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バーは、他の飲食店とは異なる“独特な雰囲気を纏う夜の店”というイメージをよく抱かれる。
そんな、バーという職場で働き始めて数年。
桔流は、客や同僚など、様々な人々との関わりを経て、それぞれの平凡な人生から異常過ぎる人生のほか、あらゆる悩みや喜び、生き様などを見聞きしてきた。
だが、そのような中でも、大切な誰かに渡す予定だったのであろう品を店に忘れた挙句、“不要になったから金に換えて店の売り上げの足しにしてくれ”――などと頼み込んできた客は、その男が初めてだった。
(そんな客、二人も居てたまるかって感じだけどさ……)
そんな異例の男の事を考えながら、桔流はその日も、瑠璃色の忘れ物に出会ってからの日々を回想していた。
すると、その中、バーのドアベルが来客を報せた。
その音につられ、桔流はふと店の入口を見る。
そして、来客の容姿を確認するなり、
(――で、また普通に来るし……)
と、半目がちに心の内で呟いた。
その異例の男は、その日も、――いつからかお決まりとなった“いつもの曜日と時間”に来店した。
そんな男を、桔流と同僚のバーテンダーが嬉しそうに出迎えると、男はいつも通りの爽やかな笑顔を返す。
実のところ、あのような突拍子もない申し出をしたにも関わらず、男はそれからちょくちょくと店に来るようになったのだった。
その上、今では毎週末に一度は来店するほどの常連客ともなっている。
(ほんと、外見が恵まれてる人ほど、中身変わってるコト多いよな……)
桔流は、同僚のバーテンダーによって“いつもの席”に案内されてゆく男をちらと見やりながらひとつ思い、小さく溜め息を吐いた。
― Drop.003『 Shaker〈Ⅰ〉』―
男から最初のオーダーを受けてきたらしい桔流の同僚――ネコ族の獣亜人である茅花姫は、上向かせた純白の細長い尾を上機嫌に振りつつカウンター内に入ってくると、小声がちに音符を舞わせながら言った。
「えっへへ~。花厳さんのお出迎えできちゃった~。らっきぃ~」
カウンター内で仕事をしていた桔流は、そんな姫を一目するのみで出迎える。
しかし、その程度の“熱冷まし”では熱も冷めやらぬのか、ご機嫌が大変よろしいままの姫様はぴょこんと跳ねるようにすると、次いで桔流にピタリと身を寄せ、小声で続けた。
「花厳さん。ほんっとカッコイイよね~。――もしかして、桔流と同じでモデルさんだったりするのかなぁ?」
桔流は、そんな姫の問いにも、引き続き素っ気ない口調で応じる。
「さぁな。――てか、気になるなら尋いてみりゃいいじゃん」
すると姫は、カウンター席に客が居ないのを良い事に、押しくらまんじゅうが如く桔流にさらに身を寄せるようにすると、桔流のエプロンを引っ張りながら言った。
「それがぁ……」
そんな姫が云う“花厳”とは、他でもない、――例の“瑠璃色”の件で桔流を大いに困惑させた、あのクロヒョウ族の男の事だ。
男の名は、鳴海花厳と云った。
「――それがさぁ~?」
「……なんだよ」
両手が塞がっている事もあり、エプロンを引っ張りながらうりうりと顔面を擦りつけてくる姫を自由にさせながら、桔流は溜め息まじりに話の先を促した。
姫の様子から、桔流も話の内容が気になってはいたのだ。
そんな桔流に、姫は興奮気味に語る。
「なんかね、なんかね。“花厳さんって何のお仕事してるんですか”って尋いたらね。――“ちょっと恥ずかしいので、秘密です”って、全っ然っ教えてくれなかったの! もぉ~っ! そんなの、逆に気になるじゃんってさ~! 俺もう超むり~!」
「“恥ずかしい”……?」
思いの丈を紡ぎ終えるなりカウンター内で細長い尻尾を振り回し、静かに悶え始めた姫の言葉に、桔流は片眉を上げる。
「――なんか、あの人にそう言われると、地味な仕事で恥ずかしいのか、派手な仕事で恥ずかしいのかすら分かんねぇな……」
「でしょぉ~?」
その中、話しているうちに更に気持ちが昂ったらしい姫は、次いで、
「うう~……」
と、ひとつ唸ると、細長い尾をさらに激しく振り回し、桔流の太い尾をペシペシと叩き始めた。
そんな姫を、桔流は静かに宥める。
「おい、落ち着けって。備品壊したら法雨さんに怒られるぞ」
「だってぇ~……」
姫がここまで花厳の事を気にかけてしまうのは、無論、花厳の顔の良さも一因であるが、それだけに留まらないところが最大の原因である。
花厳は、その顔の良さに加え、人当たりや体格も良い上、高身長という条件まで取り揃えていたのだ。
そのように、好条件を取り揃えすぎているがゆえ――、花厳がすっかりとこの店の常連客になってからは、バーのスタッフ達からも大人気の常連客となっていた。
「後さ、後さ……。――桔流的に、花厳さんって、“どれ”だと思う?」
「ん~……」
そんな花厳が人気を博すバー――〈CandyRain〉だが、この店のスタッフは全員が男である。
よって、気持ちの昂りを隠し切れず、先ほどから細長い尾を自身の脚や桔流に叩きつけながら悶えているこの姫も、外見や面立ち、振る舞いこそ可愛らしいが、生物学的には男性である。
そして、そんな姫の言った“どれ”というのは、花厳の恋愛対象が、異性か、同性か、あるいは両方の“どれであるか”という事だ。
「――それも、見極め難易度高い……」
「やっぱりぃ!? そうだよねぇ~」
もちろん、異性のみが恋愛対象であれば、姫達が花厳と恋をする事は難しいだろう。
だが、もし、同性とも恋愛が可能な場合、姫達と恋愛関係になる事も可能という事になる。
そのような事から、ルックス、内面共に申し分のない恋人と幸せになれる可能性の有無をハッキリさせたいがため、姫を筆頭に、桔流と法雨を除くバーのスタッフ達は日々、“花厳さんはどれなのか問題”――について熱い議論を重ねているのだった。
「――もう~。花厳さんって気になる事だらけで、心臓と脳みそどっかいっちゃいそう~……」
「どんだけ気になってんだよ……」
そんな中、日頃から、――“どれ”であろうが関係ない、と議論に加わってこなかった桔流だったが、これまでの流れを経たせいか、ふと、とある仮説に思い至り、呟くようにして言った。
「――あ……、もしかして……」
「な、何!?」
その一言に食いついた姫は、縋りつくようにして桔流の言葉を促す。
桔流は、小声で続ける。
「いやさ……、どれか、じゃなくて。花厳さんの仕事の件なんだけど――」
「う……うん……」
「花厳さんって、顔もガタイも良いだろ? でも、そんなルックス良しが恥ずかしくて言えない職業って何があるかなって考えて思ったんだけど……――もしかして、――AV男優とかなんじゃ、って……」
「えっ……えぇ~~~!?」
「ちょ、姫……っ」
声こそ先ほどと変わらず小さくあったが、あまりの衝撃に、姫の動作は十分に大声になっていた。
そんな姫を、桔流は慌てて嗜める。
「――動きがうるせぇって」
「あっ、ごめん。つい……。――でも、なんか……分かるかも……。――も、もしかして、花厳さんって、本当にA――」
「そこのおバカコンビ。そういう妄想は休憩中か心の中だけで満喫なさい」
「うわ……っ」
「わぁ! 法雨さっ……!」
姫と桔流は、後ろからぬっと現れた法雨に尾の根元をぐいと引かれ、揃って驚く。
そんな二人の尾の根本をぐっと掴んだまま、法雨はまず、姫を叱った。
「姫? その騒がしい尻尾で酒瓶割ったら、花厳さん来てもずっとカウンターに居させるわよ?」
「ええっ! や、やだぁ~……ごめんなさぁい……」
そして、今一度姫を叱りつけるように一目した法雨は、次に桔流を叱る。
「それと、桔流君。アナタもこの子を焚き付けるような話をするなら、事務所か更衣室にしてあげてちょうだい」
「えっ……あ、は、はい。――すいません……」
そんな法雨のお叱りに対し、桔流も素直に謝った。
その上で、
(話をするのは良いんだな……)
という思いは、胸の内に留める事にした。
そうして、その日も、法雨のお叱りにより“花厳さんの謎”は解明されないまま議論は終幕となったのだが――、そんな賑やかな議論からしばらくした頃。
花厳宛ての料理の運び手を、桔流が担う事になった。
先ほどの議論でよからぬ仮説を立ててしまったため、桔流はそれを静かに懺悔しつつ、花厳のもとに料理を運んだ。
「お待たせ致しました。ラミー梨のソテーです」
桔流が料理を丁寧に置くと、花厳は人当たりの良い笑顔で礼を言った。
「あぁ。ありがとう」
桔流は、それににこやかに返礼する。
「畏れ入ります」
その中、花厳のグラスが程よく減っているのを見やると、桔流は、手際よく追加のオーダーを尋ねた。
「――あ、お飲み物のおかわりはよろしいですか?」
すると、花厳は少し悩んだ後、
「じゃあ、このグラスワインをお願いしようかな」
と、シーズンメニューの一つを丁寧に示し、笑顔で注文を述べた。
「かしこまりました」
それに愛想よく笑み、桔流がオーダーを承ったところで、花厳は、ふと思い出したようにして言った。
「――あぁ、そうだ。――そういえば、桔流君」
そんな花厳は、一度聞いたスタッフの名前を覚えるタイプの客であった。
この店の接客スタイルは、基本的にはスタッフと客ごとの相性に任せられている。
そのため、最近では、花厳がフレンドリーな客である事からも、花厳とスタッフ達は非常にフランクな接し合いをするのが常となっていた。
桔流は、そんな花厳からの声がけにも笑顔で対応する。
「はい。なんでしょう?」
花厳は、敬語こそ抜けきったが、スタッフ達への丁寧さは変わらずであった。
そのような人柄から、“瑠璃色の件”で大分と困惑はさせられたものの、桔流も花厳に悪い印象はもっておらず、花厳と話している時間はむしろ楽しいとも感じていた。
そんな桔流に、花厳は少し声を潜めて問うた。
「もしかしてなんだけど、桔流君ってモデルさんだったりするのかな?」
そして、そんな花厳が遠慮がち投げかけた問いは、なんという事はない。
桔流には、日常茶飯事とも云える問いであった。
それゆえ、桔流はそれに驚くでもなく、いつも通りの笑顔で答える。
「えぇ。そうですよ」
すると、花厳は嬉しそうに言った。
「やっぱりそうか。――この間、雑誌の表紙になっていたモデルさんが桔流君にそっくりだと思ってね。――もしかして、と思ったんだけど」
「ふふ。大正解でしたね」
それに桔流が微笑んで言うと、花厳も楽しそうに笑い返したが、すぐにハッとした様子で声を潜めて言った。
「あ、でも、こんな事を尋いてしまって大丈夫だったかな。――もしも迷惑だったらごめんね」
そんな花厳に、桔流は安心させるように言う。
「いえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。――モデルやってるの、隠してるわけじゃないんですけど、僕としてはこっちの方が本業なので、聞かれない限りは言わなくてもいいかなって思ってて」
花厳はそれに、
「なるほど」
と、納得したように幾度か頷くと、優しげに笑み、続けた。
「――桔流君は、ここでの仕事が好きなんだね」
「はい」
その言葉にも笑みを添え、桔流が頷くと、花厳は、
「バーテンダーも、桔流君にはぴったりだと思うよ」
と言い、またひとつ微笑んだ。
そして、
「――でも、モデルなんて凄いね。どうりで美人さんだと思ったよ」
と、花厳が続けると、桔流は嬉しそうにして言った。
「ふふ。ありがとうございます。――でも、褒めても何も出ませんよ」
すると、花厳はそれに楽しげに笑った。
「ははは。これ以上は何も頂かなくて大丈夫。――美味しい食事とお酒を頂けて、素敵な接客をまでしてもらってるからね。十分満足だよ」
そして、それにまた笑い合うようにした桔流と花厳は、それからしばしの談笑を楽しんだ。
そうしてその夜も、桔流は、カウンター内や厨房で――“誰が花厳さんにオーダーを運ぶかジャンケン”が開催されているのを横目に、何も知らずに賑やかなひと時を満喫する花厳を見守った。
そんな桔流が花厳との談笑を終えてからしばらく経ち、店内の掛け時計が、行儀よく針を揃えた頃。
花厳がまだ店内に居るにも関わらず、運悪く退勤時間を迎えてしまったスタッフ達が嘆きながら更衣室に向かう中、桔流は、花厳の会計を担当していた。
その中、桔流が滞りなく会計対応を済ませると、花厳は礼を告げた。
そして、ふと思いだしたようにして言った。
「――そうだ。桔流君。――今更なんだけど。以前、無理を言って預かってもらった例の忘れ物。――まだ、保管してもらってたりするかな」
桔流は、その予想外の言葉に心が高揚するのを感じながら言った。
「あっ、も、もちろんです! 大切な物だと思いましたので」
すると、花厳は、それにひとつ苦笑し、
「そうか」
と言うと、次いで酷く申し訳なさそうにしながら続けた。
「なんだか、俺の我儘で迷惑をかけてしまって申し訳ないんだけど。――もしできたら、あの忘れ物、改めて受け取らせてもらってもいいかな」
「――は、はいっ! もちろんです!」
そんな花厳の申し出に、桔流はさらに心が弾むような気持ちになった。
とはいえ、花厳の前という事もあり、取り乱さぬよう気をつけつつ、桔流は、
「では、こちらの椅子にお座りになってお待ちください」
と、カウンター席を示しては一礼し、足早に事務所へと向かった。
そして、法雨とのやりとりを経て“瑠璃色”を受け取ると、再びフロアに戻り、その足で花厳のもとへと向かった。
そんな桔流から“瑠璃色”が丁寧に手渡されると、花厳は、
「ありがとう」
と言った。
そんな花厳は、苦笑こそしていたものの、どちらかといえば気恥ずかしいといった笑みを浮かべていた。
その笑顔には、苦しみや悲しみは潜んでいないようにも見えた。
そのような花厳の様子に、桔流は変わらず高揚する心を抑えながら密かに思った。
(もしかしたら……――)
もしかしたら花厳は、何かの巡り合わせから、改めてこの贈り物を渡せる事になったのではないか。
そして、今夜こそ花厳は、大切な人との幸せな未来を、その手にできるのではないか。
(そうだとしたら……)
もしそうであるならば、自分もとても嬉しく、この贈り物を安心して返せるという事も、本当に嬉しい。
(中身が指輪だったのかどうか。――それは、結局分からないままだけど)
この瑠璃色の贈り物が、持ち主のもとに帰って、更には届けられるべき場所に届くのならば何よりである。
(――でも……この人は……、――本当は何も解決してなくて、苦しいままだったとしても、こうして笑うんだろうな……)
花厳は、何か苦しい事があっても、相手のために無理をして笑うタイプでもあるだろうと、桔流は感じていた。
だからこそ、心から喜びたい反面、思ってしまうのだ。
(本当は、無理をしているんだとしたら……)
常連客となり、店のスタッフ達とも随分と親しくなったこの男は、もう、――この店のスタッフ達にも、苦しんでいる所は見せないだろう。
そうであれば、今回の花厳の申し出は、自分のためでなく、スタッフや店のためだったのかもしれない。
つまり、店に迷惑をかけているからと、辛い気持ちがありながらも、この忘れ物を受け取ったのだとしたら――。
(――……って、余計な事考えすぎか)
無事に“瑠璃色”を手渡した後。
花厳の見送りとして店の前まで出た桔流は、悶々とした思考を巡らせながらも、花厳との短い会話を交わし、一礼した。
そして、変わらぬ笑顔で礼を告げ、街中へ消えてゆく花厳の背を見送りながら思う。
(――いや。――どっちにしてもこれで良かったんだ。――人は、悲しい事、嬉しい事をどっちも経験して、色んな壁にぶつかって悩んで、それを乗り越えながら生きていくもんなんだ。――だから、あの贈り物もきっと……これで良かったんだ……)
すっかりと街中に融け込み消えた花厳を想いながら、ふと空を見上げた桔流は、煌めく光達に、花厳の幸運を託した。
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