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ふたりきりになれる、わずかな時間。
静まり返った廊下に、薄暗い西日の影が落ちる。
「……こっち見て」
そう言って、遥が伊月の顎を指先で上げる。
伊月は照れたように眉をひそめながら、されるがままに唇を重ねた。
キスは、いつもより少し長くて、甘かった。
制服の袖が触れ合い、心臓の鼓動が同じリズムで鳴る。
「……ん、今日、ちょっと積極的じゃない?」
「たまには俺がリードしないと、伊月がすぐ拗ねるから」
「拗ねてないし……」
「拗ねるってば、すぐ黙るもん。わかりやすい」
そんなやりとりを笑い合いながら、遥は伊月の髪をなでた。
放課後の、何気ないひととき。
誰にも知られていない“ふたりの秘密”——のはずだった。
……そのとき。
階段の陰で、小さくシャッター音が鳴った。
パシャッ。
「……っ、今の……?」
伊月が振り返る。遥も一瞬、警戒した目になる。
だが周囲には誰もいない。ただ、階段の曲がり角に残る、わずかな足音。
「今、誰か……いた?」
「たぶん、いた」
2人は急いで階段を駆け上がったが、すでに誰の姿もなかった。
その夜。
遥のスマホに、1通のメッセージが届く。
📩差出人不明:
“図書室裏、いい絵だったよ。”
“俺の言うこと、ちょっと聞いてくれない?”
“でないと——拡散しちゃうかもね。”
添付されていたのは、階段でキスを交わす伊月と遥の“横顔”。
目線は隠れていたが、制服のネームプレートと髪型で、誰が見ても「本人たち」だとわかる写真だった。
遥はスマホを握りしめ、唇を噛む。
(やばい。……伊月に、知られたら……)
けれど、写真の送信主は、すぐに名乗ってきた。
“俺だよ。木嶋。クラス違うけど、覚えてる?”
“俺、君のことずっと見てたんだ”
“だから、ちょっとだけ……君にお願いがある”
遥はその夜、眠れなかった。
スマホの画面を何度も見返して、脅迫とも取れる言葉を読み返す。
(伊月を……守らなきゃ)
誰にも言えない秘密が、音を立てて崩れ始めていた。
――本当に、バレてしまった。
あの一瞬のキスが、あんな形で写真に撮られて。
誰にも見つからないと思っていた場所で、背後から“視線”を向けられていたなんて。
(あんなの、伊月に見せられるわけない……)
スマホの画面を見つめる。
木嶋からのメッセージは、どこか不気味に整っていた。
“放課後、旧校舎の生徒準備室に来て”
“伊月くんには黙っててね”
“君なら、きっとわかってくれると思う”
まるで、遥のことを何もかも知っているような言い回しだった。
いつもと変わらないはずの帰り道。
けれど、隣を歩く遥の口数が妙に少ない。
(……なんか、最近ずっと、目を合わせてくれない気がする)
「なあ、今日、なんかあった?」
「……別に。ちょっと疲れてるだけ」
それ以上は、言わなかった。
いつもなら、「お前が察しすぎ」「うざい」とか言って笑うのに。
今の遥は、妙に距離があって。
触れようとすれば、指先で押し返されるような感覚。
扉を開けると、先に来ていた木嶋が座っていた。
机の上に置かれたノートパソコン。
そこには――例の写真と、動画まで。
「お疲れさま。遥くん」
木嶋の声は、どこか丁寧で冷たい。
“友達”の距離感ではない。
まるで、商談か、支配の確認みたいに、静かに言葉を選んでくる。
「……なにが目的だよ」
「目的? うーん……たとえば、
君が“俺に告白する”っていう展開、見てみたくない?」
「……は?」
「嘘でもいい。ただ、明日の昼休み。全校放送で、俺の名前を出して。
“木嶋くんが好きです”って、言ってみてよ」
遥は沈黙した。
「嫌ならいいよ? ただ、俺は“正直に言う勇気がない子”より、
“誰かのためにウソをつける子”の方が好きだけどね」
その瞬間、遥の奥歯が強く噛み締められた。
「ふざけんなよ……お前、最低だ」
「君が言う? “彼を守る”って言い訳して、
勝手に嘘ついてる君のほうが、よっぽど汚いと思うけど」
遥は、言い返せなかった。
伊月を守るためなら。自分ひとりが悪者になれば、それでいいと思ってた。
でも今、目の前にいる木嶋は、そんな遥の「献身」を利用して、嗜んでいる。
「……やるよ。その代わり、約束守れ。写真も、動画も全部消せ」
木嶋は、笑わなかった。ただ、うっすらと唇を吊り上げた。
「もちろん。君がちゃんと“演じてくれたら”ね」
その日、遥からのLINEは一通も来なかった。
普段なら「ちゃんと寝ろよ」とか、意味のないスタンプが来るのに。
スマホの画面が、やけに重たい。
伊月は、枕に顔を押しつけて目を閉じた。
(嫌な予感がする。……俺だけが、何も知らない)
遥が見せない顔を、最近何度も見てる。
俺の隣にいるのに、遥は遠くを見てる気がする。
(お願いだから……俺に言えよ。なんでも、言えよ)
その夜、伊月は布団の中でそっと泣いた。
声は出さなかった。
けれど、涙は止まらなかった。
窓の外は晴れているのに、心は曇っていた。
(今日、言う……伊月の目の前で)
机の下でスマホを握る。
木嶋からのメッセージがずっと消えずに残っている。
“昼休み、クラスでね”
“ちゃんと俺に向かって言って。みんなの前で”
“逃げたら、写真と動画、流すよ”
遥は、深く息を吸った。
(伊月を……守るんだ。俺が嫌われれば、それで済む)
遥の様子は明らかにおかしかった。
いつもより喋らない。
目が合わない。
話しかけても「うん」しか返ってこない。
(また、壁作ってる……なんでだよ……)
伊月は机を見つめながら、焦るように指先を組んだ。
(まさか、本当に……俺に冷めた?)
そんなはずないと頭ではわかっているのに、
不安の黒い水が胸の中にじわじわと広がっていく。
教室内がざわつく。
木嶋が突然、みんなに声をかけていた。
「ねぇ、ちょっと聞いてよ。遥くんが……俺に話したいことあるらしいからさ」
(……え?)
教室中の視線が、遥に集中した。
遥は椅子から立ち上がる。
伊月のほうを一瞬見かけたが、視線をそらす。
「……木嶋くん」
空気がぴんと張り詰めた。
「……好きです。ずっと前から、見てました。……付き合ってください」
沈黙が数秒続き、それから一斉に湧いたように声が上がった。
「ええ!?マジ!?」「どっちから!?遥!?」「お似合いじゃん~!」
「うっそ!伊月は!?」「そっちはガセだったの!?えー!」
伊月は、頭が真っ白になった。
(……何、今の……遥……お前……)
息ができない。
笑い声、冷やかし、拍手まで。
その全部が、遠くから聞こえるようにぼやけていく。
遥の表情は、硬く笑っていた。
誰が見ても「嬉しそう」に演じていた。
「ありがとう。じゃあ、ちょっと……いい?」
木嶋が遥の手を取り、前に引き寄せる。
そして、みんなの前で――
伊月の目の前で――
堂々とキスをした。
一瞬、教室が静まった。
「うわ、マジで……」「本気じゃん……」「えっ、えっ……」
そのあとに、茶化した歓声と拍手が混ざる。
木嶋はキスの後、遥をそのまま抱きしめた。
まるで、勝ち誇るように。
「これは俺のものだ」と、全員に見せつけるように。
伊月は、唇を噛んで俯いた。
指先が震える。
声を出せなかった。
(遥……お前……嘘だよな……
そんな顔、そんな目……してなかったじゃん……)
けれど遥は、振り返らなかった。
まるで、自分を見ないでほしいと願っているように。
――心が、軋んだ音を立てた。
遥は、誰もいない体育倉庫でうずくまっていた。
胸に残るキスの跡が、火傷みたいに熱くて。
伊月の目が、頭から離れなかった。
(……ごめん、伊月……)
涙が、にじんだ。
それでも、背負うしかなかった。
伊月を守るために、嘘をついた。
自分を壊してでも。
けれどその選択が、一番彼を傷つけていたことに、まだ気づいていなかった。
鍵の閉まった準備室。
薄暗い照明の下、木嶋が壁際に遥を追い詰めるように立っていた。
「よく頑張ったね、今日。ほんと、良かったよ。最高だった」
「……やめろ。近づくな」
「ん? 何が?」
「……さっきのは、お前の指示通りにやっただけだろ」
木嶋は、遥の髪に触れた。
嫌悪感に背筋がぞわっとする。
「君さ、伊月とキスしてるとき、すごく気持ちよさそうだったよね」
「……」
「じゃあさ。今は? 俺のほうが、上手いんじゃない?」
「ふざけるな……やめろって」
けれど、木嶋は聞かなかった。
遥の唇を奪う。
無理やり、乱暴に。
でも、それでも身体は少しだけ震えて、唇が濡れてしまう。
(違う。これは……違うのに)
「……やだ……っ」
「嘘。身体はちゃんと覚えてるじゃん。ね、遥くん」
木嶋の手が、制服の上から遥の胸元をなぞるように撫でる。
「……ほら、力入ってない。嫌なら、もっと突き飛ばせば?」
「……やめ……」
けれど、唇の端に舌を這わせられると、喉の奥からくぐもった息が漏れた。
「……っ、ん……っ」
足の先までゾワゾワと電気が走るような感覚。
(やだ……なんで……)
嫌悪で全身が強ばっているのに、
それでも背筋がじわじわ熱を帯びて、息が乱れるのが自分でもわかる。
「やっぱり、かわいい声出すね。そういうとこ、俺しか知らないんだよ?」
木嶋の指が耳たぶをかすめるだけで、びくっと震えてしまう。
(やめたいのに、止められない……
こんなふうにされて、感じてるみたいになるなんて……違うのに……!)
夕陽が教室の窓を赤く染めていた。
生徒たちはぞろぞろと帰っていく中で、伊月はずっと座ったままだった。
机の上には開かれたままの教科書。
けれど、文字は頭に入ってこない。
(……今日、遥が話したいって言ってきた)
昼休み、誰にも聞こえないようにこっそりと口にされた「放課後、裏庭で待ってて」という一言。
その声が、いつもよりかすれていた気がして――胸騒ぎが消えなかった。
(もう俺たち、普通には戻れないかもしれない)
どこかで、そう思っていた。
それでも、確かめたかった。
遥が何を考えてるのか。
どんな顔で、どんな声で、自分に会おうとしているのか。
伊月は立ち上がり、かばんを持った。
静かになった教室をあとにして、扉を閉めた――その瞬間、風が一度だけ強く吹き込んだ。
まるで、何かが変わる前触れのように。
日が傾き始めた午後。
人気のない裏庭で、伊月は2人を待っていた。
そして、姿を現した遥と木嶋。
2人は――手を繋いでいた。
しかも自然に、指を絡めるように。
(……嘘だろ)
伊月は、一歩前に出る。
「……話がある」
遥は一瞬立ち止まったが、手をほどこうとはしなかった。
木嶋はニヤリと笑って、遥の肩に触れた。
「俺、話すことなんてないけど」
「遥、お前は……本当に、そいつと付き合ってんのか?」
「……そうだよ」
遥の声は小さく、震えていた。
でも否定はしなかった。
(違う。お前、そんな目じゃなかった)
「じゃあさ、その目の前でキスできるか?」
木嶋が突然言った。
遥の手を引き、自分の前に向き直らせる。
「おい、やめ――!」
言う間もなく、木嶋は遥にキスをした。
柔らかく長く、わざと見せつけるように。
遥はわずかに震えていたが、抵抗はしなかった。
伊月は、足元が崩れる感覚に襲われる。
喉の奥が焼けつくように苦しくて、拳を強く握った。
(やめろよ……やめてくれよ)
木嶋が唇を離したあと、遥に小さく耳打ちした。
「――“こないだの、ベランダの夜”のほうが感じてたよね?」
遥の目がぴくりと動いた。
伊月だけが、その意味に気づいた。
あの日、遥がLINEをくれなかった夜。
いつも送ってくる“おやすみ”のスタンプが来なかった、あの晩。
(……そのとき、お前……)
遥はその言葉に反応しかけたが、何も言わず俯いた。
「やっぱ、君にはわかるんだね。さすが、“本命”だっただけある」
木嶋の声は楽しそうだった。
まるで――
誰が“遥を知っているか”という、所有権を賭けた争いを楽しんでいるように。
「遥が今、誰を選んでるか……見ればわかるでしょ?」
木嶋が繋いだままの手を、強く引いた。
遥は、ただ静かに立っていた。
伊月は叫びたかった。
「……そんなの、遥じゃねえ」
「伊月……っ」
遥が、ようやく名前を呼んだ。
その瞬間、心が揺れた。
けれど――遅すぎた。
伊月はそのまま、踵を返して背を向けた。
(俺には……もう、触れさせてもらえないんだな)
(呼んでしまった。伊月の名前を)
木嶋の手はまだ、自分の指を掴んでいた。
それなのに、自分の心が泣いていることに気づいてしまった。
(伊月……)
君の目だけが、すべてを見抜いていた。
だからこそ、もう誤魔化せない。
なのに――手を離せなかった。
流石に長すぎたので一度終わります