「おはよう。」
「おはよ〜。」
「おはよう。」
今日はバイトは休みだけど、涼ちゃんのアラームで、ぼくと若井も目を覚ます。
夏休みだからダラダラしたい気持ちは勿論あるけど、こうしていつもと同じ時間に起きるには理由があった。
涼ちゃんの院試まで、残り1週間。
いつもぼく達の朝ご飯は涼ちゃんが作ってくれているけど、毎日一生懸命勉強している涼ちゃんの負担を少しでも減らそうと、朝ご飯はぼくと若井で作る事にしたからだ。
「じゃあ、ご飯出来たら声掛けるねえ。」
「うん!ありがと〜。」
まだ眠そうな若井を引っ張りながら、ぼくはキッチンへ向かう。
せっかく支度がなくなったのだから、涼ちゃんも少しはのんびりすればいいのに……そう思ったけど、ソファに座った彼はもう参考書を開いていた。
まあ、そんな頑張り屋さんな涼ちゃんだから、ぼく達も何かしてあげたいと思うのだけど。
「ほらっ、若井!欠伸してないでケトルにお水入れてよー。」
「ふぁーーいっ。」
いつまでも眠そうにぼくの肩に顎を置いて寄りかかったまま動かない若井に喝を入れつつ、ぼくは油を引いたフライパンに卵を落としていく。
ぼくが作るのは、スクランブルエッグじゃなくて、目玉焼き。
理由は単純でーー涼ちゃんが、毎回褒めてくれるから。
ジュワっと音を立てて、フライパンに落ちた卵の白身が少しずつ白くなり固まっていく。
焼き加減を見つつ、若井に目をやると、ちゃんとケトルをセットして、三人分のパンをトースターに並べていた。
何だかんだ真面目なところが可笑しくて笑ってしまうと、ふいに目が合い、若井がにこっと笑い返してくる。
熱くなる頬をごまかすみたいに、フライパンの上の卵を見つめた。
顔が熱いのはフライパンの熱のせいーーとい う事にしておいた。
「涼ちゃーんっ、朝ご飯出来たよー!」
出来上がった朝食をダイニングテーブルに並べながら声をかけると、『は~い』 と笑顔で返事をした涼ちゃんが、参考書を閉じてトコトコと歩いてくる。
代わりに三人分の麦茶を用意してくれて、そのまま席に腰を下ろした。
「やったぁ、目玉焼きだ~!」
「ははっ、涼ちゃん喜びすぎでしょ。」
「だって、元貴が作る目玉焼きって、綺麗だし美味しいんだもん~。」
「へへっ。ありがと。」
ふと顔を見合わせて、自然と三人で笑い合う。
大げさなことなんて何もないのに、こんなふうに一緒に食卓を囲むだけで、朝が少し特別に思えるから不思議だ。
三人揃って席につき、手を合わせる。
「「「いただきまーす。」」」
パンをかじる音、スープを啜る音、カチャカチャとお皿に当たるフォークの音。
小さな生活音が重なって、ダイニングに穏やかな朝のリズムが流れていく。
「うん、美味しい~!」
涼ちゃんがにこっと笑うと、なんでもない朝ご飯が少し誇らしく思えた。
「今日も暑くなりそうだなー。」
「麦茶、いっぱい作っといた方がいいかもね。」
他愛もない話を交わしながら、夏の朝はゆっくりと始まっていった。
・・・
「やば、おれ…夏休みの課題こんなに早く終わりそうなの、人生で初めてなんだけど。」
「分かる…ぼくも、あと一つレポートやったら終わりだわ。」
涼ちゃんを見習って、バイトがない日は、涼ちゃんと一緒に夏休みの課題をこなしていたぼく達は、夏休みが始まってからまだ一週間しか経ってないというのに、終わりが見えてきてるなんて初めての経験だった。
「二人とも今までどんな学生生活を送ってきたの~? 」
感動しているぼく達を、面白そうに笑う涼ちゃん。
ぼくと若井は顔を見合わせて、同時に『……だらけてました』と答える。
「あははっ、想像つくな〜。特に元貴は去年も大変そうだったもんねぇ。」
涼ちゃんが声をあげて笑う。
でも、笑いながらも、心のどこかで安心している。
だって来年も、再来年も――涼ちゃんは大学院に進む予定だから、こうして三人で一緒に過ごせるんだ。
「じゃあこれからは、ちゃんと真面目な学生生活に…する!」
ぼくが言うと、若井が『おれ元貴よりかは真面目だしー。』と笑い、涼ちゃんは『僕は二人とも心配だよ〜。』と呆れながらも楽しそうに肩を揺らした。
笑い合う声が、夏の午後の静かな部屋に響いて、ぼくはふと気づく。
宿題が早く終わりそうなのが嬉しいんじゃなくて――
ただ、こんな時間がずっと続いて欲しいと思うから、頑張れるんだと。
「ってか、お昼ご飯どうするー?」
一息ついたところで時計を見ると、もう12時を少し過ぎていた。
若井がそれに気づいて声を上げると、ぼくと涼ちゃんの声が重なった。
「素麺!」
「素麺!」
ハモったのがおかしくて顔を見合わせ、二人して笑い合う。
そのやり取りを見ていた若井は『よっしゃ!』と声を弾ませ、勢いよく立ち上がった。
「待ってて。おれが作ってくるよ。」
「まじ?いいのー?!」
「うん。ずっと座ってたから、ちょっと体動かしたいし。」
言いながら、若井はぼくの頭を軽くポンポンと撫でる。
その何気ない仕草に胸が温かくなった瞬間、若井はサッとキッチンへ消えていった。
取り残されたリビングに残るのは、涼ちゃんの優しい笑顔と、どこか楽しげな夏の空気だった。
・・・
お昼も三人そろって席に着き、手を合わせる。
「「「いたたきまーす!」」」
箸を伸ばしてツルツルと啜ると、冷たい素麺がするりと喉を抜けていく。
さっきまでじんわりまとわりついていた暑さが、ほんの少し和らぐ気がした。
「うっま!」
「やっぱ夏はこれだよねぇ。」
涼ちゃんが目を細めて幸せそうに言うと、若井が吹き出しながらツッコミを入れる。
「涼ちゃん、それ今年の夏、あと何回言うの?」
「え〜?美味しいから、言っちゃうんだもん。」
にこにこと笑う涼ちゃんにつられて、ぼくも笑ってしまう。
結局、同じセリフを何度聞いたって、こうして三人で食べるご飯は、毎回新鮮で美味しいから。
「ふあー、食べ過ぎたあ。」
「ねむー。」
若井が、畳んである布団を枕にして、リビングの床にゴロンと横になった。
エアコンの涼しい風と、カーテン越しに差し込む夏の光に包まれて、そこはとても気持ちよさそうに見える。
じっと見ていると、若井がぼくの視線に気付いて、にこっと笑い、ポンポンと隣を叩いた。
それは“おいでよ”の合図。
ぼくは少し照れながらも誘いに従い、その隣に同じくゴロンと横になる。
カーテンを透かして届く日差しは、思ったよりも眩しかったけど、それすら“夏だな”と感じられて心地いい。
涼ちゃんは、相変わらず一人掛けのソファーに座り、勉強の続きをしている。
だらけてしまっている自分に、少し後ろめたさを覚えながらも——
隣で規則正しい呼吸を刻み始めた若井に釣られて、ぼくもそっと目を閉じた。
エアコンの風と、仲間の気配。
夏の午後に溶け込むように、静かな眠りがぼくを包み込んでいった。
・・・
「…ん……。」
重たい瞼を開けると、リビングは夕焼け色に染まっていた。
ぼくは目を擦りながらぼんやりしていたけれど、すぐに気付いた。
聞こえてくる寝息が一つ、増えている。
霞んだ視界の中で、右側で若井が気持ちよさそうに寝息を立てているのが見える。
そして反対の左側に――涼ちゃん。
目を閉じる前はソファーに居たはずなのに、いつの間にか床に降りてきて、横になっていた。
驚いて瞬きをすると、涼ちゃんがちょうど目を開けて、ゆっくりとこちらを見た。
眠たげな瞳が夕日に照らされて、なんだかいつもより柔らかく見える。
「……起きた?」
寝起きの低く囁く声が、妙に近くて胸が跳ねた。
「……うん。涼ちゃんも寝てたの?」
「うん、二人ともすごく気持ち良さそうだったから、ついね。」
言葉の間を縫うように、若井の寝息だけが一定のリズムを刻んでいた。
三人だけの静かな時間が、オレンジ色の空気に包まれている。
涼ちゃんの瞳に映る夕陽の色があまりにも綺麗で、つい見惚れてしまう。
視線に気付いたのか、涼ちゃんはふっと柔らかく笑い、顔を近づけて、唇に優しく触れてきた。
驚いて目を瞬かせると、涼ちゃんは唇に人差し指をあて、いたずらっ子のような顔をする。
――“若井には内緒ね?”
そんなふうに言われた気がして、胸がドキドキする。
小さく頷くと、涼ちゃんは先程よりも深く唇を重ねてきて、ぼくは思わずシャツの裾をぎゅっと握った。
そのとき、隣で眠っていた若井が『んん……』と声を漏らす。
はっとして唇を離すと、涼ちゃんと目が合い、思わず二人で小さく笑い合った。
その後は、まだ寝ている若井を起こさないように二人してそっと起き上がると、夕飯の準備をする為にキッチンへと向かった。
涼ちゃんには『休んでていいよ。』と声を掛けたのに、涼ちゃんは微笑んで首を振る。
「もう少し元貴を独り占めしたいから、お手伝いさせて?」
ふいなその言葉に、胸の奥がきゅんと熱くなり、思わず顔が赤くなった。
二人並んで冷蔵庫を覗き込むと、買い出しをさぼったつけで中身は寂しい。
けれど冷凍庫に眠っていた冷凍餃子を見つけて、残り物で作るチャーハンと餃子が今夜の献立に決まった。
やがて、ジュージューと餃子が焼ける音と香ばしい匂いがリビングいっぱいに広がっていく。
その匂いに誘われるように、若井が欠伸を噛み殺しながら、髪の毛をぴょんと跳ねさせ、 のそのそとキッチンに姿を現した。
「…んー、なんかいい匂いする……。」
「当たりぃ。じゃ~ん!今日の夕飯は餃子ですっ。」
涼ちゃんが笑顔で答える。
「うわ、最高……おれ、天才かもしんない。寝て起きたら餃子出てくるなんて。」
「若井が天才なんじゃなくて、ぼく達のおかげだろー。」
ぼくがツッコむと、若井はへらっと笑ってぼくの腰に腕を回し、涼ちゃんの肩にも寄りかかる。
「おれも手伝うー。」
「いいの~?」
「うんっ、だって三人で作った方が絶対美味いし!」
「若井、たまにはいい事言うじゃん。」
「ちょ、元貴!たまにはってなんだよー!」
狭いキッチンで肩を寄せ合い笑いあう。
その何気ない時間が、きっとこの夏の一番のご馳走になるんだと思った。
・・・
テーブルに並んだチャーハンと餃子、それに若井が途中参加して作ってくれた中華風の卵スープ。
美味しい香りが部屋いっぱいに広がると、三人そろって夜も『いただきます』と手を合わせた。
「うまっ!この餃子、パリッパリ!」
「ほんとだ!てか、めっちゃお店の味する!」
「冷凍なのにね、なんか得した気分~。」
口いっぱいに頬張って、思わず笑い合う。
箸がぶつかったり、麦茶のボトルを取り合ったり。
なんてことない夕飯なのに、こうして三人でわいわい食卓を囲むだけで、胸の奥が不思議とあったかくなった。
夕飯後はまたリビングで勉強タイム。
自然と三人そろってリビングのテーブルにノートやパソコンを広げた。
「…あー、これ、ちょっと資料集めしなきゃかも。」
ぼくがペンをくるくる回しながら呟くと、若井がすぐに反応する。
「レポート?」
「うん。」
「じゃあさ、明日もおれバイト入れてないし、一緒に図書館行く?」
「いいね!…涼ちゃんはどうする?」
参考書を閉じた涼ちゃんが、少し伸びをして答えた。
「明日はちょっと大学に用事があってねぇ。」
「あ、それなら大学の図書室にしようよ!」
「いいの?」
「もちろん!図書室でも調べられそうな内容だから。」
「ふふ、じゃあ決まりだね。」
そう言って涼ちゃんがぼくの髪をひと撫でしてくる。
若井はそれを見て『ずるー!』と口を尖らせ、結局ぼくは両側から髪をくしゃくしゃにされてしまった。
わいわい勉強して、くだらないことで笑ったり、資料の山にちょっとだけ疲れたり。
でもふと顔を上げたとき、同じ空間で同じ時間を過ごしてる二人が隣にいるのを感じてーー
「……なんか、今日一日ずっと三人でいられて幸せだったな。」
小さくこぼしたその言葉に、二人も同じように微笑んでくれる。
その穏やかさが胸いっぱいに広がって、何でもない日常のはずなのに、今日いう日が、ぼくの夏休みの思い出の1ページとなった気がしたーー
コメント
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私もだよ可愛い3人見れて幸せだよ(?)