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翌日、私はいろいろなことをしようと思っていたにもかかわらず、ブラインドから差す日差しで目を覚ました。太陽の位置からも、朝という時間ではなく、完全に昼近いことがわかった。
寝すぎたな。疲れ?……と自問自答したとき、ズキっと頭が痛んだ。
「風邪ひいたかな……」
ホテルの部屋のベッドの上で、自分の頭を押さえつつ小さくつぶやく。しかし、それは誰にも届くことはない。
さすがに冬の寒空に、薄着で放り出されたせいだということはわかるが、今は責める相手もいない。
のそのそとベッドから降りて、リビングへと行くと、すでに朝食の準備がされていた。
病院へ行くほどでもなさそうだ。少し食べられるものを食べて、もう少し横になれば治るだろう。
そう思いつつ、並んでいた料理すべてを食べられないことに申し訳なさを感じつつ、スープと果物を口にして、もう一度ベッドへともぐり込んだ。
昨日の今日で、家に戻って荷物を取りに行こうとは思っていなかったが、顧問弁護士の先生に連絡して、離婚の準備はしたかった。
決めたなら早い方がいいだろう。籍を入れたままだと、芳也の会社に損害が出た場合、私にも責任が来ることになれば、両親たちに迷惑をかける可能性もある。
ここは素早く芳也と縁を切るべきだ。そうは思っても、思うように思考がまとまらず、私は知らない間に目を閉じていた。
「沙織、起きられるか?」
その声にぼんやりとした思考でゆっくりと目を開けると、近距離に陸翔兄さまの瞳があり、驚いて目を見開く。
「陸翔兄さま?」
そう呼んだつもりだが、想像以上に声がかすれていて、音になっていなかった。
「熱が高い。主治医に来てもらっているから」
その言葉に、私はあのまま眠っていたことに気づいた。のそのそと身体を起こしながら彼を見据える。
「どうして?」
私の言いたかったことを理解したようで、陸翔兄さまはグラスに入った水を渡してくれつつ、口を開く。
「支配人が部屋から出ている様子もないし、食事も食べていないと聞いた。もしかしたら体調が悪いのかと思って来てみたら、返事がないから勝手に入らせてもらった」
その説明に、私はベッドサイドの時計に視線を向けた。もう19時を回っていて、私はいったいどれだけ眠っていたのだろう。
「先生を呼んでくる」
そう言いつつ部屋を出て行こうとする陸翔兄さまのシャツの裾を、私は咄嗟に掴んでしまう。
その時よく見ると、陸翔兄さまはスーツのジャケットを脱いだ姿だった。仕事帰りにまたもや来てもらったことに申し訳なくなってしまう。
「沙織?」
名前を呼ばれて我に返り、掴んでいた手を慌てて離して首を振る。陸翔兄さまがそばにいてくれたことでホッとしたなんて言えるわけがない。
「どうした?」
もう一度尋ねられた私は、何度か首を振ってなんでもないと伝えた。
陸翔兄さまが連れてきた秋元家の主治医だという先生は、とても穏やかで優しい人だった。年齢は陸翔兄さまよりも同じぐらいか、少し上だろうか。
一通り私の診察が終わり、点滴をしてくれている間、戻ってきた陸翔兄さまと話をしたりしていて、気心が知れた仲だということがわかった。
「陸翔、たぶん疲れもあるだろう。栄養のあるものを食べてゆっくりすればすぐに治ると思う」
「わかった」
なぜか陸翔兄さまに報告していて、私はそんなふたりを交互に見ていた。
「沙織ちゃん。俺と陸翔は高校からの友人なんだ。だから、すぐに調子が悪くなったら遠慮せずに連絡して」
その説明を聞いて、陸翔兄さまが素のままで話していた理由を理解する。
「ありがとうございます」
まだかすれてしまったがお礼を伝えると、先生は陸翔兄さまの方を見た。
「熱が上がったり、呼吸状態が悪くなることがあったらまた連絡して」
そう言って先生は帰っていった。
「沙織、少し食べて薬飲めるか?」
ベッドサイドに陸翔兄さまはお粥の入った椀を持ってやって来ると、私の顔を覗き込む。
ひとりで食べて薬も飲んでおくから、陸翔兄さまは家に帰ってと言いたいが、声にならない。
「余計なことは考えなくていいから」
そう諭され、私はおとなしくお粥を食べて薬を飲む。何もかもしてくれる陸翔兄さまに申し訳なさと感謝の気持ちから頭を下げ
ると、陸翔兄さまは小さく頷いた。
そして、そのままベッドに寝かされてしまうが、やはり身体が思うように動かず、されるがまま横になった。
「沙織、ひとつ報告。まず何をするにも離婚が先だと思ったから、原田弁護士に連絡を入れておいたけど、よかった?」
今日、私もそれをしようと思っていた。コクコクと頷くと、陸翔兄さまは話を続けた。
「多分、明日にも原田先生が沙織の旦那とアポを取るはずだ。向こうが弁護士をつけるかはわからないが、なるべく沙織に有利になるようにするから」
有利にしてくれることはありがたいが、長引くのも嫌だ。
私はベッドサイドのメモ帳を指さして、陸翔兄さまに取ってもらうと、ペンを走らせた。
【慰謝料とか、金銭面は必要ない】
私のメモに、陸翔兄さまは少しだけ表情を歪めた。
「お前がされたことは、十分に慰謝料を取れると思うけど」
それはそうだと思う。しかし、争う時間がもったいないとしか思えない。
【とにかく、早く離婚したい】
自分でも薄情だと思うが、それが今の一番の気持ちだ。その文字を見て、陸翔兄さまはなぜか少し複雑そうな表情をしたが、すぐにいつも通りに戻った。
「わかった。伝えておくよ」
彼の言葉に安心してしまったのか、私はまたそのまま目を閉じた。