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(……なんでこんなことをしてるんだろう)
奈緒子はバーの高すぎる椅子に腰かけながら、つかない足を所帯なげに足に絡ませながら、カウンターの中にいるバーテンダーのやけに派手なオレンジ色のネクタイを見つめていた。
「はい、奈緒子さん。乾杯」
スクリュードライバーと、モスコミュールを合わせる。
グラスの淵に引っかかっているオレンジの切り身が邪魔で飲みにくい。
それを見て時崎はカウンターに置いてあった取り皿を一枚奈緒子の前に置いた。
黙ってそれにオレンジを置くと、改めて一口含み、グラスを置き、縁に残ったグロスを親指でふき取った。
「私となんて、飲んで楽しい?」
「楽しいですよ」
さっぱり楽しそうじゃない声を発しながら先々がロンググラスの中のモスコミュールを半分ほど飲み干した。
「私だったら、お酒は好きな人たちと飲みたいけどな」
真顔で聞くと、グラスの中のモスコミュールに向かって微笑んだ。
「本当に嫌われてんだな、俺」
何と言っていいのかわからず、奈緒子はまたやけに甘いスクリュードライバーを飲んだ。
疲れていたのか妙にアルコールの周りが早く、目が温かくなってきた。
「大丈夫ですか?眠い?」
目を擦る奈緒子を時崎が覗き込む。
「目が痛いだけ。アルコールって身体の疲れてる部分に溜まるって言うじゃない?」
「そんなの初めて聞きましたよ」
「ほら、胃が疲れてると、胃にくるじゃない」
「それってただ、荒れてるだけでしょ」
時崎が笑う。
「あなたみたいに若い人には、わからないのよ」
腕を軽く下に伸ばし、背中の筋肉を伸縮させると、肩甲骨あたりがポキっとなった。
「ばあちゃんですか」
横目で見ながら、彼の長い指がグラスを傾ける。
「本当に長いのね」
思わず、脳に浮かんだ言葉がそのまま唇を飛び出す。
「指?長いですか?」
言いながら自分の手を広げてまじまじと見ている。
「指がっていうか、身体のパーツ、全てが長い」
言いながら腕の長さを比べる。
手首から肘まで、確実に奈緒子の1.5倍はある。
足の長さも然り、だ。
「奈緒子さんて身長何センチですか?」
「151」
「小さっ」
遠慮なく笑っている。
「もっと大きいと思ってました。あれかな、態度がデカいからかな」
発言にも遠慮がなくなる。
そりゃそうだろう。
あと十日もせずにこの男は他人になる。彼にとって自分は元上司になりつつある、33歳のただのおばさんだ。
それについて責める気にもなれず、ただなぜこんな二人でこの場にいなければいけないのかわからないまま、奈緒子はグラスの中身を一気に飲み干した。
それから一体何杯飲んだだろう。
もう記憶も曖昧だ。
それでも奈緒子の目の前には、一杯目に飲んだスクリュードライバーのオレンジの切り身が置かれている。
「俺が好きなのは4部なんですけど。全7部ある中でも4部だけは、そのストーリーの中から切り取られたような、いわば箱庭的な作品で。
勿論1部から3部の続きの話で、5部の伏線にはなるんですけどそこだけ別世界というか。
完成度も無駄に4部だけ高いんですよ」
男の唇が何の話題を紡いでいるのか、もはやわからない。
流行りのコミックだか、アニメの話をしているような気がするのだが……。
「その声優が、2部でのボスを演じた鴨井さんで。どうしてもこのシリーズが好きすぎて、監督に直談判したってのが有名な話で……」
やはりアニメの話らしい。
奈緒子はいよいよ本当に眠くなってきた瞼を擦った。
「奈緒子さん?」
目を開けると、時崎の顔がすぐ近くにあり、奈緒子は瞬きを繰り返した。
「眠い?」
少し馬鹿にしたような顔で時崎が微笑む。
「退屈な話って眠くなるわよれ」
「呂律回ってないですよ」
精一杯虚勢を張ろうと思ったのに、舌が言うことを聞いてくれない。
誤魔化すようにグラスの中身を飲み干す。
これはなんというカクテルだっただろう。
後半から注文は全てカクテルに詳しいという時崎に任せていたので、名前も思い出せない。
しかし逆三角形のバーグラスに注いであるということは、それなりに度数が高いのだろう。
長い指がぼんやりとした視界の前で左右に揺れる。
「何本ですか?奈緒子さん」
「3本」
「……あたり」
その手が奈緒子の鼻をつまむ。
「何すんのよ」
その手を引きはがすと、逆に手を握られた。
(……あ)
こちらを見下ろす目に熱がこもっている。
(……やばい雰囲気)
握った右手を離す気がなさそうなので、諦めてそのまま下に下ろし、奈緒子はバーテンダーに「同じものを」とオーダーした。
「奈緒子さんて手もちっちゃいですね。子供みたい」
「あんたが大きすぎるのよ。全くかわいくない」
「奈緒子さんは小さくても可愛くないですけどね」
(……言ってくれる)
ぼやけた視界で大きなその影を睨んだ。
「あんたは身長、何センチあるの?」
「俺ですか?182です」
「でかっ」
先ほどの先々の口調を真似して言ってやる。
「ここまで体格差あると、別の生き物って感じがしてくるわね」
笑いながら、バーテンダーが準備してくれたグラスを左手で持ち、赤い液体を喉に流し込む。
「そうですか?」
「昔そういう映画があった。遠い星に地球みたいな生態系があって、人間より少し大きな生き物が文明を築いて住んでいるの」
「わかりますよ。青い顔のやつでしょ」
「そうそう。映画館で観た?」
「いえ、公開されてた時はまだガキだったんで」
そうか。この男とは5個も離れているんだった。奈緒子が小学生で見た映画をリアルタイムで見ているわけがない。
「かわいそ。あれは3Dで観ないと意味がないのよ」
「意味がないまで言い切ります?」
時崎が苦笑いをする。
「でもあの映画、人間とその生き物が恋をするじゃないですか」
時崎が握った手に力を籠める。
「セックスするとき、どうするんだろうなってずっと思ってたんですよね」
そういう意味を込めた視線をこちらに投げてくる。
「……問題ないでしょ。だってあれ、人間が男だったじゃない。ゆるゆるのガバガバなだけでしょ」
目を細めて言うと、時崎は「もう少し歯に衣着せて下さいよ」と笑った。
「……でも、もし逆だったら?どうなるんでしょうね?」
時崎の視線が、奈緒子の身体を滑り落ちていく。
胸元。
腹。
太もも。
ふくらはぎ……。
一旦床まで落ちて、
またつま先から這い上がってきて、
臀部のあたりで留まる。
その視線の熱が、スカートの中に入ってくるような錯覚にとらわれ、思わず身を引き椅子からバランスを崩した。
握っていた彼の手に強く引かれ、奈緒子はチェアから転がり落ちずに済んだ。
「……手を繋いでいて、よかったですね」
なにもかもわかっているような顔で時崎がほくそ笑む。
「そんなに動揺しなくても」
「してないわよ」
「そうですか。お互い子供じゃないですしね」
時崎が睨みあげるようにこちらを見つめる。
「試してみましょうか?……俺と」