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## 序章:首領の不興と「裏切り者」の影
「……また、情報が漏れている」
薄暗い梵天のアジト。最高幹部たちが集まる会議室の最奥で、首領であるマイキー——佐野万次郎は、死んだ魚のような瞳でぽつりと呟いた。その声は低く、酷く冷徹で、部屋の空気を一瞬で凍りつかせる。
直近の取引、警察の動向、競合組織の資金ルート。梵天の最高機密に属する情報が、ここ数ヶ月、あまりにも正確に外部へと流出していた。かつて三途春千夜が「ユダ(裏切り者)」を粛清したはずのこの組織に、再び不穏な影が落ちている。
「ハッ、またネズミが紛れ込んでやがったか」
三途が狂気を孕んだ笑みを浮かべ、愛刀の柄に手をかける。
「今度こそ、骨の髄まで微塵切りにしてやるよ……!」
「待てよ、春千夜。今回の漏れ方は異常だ」
ココ(九井一)がタブレットのデータを弾きながら、忌々しそうに眉をひそめた。
「うちの防犯システムを完全にすり抜けてる。それも、特定の幹部しか知り得ない情報ばかりだ。下っ端の仕業にしちゃあ、手際が良すぎる」
「だったら、ここにいる幹部の誰かが裏切り者ってことか?」
鶴蝶が鋭い視線を全員に向ける。灰谷兄弟は退屈そうに爪を眺め、望月はフンと鼻を鳴らした。誰もが互いを疑い、空気が緊迫する中、マイキーだけは虚空を見つめたまま動かない。
「……探せ。どんな手段を使っても、そのユダを俺の前に連れてこい」
首領の絶対的な命令。その裏で、当の「ユダ」本人が、あまりにも能天気に梵天のビル内を歩いているとは、この時の彼らは知る由もなかった。
「あ、鶴蝶さ〜ん! お疲れ様です! この書類、ココさんに届ければいいんですよね?」
梵天の末端構成員として潜入しているその少女——**天乃鈴(あまの すず)**、21歳。
彼女の容姿は、裏社会の陰惨さとはおよそかけ離れていた。添付された画像ファイル `Screenshot_20260617-190921~2.jpg` に描かれている通り、淡い紫と水色が美しく混ざり合う変則的なツインテール。少し尖った耳に、好奇心と悪戯っぽさを宿した、星のように爛々と輝く金色の瞳。そして、どこか掴みどころのない、ふわりとした笑みを常に浮かべている。
身長は162センチ。一見すると、どこにでもいる少し風変わりで愛らしい、天然気質の女の子だ。フットワークが軽く、誰に対しても明るい敬語で接するため、殺伐とした梵天の日常において、彼女は良い意味で「無害な存在」として下っ端の中に溶け込んでいた。
「ああ、頼む。……おい、お前、最近物騒だから上の階には近づくなよ」
「はーい! わかりましたぁ!」
鈴は元気に返事をすると、軽快な足取りで廊下を歩いていく。
しかし、彼女が角を曲がり、周囲に誰もいなくなった瞬間、その金色の瞳がプロのそれに変わった。
(ふふ、幹部の皆さん、かなりピリピリしてますね。やっぱり私の流した情報、綺麗に効いてるみたいです)
彼女の本業は、特定の組織に属さない「野良の情報屋」。
裏社会において、その情報の正確性は他の追随を許さない。なぜなら、彼女は他人の報告を右から左へ流すのではなく、「自分自身が現場に潜入し、直接目で見て耳で聞いた確実な情報」だけを扱うからだ。今回も、あるお得意様(大手の競合組織)から「梵天の内情を探ってほしい」という莫大な対価を伴う依頼を受け、得意の演技力で大人しい下っ端になりすまし、潜入していた。
そして、裏社会に生きる人間であれば、誰もがその名を聞いただけで震え上がる異名を持っている。
——**『零(ぜろ)の踊り子』**。
彼女は幼少期の一時期、子供を名前ではなく「番号」で管理する非合法な施設に収容されていた。そこでの彼女の識別番号は「0」。施設を出た後、彼女は自分の過去を消し去るように「零(れい)」と名乗っていたが、漢字だけを見た裏社会の人間が読み方を知らずに「ゼロ」と呼び始めた。それがいつしか、彼女の驚異的な身体能力と、戦場を舞うような身のこなしから、『零の踊り子』という畏怖を込めた二つ名として定着したのだ。
「さてと、今日のお仕事分のデータは回収しましたし……そろそろ潮時ですかね?」
鈴がポケットの端末を操作した、その時だった。
「——おい。そこで何してんだ、テメェ」
背後から掛けられた、冷酷でドスの利いた声。
鈴が振り返ると、そこにはピンク色の髪を揺らし、狂気に満ちた目をギラつかせた三途春千夜が立っていた。その手には、すでに装填済みの自動拳銃が握られている。
「あ、三途さん! お疲れ様です〜。ちょっと落とし物しちゃって、探してたんですよぅ」
鈴はいつもの天然な笑みを浮かべ、至近距離までトコトコと歩み寄る。彼女の悪癖——「接客の距離が異様に近い」という特徴の通り、三途の胸元に顔が近づくほどの距離で小首を傾げた。
「……白々しい演技してんじゃねぇよ、ネズミが」
三途の銃口が、容赦なく鈴の額に突きつけられる。
「お前がここ数ヶ月、幹部フロアの周りをうろちょろしてたのは知ってんだよ。ココが調べ直したら、お前の経歴、全部偽造だったそうだなぁ?」
「あら、バレちゃいました?」
鈴は全く動じることなく、クスッと笑った。
「ココさん、流石に優秀ですね。もう少し長く居座りたかったんですけど」
「死ね」
引き金が引かれる。爆音が狭い廊下に轟いた。
常人であれば、至近距離から放たれた銃弾で頭部を撃ち抜かれ、即死しているはずのタイミング。
しかし。
**パンッ!**
「——え?」
三途の目が驚愕に見開かれる。
銃弾は、鈴の頭があった場所の、遥か後ろの壁を穿っていた。
鈴は銃鉄が動く微かな瞬間、まるで風に舞う花びらのように、最小限の動きで首を傾げ、**放たれた銃弾を完全に回避したのだ。**
「うふふ、危ないですねぇ。戦闘は専門外なんですけど、避けるのだけは得意なんです」
「化け物が……ッ!」
三途が続けて連射するが、鈴はまるでステップを踏むように、銃弾の軌道から滑らかに体をずらしていく。その姿はまさに、硝煙の中で踊る『踊り子』そのものだった。
「お騒がせしました! でも、対価分の仕事は終わったので、これにて失礼しますね!」
鈴は身を翻すと、廊下の突き当たりにある窓へと猛ダッシュした。
「逃がすかよぉぉ!」
三途が叫び、追う。だが、鈴の運動能力と体力は常軌を逸していた。彼女は迷うことなく、窓のガラスを蹴り破り、外へと飛び出した。
そこはビルの**3階**。地面までは10メートル近い高さがある。
「飛び降り自殺か!?」と三途が窓から下を覗き込んだ瞬間、信じられない光景を目にした。
鈴は落下の衝撃を、しなやかな膝の屈伸と見事な受身だけで完全に殺し、**無傷で**アスファルトの上に立っていた。そして、窓の上の三途に向かって、いたずらっぽく手を振ってみせたのだ。
「それでは、さようなら〜!」
「待て」
鈴が走り出そうとした、その瞬間。
ビルの影から、一人の男が静かに歩み出てきた。
黒い髪。虚無を宿した瞳。
梵天の首領、マイキーだった。
「……え?」
鈴の足が、初めてピタリと止まる。
その金色の瞳が、驚きで大きく揺れた。
マイキーは、じっと鈴の顔を見つめた。その脳裏に、激しいフラッシュバックが起こる。
まだ裏社会に染まりきる前、彼が「無敵のマイキー」として輝いていた少年時代。いつも自分の隣で、ふざけたように笑い、明るい声を響かせていた、大切な友達の姿。
「……鈴、なのか?」
マイキーの声が、かすかに震えていた。
「16の時……お前が急に行方不明になって、どこを探しても見つからなかった。生きて……いたのか」
16歳の夏、天乃鈴は突如としてマイキーたちの前から姿を消した。誘拐されたのか、事件に巻き込まれたのか、当時の東卍のメンバーがどれだけ血眼になって探しても、一切の足取りが掴めなかった。彼女は、裏社会の「番号で呼ばれる施設」へと連れ去られ、そこで生き残るために『零の踊り子』へと変貌を遂げていたのだ。
「……あ。万次郎くん」
鈴はいつもの敬語を崩し、懐かしい名前を口にした。その表情には、潜入者としての偽りではない、切ない本物の感情が浮かんでいた。
「お久しぶりです。……本当に、立派な悪のカリスマになっちゃったんですね」
「どうして梵天に潜入した。どうして、俺を裏切るような真似を……」
マイキーが一歩、鈴へと近づく。その目は、裏切り者を処分する冷徹なものではなく、迷子の子供がかつての温もりを求めるような、悲痛な色を帯びていた。
鈴は悲しそうに、けれど毅然とした笑みを浮かべ、一歩後ろに下がった。
「裏切ったわけじゃないですよ。私はただの野良の情報屋です。今回は、お得意様に頼まれたから仕事をこなしただけ。……対価と価値が釣り合っていれば、私は誰の味方にもなるし、誰の敵にもなるんです」
「鈴……」
「万次郎くん。私ね、あの頃の万次郎くんも、今の闇に堕ちちゃった万次郎くんも、どっちも大好きですよ。でも、今の私は『零の踊り子』。もう、ただの友達には戻れないんです」
上空から、三途や他の幹部たちがドタドタと駆けつけてくる足音が聞こえる。
「あ、追っ手が来ちゃいましたね。それじゃあ、今回の密告の件の『お詫び』として、サービスで一つ、とっておきの情報を万次郎くんにタダであげます」
鈴はすれ違いざま、マイキーの耳元に顔を寄せ、その「接客の距離の近さ」で囁いた。
「——あなたの組織の本当の『ユダ』は、私だけじゃないですよ、幹部の中に、もう一人……別の組織と繋がっている本物がいます。気をつけてくださいね?」
「っ!?」
マイキーが目を見開いた瞬間、鈴は文字通り、風のようにその場から消え去った。
驚異的な脚力で路地裏を駆け抜け、あっという間に気配すら残さず闇に消えていく。
「マイキー! 無事ですか!? あのクソ女はどこへ——」
息を切らせて駆けつけてきた三途に、マイキーは手を挙げてそれを制した。
「……追わなくていい」
「は? しかし、あいつは情報を……!」
「あいつは『零の踊り子』だ。追っても無駄だ」
マイキーは鈴が消えた暗闇を見つめながら、ぽつりと呟いた。その瞳には、先ほどまでの死んだような虚無ではなく、微かな、本当に微かな熱が戻っているようだった。
「それに……あいつが残していった『情報』を精査する。幹部の中に、まだネズミがいる」
マイキーの言葉に、集まった幹部たちの間に再び緊張が走る。
闇に躍る『零の踊り子』、天乃鈴。
彼女がもたらした混沌と、かつての約束。梵天の夜は、まだ明ける気配を見せない。
コメント
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わあ、第1話からすごいスピード感でしたね! マイキーとの再会シーンが何より胸にきました。幼い頃の友達が、こんな形で敵同士になってしまう切なさ…。鈴ちゃんの「どっちも大好きですよ」って台詞、あの場面だからこそ余計に響きます。幹部の中にまだ「本物のユダ」が潜んでるって伏線も気になるし、次どうなるんだろう。続きが読みたくてたまらないです!