冬は嫌いだ。忌々しいあの夜を思い出すから。
白龍が玉艶に戦いを仕掛けた日からもう3ヶ月は過ぎただろうか。あの日は秋の長雨が降っていて、ジメジメしてしょうがなかった。何もできないまま、無常にも季節は巡り厳しい冬がやってきた。
白龍はいつものように厨房に立ち料理の仕込みをしていた。料理をしている間は無心になれる。心が荒んだとき、白龍はこうして心を鎮めていた。
「どうしたものか……」
白龍は包丁を構え、まな板の上にのったそれを見つめていた。
それはそれはでっぷりと良く油ののった鯉であった。他ではどうか知らないが煌帝国では鯉はメジャーな魚類だ。といっても泥臭くて下処理がかなり面倒な方だが。
この鯉をどうしようか。刺し身や煮込み、焼いても美味いだろう。と
「そういえば、確かこの辺に……ん、あった」
鬼奈国から仕入れた味噌があったのを思い出した。白龍は一つ息をつき
「今日は鯉こくだな」
と本日のメニューを決めた。鯉こく、ざっくり言うと鯉の味噌汁である。鯉の泥臭いのを誤魔化すために味噌を大量に入れた濃ゆい味。体も芯から温まり冬にぴったりだ。
早速鯉を捌いていく。といってもぶつ切りにするだけだが。
鱗を包丁の背で削っていく。ぴかぴかした鱗が宙に舞う。
腹に包丁をすっと入れて腹を開く。どうやら子持ちだったらしく、卵たちは赤黒い内蔵と共にまな板の上に流れ出た。白龍はそれを見て、なんだか気持ち悪いな、と思った。
次いで包丁をぐっとエラの辺りに押し込むと、骨がゴリゴリいってバツンと断ち切られた。鯉の頭と胴は真っ二つだ。と、そこに
「おーい!白龍、なんか食わせろ!!」
と、うるさいやつが入ってきた。白龍は思わず顔をしかめる。
「神官殿……」
ジュダルは最近随分と白龍にご熱心だ。事あるごとにベタベタくっついてきてはやれ食わせろだのやれ迷宮に行こうなどと、以前よりも段違いに距離が近くなった。かくいう白龍も打倒玉艶のため、そこそこジュダルに構ってやっている。
ジュダルはひょいと厨房に入り白龍の近くまで来たかと思うとまな板を覗き込んできた。
「お!魚じゃん。オレ知ってるぜ!これ庭の池にいるやつに似てる。池からこれ獲ってきたのか?」
「おおよそ合ってはいますけど……これは錦鯉ではありませんよ。もっと国の端で採れた物です。色も地味ですし、食用の鯉ですから」
「ふーん、てかさその敬語いい加減止めねぇの?」
と、ジュダルはまな板にのっていた鯉の頭をいじりながら、つまらなさそうに言った。口を指でパクパクさせる。物言わぬ鯉はそんな無礼な振る舞いにも反応せず、濁った瞳であらぬ方向を見たままだった。
「まぁ、立場があるからな。それにまだ信用しきったわけじゃない」
敬語を使わず話しかける。
「めんどくせぇー。オマエやっぱ頭が固いんだよ。変なとこでさ」
「そんな俺に構っているのは神官殿でしょう?とっとと料理作りたいんで、離れててください。邪魔です」
ジュダルはつまんね〜、なんて言いながら厨房の隅にある丸椅子に腰掛けた。どうも居座る気らしい。
白龍はそんなジュダルを気にすることなく調理を再開する。
鯉は一旦置いておいて、鍋に水を入れて昆布と鰹節を突っ込み出汁を取ることにした。ジュダルを呼びつけて火をつけさせた。ジュダルはじっと鍋の中身を見つめている、と思いきや何処かに行ってしまった。まぁ、ほおっておいていいだろう。
改めて鯉に向き直る。首無しの胴体に真っ直ぐ包丁を入れる。バツンと切れる。その繰り返しだった。
鯉は河を遡上し卵を産む。そういえば、鯉が滝を登り龍に成るなんて何処で聞いたのだろうか。
白龍は鯉に心のうちで問いかけた。
(こうして龍にもなれず、子孫も残せず、俺に食われる。……お前に生きてる意味はあったのか?)
バツン
さっきの腹から出てきたテラテラとした卵が脳裏に蘇った。とても気持ち悪くて、グロテスクなそれを白龍はすぐに捨ててしまった。生ゴミ入れの口から見える卵は、これからどうなるのか。行く先は決まっている。
バツン
まな板の上の鯉だって、行く先は一つ。鍋の中で煮込まれて食われるだけだ。
では、自分は?
白龍は己の行く先が分かっていた。いや、正確に言うと分かっているつもりだった。
復讐に生き、復讐に死ぬにはまだ何もかもが己には足りていない。
バツン
それでも、この復讐心を捨てることはできない。兄たちの命を喰らって、あの大火を一人生き残ってしまったから。もしすべて諦めて死んだ様に生きてしまったら、兄たちの命は無駄になる。龍になることもできず、それでも鯉のままでいるのも嫌だった。
立ち返って考えれば、自分は暗闇の中藻掻いていただけかもしれないと気づいた。この復讐心の飲み下し方も果たし方も分からなくて、
バツン
でも、きっともう一人じゃない。
少し思考が飛躍しすぎた。鯉は上手い具合に切れている。鍋だってグラグラ煮えている。思考を振り払って、料理を続ける。小松菜やら大根やらを入れようかと思い鯉を脇に避けてまな板を空け手早く切っていく。まな板を持ち上げ、鍋の上まで持っていき、包丁を使って入れていく。
野菜も良く煮えているので鯉をぼとぼとと雑に鍋に突っ込んだ。味噌を溶いてあとは煮込むだけ。ジュダルに邪魔をされずに済んだな、と白龍はほっとため息をついた。
「なぁなぁ白龍!これ、いるだろ?」
とジュダルが再び厨房に乗り込んできた。手にはなぜか良くわからない草が握られている。ぎゅっと握り込んでいるせいで少し萎びていたのでなおさら何かわからない。
「何ですか?それ。雑草ですか?」
「なっっ!失礼なヤツだな!」
ジュダルがたどたどしく説明するに、なんと香草を取ってきてくれたらしい。これはタイムで、これがミツバで…と明らかに取ってつけた知識で一所懸命に話している。子供か?正直要らないが、ここで断るのも面倒だ。拗ねたジュダルの恐ろしさは身をもって知っている…。思い出したくもない。絞り出す様にお礼を言う。
「……ありがとうございます。助かりました」
「だろ!こーゆーのこないだ入れてたの見たからさ、白龍喜ぶかなって……」
ジュダルはホクホク顔だ。余程褒められて嬉しいんだろう。のんきなものである。
ん……?
「その香草、一体どこから手に入れたんです?どこにでも生えてるものではないでしょう?」
「あー……何かあのヒゲジジイに言ったらくれた」
「あぁ、張氏か。俺もよく世話になった」
どうやら王宮に古くから使えている医者に貰ったらしい。張氏は年齢に見合う落ち着きを持ち、俺たち白一族やジュダルに対しても変わらず接してくれている。その落ち着きをジュダルに分けてほしいものだ。
とにかく、面倒な相手から盜んだような物だとしたら使うわけにはいかないので、助かった。
ジュダルから貰った香草を鍋に入れる。香草は自身の料理を最大限引き立てるためのエッセンスだ。
まあ、あるんなら利用しないのは損だ。香草も、「マギ」も。
「もーオレ腹ペコだぜ。はーやーくー!」
「うるさい!今よそってますから!」
鯉こくをお玉ですくう。ジュダルは野菜が嫌いだから少なめにして逆に鯉の身を多めにしてやる。
味噌の濃い匂いが食欲をそそる。
「いっただきま〜す!」
「いただきます」
二人して食卓を囲み手を合わせる。こういう所は意外としっかりしてるんだな、と白龍はジュダルを見直した。少しだけ。
冬の夜は星がよく見える。空には2匹の魚が泳いでいた。優しく星あかりが、孤独な二人を照らしていた。
釜中の魚座
そのリボンで結んで、繋ぎ止めて。
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