「おはよ。亜香里! どうだった? 俺が君にとってどれだけ貴重な存在か分かったでしょ」
私は気がつくとベッドの上に寝かされていて、博貴に見下ろされていた
「え? どういうこと?」
私は起きあがろうとしたが、体の自由が効かなかった。
顔をなんとか傾けると、自分の耳から無線のイヤホンのようなものが外れるのが見えた。
「君を再教育してたんだよ。なんか色々自分の立場を勘違いしているようだったからさ」
私に得意げに言ってくる博貴はいつの博貴だろうか。
周りの風景を見る限り、私と彼が結婚生活を送っていた部屋の寝室だ。
「どういうこと?」
私は自分でもびっくりするくらい消え入りそうな声で彼に尋ねた。
急に彼は私の頭を鷲掴みにし、思いっきり振り回してきた。
「亜香里! お前はなあ! 新入社員の時はひよこみたいに俺を慕って可愛かったのに、結婚したら別人じゃねえか。この詐欺師が! その上、俺が事業に失敗したら偉そうに俺に家事を押し付けて! 見下してんじゃねえぞ」
チンピラのような口調で私を恫喝してくる博貴に私は言葉を失う。
新入社員の時は周りの人とうまくやりたくて、教育係だった博貴には特に愛想良くした。
付き合っている時は、彼の事を尊敬していたし大好きだったから尽くした。
結婚したら、共働きで私自身も忙しくて彼のいうことを全て聞き続けることはできなかった。
家事の彼の比率が高くなったのは、彼が初めに収入と反比例の比率で家事を分担しようと言ってたからだ。
「このイヤホンみたいなのは何なの? 私が今まで見ていたのは夢?」
意味がわからなかった。
自分の服装と博貴の服装を見るに、私たちが離婚しようと乾杯をした日のまんまだ。
しかし、私には何度も人生を繰り返したような感覚がある。
「何が夢だよ。このアバズレが! 自分だったら浮気しないとか言ってたくせに、他の男と結婚したり飯島と不倫しようとしたり深層心理はひどいもんじゃねーか」
博貴が私の頭を吹っ飛ばすような力で平手打ちしてきた。
先程から頭にモヤが掛かった状態が続いていて、痛みをあまり感じない。
「このイヤホンみたいなのは、博貴の会社の商品?」
「ちげーよ。宝くじの当選金の5億円を使ってお前の再教育のために作ってやったんだろーが! 脳神経に直接信号送って繋げるから、障害が残るリスクがあって商品なんかにならねーよ」
本当の当選金は1等と前後賞合わせた7億円だ。
博貴が忙しい私に代わって家計を管理するというので、1等が当たったことだけを伝え5億円を管理させていた。
私は博貴が事業を失敗した時に、彼の投資センスの無さに気がつき彼に全額を渡すのは不安だった。
2億円は老後資金として、私名義のネット銀行の口座に保管している。
私の再教育とやらの為に5億円を浪費し、脳に機能障害が残るかもしれないものを平気で使う彼に恐怖を感じた。
「何で私は何度も死んだの? 私のいた世界は何?」
「お前の記憶と思考によって作られた世界だよ。俺のことを裏切るようなことをしようとしたら、破滅に向かうようにプログラミングはしてはあるけどな」
先程の彼の会話から察するに、私がどのような世界にいたかは彼に把握されているようだ。
そして、私が刑務所に入ったり、何度も殺されたのも彼を裏切るような行動をしたかららしい。
おそらく、最初にダイニングルームで乾杯した時には私はこのイヤホンを装着させられていた。
最初から私は死んでなどいなかった。
全ては、私を再教育するために脳に錯覚させて見せられていた世界だったということだ。
「もう、離婚するのに私を再教育しようとするのはなぜなの?」
泣きたい気持ちなのに恐怖で涙が出てこない。
それか、脳に障害が残ってしまっていて涙が出せないのかもしれない。
「俺がそれだけお前を気に入ってやってるってことだよ。俺はお前と離婚する気はないんだ。鈴木菜々子はダメだ。俺を慕っているから相手をしてやったが、俺の子を妊娠しているとか嘘吹いてきてやがった」
私は混乱していた。
鈴木さんの妊娠が嘘だと彼が言い切るのがなぜか分からない。
しかし、私は婦人科系で引っかかったことがなく自分が不妊の原因ではないとどこかで思っていた。
だから、私の記憶と思考により作られた世界で、私は孕ったのだろう。
「もしかして、博貴に不妊の原因があったの?」
私は彼の機嫌を損ねるのが怖いと思いつつも、恐る恐る尋ねた。
「ちげーよ。お前が子種だけを目的に俺に抱かれようとするから、わざわざパイプカットしたんじゃねーか。前は俺のこと好きで堪らないって感じで、求めてきたくせによ。お前が排卵日以外、疲れたふりして寝ているのはバレバレなんだよ」
博貴がベッドの上に突然乗っかってきた。そして、寝転がっている私のお腹を力強く踏みつける。
今まで身体的に暴力を振られたことはなかったが、今日の博貴は迷いなく私に乱暴してくる。
そして、こんなに乱暴な言葉使いをする彼を見るのも初めてだ。
(今の彼は、私が憎くて仕方がないんだ⋯⋯彼が求めている私を演じれば乱暴されないかも)
「私が、間違っていたよ。私は、どうしたら良いの? 私には博貴しかいないって分かったから。何でも言うこと聞くから、もう許してよ」
安全性の確認できていないものを、脳神経に繋がれていたからか自分の体を自由に動かせない。
声を出すのさえも辛い。
このまま暴力を振られるのが怖くて、私は彼が好む従順だった新入社員時代の私を演じた。
社会人になりたてで上手いこと受けこたえができなくて、ひたすらに彼の顔色を伺っていた頃の私だ。
「亜香里、違うんだよ。俺はただ一途に俺のことを思っていたお前に戻って欲しいんだ。俺も、そんなお前を愛したいと思っている」
博貴は急に優しい声色を使い、私の頬を撫でながら額にキスしてきた。
寒気と嫌悪感でいっぱいになる。
何で、こんな自己愛の塊のような男と結婚してしまったのか。
結婚したからには、離婚せず添い遂げなければならないと彼に固執してしまった自分が間違っていた。
(もっと早くに彼を捨てればよかった⋯⋯)
普段の私なら嫌悪感が顔に出てしまうが、怪しい商品の後遺症か麻痺して表情を変えずにすんでそうだ。
「亜香里、本当に君だけを愛してる。亜香里は今、俺にどうして欲しい?」
博貴が私の顔中にキスを落としてくる。
私は顔中にナメクジが張っているような気持ち悪さを感じた。
(もう、本当に彼のことが生理的に無理だ⋯⋯)
それでも動けぬ体で、彼にされるがままになるしかない。
私は消え入りそうな声で、彼に懇願した。
(彼の望む言葉を言わなきゃ! 殺される!)
「抱いて。博貴⋯⋯たくさん、愛して。やっと、分かったの私にはあなたしかいないって」
私の言葉に博貴は満足そうに微笑んだ。