コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ではみなさん、次は本番の結婚式で……!」
「お待ちしております」
片手を振って馬車に乗り込むナイアータ殿下に、
貴族・平民・冒険者問わず頭を下げる。
殿下を『治療』してから1週間後―――
彼はレオニード侯爵家と共に、同じくリハーサルの
ために来ていたドーン伯爵家経由で王都へ帰る事に
なった。
殿下の馬車には、ブロンドのロングヘアーの
女性と、黒髪の眼鏡をかけた女性が乗り込む。
「サシャさん、ジェレミエルさん―――
王都までの護衛、よろしくお願いします」
護衛をされる側の少年がペコリと頭を下げると、
「警備は万全です。ご安心を」
「両側は魔狼ライダーが固め―――
上空からは密かにワイバーンライダーが見張って
おりますゆえ」
2人が言う通り、上空にはシーガル様が乗る
ワイバーンが警備にあたっていた。
なぜか後ろにエリアナ・モルダン伯爵令嬢を
乗せて―――
そして豪華な馬車の一行は、町を後にした。
「お疲れ様でした、みなさん」
ギルド支部の支部長室に着いた私は、
同室の面々を労う。
妻であるメルとアルテリーゼ、そしてラッチ。
パック夫妻&レム。
新たに夫婦となったレイド君とミリアさん。
そして部屋の主であるジャンさんが、
気まずそうに口を開いた。
「今回は悪かったな。
ナイアータ殿下の件―――
もしどうにもならなかったら、俺とシンの
ところで情報を止めようと思ってたんだ」
謝罪の言葉が出た事で周囲はざわめくが、
「まー仕方なかったんじゃない?」
「結婚というめでたい時に―――
水を差すような事を耳に入れたくなかったので
あろう?」
「ピュ~」
和風な顔付きの黒髪セミロングの女性と、
同じくロングの黒髪をした女性が―――
夫の気遣いを容認する。
今回……
ナイアータ殿下に関する『本当』の目的を
知っていたのは、ギルド長と私、
そしてサシャさんとジェレミエルさん、
後は彼の家人たちで―――
また今後の事も残っていたので、改めて
トップクラスの秘密を共有する人間たちに
知ってもらう事にしたのである。
「ん~……
じゃあナイアータ殿下の『魔力制御』は、
治っていない―――
って事にするんスね?」
「しかし本当に貴族様や王族って面倒ですね」
褐色・黒い短髪の青年と、ライトグリーンの
髪をした丸眼鏡の女性がうなずきながら話す。
殿下の魔力制御……
もしその暴走が起きなくなったとしても、
それは公表しない―――
これはライオネル様……
ライさんの要請でもあった。
彼は男子であり、下から数えた方が早いものの、
一応王位継承権はある。
現状、強大な魔力はあるが魔力制御に苦しんで
いるという事で―――
事実上継承者競争から外れていたのだが、
それが『治った』となると……
他の継承権を持つ王子やその派閥に、警戒心を
抱かせてしまう可能性があった。
「なるほど……」
「両腕に魔導具を付けたままなのは、
そのせいでしたか」
真っ白な長髪をした細面の青年と、
ロングのホワイトシルバーの女性が隣り合って
感想を述べる。
さすがに研究者夫婦……
魔導具という事にも気付いていたし、帰りの
彼の事もよく見ている。
観察眼が違うのだろう。
「ありゃダミーだ、以前の物よりずっと軽い。
とはいえ『本物』だがな」
ギルド長が補足説明を入れ―――
それで話が一段落したと感じたのか、それぞれ
飲み物に口を付ける。
「でもねー、シンの『能力』を隠す必要が
あったのなら……
別にパックさんが治したという事で通せば
良かったんじゃないの?」
「うむ、それは我も思っていた。
それならば症状の度合いも、『まだ治療中』とか
『完治』したわけではないと、言い訳も出来たと
思うのだが」
その理由も確かにあった。
言ってみれば自分の『能力』は秘中の秘―――
『魔力の無効化』、それも条件付きで。
もし知られでもしたら……
ウィンベル王国はおろか、他国も黙っては
いないだろう。
だからこう言っては何だが、パックさんを盾、
隠れ蓑に……
というのは理解出来なくもない。
「でもそれだと、パックさんに狙いが行って
しまうんですよ。それもどうかと」
私が申し訳なさそうに言うと、当の夫妻も、
「今の私は、シャンタルの影響もあって
ほぼ全ての属性が最強とも言えますが」
「それで面倒ごととかあっても困りますね。
パック君との時間や、研究を邪魔されたり
したら……」
あくまでもこの夫妻の心配は、2人の時間と
研究の事だけらしい。
「後はまあ―――
今、この町は良くも悪くも有名だからな。
『この町がナイアータ殿下の後ろ盾についた』
『王位継承を目指して殿下が動き始めた』
そう噂になっちまうのは得策じゃねえ」
腕組をしながら、ジャンさんが複雑そうな
表情になる。
政治に巻き込まれるのはこちらも本意では
ないからな……
「そーッスねえ。
ナイアータ殿下には悪いッスけど、
今は解放感の方が大きいッスよ」
「ワイバーンの後ろに乗るの、何度も殿下に
お願いされてたからね。
……お疲れ様」
今回はあくまでもリハーサルが目的なので、
殿下とファム様、クロート様とフラン様で
一通りの練習もされていたのだが、
ワイバーンライダーや魔狼ライダーに、後ろに
『乗せてもらう』のは……
あの年代の子供たちに取って、夢中になって
しまうのは無理もない。
「そう言うがお前―――
やたら気合い入れて乗せていたような
気がするが?」
ギルド長の指摘に彼はポリポリと頬をかきながら、
「いやー、でもッスねえ。
あの年でずっと苦しんできて……
それがやっと無くなったと思ったら、
いろいろと出来る事はしてあげたいじゃ
ないッスか」
なんだかんだ言ってレイド君は孤児院では兄貴分
だったし、面倒見がいいのは知っている。
身分関係なく、子供は放っておけないのだろう。
「他の子たちと同じように―――
いつの間にかクロート様にも殿下にも、
『レイド兄』って呼ばれていたものね」
ミリアさんが苦笑しながら語る。
「えっと……
そういえばこの件は、ライさん経由でまず
ジャンさんに話が来たんですよね?」
「そうだが?」
私はふと両目を閉じて、
「……ナイアータ殿下本人の意思はどうなんで
しょうか?
王位を継ぐ気があるのかどうか」
別に率先して後押ししようというわけではない。
だが殿下は、望む望まないに関わらず王族。
継承者争いや権力争いには否応なしに巻き込まれる
事だろう。
ただ、本人の気持ちもわからずに、あれこれ
想定するのは何か違う気がした。
「あー……
当人にその気は無いと聞いている。
もともと継承順位も低いしな。
ライオネルは、出来れば自分の後を
継がせたいと。そして―――
本人もどうやらその気でいるようだ」
ライさんの後を継ぐという事は……
王族の一員として、冒険者ギルドへ潜り込む
人間になるという事か。
魔力そのものは膨大だと聞いているし、
それがいいのかも知れない。
「まあこれで一安心かな?」
「そうじゃのう。
あの童の魔力も安定しておったし」
「ピュ!」
そこで妻2人の発言に、私はそちらへ振り向き、
「そういえばメルもアルテリーゼも、
ナイアータ殿下の事情は知っていたみたい
だったけど……
どうしてわかったんだ?」
私の問いに2人は顔を見合わせて、
「んー、アルちゃんの影響かも知れないけど、
魔力が『視える』んだよね、今の私」
「ドラゴン族ならたいていの者は魔力がわかるぞ?
メルっちに言われるまで気付きもせなんだが」
周囲の視線は同族のドラゴンが妻である
パック夫妻へと向かい、
「魔力って……
『視える』んですか……?」
「あれ?
パック君は見えないんですか?」
『?』という表情の妻を前に、夫は彼女を
凝視し始め、
「うわ。こ、これが魔力……!?」
「あ、見えたみたいですね」
困惑するパックさんを前に、周囲も動揺し―――
ギルド長が片手を上げて、
「どうなふうに『視える』んだ?」
その質問に、メルとアルテリーゼが振り向き、
「色の付いた水流って感じかな?」
「うむ。それが体内や体の周りを、ぐるぐると
流れて回っているのが見える」
妻たちの言葉に、今度は私がジャンさんの方へ
向いて、
「でも確か、私には魔力が感じられないって
結構あちこちで言われたような」
「そりゃ文字通りの意味だ。
魔力は『感じる』事が出来る。
目でも見えるっちゃ見えるが……
揺らぎとか、何となくという程度だ。
別にハッキリと見えているわけじゃねえ」
そこで私は首を傾げ、
「ですが、ギルド長の『真偽判断』は確か―――
見てわかるものだと聞いたような」
「俺もよくはわからんが、ありゃ別に魔力を
見ているんじゃないと思う。
感情の揺れとか緊張とかを視覚化して
いるんじゃねえのか?」
当人ですらわからないのはどういう事かとも
思うが、魔力が前提であり当たり前のこの世界、
それは仕方のない事なのかもしれない。
先天的なもので、別に修行とかして身に付けた
能力ではない。
出来るから、としか言いようがない。
説明出来るものではない―――
ただ魔力の感知は知っているので、
『それとは違う』と区別は出来るのだろう。
「で、だ。
お前さんたちにナイアータ殿下の様子は、
どう見えたんだ?」
ジャンさんの質問がメル・アルテリーゼに
向かうと、
「最初見た時は真っ黒だったね。
お湯が沸いて、あちこちでブクブク
泡立っているみたいな」
「人間にしてはすさまじい魔力だったからのう。
あの魔導具が、何とか体の外へ吸い出して
いるのが見えたわ」
それを聞いた室内の人間全員が、青ざめた
表情になる。
「そ、それで―――
『治った』後は?」
「青と紫の中間みたいな色になってた」
「流れも、体内でぐるぐると循環していたのう。
速度は無茶苦茶だが。
あれなら問題はあるまい」
改めて、誰からともなくホッとため息が漏れる。
「でも私が出した条件は……
『自分自身を苦しめる、または……
自身に害を及ぼす魔法・魔力など
・・・・・
あり得ない』
というものだったのですけど」
新たに夫婦になった男女が身を乗り出して、
「んー、シンさんは魔力や魔法の事を
全くわからないって前提で『能力』を
使ったッスから」
「後はその条件を満たすために―――
勝手に魔力が制御されたとか」
まあ確かにそうかも。
今までも、魔力の仕組みや原理なんてろくに
考えずに『能力』を使ってきたわけだし。
思い返せば―――
私のこの『能力』だって、努力して得た
わけではなく、いきなり神様に与えられたものだ。
そういう意味では―――
やっぱり、考え無しで使っていい能力では
ないよな……
「またシン、一人で考え込んでるー」
「本当にそういうところは悪いクセぞ?」
「ピュウ?」
慌てて家族の方へ向いて謝ると同時に釈明する。
「す、すまない。
治したのは自分だから、つい気になって」
そこへパックさんが口を開き、
「しかし面白いですね。
魔力の『可視化』―――
認識しただけで、こんなにもハッキリと
わかるとは」
「ちなみに今、パック君にはどんなふうに
見えてます?」
次いでシャンタルさんの質問に、彼は室内の人間を
見渡して、
「そうですね……
やはりシャンタルとアルテリーゼさんは、
魔力量が桁違いなのか―――
体内を黒い暴風が吹き荒れているような
感じです」
さすがにドラゴン……
この世界の強弱が魔力で決まるのだとすれば、
やはり人間とは格が違うのだろう。
「ジャンドゥさんは―――
紫の、まるで滝が絶え間なく体中の隅々《すみずみ》まで
行き渡っているような」
「そうなのか?」
指摘を受けたギルド長は自分の手を見て、
見えない力を確認する。
「メルさんは、ちょうどナイアータ殿下と
同じような感じですね。
青と紫の中間の色の魔力が、体内を目まぐるしく
巡回している感じです」
「ん、パック君も似たような流れしているよ。
やっぱり直接的に、ドラゴンの影響を受けて
いるからかなあ」
分析していた夫を、同じように妻が確認して
伝える。
そして彼の視線はそのまま新婚夫婦へと向き、
「レイドさんは濃い青? のような色で……
流れの早い川といったところでしょうか。
ミリアさんも流れは同じくらいで、
色は済み切った青空という印象です」
「そーなんスか。
自分ではわからないッスけど」
「人によってそれだけ違うんですね」
最後に残った私へ、必然的に視線が行く。
パックさん他、全員の注目が集まるが……
「……あの、シンさん。生きてますよね?」
「そんなに!?」
うろたえる私に、妻2人も
「いや、シンってホントに魔力ゼロなんだねー」
「この部屋の中では完全に無風状態かつ、
空白地帯じゃ。
まだそのへんの草木や虫の方が魔力があるぞ」
メルとアルテリーゼに、改めて珍しい生き物を
見るような目で見られる。
「なるほど……
これでは常に食事が必要というのも
うなずけます」
「魔力が無いとこう見えるんですね。
石とか置物を見ているようです」
追い打ちのようにパック夫妻が語り―――
空気を読んで話題を変えるためか、ミリアさんが
「そ、そういえばシンさん。
今日、ナイアータ殿下一行が帰る前に
ティーダ君を連れて―――
レオニード侯爵家のシーガル様、
モルダン伯爵家のエリアナ様と何か話して
いたようですが」
今朝方、ちょっと用事があって彼らと会って
いたのだ。理由は……
「ああ、彼らの馬に会いに行きまして」
「馬……ッスか? 何でまた」
レイド君がきょとんとした表情で返す。
「あの2人は騎士団ですから、当然乗る馬も
持っているわけでして。
でもシーガル様にワイバーンライダーになるよう
私が勧めてしまったのと―――
そのシーガル様の後ろにエリアナ様が乗るように
なってしまったので」
「だからそれがどうしたんだ?」
意味がわからない、というようにジャンさんも
首を傾げるが、
「それで馬には悪い事をしたと思って―――
ティーダ君を通して、彼らに今後とも馬を
可愛がる、捨てる事は無いと伝えさせたんです」
と、私の言葉が終わったところで……
ある人は吹き出し、ある人は大きく息を吐き、
ある人は苦笑と―――
それぞれの反応を見せた。
「馬を気遣っていたんですか」
「何ていうか……うん。
シンさんらしいですね」
パック夫妻が2人して『あ~……』という
顔をし、
「いや馬たちも不安だったと言っておりまして
ですねっ!?」
「まあこういう人だからねー」
「本当に変なところに気が回るものだのう」
「ピュピュウ~」
家族も達観というか、悟りを開いたような
表情をして―――
微妙な空気の中、場はお開きとなった。
―――3日後。
私は3名の女性と、2人の男性を連れて
パック夫妻の研究室へ来ていた。
女性の方は、茶髪のミドルロングをした
20代半ばの人と……
赤茶のポニーテールの人、そしてボーイッシュな
ライトグリーンの短髪の―――
氷魔法の使い手、ファリスさんとスーリヤさん、
そしてラムザさんの3人組だ。
男性の方は門番兵長になった2人、ロンさんと
マイルさん。
鎧姿でない格好は珍しく、中肉中背の一般人に
見える。
あまり接点の無い5人だが―――
今回は私の要請で集まって頂いた。
「え~っと、シンさん。
アタシたちはどうしてここへ」
ファリスさんがおずおずと片手を上げながら
聞いてくる。
「ええとですね。
今後、冬に向けてやってもらう事がありまして。
それを一度見てもらおうかと」
次いで、ロンさんが周囲を見渡し、
「俺たちは、昇進祝いとやらをしてもらえるって
聞いてきたんだけど」
以前、昇進祝いにちょうど手に入れた獲物―――
ランペイジ・エイプのボスの死体の権利を丸ごと
譲渡しようとしたところ、全身全霊で拒否されて
しまったので……
引き続き王都で適当な魔導具を探すのと並行して
その代わりを探していた。
「はい。それも兼ねています。
味見以外では、多分ロンさんとマイルさんが
一番最初に飲む事になると思う物を」
するとマイルさんが私の前まで勢いよく
やって来て、
「本当か!? 酒か!?」
「んー、お酒にも使えると思いますが。
まずは一口飲んで頂きましょう」
そして奥へ進むと、パック夫妻、そして汗だくの
白衣を来た研究者のような方々が出迎えた。
「お疲れ様です、パックさん。
それにシャンタルさんも」
「あ、シンさん!」
「どうします?
作るところを先に見ますか?」
私はひとまず一礼すると、連れてきた一行を
いったん振り返って、
「いえ、まずは『完成品』を飲んで頂きましょう。
説明はそれからで……」
「わかりました。
それではこちらの方へ」
広い室内の中、比較的開けた空間へと案内された。
そこには多くのコップが用意されており―――
「飲み物って、コレか?」
「何も入ってないようだけど……」
門番兵長になった2人が、まず疑問を口にする。
そこへ白衣の人たちがコップに水を注いでいき、
スプーンで白い粉のようなものを実験のように
投入、かき混ぜる。
「塩? それとも別の何か……」
「おりょ? 透明になったですよ」
スーリヤさんとラムザさんが興味深そうに
それを見つめ、続いて果物が出て来ると―――
力任せに絞られていく。
ジュースとなったそれをコップに追加していき、
またかき混ぜる。すると……
シュワーっと気泡がコップの中に満たされた。
「ふおぉお!?」
「な、何だこりゃ!?」
驚く面々の中、私はファリスさんとラムザさんを
指定し、冷やしてくれるように頼む。
(スーリヤさんは微調整が苦手なので)
やがて冷えたその『飲み物』が各自に
行き渡ると……
「それでは―――
ロンさんとマイルさんの、門番兵長就任を
祝いまして……
乾杯!!」
と、私が音頭を取ったのだが……
やはり初めて見る、熱くもないのに気泡が
沸き続けるそれに口を付けるのはハードルが
高いらしく、みんなジッと手元を見つめている。
仕方なく私は、パック夫妻と目を合わせると、
同時に口に流し込んだ。
「うん、やはり面白いですね」
「この口の中でパチパチと弾ける感覚……
長いドラゴンの生の中でも、味わった事が
ありませんでした」
2人に作るのを依頼していたので、当然味は
知っており、私も久しぶりの感覚を喉へと
流し込む。
「風呂上りに飲みたいですね。
もしくはまた暑くなった時に……」
残暑はまだ続いているが、夏真っ盛りはとうに
過ぎている。
まあそれは来年のお楽しみか。
私たちの反応を見て、周囲もチビ、と口に
含め始め―――
「うっわ!」
「何か、口の中が洗い流されていく感じだぜ」
まずロンさんとマイルさんが感想を述べ、
「音がします……!」
「強烈に、喉と鼻に来ますね」
「酸っぱい味が、口の中全体を叩いてくるっ」
氷魔法の3人組も、それぞれ反応を示す。
そう、これは地球ではおなじみの炭酸ジュースだ。
実際に炭酸水というのは天然でも存在する。
温泉、いわゆる地熱の高い土地や火山地帯に
湧き出てくるものだ。
限定的だが、日本にも天然の炭酸水が出る
土地はある。
今作ったのは当然人工のもので―――
重曹とクエン酸を混ぜたもの。
大学時代の、縮調合までなら出来た科学知識を
何とか引きずり出し、『こうすればこうなる』
的な感じで、パック夫妻に再現してもらったのだ。
まずはカーマンさんに材料を頼み、
海藻、いわゆるワカメや昆布の調達を試みた。
以前王都へ行った際、魚類の保存用施設で会った
エドさんに手に入らないか連絡をしてみたのだが、
(55話
はじめての しょくりょうかいつけ参照)
存在そのものは知っているものの、売り物には
ならないとの答えが返ってきた。
地球でも、実は海藻を消化出来る人種は少なく、
食べても美味しくない上に、お腹を壊す毒という
評価だったのだ。
なので無理を言って採取してもらい、町まで送って
もらった。
海藻は昔から手軽に採取出来る重曹の主成分で……
灰になるまで燃やした後、薪を燃やした火の上で
炙ると、二酸化炭素と結合して重曹になる。
ただし実際に実験した事はないし、ここの海藻が
地球のものと同じ成分だとは限らない。
もし危険物質や有毒ガスが発生したら……
という懸念から、知識を総動員してパックさんに
伝えて、安全第一で試作してもらい、
今回の試飲にこぎつけたのである。
クエン酸はいわゆる柑橘系―――
酸っぱい果実から採取したもので、こちらは手軽に
入手する事が出来た。
「シンさん、これを冬の間に量産するって
事ですか?」
ミドルロングの茶髪を揺らしながら、
ファリスさんが聞いてくる。
「正確にはこの粉―――
重曹を、ですね。
これがあれば、結構いろいろと使えるので」
「でもこれを作るのに、氷って必要なんで
しょうか」
今度はスーリヤさんが、ポニーテールに手を
かけつつ、質問する。
彼女たちからは以前、本当に冬になっても
仕事はあるのか、賃金は―――
と、不安そうに相談された事があるので、
現場を見てもらうのが一番だと判断した。
「じゃあパックさん、シャンタルさん……
作業場へ行ってみましょうか」
すると夫妻もゆっくりと立ち上がって、
「ええ……」
「それでは行きましょうか……」
と、不穏な空気を背負いつつ、部屋のさらに
奥の扉へと足を向けた。
「えっと、これは……」
ミディアムショートの髪を熱気にあてながら、
ラムザさんが目の前の光景に固まる。
そこには、防護服のような物を着た数名が、
死屍累々と横たわっていた。
重曹はまず海藻を灰にしなければならず、
またその灰をさらに薪の火の上で炙るという
作業があり―――
安全を考えて全身防護、さらにマスクと、
脱水症状になる正しい方法を実行した結果、
地獄が出来上がったのである。
パックさんはそのうちの一人を起こし、
「氷魔法の使い手が来てくれましたよ。
水分、それと塩分も取ってください」
次いでシャンタルさんも、一人に水を飲ませ、
「夏にやったら死人が出るよね、コレ。
わたくしとパック君なら平気なんですけど」
一方はドラゴン、一方はドラゴンの影響を受けた
全属性の魔法使いであり、体を冷やしながらの
作業が可能らしい。
ただ、作業に従事する一般人はというと、
言うまでもなく……
「あと、炭も作る予定ですからねえ」
ポリポリと頭をかく私に、同行した門番兵長
2人が、
「炭? あの長持ちする火種の事かい?」
「そりゃ冬にはいいかも知れないが―――」
私はその言葉に首を左右に振って、
「いえ、夏に使うんですよ」
「へ?」
「はい?」
ロンさんとマイルさんは疑問で返す。
「夏は、氷魔法の使い手が来てくれた事で、
暑さからは解放されましたけど―――
その代わり、水気でベタベタになったでしょ?」
何を当たり前の事を、とパック夫妻以外は
首を傾げるが、
「炭には湿気を吸収する性質があるんですよ。
さすがに冒険者ギルドの訓練場とか、
広い場所では無理ですが」
それを各所に設置出来れば、不快なベタ付きは
軽減されるだろう。
「後、作業場はなるべく乾燥していた方が
いいので―――
氷を設置するのではなく、各自で補給して
もらった方が良くて」
それを聞いた氷魔法の使い手3人組は、
「な、なるほど……
それなら確かに氷は必要ですね」
「体温を冷やすだけなら、飲んでもらった方が
早いですし」
「それじゃ、冬も頑張るのです!」
こうして、ロンさんとマイルさんのお祝いと、
氷魔法の重要性の説明は終わり―――
作業部隊の彼らにも声をかけて労う。
「あなた方もお疲れ様です。
もう少し涼しくなれば、作業も楽になると
思いますので……」
「いやあ~……
でもこれでしばらくは休めます。
ちょうど海藻も無くなったし」
「ん?」
カーマンさんには、出来れば定期的に
仕入れて欲しいと伝えたはずだけど。
思わず屋敷の主の夫妻に顔を向ける。
「いえ、私たちは普通に受け取ってますけど」
「そういえばパック君、追加が遅いような」
私は2人と顔を見合わせ―――
夫妻の研究所件屋敷を出た私は確認も兼ねて、
カーマンさんの屋敷へと行く事にした。
「おお、シンさん!
お待ちしておりました。
申し訳ありません、こちらから連絡しようと
思っていたのですが……
海藻の件ですね?」
ドーン伯爵様の御用商人の屋敷に到着すると、
白髪混じりの60代ほどの老紳士が出迎える。
そしてそのまま応接室へ通されると―――
事の次第を説明してくれた。
「海藻が届かなくなったのは事実です。
何かあったのは間違いないでしょうが……
正直なところ、売り物にならない上に簡単に
手に入る海藻を買ってくれるというので―――
海辺に住む人や、新人冒険者に人気の依頼では
あったのです。
ですので、獲れなくなったという事ではないと
思うのですけれど」
どうやら、カーマンさんの方でも何があったのか
までは把握していないらしい。
「それで、地元の冒険者ギルドかどこかへ
調査依頼を出そうかと思っておりまして……」
「う~ん……
カーマンさんは、その海―――
現地へ行った事は?」
不意に予想外の言葉が返ってきた彼は、
若干困惑しながらも
「え? はい。
取引に行く際、直接この目で見てきております」
「じゃあ場所は知っているんですね。
出来れば案内して頂きたいんですが、
大丈夫でしょうか?」
「は、はあ……
それはもうシンさんの頼みであれば。
ですが、私も御用商人を務めております身。
王都から東へ、馬車で10日ほども行った場所に
ありますので―――
あまり長い間、ここを離れるわけにも」
彼の言う事ももっともだ。私は少し悩んだ後、
「アルテリーゼの『乗客箱』なら―――
日帰りは無理でしょうけど、多分3、4日の内に
戻れると思います。
その日程も無理であれば……」
「よ、よろしいのですか!?
あのドラゴンの『乗客箱』に乗せて頂けると!?
それならば喜んで!
何を差し置いても同行させて頂きますぞ!」
そういえばカーマンさんは、ドラゴンでの移動は
まだした事が無かったっけ。
こうして私は―――
妻2人、そしてカーマンさと共に海へ調査に
向かう事になった。
「おおー、海だー」
「見たところ、異変はなさそうだがのう」
「ピュ!」
2日後―――
正確には1日半かけて、問題の浜辺へと
やってきたのだが、
「は、はは……
馬車なら2週間以上かかる日程を、まさか
たった2日で……」
カーマンさんが呆れるように感想を口にする。
今回は案内してもらいながらの飛行だったから、
帰りはもっと早くなるだろう。
とにかく我々は、カーマンさん主導で―――
現地の方々に現状を聞く事にした。
「海へ入れない?」
カーマンさんが会談の場を設けてくれたところ、
そんな答えが返ってきた。
何でも、海に入ると沖に巨大な影が見えたらしく、
それが怖くて誰も入ろうとしないらしい。
この世界、泳ぐというのも一般的ではないので、
多分足の着くところでの話だろう。
今のところ被害は出ていないようだが。
「その影というのは?」
「魚ではなく、何か丸い形の物だとか。
俺もよく見たわけではねぇから……」
地元民に聞いても、はっきりした事はわからない。
そもそも陸上生物において、水中は本能的に恐怖を
感じる場所だしな。
「とにかく見てみる?
私とアルちゃんなら泳げるしー」
「そうじゃのう。
まずは見つけてみない事には始まらん」
「う~ん……
危険は避けるようにね?」
こうしてまずは妻2人が―――
探索してくれる事になった。
メルもアルテリーゼも人の姿で―――
薄着に着替え、海中へと飛び込んでいく。
もし何か発見したら浜辺までおびき寄せる、
その後は私が、ダメだったら妻2人で倒す算段だ。
高速ボートのように波しぶきを立てながら、泳ぐ事
10分ほど……
突如一直線に陸にいる私めがけて波が迫ってきた。
「とうっ!」
「おうっ!」
メルとアルテリーゼが飛び出すようにして海中から
浜辺へと着地。
そして後を追うようにして上陸してきた姿があった。
「……貝?」
「ピュ?」
目の前にいるのは―――
高さ2メートル、直径10メートルは
あろうかという巨大な貝だった。
あさりやしじみのような外見だが、その口を開けて
まるで舌のように本体を出している。
その動きも素早く、獲物を探すかのように空中を
さ迷っている。
それを見た地元民はすでに逃げ出し―――
3メートルほど後ろでカーマンさんが口を開く。
「こ、こいつは……
カリュブディスと呼ばれる肉食貝です!」
やっぱり貝という認識なのか。しかし―――
「陸に上がってきてくれたのはいいんだけど、
ここだとやっぱり邪魔かな」
「別にいいんじゃない?」
「海の中も素早かったし、水中へ逃げられると
厄介じゃと思うぞ」
貝の中にも、『泳げる』種類はいる。
ホタテとかは水を噴射してかなりのスピードで
動ける。
だからこのカリュブディスとやらが、泳ぐ事
自体は無効化出来ない。
だが―――
いくら水生生物とはいえ、この大きさは反則だ。
確かに海中にいるだけなら、巨大化もある程度は
うなずける。
しかし、問題はその運動性能にある。
本体の動きが、明らかに巨大動物のそれではない。
貝はイカやタコと同じく軟体動物だが―――
貝殻がある分、動きは制限される。
また、巨大化すれば貝殻そのものの重さも当然
比例するわけで……
「いずれにしろ、この大きさで、陸上で……
素早く動ける二枚貝なんて
・・・・・
あり得ない」
その途端、カリュブディスは―――
触手のように先端を振り回していた本体を
ドスン、と浜辺の砂に落とす。
かろうじて微々たる動きは出来そうだが、
もはや行動不能なのは間違いなく。
「どうしようかな、コレ」
「煮たり焼いたりすれば、確か口をパカッと
開くんだよねー」
「下に木でも敷き詰めて燃やすか?」
「ピュ?」
家族で処分方法を検討する私たちを見て―――
カーマンさんは口をポカンと開けたまま
固まっていた。