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「おかあさん、おはようございます。」
朝の単純な挨拶。これすらも私には生活の為の試練なのです。
いえ、私だけではありません。義兄弟の謝必安(しゃびあん)にも。
これから皆さんにも私と謝必安と同じ空間で話を聞いて頂くという事で、皆さんにも私共の家でのルール(私と謝必安が勝手に決めましたが)お教え致しましょう。
その壱(いち)、母の機嫌は損ねてはいけません。母は言葉には出さぬものの、態度に出るので空気が苦しくなるでしょう。
その弐(に)、自身の不満があっても、決して母に伝えたり、起こってはいけません。何かあれば、お互いに伝え合いましょう。
その参(さん)、買い物の際は、極力物欲を出さず、欲しいものは一番値安なものを強請りましょう。
その肆(よん)、母の眠りを妨げてはいけません。母は邪魔をされるのが嫌いです。
その伍(ご)、外へ出かける時は、母の決めた門限を必ず守りましょう。遅れる場合は一言残すこと。何も言わず出ていけば家に上がらせて貰えなくなるでしょう。
その陸(ろく)、母は泣く子供が嫌いです。どれだけ怒られても叱られても怒鳴られても、決して涙を見せないようにしましょう。
たかだかこれだけか、と思いましたか?
たかだかこれだけが、私共には苦痛であったのです。
何故なら母は恐ろしかったから。
怒らせてはいけなかったから。
何より、「母の愛」と言われるものが感じられたことがなかったから。
ある日、謝必安は母の高圧的な態度に我慢が効かず、母に怒鳴りつけました。
「おかあさんだっていつも私の事を無視するじゃないですか!」
それを聞いて母は怒りました。怒鳴りました。
「あなたの声が小さいからでしょう!ならこれからはどれだけあなたが嫌味なほど小さな声で私を呼んでもちゃんと返事してあげます!それでいいですか?!」
謝必安は黙りました。黙って私の部屋に逃げてきました。その時には既遅く、母は怒って周りのものに当たり散らしました。
その後2日ほど、謝必安は母に冷たい態度を取られ、飼い猫や私を謝必安の目の前で甘やかしました。
私は決してそれを喜びませんでした。喜んだふりをしました。
その後母が寝た後、部屋で泣きじゃくる謝必安を抱きしめて何度も謝りました。
私が悪かった、私がもっと気を付けてやれば良かった、と。
また暫くして、今度は私が母に怒鳴られました。
書道の練習をしていて、声が届かなかっただけなのです。返事が出来なかったのです。
それだけでも母にとっては大罪でした。
「返事も出来ないの?!私の声は聞こえなかった?!」
私はすぐに謝りました。でも、もう遅かったのです。
母は不機嫌になり、ぶつくさと文句を言いながら自身の部屋の片付けをしました。
その後は私は、どんな声も聞き逃さぬよう、よく耳をすませるようにしました。
すぐに返事ができるよう、いつも気を張りました。
すぐに疲れてしまい、部屋で泣きじゃくりました。
その度に謝必安は私を抱きしめ、何度も褒めました。
無咎は凄い、いつも頑張ってて偉い、と。
私たちはこうしていつも、互いを慰めあっていたのです。
……おっと、もうこんな時間でしたか。
皆さんもきっとお疲れでしょう、今日は此処迄と致しましょう。
この続きは、また明日。