ脱げない。
洋樹がご立腹なのは無理もない。
私は、洋樹との約束を破り、洋樹の心配も無碍にした。
しかも、携帯で時刻を確認した際に、洋樹からの着信履歴が数回残っていたのにも気づいていた。
でも、『もう帰るから折り返さなくていいや』とスルーした。
「事務所で課長とのお喋りしてたら、帰るのを忘れてしまいました。ごめんなさい」
完全に自分が悪いので、素直に謝るが、
「お喋りって……。仕事をしてたわけでもなく、お喋りって」
洋樹の機嫌は直らない。
「ごめんね。次からはちゃんと連絡入れるね。」
今度は謝りつつ、反省点も付け加えてみる。
「『次からは』って、また課長とお喋りしたいってこと?」
「……」
洋樹に指摘をされて言葉に詰まる。
自分の彼女が他の男と2人で談笑していたら、彼氏として洋樹の気分が悪くなることは理解出来るし、そんな風に嫉妬してもらえるのも嬉しい。だけど、
「 【私は】それ以外のことはしないし、課長だって、私とどうこうなりたいだなんて思ってないよ」
私は、疾しいことなどしていないし、しない。
【私は】をさり気なく強調して、【洋樹の浮気とは違う】と遠回しに伝える。
「【私は】って……。今日会ったばかりの課長が、どんな人かなんか分かんないだろ。あんな噂だってあるし」
私の嫌味をしっかり汲み取った洋樹は、一瞬吃りながらも反論した。
「そうだね。課長がどんな人なのかなんて、まだ分からないよね。だったら、洋樹にだって分かんないよね? 私が勝手に課長を【信頼出来る人】って思っているのがおかしいなら、洋樹が課長を【噂通りの人】って捉えているのもおかしなことだよね?」
まだそんな悪質な噂を信じているのか。と洋樹に苛立つ。
「そういう意味じゃない‼ 普通じゃないの⁉ 自分の彼女が他の男に手料理食わせたり、2人で長々お喋りされたりするのに腹を立てるのは普通じゃないの⁉ 俺がおかしいの⁉」
洋樹は「俺、もう寝るわ」と私を玄関に取り残し、1人でベッドの方に向かって行くと、勢いよく頭まで布団を被った。
『普通じゃないの⁉』——-私だって、それが普通だと思っていたよ。あの時までは。
普通に怒って、普通に傷ついて。
普通に傷つけられたから、今度は普通に相手を傷つけて。
あれから晴れることのないこの心も、普通に起こるべくして起きたのならば、【普通】って一体何なのだろう。
思い出しては涙が滲む。
ぐすぐすと鼻を啜りながら靴を脱ぎ、自分も部屋の中へ。
ベッドの近くに腰を掛け、布団に包まった洋樹の頭を撫でた。
「……ごめんね」
目からボロボロ涙が零れた。
浮気をされる前に戻りたい。
【普通】が【普通】だった頃に。
嫉妬もやきもちも笑い飛ばせて、お互いが信じ合えていたあの頃に。
「……泣かなくていいから」
布団の中から洋樹の手が伸びてきて、私の腕を掴むと、そのまま布団の中に引っ張り込んだ。
洋樹に抱き寄せられて、洋樹の匂いが、体温が、私の涙を加速させる。
心地の良い洋樹の温もりは、じりじりと私の心を締め付ける。
コメント
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第4話、読み終わりました…! 課長との会話、すごく温かくて、主人公が「楽しかった」って心から思える時間が尊かったな。でもその後に待ってた洋樹との衝突…「普通って何?」って問いかけが重くて、胸が締め付けられました。 最後、布団の中に引っ張り込まれて尚、涙が止まらないシーン、切なすぎる…。このもどかしい距離感、すごく丁寧に描かれてて、心がぎゅっとなりました🖤